表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アヴァロンの剣  作者: つかさく
第一部 誓い 南の章
9/21

第六話 フェデリスの涙

 王都スプリングスが、午前と午後の境目である六刻を迎えるまでには、およそあと半刻。

 近衛騎士ランフェルトはパルム公との会談を終えると、その軍勢の中を悠然過ぎるほど堂々とした表情を保ちつつ騎乗のまま通り抜け、水晶宮の門をくぐり再びエドガー王太子のもとに合流した。


 そのしばらく後。

 水晶宮最深部にある内宮に通じる唯一の建造物である王の館、その中に設けられている政務の間には、四人の近衛騎士を従えたエドガー王太子の姿がみえる。その他には、今朝四刻をもって執行されたフォルシウス王家よりの永の暇の対象から外れた、高位の文官九人もいた。


 宰相オケルマンが、文官たちを代表していう。

「殿下、そろそろお別れの時間となったようでございます」


「それは残念である。皆のためにも、武具などを用意させてきたのだが」

 エドガー王太子は動じる態もみせずにそういうと、後ろを振り返る。その視線の先には、剣や鎧などを納めてある長櫃(ながびつ)を脇に置き、政務の間の入り口で控えている上将三人と下将十人が映っている。

 一方で、宰相オケルマンの言を耳にした近衛騎士のハレンとランフェルトは、文官たちが心変わりでもしたかと、腰に帯びている長剣のつばに、右手をかけようとしていた。

 不穏な気配を素早く察した近衛騎士ラーグレーブは、両者の前に身を乗り出しながら左右の腕を開き、彼ら二人の動きを押さえるかのような姿勢をとっていた。


 近衛騎士の長であるヨエル・ファルクが、心持ち軽めの口調でいう。

「オケルマン殿、悪い癖が出ておりますな。わざと言葉足らずの物言いをし、人心を計る。その癖はいまだ治る気配もなし、とみました。しかしながら、もはやそのようなことは不要でよろしいのではありませんか」


 宰相オケルマンが、少しばかり残念そうな口調でいう。

「ファルク殿。これあったゆえ、だけではないのでありましょうが、国王陛下には疎んじられることも多く、罷免されること二度、宰相に復帰すること二度。それがしの進言は、なかなか受け入れてもらうことが出来ませなんだ。

 私なりには、尽力してまいりましたが……治らないからこそ悪癖なのです。

 それにしても、この度はいささか興ざめでございます。王太子殿下には軽く流され、ファルク殿にもラーグレーブ殿にも通用したようにはみえず。

 効果があったのは、二人のみとは。明日よりは、もう少し言い回しに洗練さを加えられるよう、努力してまいりましょう」


 一呼吸ほどの間をおいて、宰相オケルマンが自身の後ろに控えている文官たちに、視線を配りながら言を続ける。

「私どもは、このように思ったのでございます。

 ここにおりし九人の覚悟。近衛騎士殿たちや、入り口で控えている将らにいささかも劣るものではございませぬ。それは我が名はもとより家名ににかけて断言いたしましょう。

 が……しょせん我らは、武に疎い者ども。慣れぬ鎧に身をまとい、振るえる手で剣を握り、我が身が切り刻まれ、血を流す様をみて、見苦しい態で醜態を晒したり、しまいには命乞いをしてしまう可能性があるのではないか、と。

 加えて、その後にあのパルムの知恵袋にでも、巧妙なる尋問や取引を持ちかけられてしまえば。転ぶ者が出ない、とは限りませぬ。

 私にしてもどうなることやら……」


 そういってエドガー王太子をうかがった宰相オケルマンは、残念そうな表情をみせる。 次いで、近衛騎士のうちランフェルトをみて微妙な表情をし、ハレンをみるとようやく満足そうにうなずく。

「昨晩、殿下の館にてお聞かせいただいたこと。耳にするまでは、我ら九人も殿下のおそばで、ただただ果てればよい、と思うておりました。しかしながら、知った以上はそうもいきませぬ。

 ……の為にも、本日の殿下のご出陣は、一点の染みすら許されませぬ。そして、秘は、悟られぬようにせねばなりませぬ。

 ゆえにこそ。武に慣れておらぬ我らは、この場にて殿下とはお別れさせていただき、冥界の先触れとしてお待ちいたしたくあります」


 口を開きかけるエドガー王太子を、「しばらくしばらく」と宰相オケルマンは身振りもまじえながら制して、いう。

「せっかくの機会です。言わせてくださいませ。

 畏れ多きことながら、マグヌス国王陛下は短慮に過ぎるところがあらせられました。前の王太子リステル殿下も、陛下にご気性がとても似ておられました。

 力を持ち過ぎているようにみえる諸侯の力をいくらか削ぐ、という方針が、誤りであったとは今でも思いませぬ。しかしながら、あのような凶事を行なう必要など、全くございますまい。加えて、パルム公の人となりを考えれば、それがどのような結果を招くくらいは、考えられてしかるべきであった、と思います。

 とは申せ、我ら補佐する者らの責も大でございましょう。

 大なりとはいえ、たかが一つの公家。王家が抱える兵力とパルム公領の兵力の差は、歴然と考えておりましたゆえ。

 王国は、フォルシウス家の御世はいつまでも続くものと、日々に慣れ過ぎておりもうした。

 それが諸侯どもの離反を招き、戦で負けを重ね、将兵のほとんどを失い、リステル様は無残にもグレイノックの戦場にて討たれ、陛下も重傷を負われて王都に戻ると内宮に篭られました。

 この時点で、もしもパルム公が我らの非を問わぬ、との布告を出していたなら、今この場にいなかったかもしれませぬ。なにしろ先への展望が、全くみえませんでしたゆえに」


 宰相オケルマンは近衛騎士ハレンの方へ視線を向け、まずは全てを聞きくだされ、といって言を続ける。

「その後、殿下が王太子の位に登られた日に、我らを集め述べられたことは、今でも昨日のことように覚えております。

 もはや全てが手遅れ。この上は滅ぶまで、と。

 ……率直に申せば、失望いたしました。どうにかして、我が身だけでもパルム公の寛恕を得て、生き長らえる手段はないものか、と卑しい思いが頭をよぎりました。

 しかしながら、殿下は言葉を続けられた。

 我が身のことだけを考えれば、重症の父上を馬車に乗せてでも、ただ今すぐにでも水晶宮にある金穀をたずさえ、故都レインストンに赴き、要害の地を抑え南部諸侯を糾合し数年その形成を維持出来れば……国を割った形での和平は可能となるやもしれない。だが、その時、我らが王国はどうなっている、ただただ荒廃し、諸国からの侵攻を招きやすくなっている二つの国があるだけではなかろうか。

 よって、最も取ってはいけない策なのだ、と。

 王国は、マーシアの地は、王朝が代わろうとも、その民草とともに連綿と続くであろう。であるならば、王家が自らの育んできた国力をいたずらに減じさせ、醜態を晒すことは許されるべきことではない、と。

 ゆえに、ただ今をもってより、武力よりも矜持でパルム公に対抗することで、王国の民を長らく統べてきたフォルシウス王家としての威を示す。

 直臣として、何代にもわたり長年仕えてきてくれたそなたらには済まないが、ともに滅してくれ、と。

 水晶宮に蓄えられている金穀や武器をみ、南部の地をよく知る機会があらば、いつかパルム公もフォルシウス家の取った手段に気づくであろう。

 それが、新たに王国を率いることになるであろうパルム家へ、滅び行くフォルシウス家が贈れる唯一の手向けだ、と」


 その日のことを思い出すかのように瞑目しているエドガー王太子を垣間見ながら、いったん間を置き呼吸を整えた宰相オケルマンが、いう。

「ありていに申しますれば。我ら一同、目が覚め申した。

 ただ、一つ……残念なことが。なにゆえ、殿下は幼き頃より、健康に優れぬお方であられたのでありましょうや。

 我ら直臣ですら、ほとんどその御姿をみることもなく、お人なりを知る機会すらなく、療養の為に王都を離れられることばかり多くあらせられ……。

 もう少し早く我らに、殿下の御意を親しく得る機会があったならば……打つ手は他にもあったのではありますまいか。殿下のお身体の弱きことを、悔やみまする。

 のう、近衛騎士ラーグレーブよ。貴殿ならば、この気持ち。よう分かろう」


 宰相オケルマンの言葉へ、静かに耳を傾けていたラーグレーブがいう。

「誠に、宰相閣下の言われる通りで。

 私は、長らく水晶宮の、つまりはマグヌス陛下と故リステル殿下に仕えてまいりました身。今上陛下と故殿下に付き従っていた近衛の同僚は、パルム公との一連の戦において全て死にもうした。

 私のみが生き残ったのは、我が領地を継いだ息子がこたびの戦において中立の立場を表明したことを知ったマグヌス陛下の命により、軍旅中に捕らえられ王都まで送還され、獄に繋がれていたからに過ぎませぬ。

 私が、エドガー殿下の御意を得ましたのは、殿下が王太子になられてよりのこと。

 他意はありませぬが、反乱早々パルム公のもとへ参陣なされた兄をお持ちのランフェルト殿を、当たり前のように従えたままの殿下の為さりようと、獄にあった我が身の処遇の差を……。

 ファルク殿やハレン殿、ランフェルト殿、ここにはおりませぬが、ヴァルフェルト殿が羨ましくあります。

 ただ、私も言わせていただければ。

 何ゆえにもう少し早く、殿下のご器量を発揮させられる場を得られるように、そばで仕えし者たちが動かなかったのかと……。

 もっとも、宰相閣下を筆頭としたここにおられる文官方と違い、(まつりごと)に縁深き者ではありませぬから、心情は分からぬでもありません。

 ただし、ファルク殿は別でございましょう。私と同じく、かつては侯家の長であったお方であり、南部に束ねと目されていたお方。

 その面に疎い、では許されぬものがありましょう。よってこの件については、明日以降に白ワインを酌み交わしながら、じっくりと問い詰めるつもりです」


 そういって、ラーグレーブは目を白黒させているファルクに笑いかける。次いで、宰相オケルマンを見ながら朗らかにいう。

「宰相閣下にお頼みいたします。そういった事情でありますので、本日我が新たな友となったヨエル殿を、言外の言葉で責めたてるのはお止めくだされ。

 それにしても。ボルィ殿は、悪癖が治る気配すらありませぬな」


 宰相オケルマンが、ラーグレーブに笑みを返していう

「ほう、コニー殿にその名を呼ばれたのは、半年ぶりくらいだわ。

 よかろう。我が友コニーの新しき友を、今更どうなるわけでもないことで責めても、いたしかたあるまい。それにしても、ようも私の意が分かったものよ」


 ラーグレーブがそれくらい当然であろう、という表情をしているのを、にやっとしつつ眺めた宰相オケルマンは、姿勢をただしエドガー王太子に向き直るといった。

「さて、殿下。多少話題がそれましたが。

 そのような事情のもと、我らフォルシウス家の直臣九人は意見のまとまりを得もうした。

ゆえに、フェデリスの涙と呼ばれる確実に死ねる毒液を、王室の薬庫より勝手ながら頂戴してまいりました。

 無断での薬庫への立ち入りのこと。誠にすみませぬ。ですが、殿下には事後ではありますが、承諾していただけるものと……」

 

 そういい終えるとともに、頭を深々と下げる宰相オケルマンの姿にならい、他の八人もいっせいに続く。

 じっと宰相オケルマン以下九人の姿に視線を合わせていたエドガー王太子が、一言一言噛みしめるようにいう。

「そのような事情であれば、我になにをいうことができよう。

 なに、我も、フェデリスの涙を用意している。

 先にいって待っておれ。それほど待たせることもあるまい。

 それとな、最近でこそ、やや健勝ではあるが、それでも二日に一度は熱が上がる。幼き頃からでは、伏していた日数のほうが起きていた日数の倍はあろう。

 ファレンをあまり責めるな。動かなかったゆえは、我が身体を考慮してのことよ。よいな」


 エドガー王太子は向きを変えると、諭すかのようにいった。

「トピアスにマティウスよ。武官には武官の矜持があるように、内向きの務めを果たす者にも矜持がある。武を鍛えた者のみが、その意に達するのではない。そのことがよく分かったであろう」


 エドガー王太子に対し、膝をついて黙礼し頭を下げるハレンとランフェルトの姿があった。やがて彼らは立ち上がると、宰相オケルマンへ「申し訳ありませぬ」といいながら頭を下げる。


 若き近衛騎士であれば当然の気概ゆえのこと、気にはしていない、といいながら宰相オケルマンがいう。

「殿下。ご報告を忘れるところでありました。

 内宮に篭ったままであらせられるマグヌス国王陛下と新しき神の信徒どものことであります。

 臣下の身で、控えの間より奥を開けることは、畏れ多くございます。ゆえに、こちらから控えの間に鍵をかけ、手前に特に選んだ信の置ける従者を置いております。

 他は、国庫、宝物庫、御文庫、薬庫、武器庫、船溜まりなど。ご指示を受けました全ての部署に、昨晩殿下よりいただきましたパルム公宛の親書とともに。手配を滞りなく終わらせてございます。

 もちろん、それらの全ての者らには、肩に青と白の布を巻かせております」


 うなずくエドガー王太子をみながら、宰相オケルマンが言を続ける。

「と、これはつい先ほど思い浮かんだことではありますが。

 これよりのご出陣において、鎧などは不要ではありますまいか。生きる為に臨まれるわけでは、ありませぬゆえに。

 つまり、もはや身を守る防具に、意味などございますまい。

 その方が、フォルシウス王家の、エドガー王太子殿下の潔さが、滅びの様が、よりいっそう諸侯どもや民の間で語られることとなり、国王陛下と前の王太子殿下の起こされた醜聞や敗北をも、いくらかは霞ませてくれましょう。エドガー殿下はマグヌス王の子というよりもスヴェン公正王の御嫡孫であらせられた、と。

 ……そしてそれは……のお為になることはあっても、妨げとなることはないのではありますまいか。

 いかがでございましょう。フォルシウス王家の宰相としての、最後の奏上でございます」


 政務の間を静寂が支配する。

 エドガー王太子は、近衛騎士長ファルク、近衛騎士ラーグレーブ、近衛騎士ハレン、近衛騎士ランフェルト、順々にそれぞれと視線を合わせ、全員が賛同の意を表情に浮かべていることを見てとる。

「見事な策、いや策などではない。機知でもない。心よりの馳走であり、忠言である」


 そういうとエドガー王太子は、自らを覆っていた鎧の留め金を外そうとする。素早く、ハレンとランフェルトがそれを補っていく。

 身が軽くなった、といいながら笑うエドガー王太子。ハレンは鎧を脱ぎながら、入り口の方に向かって歩き「聞こえていたであろう、おまえらも装備を外せ」と笑顔でいっていた。


 エドガー王太子の姿を眩しいものでも見るかのように、目を細めていた宰相オケルマンが、改めて言う。

「さて、殿下。

 フェデリスの涙は確実に死ねはしますが、死の瞬間わずかばかりの激痛をともない、それが一筋の涙となって流れ出る、と聞いております。

 ありえぬこととは思いますが、見苦しき様をおみせいたしたくはございません。

 殿下がこの場より去られた時をもちまして、我ら一同は毒をあおぎますゆえ。

 ただ今をもちまして、この世における、永のお別れと、させていただきます」

 そういうと宰相オケルマンが、背後の八人とともに膝をつくと深々と礼を、エドガー王太子へと捧げた。


「ボルィ・オケルマン。 デクト・ステン。 ヨスタル・ロランド。 サムェル・ヨナスタ。 ストーフ・オルロ。 ルーキアス・レキャレルド。 コニー・ホーカン。 ヴィラード・ムクヴィスト。 ミヤン・ダーヴィド」

 一人一人の姿をしっかりと目に焼き付けるがごとく見ながら、王太子となって以降、陰日なたに補佐してくれた者たちの名を呼ぶ、エドガー王太子の姿がある。

「そなたたちの忠誠、我は忘れぬ。しばし待っておるがよい。」

 

 そういうとしばらく立ちすくんでいたエドガー王太子は、「殿下」というファルクの声をきっかけに踵を返すと、政務の間から近衛騎士たちを引き連れ、振り返ることなく去っていく。

 後方からは、石造りの床に倒れこむ者たちの発する微かな音だけが響いていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ