第三話 掲げる杯 その二
水晶宮にある大練兵場に集められていた将兵へ素焼きの杯が配られ、その全員にワインが行き渡り終わるのを、エドガー王太子が近衛騎士ハレンたちを従えつつ待っていたそのおよそ半刻前。
水晶宮の表門からは、石造りの堅固な橋を歩きグスタフ・パルム公に与する軍勢が充満している市街区へと向かって進む、およそ八百人の人々がいた。
年齢も性別もばらばらな、多くの文官とほぼ全ての雑役人、従者や女官たちで構成されたその集団は一つの共通項を持っている。本日の四刻をもって、フォルシウス王家より永の暇を出された面々であった。
各人はそれぞれの給金に換算しておよそ五年分にも値しようかという金貨や銀貨、銅貨の詰まったなめし皮や麻布の袋を、フォルシウス家からの暇金として下賜されている。
なお、貨幣とは別途に、特にエドガー王太子の名でもって、王家ゆかりの筆記具や布生地、杯など大小様々な品々を身分に応じて、それまでの役職にも応じて、全ての者が一品ずつ授与されてもいた。
近衛騎士ランフェルトは、軍使を意味する青い布を穂先に巻きつけた槍を右手に握っている。集団の先導役として騎乗のまま、少しばかり尊大ぶった表情で、石橋に蹄の音をこだまさせながら進んでいる。
石橋は、上面に平たく敷き詰められている四角張った石のあちらこちらに血糊がこびりつき、ところどころにかつては臓物だったものの一部が貼りついており、欄干のところどころが欠け、前日までの五日間におよぶ戦闘による爪あとを、生々しいほど剥き出しにして晒している。
もっとも、そういった状況を哀しむような感傷的な思いなど、とうに磨り減ってしまっているランフェルトにとっては、どうということもない見慣れた景色ではあった。
表門をめぐる攻防戦に加わっていた回数は、いまだエドガー王太子の下で健在な騎士階級の者の中では水晶宮より文字通り姿を消した老騎士に次いで多く、ハレンに比べると少し劣り、直接屠った敵兵の人数は恐らく群を抜いて最も多い。
よって、石橋に存在する戦闘の残滓のいくらかは、ランフェルトがその生産に関わっている、といっても言い過ぎではない。
馬の背に揺られ進むにまかせたまま橋を渡るごとに、ランフェルトの視線の先には、はっきりと映り始めている敵の将兵たちの表情が見えている。
それらは、畏怖や憎悪、感嘆といった様々なもので彩られていた。
戦闘の名残りには心を動かされなどしなかったものの、彼らの顔を見ていると、なにやら異なものをランフェルトに感じさせて止まない。
敵兵の多くは、この戦が始まる前はどこかの街や村の民として、誰かの親や子であったはずであった。戦闘中であれば、ただただ倒すべき敵の顔としか見えないが、今は時折、民の顔とも見えてきている。
それは、ランフェルトの胸中に複雑な思いを生じさせてもいた。
とはいえ、自らが視線をそらすなど、ランフェルトの武人としての矜持がそれを許すはずもない。
ランフェルトはつかの間悩んだあげく、装備の差でそれと分かる戦闘にのみたずさわる事を生業としている敵の将たちのみを、見据えることと決める。
結果、まるで今すぐにでも馬の腹に拍車をあて疾駆し、垂直に立てている槍を水平にし突きかかりでもしそうな表情となっており、今この時は戦であって戦ではない、このことをしっかと承知しているはずの敵の将たちへ、無意味なまでに必要以上の緊張を強いることになっていた。
一方で、ランフェルトの後ろを徒歩で進む、今朝まで水晶宮においてフォルシウス王家に仕え、時には負傷兵や戦死者に接していたとはいえ、戦そのものには直接接していなかった者たちの多くは、石橋を渡る一歩一歩ごとにいやが応にも生々しい戦場を感じざるを得ないでいた。
およそ八百を数える集団にいくらか含まれる地方の出のものにとっては、匪賊や諸侯同士の争いなどで、それなりに見知った光景ではあった。されど、直接の戦場を経験したことのない多くの王都やその周辺出身者にとっては、耳にはしていたものの実際には初めて目にするには、あまりにもまがまがしい情景といえた。
フォルシウス王家の滅びが避けがたいものと決まって以降、今日まで水晶宮に留まらずとも去る機会は、身分や役職が下になればなるほど設けられていた。
にもかかわらず、それを自らの意思で拒み、最期の日まで仕え続けてきた人々である。
度胸の据わった者もそれなりに含まれていた。だが、呼吸するごとに微かに感じ取れてしまう血のにおいや、時折視界に入りこんでくる臓物のかけら、欄干の隙間からみえる湖面に浮かぶ様々なものは、心に重いものを生じさせてやまない。
あらかじめエドガー王太子の布告によって、いざという時は将兵以外の者たちは敵の手からその身を保護する、とは知らされてはいた。
もっとも、いったい落城時の混乱の中でどうやって、というのが多くの者らの率直な感情であった。
死ぬもよし、生きるもよし。どちらの目が出ようともそれも定め、と。誇り、意地、忠誠、諦め、楽観、悲観、自暴自棄といった感情で複雑に絡まりながら、割り切って彼らは日々に仕えていた。
そして今日の時を迎えた。荒廃した石橋を一歩歩むごとに生へ向けて進んでいる彼らの手には、袋が握られている。重い、ただ貨幣が詰まっているという重み以上の何かが、握る手を通して体へと伝わっていた。
集団の歩みは、立ち止まり後ろを、水晶宮を振り返る者が続出した為、停滞することはなはだしくはあったものの、ゆっくりとではあったが水晶宮から離れていく。
近衛騎士ランフェルトは、最後の一人が石橋を渡りきってグスタフ・パルム公の軍勢の中へと、あらかじめ取り決められた約定通りに消えるのを馬上よりじっと見据えている。
見届けた上で、市街区内の西の大広場に接する邸宅へと向かっていく。そこはパルム公の本営が設けられている邸宅があり、迎えに出て来ていたパルム公の手の者の先導を受けながら馬を進めていった。
それからしばらく経った後、グスタフ・パルム公の本営前で近衛騎士ランフェルトは下馬していた。
近づいてくる馬丁に手綱をあずけ、水をいくらか多めにやっておいてくれと言いつつ、案内の者に従い本営とされている邸宅の中へ入っていく。
応対してきたパルム公の家臣にエドガー王太子よりパルム公へ宛てた親書を委ね、示された椅子に腰を下ろす。
出された杯には従者によって赤いワインが注がれるものの、一切手をつけようともしない。ランフェルトは、務めを万全に果たすことのみを考えながら静かに時を待っている。
やがて四半刻が過ぎる頃、パルム公が姿を見せた。ランフェルトと卓を挟んで正対する位置の椅子に、腰を下ろしている。
「委細は、全て承知した」
席に座るやいなやパルム公はそう言って、エドガー王太子からの親書への返答書をランフェルトへ手渡す。と、おもむろに右腕をあげる。
近寄ってきた家臣の一人へ、直ちに青色の狼煙を二筋ほど、水晶宮からもよく見えるように上げよ、と口頭で命令を、ランフェルトの耳にも誤解なくしっかりと聞こえるように、発っしていた。
次いで、別の家臣を呼びつけ、別命あるまで一切の戦闘行為を停止させている布告を、再度全軍に徹底させておくよう命じている。
その命を受けこの場を去りかけた家臣を呼び止めると、参陣している諸侯へは特に伝令使を出すよう念を押している。
そして、パルム公の側近くで控えていた板金鎧に身を包んだ者に、水晶宮表門へいたる石橋には誰も踏み入れてはならぬことと、水晶宮を囲む湖面へ浮かべる為に用意しておいた筏と舟を全て後方へ下げることを、合わせて命じていた。
指図を出した後、改めてランフェルトの方へ向きなおっているパルム公が口を開く。
「近衛騎士殿の見ての通りだ。その返書に記しもしているが、エドガー王太子殿下のご要望はこちらにとっても悪くはない話。ゆえに、遵守すること請合おう。
いまだ水晶宮に残る文官や雑役らには、残らねばならぬ理由もあろう。青と白の布を左肩に結わえている者たちについては、我が名でもって保護もしよう。西の大館にいる将兵らも同様に扱おう。
ただし、言うまでもないことかもしれぬがな。ただただ命に従っていただけの下位の者どもらはともかく、文武の上位官その全てを許すことなど保障はせぬし、出来もせぬ。
……もっとも、ここまで念の入った手配りをしておきながら、その者らへの配慮に欠けるような片手落ちな振る舞いもあるまい」
そう言い終えると問いかけるかのような視線を投げかけているパルム公に、ランフェルトがこたえる。
「王太子殿下のなされていることに対し、私がこの場で勝手に返答をするわけにもまいりませぬ。ただ、公がご想像にお任せいたします、としか申し上げられぬことをお許しいただきたい」
まあ、貴殿の立場ではそうこたえるしかなかろうな、と言うとパルム公が話を続けていく。
「さて、先日の合意の件であった、文官や雑役らの受け入れは現在滞りなく行なわれておる。
なにやら聞くところによれば、あの者らにとってはけっこうな額の貨幣なども持っているようだが……認めよう。
フォルシウス王家よりの下賜金であれば没収も出来ようが、わざわざフォルシウス家よりという書き付けまで添えてあるものを、取り上げることなど出来ぬ。
先ほどの親書にも水晶宮に蓄えられている貨幣の額は表記されてあったしな。
よもや、あの王ならともかく、エドガー王太子殿下がこの期に及んで名誉に欠ける虚偽を記すわけもあるまいて。
ところで……」
滑らかな口調で話していたパルム公が一転して口に手を当てると押し黙っていた。幾分かランフェルトを見るその視線には力がこもっている。
「内宮の奥へ立て篭もっているのか、エドガー王太子殿下が封じておられ出てこれぬのかまでは、あずかり知らぬが。
あの男……マグヌスと、それに従う者らへの処遇についてだが……。これまでの交渉ごとの親書にも、本日の親書にも、一切記されてはおらぬが……。
そういうこと。だと、受け取って構わぬのだな?」
ランフェルトは、パルム公の問いを受けて姿勢を正す。
エドガー王太子より口頭で特に「マティウス、頼むぞ」と託されていた二つの言葉の一つを、伝えた。
「殿下より、公への言伝です。
令望の騎士たるグスタフ・パルム殿が、子が親を弑することを望まれるわけもなし」
「相判った」
パルム公は間髪いれず、また一音一音、かみ締めるように発し、答えた。
しばしの間、沈黙したまま目を閉じていたパルム公が再び目を開け、ランフェルトへ視線を向ける。パルム公の瞳は、交渉の席とは思えないようなほがらかな光を宿していた。
「さて、これよりは、いささか別の話をしたい。よろしいかな」
「内容にもよりますが、まずはお聞かせいただきたい」
ランフェルトがそう言うのを受け、パルム公は指を、親指と小指だけを伸ばした右手を、位置にすれば目の高さあたりで軽く振った。
ランフェルトの方から見れば、パルム公の右横や後ろに、既にして遠巻きに控えていた家臣や従者たちが、一人残らず歩みにして十歩ほど即座に下がる姿が確認出来た。
よく躾けられているものだ、とランフェルトは感心している。すると、後ろどころか横すら全く見ようともせず、声量を少し落としたパルム公が話しかけてきていた。
「近衛騎士ランフェルト殿。いや、マティウス殿。実は、そなたの兄であるエミル殿が、この奥に控えておる。マティウス殿が水晶宮よりの最後の軍使、との報せを耳にしたのであろう。供もともなわず先ほど我が本営に見えられ、内内に貴殿の助命嘆願を頼まれてな。レッドフラワーの領主であり、挙兵早々味方することを表明し、馳せ参じてくれたランフェルト家当主の意向。わしも、無下にしたくなどはない」
そう言い終えたパルム公が、先ほどとは逆に、親指と小指を折り曲げた右手をあげて振っている。一人だけ寄ってきた家臣に「ランフェルト侯を、こちらに案内せよ」と告げているのがランフェルトの耳へと届く。
即座に「公よ、しばしお待ちくだされ」とランフェルトはさえぎる。いかがしたのだ? と目で問いかけているパルム公にこたえる。
「兄上に、お伝えいただきたい。近衛の誓いは、そのように軽く扱われてよいものではない、と」
一息でそう言い切ったランフェルトは、一呼吸おくかのように息を吸い込んだ後で言を続ける。
「公に、お願い申し上げます。私の助命嘆願のこと。人の口の端にのぼるようなことあらば、我が兄は、ランフェルト家当主としての見識を疑われることになりましょう。ゆえ、この場で忘れていただきたい」
いくらか意外そうな表情となったパルム公が言う。
「そう、かたくなになるでない。わしとしても、前途有為な若き騎士の命を、あたら散らせとうはない。諾否はともかくとしても、会うくらいなら差し支えなかろう。もしも条件があるのであれば、遠慮などせずに申してみよ」
「王太子殿下の、ご助命がかなうのであれますれば」
ランフェルトは、間を置くことなく、婉曲な表現で重ねて断りを入れた。
「兄にも会わぬと申すか」
悩むそぶりすら見せず、無言のままでいるランフェルトを見据えながら、パルム公は組んでいた腕をほどき、杯を手に持った。
とたんに素早く寄ってきた従者に手首を振って下がるように示し、自らが杯に注いだ赤ワインを一口だけ飲みくだし、パルム公が言う。
「今となっては、無理な話。わしは、既にして誓いを立てておる。味方として、起ってくれた諸侯への手前もある。よかろう、近衛騎士殿の矜持に敬意を表し、この場にて忘れることと決めた。そなたの兄であるランフェルト侯には後でわしからその由を話しておく」
そう言い終えると、杯に残っていたワインをパルム公が飲み干していく。
その様子を見つつ、ランフェルトは先ほどまでとは異なるいくらかこわばった口調で問いかけていた。
「公に、お尋ねさせていただきます。まず、フォルシウス朝の国王と王太子は、いまだご健在なのです。とは申せ、公は早々にパルム朝の開祖として、登玉なされるであろうこと間違いはございますまい。
しかしながら、今この時は。大なりとはいえ、失礼ながら一領主に過ぎません。
そのようなお立場のお方が、近衛騎士に対し、名で呼ばれる。
そは、いかがなものでありましょうや。いつ、私は、公にその由を認めたのでありましょうか。
随分と、随分と礼を失している。とは思われませんか」
ランフェルトの言葉を聞き、パルム公の顔に一瞬であったが赤みが差し、そして消えた。手に持った杯に視線を移すと杯を振って、寄ってきた従者にワインを注がせる。
一口、二口と喉へ流しこむように飲みこんでいる。
「これは……わしに落ち度があるな。非は認め、貴殿に、近衛騎士ランフェルト殿に謝罪しよう」
そう言うと、杯を卓に置きランフェルトを見て頭を下げる。
やがて、再び頭を上げたパルム公は、杯から酒を飲み、言う。
「わしは、もうよいのではないか、そのような堅苦しい古法を守ることなど。もう仕舞いにしてよかろう、と考えておる。
名は名よ。家名は家名よ。そこに、何があるとも思えぬ。分かりにくいだけではないか。
近衛騎士殿はご存知ないかもしれぬが、かつて呼び方一つで戦となったこともあるのだぞ。
わしは、強いて古きから続くしきたりを軽視するものではないが、改めるべきは改める。
神々は、もはやどこにもおられぬ。神々を崇める者らは年々減っておる。国土を守る騎士など、とうの昔にこの大陸中の全ての国で廃された。
たとえば、ただ一の神の教えが。新しき神の教えがこの国に伝わり、無視しえぬ数の者らよりの信仰を受けて、既にして百年は経っていよう。
あの男、マグヌス……王など、その信じること最たる者の一人ではないか」
思うところが多々あるゆえか、先ほど引き起こしてしまった失敗を糊塗するゆえか、一気にそうまくし立てたパルム公は、ふと我に返ると軽く首を振っている。
「済まぬ。忘れてくれ、近衛騎士殿」
「酒とは、面白きものです」
ランフェルトは清清しい声でそう言うと、パルム公の頼みに即座にこたえた。
「近衛騎士殿は、実に立派な心根をお持ちであるな。エドガー王太子殿下もこれまでの交渉ごとから察するに、あの男の子とは思えぬご見識をお持ちのご様子。
伝え聞くに、最近はご体調も以前に比べればよろしいようだな。わしがいうのも妙な話だが、ご健勝あれ、と伝えて欲しい」
「誠に。ただ務めというだけではなく、お仕えしている。と思える日々でありました。レインストンの地において初めて殿下の御意を得て以来、よき歳月を過ごさせていただきました」
何かが心にひっかかりを見せたのであろうか。パルム公が表情を改めている。
「一つ教えて欲しいのだが。今日までの親書に交渉ごと。本日の親書。貴殿も含めこれまでわしの元に使いとして来た者らの態。先ほどの言と重なるが、あの王の有り様とあまりにも異なるではないか。
……あの時。分かるであろう、そうあの時。エドガー王太子殿下は、どこにいて何をしておられたのだ?」
問いかけの意味が分からないままではあったが、パルム公の目から視線を外さずランフェルトが言う。
「ご療養の為、レインストンにある離宮に身を寄せておられました」
「……まことに? わしはそうは聞いておらぬ。おらぬが、貴殿の今までの振る舞いからみて、騙っているとも思えぬ。
貴殿、その言を。誓えるか?」
ランフェルトは不思議なものでも見るかのような表情を顔に浮かべつつも、こたえる。
「誓うもなにも……公の軍勢は、当然ながらレインストンにも兵を進めておられましょう。今、どうなっているのかは伝えも絶えているので、私などには分かりかねることではありますが。
私の言が信じられないのであれば、使いを出されることです。そして離宮の雑役を勤めていた土地の者らを探してみられればよいでしょう。百人をくだらない者らが、私の話に同意してくれるはずです。
なにせ、昨年の晩秋頃に水晶宮へ戻られる前のほぼ二年に渡って、殿下はあの地にご滞在あらせられたのですから。
本日、公のもとに引き渡した者らや、早々と公のもとに走った者らの中にも、そのことを知っているものなど、たくさんおりましょう」
ランフェルトは、内心で焦りを覚え、やきもきし続けていた。
既に会見は長きに至っており、いつパルム公がその終わりを告げるのではないか、と。
それのみを恐れ、だが望む方向には一向に話が向かわず。
ところが得がたい機会が、突然に。向こうから、パルム公から差し出されてきた。
ランフェルトは姿勢を正すと、努めてほがらかな表情で、闊達さをも含んだ声色で、しかし素早く言を足した。
「とは、申しまして。公より直々の頼み。誓いをしない、というわけではありませぬ。
ランフェルトの家名において、マティウスの名において、近衛騎士マティウス・ランフェルトとして、誓う。
エドガー・フォルシウスはレインストンの地に在していた。ここに誓う」
一呼吸置いて、ランフェルトはパルム公に再び話しかける。
「ところで。私にとって主であらせられるエドガー王太子殿下の名を含んだ誓いが一つ。
というのは、大変畏れ多く、しかも収まりが悪うございます。
公にも、何か殿下の名へ誓っていただけないものか、と。
そうですね、たとえば」
ようやく、といった思いであった。
膝に置いていた左手の指先を、手のひらにめり込むほど強く握りこむながら、右手は顎から口元あたりをそっと撫でる。偶然訪れた二度とはないであろう得がたい機会を目の前にして、抑えきれなくなりつつある焦りを、期待を、顔には表さないよう。
次いで、両の腕を卓の上に置き、組んだ手の指先を少し動かす。
パルム公の視線の先が、自らの目よりやや逸れていっていた。今は自分の指先をちらちらと捉えている。
それを、目ではなく、気配でのみ感じとる。
「そうですね、たとえば」
おのれの声は、おのれが望んだとおりの明朗な音を発していることを確認する。
瞼を閉じる。慎重に、大胆に。毛ほども気取られぬほど軽く深呼吸して。瞼を開く。
エドガー王太子より託されていた二つの目の言葉を。
この会見において最も重要な務めを口に乗せ言葉とした。
「フォルシウス家の血は、マグヌスとエドガーの両名のみを欲し、他は望まぬ、と。
いかがでありましょう。他にフォルシウスの家名を戴く者を、公はご存知でありましょうか。
つまり。いわば、先ほど私が唱えた誓いと同じ、ということです」
ランフェルトの言葉を受けて、何を誓わされるのかと警戒しつつあったパルム公は、
いささか拍子抜けした態をみせると、息を一つ吐き肩の力を抜いていた。
「理にかなった、そして見事な機知であるな。よかろう」
そう言うと、パルム公は姿勢を正して、口に言の葉を乗せた。
「パルムの家名において、グスタフの名において、騎士グスタフ・パルムの名において、ブラックヴェイルの領主グスタフ・パルムとして誓う。
マグヌス・フォルシウスとエドガー・フォルシウス。両名以外のフォルシウスの血を望まぬ。ここに誓う」
その言を確かに耳にしたランフェルトは、若さゆえか、務めを完遂した安堵感ゆえか、突然に時間を気にするそぶりを隠せないでいた。
時間のことのみを察したパルム公は、長い会見の終わりを告げた。
ランフェルトは椅子から立ち上がると、パルム公に一礼をかわし、会見の場を後にする。
邸宅の入り口で預けていた青い布をまいた槍を公の家臣から受け取ると、パルム公の本営から水晶宮へと戻る為に再び騎乗の人となり、去っていった。
近衛騎士マティウス・ランフェルトの為に、会見場の卓の上に置かれていた杯は、一度も掲げられること無く、その役目を終えた。