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アヴァロンの剣  作者: つかさく
第一部 誓い 南の章
8/21

第五話 銀色の瞳

 マーシア王国の王都スプリングスには、いまだフォルシウス王家へ従う者たちが立て篭もっている水晶宮がある。

 その水晶宮を包囲している軍勢を率いているグスタフ・パルム公は、指揮用の本営として王都の西大広場に面して建てられていた邸宅を接収し、使用している。

 なお、邸宅の最も奥まった位置にある部屋は現在のところパルム公の私室として用いられていた。

 先ほど会見の終わりに、エミル・ランフェルト侯を邸宅の入り口に設けられているホールで見送ったパルム公は、間を置かず自身の私室として用いている部屋へ向かって、足早に歩いていく。

 室内に入ると、窓辺に置かれている大きめの椅子にどっかと腰を下ろす。


 パルム公の身体は元々がやや大柄な上に、最近は太りかけてもいる。とはいえ、標準的なサイズの椅子であれば気になるほどではないのだが、どうやらこの邸宅本来の主人は身体が少々小さいらしい。

 パルム公が一時的に接収し本営として起居に、会議に、と用いているくらいなので、邸宅そのものの広さもじゅうぶんあり、置かれている調度品などはおしなべて凝った高価な物である。

 だが、凝っているゆえであろうか、主人用とおぼしき椅子も一脚を除いて、その主人の身体に合うようにのみ仕立てられていた。

 邸宅を接収した翌日にある従者が気を利かせて調達してこようとしたが、パルム公は「戦の最中に気にするようなことでも、してよいことでもない」といって止めさせて、今日に至る。

 そういった事情もあり、理由はわからないが、この邸宅にあった唯一といえるパルム公が不満を抱かずともすむ大きめの、その椅子に現在パルム公は身をゆだねていた。


 しばらくすると、扉を叩く音がパルム公の耳に届き、次いで二人の男が室内へ入ってくる。

 窓から差し込んでくる、冬の終わりかけとも春の先触れとも取れる柔らかい午前の日差しを、ダークブロンドの髪越しや首筋、肩あたりに感じながら、椅子へ腰を下ろしたままの姿勢で、パルム公は二人を眺めていた。

 そのパルム公からみて、歩数にして三歩ほどの距離がある左の椅子へ、一人の男が足早に向かうと勢いよく座る。

 やや遅れて、パルム公からみて正面六歩くらいの位置で、もう一人の男がゆっくりと歩んで立ち止まる。


 やがて、おもむろにパルム公が口を開く。

「ようきた。時間も無いので手短に話そう。ランフェルト侯の件だが。予定を止めにする。一切について忘れろ。よいな」


 パルム公をみながら、椅子に座っている男が間を置かずいう。

「父上。出来れば、もう少し詳細を教えていただけないものでしょうか」


「……オットーよ。考えろ。お前はいずれわしの後を継ぐ身。それも、四侯家をたばねるブラックヴェイル城の公主としてではない。このマーシアの地に君臨する、パルム朝第二代の国王となるのだぞ。

 よいか。主君たる者が一度発した言をくつがえすからには、相応の理由がある。愚か者でもなければな。そして、わしは自らのことをことさら知恵多き者とも思ってはおらぬが、阿呆とも思ってはおらぬ。これは、別にこの件に限ったことではない。日々の中で、様々な事象に考えをめぐらせるのだ。お前はまだ若い。いずれそれは血となり肉となって、助けてくれよう」


 パルム公は息子を見据えていた顔を、正面の男に向け直すと声をかける。

「イェルケルよ。そなたは、分かるな」

 

 小柄な身体を、黒とも紺ともとれる色で染めた長衣で覆い、見ようによっては二十代とも四十代とも見える顔をした、やや黒みを帯びた銀色の肩を少し超えるほどの長髪を、無造作に後ろへ流している男が、灰色の瞳でパルム公の足元あたりを見ながら、いう。

「ランフェルト侯とお人払いの上でお会いなされた主殿が、その後で若君様とわたくしめの二人に意見を求められた内容。

 主殿がランフェルト侯の弟との会談後に、私どもを名指しされ別室で待機させたこと。

 再びランフェルト侯と会われていた主殿がその後、改めて他の部屋ではなく主殿の私室に、私どもをお召しになられたこと。

 会う手はずを整えたはずの者らが、会わなかった。会ってみて、判断を保留なされた。

 それらゆえ、と理解しております。

 ただ、他言無用といった言い様ではなく、忘れろ、というご指示につきましては、どちらもさして変わらぬとはいえ、いささかそこにいたる事情を飲み込みかねておりますが」


 その言を聞いたパルム公は、満足そうに一度うなずくと、顔を息子に向けていう。

「オットー。これが、考える、ということだ。分からぬのであれば、考え抜いた後で、わしに尋ねてこい。これからは今以上に、当分の間は忙しくなるが、お前の為になら時間は作るゆえな」

「父上、分かりました」


 そう短い言葉を発しただけで後は押し黙り、心なしか顔を赤くしているオットーを、今やただ一人となってしまった息子を、パルム公は見ている。

 あえて、やや厳しく言うてみたが。

 青くなるのではなく、赤くなるのであれば、よい。気概はあろう。

 今からでも鍛えれば、器量も大きくなろう。


 再び、正面を見据えてパルム公がいう。

「イェルケルよ。オットーに訊かれても、言うてはならぬぞ」

「主殿のご意向のままに」

 イェルケルが静かな声色でそうこたえた。


「忘れろ、というのはランフェルト侯ではなく、弟である近衛騎士殿の矜持に免じてゆえのこと。そのように頼まれてな。実に堂々とした振る舞いであった。わしもその意気に打たれ、思わず承諾してしもうた。

 もちろん、お前たちは会談の場に居合わせてはいない。よって、ここら辺りの機微を察しろ、というのは無理な話。だが、イェルケルはよう気づいた。

 さすが、知る者、と皆から言われるだけのことはある」


 無言のまま頭を下げ、再び上げるイェルケルの表情を見逃すまい、としっかりとした視線で捉えながら、パルム公は少し表情を改めると、ややきつめの口調でいった。

「ところで、イェルケルよ。知る者よ。少々尋ねたいことがある。

 昨年の夏の盛り。あの忌まわしき日の、我が子らが……サムウェル、アクセル、ディアナの3人が亡くなった凶報を、その第一の報せを、夜更けにわしへ知らせたのはそなたであったな。

 確か、こうであった……忘れられようものか」

 

 そういうと押し黙ったパルム公は、大きく一息つくと言を続けた。

「水晶宮をわしの名代として表敬させていたサムウェルが、国王の、マグヌスの意によって突如討たれた、と。

 アクセルが、随行させていた家臣や護衛の将兵らとともに、水晶宮内に提供されていた寝所を急襲され、奮戦するも斬り殺された、と。

 それを知ったディアナが、毒をあおぎ自裁して果てた、と。

 王太子やエドガーを含め水晶宮にいたほとんどの者らは、マグヌスを止めもせず凶行に加担していた、と。

 詳細はいまだ不明なれど、三人とも亡くなったことは確かだ、と。

 ……わしの、言いように、なにか、相違が、あるか?」


 パルム公の視線を逸らそうともせず、目を合わせていたイェルケルが、落ち着いた口調でいう。

「主殿の言に相違ございませぬ。まこと、口に出すのも畏れ多いいことではありましたが、わたくしめもそのように覚えております」


 パルム公は、気の弱い者であればそれだけで震え上がりそうな気配を、全身から発しながらいう。

「……先ほどエドガー王太子殿下の名代として、わしが会った近衛騎士のランフェルトがな、こう言うておったのだ。

 近衛騎士としての誓いにかけて、エドガー王太子は当時レインストンの離宮に滞在していた、と。

 当時の離宮に勤めていた者らを探して訊けば、同様の証言をする者らは百人を超えよう、と。

 他にもこう言うておった。現在わしのもとにおる、当時水晶宮に在しておった者らの中にもそのことを知るものは多数にのぼろう、と。

 あまりにも明白な事実ゆえ、本来ならば誓うまでもないこと、と。

 イェルケルよ、常のそなたらしからぬ報せであった。

 そうは、思わぬか。

 のみならず、八日前まではレインストンの地を攻める軍勢にいたそなたが、このことを重ねて見落としていたのであろうか。

 言いたいことがあらば、言うてみよ」


 オットーは何か言おうとするが、それまでの空気と一転した状況を察し、慌てて口をつぐむと唾をごくりと飲み込み、イェルケルを凝視している。

 パルム公とオットーの視線を一身に浴びながら、少しも動揺した風をみせないイェルケルが顔を上げたまま、こたえる。

「そう申されましても……。わたくしめも、マグヌスの手の者からかろうじて逃げ延びられた、と申す騎兵の一人が昼夜兼行で馬を飛ばし知らせてきた内容を、そのまま主殿にお伝えしただけですので……。

 その兵は、わたくしめに告げ終わるとともに、力尽きたかのように倒れ伏し、そのまま意識を失い、死にもうした。っと、このことは、かつて主殿へ申し上げ、ご了承も受けていたことでしたな……」


 そういうと、呼吸にして一呼吸程度の間を取って、イェルケルが言を続ける。

「その後の続報や、詳細を知らせる報せにつきましては、わたくしめも主殿のおそばで。

 時には奥方様やオットー様、故サムウェル様や故アクセル様の奥方様、主殿の弟マウリッツ殿や他の家臣の方々とともに。

 全てではありませぬが、そのいくらかは耳にいたしました。

 今思いおこせば、サムウェル様、アクセル様、ディアナ様のご最期のご様子ばかりで。

 そういえば、当時のエドガーの所在につきましては、第一報以外には含まれていなかったようにも、いやあったようにも……。

 なにぶん、わたくしめもあまりの凶報に、激しく動揺しておりましたゆえ。

 前の王太子リステルとエドガーを混同していたまま、そのことを失念していたやもしれませぬ。

 元々疑問を感じていたのであれば、レインストンを攻める折に、調べもしたでありましょうが……。

 もちろん主殿がそれを落ち度、と申されますならば、甘んじて(とが)めを受けますが……」


 そういうと押し黙ったイェルケルは、腰から身を少しかがめ、頭を心持ち伏せる。

 窓辺の椅子に座るパルム公の身体越しに室内へと差し込む日差しが、イェルケルの黒みがかった銀髪、その頭頂部あたりをうっすらと照らしており、扉のほうへと向かって長い影が伸びる。

 イェルケルの灰色の瞳は、パルム公の長靴の上から顔を出している膝、その辺りに視線を合わせたまま動こうとはしない。

 口に出した言葉と異なり、言葉にすれば、今更そのような瑣末(さまつ)事の何が問題でしょうか、とでも言いたそうな気配を、イェルケルはその全身からただよわせていた。


 室内の物音が途絶える。

 パルム公は、椅子に深々と座り背中を預け、両手は肘掛けの丸みを帯びた先端をそれぞれ握っている。

 イェルケルの、その全てを見通そうとでもいうかのように、凝視し続けている。

 イェルケルは、背筋を伸ばしたままで腰を起点に軽く曲げた姿勢で、身体を微動だにせず、パルム公の膝あたりをみている視線を外そうともしない。


 と、不意に静寂が破れる。扉を叩く音が、室内にこだまする。

 その音を耳にして、まるで椅子そのものにでもなっていたかのように、身体が固まって息をひそめていたオットーが、飛び上がるように立ち上がった。

 そして扉に駆けるがごとく近寄ると、少し開ける。

 従者の「そろそろ軍議のおじか……」という言を途中でさえぎり「待たせておけ!」と言葉をかぶせ、幾分荒々しく扉を閉める。

 振り向いたオットーの目には、先ほどまでただよわせていた気配が、嘘のように消えている二人の姿がみえた。


 朗らか、とすら形容できる声色でパルム公がいっている。

「まあ、エドガー王太子の所在についてしっかりとした確認をおこたったのは、わしも同様といえよう。そなただけに、何の罪咎があろう。

 それに今更、今更それを知ったところで、もはや何が変わるわけでもなし。

 知る者、といわれるイェルケルにも、うっかりとすることがある。と、いうことを知ったことを収穫としよう」

「このイェルケル。二度とこのような不始末のないように、今まで以上に日々を励んでまいりたいと思います」

 そう返すと、イェルケルはようやく傾けていた身体を起こしていた。



 長く伸びていたイェルケルの影が縮んでいく。

 それを何とはなしに視界に捉えていたオットーは、一瞬ではあったがその縮みゆく影の中に、あまりにも異質な気、のようなものが存在していたかのように感じた。

 思わず、父であるパルム公の顔をみる。

 しかし、全くそれに気がついている様子は無い。

 再び影をみる。何も無い。何かがあるような。あれは。

 イェルケルは、長年にわたるパルム家の、父の最も信頼厚き家臣にして、良き助言者。

 口に出してしまえば楽になる。が、勘違い。で、済む話ではない。

 既に、戦場で先走ったゆえの失敗を一度犯している。

 つい先ほどのランフェルト侯の件もある。これ以上、考えなしと思われる失態を繰り返し、頼りなき者と見られてしまえば、父に見限られるかもしれない。

 長兄サムウェルと次兄アクセルは、もういない。だが、忘れ形見として次兄アクセルの男児が、いまだ赤子ながら一人いる。

 あれが大きくなるまでに、自分こそが唯一のパルム家の後継者として、地位を固めておかなければ……ろくな将来が待ってはいまい。

 大領主の三男など、周りから思われているほど恵まれた立場でもなかった。ありていに言えばスペアのスペアだ。大き過ぎるがゆえに他の候家へ婿入りするのも難しく、身の立てようがない。もっとも、それは受け入れてはいた。ただ、上の兄二人の仲が良すぎその煽りを喰らう形で、溝のある間柄となれば……父亡き後にサムウェル兄に臣従する未来絵図はいかに想像しても望ましいものとは思えなかった。

 考えろ。と父からは言われている。期待に応えなければならない。

 何かがあるでは子供の戯言(たわごと)、何があるかを伝えられなければ、父には認められない。

 オットー、考えろ。


 二人の声だけが、室内に響いている。

「今後も、頼みに思うておるぞ」

「主殿のお心のままに」


 扉の前で足を止めていたままであったオットーの耳に、「オットーよ、そろそろ軍議の時間だな」という父の声が聞こえてくる。「そのようです」と応えながら、オットーは影を凝視し続けている。

 その影の持ち主が、父を先導するかのように扉へ向かってくる。


 父はこちらへ向かってくる途中、ふと立ち止まり後ろを見ている。

 視線の先はうかがいようもないが、椅子を眺めているようで「もはや、これに座ることもあるまい」と、少しばかり感慨のこもった声でいっている。理由は分からない。


 父の前を歩いていたイェルケルも、立ち止まってオットーに後ろ姿をみせながら「さようでございますな」といっている。

 持ち主の歩みとともに動いていた影は、止まったまま動こうとはしない。当たり前か。影は影だ。別段、不審な点は何も感じられない。

 今日という日の大事を前に、気持ちの高ぶりを抑えきれていないゆえの、気にしすぎか。


 歩みを止めオットーに背を向けている形となっている二人の方へ、二歩ばかり足を進めながら「父上、何か気になることでも」と声をかける。

 三歩目で「いや、なんでもない」という父の声が聞こえる。

 ちょうどその時、イェルケルの影がオットーの足のつま先からくるぶしに達し、陰りを作った。

「ほう……」という微かな、小さな囁きを、イェルケルの後頭部が発したように、オットーは感じた。


 四歩目を、踏み出そうとした足が思わず止まる。

 声をあげようとするが、影が。

 動いていないはずイェルケルの、影だけが。

 鋭く伸びて拡がりオットーの全身を覆いつくす。声が出せない。


 小柄な身体のやや黒みがかった銀髪の男が、ゆっくりとこちらに向き直る。目と目が交差する。

 逸らそうとするも眼球が動かない。瞼すら閉じられない。身体が動かない。

 イェルケルの灰色の瞳が。開く、銀色に。

 イェルケルの銀色の瞳が。戻る、灰色に。




「主殿、まいりましょう」と、父の後ろ姿へ話しかけているイェルケルの背中がみえる。

 オットーは、自身のくるぶしにあるまま動こうとしないイェルケルの影に、つかの間視線を投げかけると「父上、お急ぎを」といって、身体の向きを入れかえ扉の方へ歩き出す。


 ……何かを考えていたような……そう、ランフェルト侯のことだ。考えよう。

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