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アヴァロンの剣  作者: つかさく
第一部 誓い 南の章
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第三話 掲げる杯 その一

 水晶宮の隅々にまで朝の日差しがあまねく降りそそいでいる。 

 その一画を占める大練兵場では、あらかじめ用意されていたワインが素焼きの杯で一杯ずつ、集合している将兵たちに配られていた。


 全員に行き届いたことを確認したエドガー王太子がゆっくりと歩を進めており、指揮台の上に立ち、足下に集っている者たちを見渡している。

 静かな、しかし遠くまでよく通る声で。語りかけるかのように、一語一語を区切りながら話し始めていた。

「皆、よく今日まで。我がフォルシウス家に、王家に、忠義を、尽くして、くれた。

 出陣の前に、心ばかりの、礼として、手向けとして、私が、最も好んでいるワインを、用意させた。

 ここにいる、皆と。皆とともに、最期に、味わいたい」

 そう言い終えたエドガー王太子は、杯を持つ右手を一度眼のあたりにまで掲げ、歓待の意味を示すその仕草の後に一息に飲み干した。

 その所作を指揮台に相対する場にいる全将兵が見習い、掲げた杯に満ちているワインを飲み干していく。


 時折風になびく旗が音を立てている。


 再び、大練兵場にはエドガー王太子の声だけが響きわたっていった。

「父母が健在な者、父のみが健在な者、母のみが健在な者に命じる。手に持つ杯を砕け」

 意図するところがわからないまま、しかし命じられるまま杯を砕く将兵たちの姿が見える。その数、全体のおよそ八割。

「妻がいる者。妻がいなくとも子がいる者に命じる。手に持つ杯を砕け」

 先ほど杯を砕かなかった将兵のうち、およそ七割が命じられるまま、地面に杯を叩きつけては砕いていく。

「兄弟姉妹が一人でもいる者に命じる。手に持つ杯を砕け」

 いまだ杯を手に持つ将兵のうち、およそ六割がその命に応じる。

「見知った血縁の者が一人でも健在な者に命じる。手に持つ杯を砕け」

 残っていた将兵のうちおよそ七割が杯を砕く。

「いまだ、杯のある者に命じる。手に持つ杯を砕け」

 つい先ほど全将兵に渡されたばかりの杯が、全て砕けて散った。


「杯が砕けた全ての者に命じる。新しい武器と防具を支給する。よって、この場でいったん全装備を外し、西の大館へ向かえ。歩速は軍令に定められている急ぎ駆け足。準備が出来たものより直ちに時移動せよ。以上」

 おおーと喜びの歓声を上げ、鎧や鎖帷子を脱ぎ矛や槍、剣を置き軽装のままで我がちに急ぎ走り出す将兵たち。

 エドガー王太子は、その最後の一人までが大練兵場を去るのを指揮台の上から慈しみのこもった視線で見届けいた。全ての者が消えた後、台を降り歩き始める。


 近衛騎士ハレンは、エドガー王太子が指揮台の上にいた間、謹厳な表情を崩さずに、指揮台の横で二人の上将と四人の下将ともに控えていた。

 今は、再び台下の人となって歩を進めているエドガー王太子に付き従っている。

「王太子殿下。何故にわざわざ移動させるのでしょうか。手間なだけではありませぬか」


「分からぬか。理由は二点あるのだが。そうだな、特別に一点だけ教えよう」

 楽しそうとしか形容出来ない声色で、エドガー王太子が言を発している。

「我は、幼き頃よりヴェイロンや他の者たちから、折に触れ耳にしていたことがある。戦場で生死を預かっている兵たちに酒を振舞い、ともに杯を掲げるひと時。これは、人生においても誉れとするに足る時間だ、と。

 そのことを覚えていたので、この度の実に得がたい機会を逃してはならずと、ファルクに無理を頼んだのだ」

 少しだけ上気した顔色で、いつになく饒舌なエドガー王太子が言葉を続けている。

「我のような身においては、間近に接し言葉を交わすのはそれなりの身分以上の者たちに限られている。いや、何もそれが不満というわけではない。

 人たる身には、誰しも定めというものがあるゆえな。しかし、我が人ならば、そなたも人である。また、兵も、民も人である」

 そういうと息を継ぐべく一息入れたエドガー王太子が、再び語るかのように話し始めている。

「ゆえに兵たちにも日々の暮らしがあり、親があり、妻子がいて、兄弟姉妹がおり、それらがいない者にも、誰かしら血縁に連なる者がいる。それを我が目で見て、感じ、確かめたかったのだ。

 ただ、最後まで杯を持っていた者ら……十九人にはすまないことをした、と本心より思う。

 我としては二度目の機会に向けて、別の言い方を練っておきたいのだがな。その機会などもはや望みようもないことが、少しばかり残念だ。……それにしても、話に聞いていた以上であった。我にとっては、初めての本当に良き経験であった」


 ……このお方は、分かってはいたが、なんという心根をお持ちなのだ……。

 いつの間にか歩みを止めていたハレンは、呆然と、その場に立ち尽くしていた。


「ハレンよ、いかがしたのだ? 具合でも悪くしたか?」

 心配そうな表情でこちらを見ているエドガー王太子の視線を受け、我に返ったハレンが口を開く。

「いえ、大丈夫です。どうやら私も酒に酔ったようです」

「あのような少量で、そなたが? 酔うわけはないであろう。酒豪といっても過言ではない、とかつてファルクより耳にしたことがあるぞ」


 エドガー王太子の言を聞きながらハレンは、石畳の上に跪いていた。

「王太子殿下……。畏れながら申し上げます。私めのことは、ヴァルフェルト殿とご同様に……トピアス、と名のみで呼んでいただければ、我が生涯における……最上の誉れであります」

 そう言ったまま、固まったかの様に動こうとしないハレンの耳に、どこか照れているような声色が達していく。

「……そうか、年上の従兄弟を名で呼ぶのはいささか面映いものがあるのだが……。近衛騎士ハレンよ。いや、トピアスよ。これからも頼みに思うぞ」


「はっ!」と短く鋭く応え、より深々く頭を垂れているハレンの耳へ、少しひょうげた声が届く。

「さて。残りの一つは宿題だ。朝食時の謎もある。トピアスには解くべき疑問がたくさんあるな。実に羨ましい」


 そんな……私は頭を使うより手を動かす方が得意な者なのです。せめて、どちらか一つだけでもお教えいただけませぬか、と主張している声の主近衛騎士トピアス・ハレンとともに、エドガー王太子は再び歩き始めている。

 そのいくらか後方には、羨ましそうな表情でハレンの背中を見つめつつ歩を進める六人の男たちの姿があった。





 西の大館へ移動した将兵たちは、入り口前で待っていた近衛騎士ラーグレーブとその周囲にいる将たちの言うがままに歩みを続けていた。

 入り口そばの台の上へ無造作に置かれているたくさんの革袋の一つを手に取ると、これも同様に用意されていた大練兵場のそれよりも少し大きめな杯に、革袋を傾け八分目ほどにワインを満たしていく。

 そそぎ終えた者から、館の中へ入って行く。

 扉を開けてすぐに設けられているホールの、奥の一段高い場所には、上将一人と下将二人を左右に従えた近衛騎士長ファルクが、長剣を鞘ごと手に握り杖のようにした姿勢で、随分と厳めしい表情をして立っていた。


 やがて、館内に全ての将兵が命じられるがまま整列し終える。と、待ち構えていたかのように、近衛騎士長ファルクが館の外にまで容易に届くであろう声量で話し始める。

「エドガー王太子殿下がご好意にならい、近衛騎士長ファルクからも、一番の好みな酒を皆へ振舞いたい、と思う。なに、私は殿下が赤ワインを振舞われるのを、お止めしたのだ。何故ならば、私は白ワインの方こそが、赤よりも白こそが、誠のワインであると常々思い愛でてきた。皆にも出陣前の手向け代わりに、どちらがより美味であるのか、真実を知っておいてもらいたい。それでは、乾杯!」

 

 ヨエル・ファルクは自らの杯を従えていた下将の一人へ渡し、皆が飲み終える様を見守っている。

 折を見ていたファルクの横に控えていた上将が「姿勢直せ!」と一声発し、次いで整列している将兵たちを素早く見渡す。

 全員が姿勢を正したのを確認したファルクは、ゆっくりとした口調で話を再開した。

「皆、聞けい! 私が十八の時のことである。旅をしながら、各地の花を記録してまわっている、という青年が我が城にやってきた。その青年がいうには、同じ花でも多少の違いがあることもあり、それを見つけ、記録することで、新しい花を作ることができる、というのである。私は、ばかなことをいう者もいたものだ、と思ったのだが……」


 ほとんど全ての将兵にとっては、あまりにも興味のもてなさ過ぎる話題であった。だが、新たな命令が下されない以上は直立しての傾聴姿勢を、各自が勝手に解くわけにはいかない。

 しかも上将あたりによる話ならばともかく、近衛騎士長じきじきの演説ゆえ、不満の声をあげて文句の一つでも言おうものなど、思考の端にものぼらない。

 考えるまでもなく、身分差がありすぎる。

 よって、その退屈きわまる花の話を、(しわぶき)一つ立てずに将兵たちは傾聴し続けている。だが、演説に耳を傾けているうちに酔いがまわりでもしたのか、各々の思考がぼやけつつあった。

 やがて。力尽きたかのように一人倒れ、二人倒れる。

 付近にいた将兵たちは倒れこんだ者を立たせようと、ふらふらとしかけている意識の中で体を動かそうと努力している。

 が、近衛騎士長の横に並ぶ上将の発した「姿勢、崩すな!」という鋭い叱咤の声を耳にし、身体に沁みこんでいる規律が命じるまま、無意識に直立し直す。

 近衛騎士長の演説を聞きながら倒れても咎められないのだろうか? まあ、上将がそう言うのならばかまわないのだろう、などと意識が朧気(おぼろげ)になりつつもそう結論づける。

 そのうちに思考だけではなく視界もぼやけ始めていく。まぶたもつむりがちとなり、もはや周囲の状況など目に入らなくなっていっていた。

 遂に、床へ倒れこむ者が続出し始め、それが途切れる気配はまるでない。にも関わらず、ファルクは何事もなかったかのように話を一向に止めようとはしない。


「母上と妹が、興味を持たれてな。たとえばスミレ(ヴァイオレット)という花の名は、皆もよく知っておろう。どこにでも咲いている、とまでは言わぬが、少し探せば、大抵は見つけられよう。名前の通り薄紫色の花びらをつける、ありふれた花よ。そうそう、私が若い頃にヴァイオレッタという名の性悪な女にひっかかってだな……。おう、話がそれてしもうた。その青年がだな、我が領地のとある山の奥深くに、白い花びららをつけるスミレ(ヴァイオレット)がある、と主張するのだ。おかしな話よ、薄紫色だからヴァイオレットというのだろう。白いのに薄紫色(ヴァイオレット)とは意味が分からない。そう言った私に対して、あろうことか妹がいうのだ。兄様には夢がないのですか? と。夢か? 花が? というと、なんと目に涙を浮かべ、しまいには泣き出してな。母上も母上で……」


 とうとう、最後の一人が音を立ててその場に倒れこんでいった。


 ……民言葉は耳にこそ慣れているのだが、これほど長く話すとなるとな。なかなかに骨が折れる。

 もっと早く倒れてもよいではないか、と小さな声でそう呟いた近衛騎士長ファルクは鞘ごと地に突き立てていた長剣を腰帯に戻す。次いで、横に従っている将らにうなずくと、倒れている兵たちの中へと歩みを進める。

 はじめは一人一人の顔に手を近づけ、まぶたを開いて瞳孔を覗いてみたり、口元や鼻に手をかざして息を確認してみたり、首筋に手を触れて脈を確認してみたりしていたのだが、およそ四十人を過ぎたあたりでその作業を止めると、館の入り口へと向かう。

 お見事なお話でした、と言いながら、入り口の方から笑いをこらえきれない表情を顔に貼り付けて近づいてくる近衛騎士ラーグレーブの姿が目に映る。ファルクは、少し恨みがましそうな眼でサー・ラーグレーブを見ながら、言う。

「私も、本当は赤ワインが好みなのだが……。花にさしたる興味もないのだが……。皆に、誤解を受けたであろうよな」


「まず、間違いなく。誤解を受けられましたな」そうこたえながら、倒れ伏している将兵たちにラーグレーブは視線を這わせている。「それにしても驚きました。たかが、眠り薬。そう思うておりましたが……これほどの効き目があろうとは」


「実は、眠り薬などのたぐいではない。あのような物でこれほどの効果が、あるはずもないではないか」

 そう言うと、ファルクは謎解きを語り始める。

「まず、大練兵場で今ここに眠っている者らが飲んだのは、黒蓮草の根を乾燥させ粉にしたものを混ぜた、赤ワイン。

 次に、急ぎ駆け足で西の大館まで走らせることにより、黒蓮草粉と赤ワインの成分が身体の中へと素早く染み込んでいく。

 加えて、この場にただよっている香りを吸わせ続ける。これは、青竜胆(りんどう)の蕾だけを煮詰めた汁を、黒茶で溶き更に煮詰めた、出汁のにおい。

 その状態で、この館で飲ませた白ワイン。白蓮草の根を乾燥させた粉入りワインが、喉から胃を通る途中で煮汁のにおいの何かが足され、腹の中で赤ワインと混ざる。しばらく経てば、この者らのようになる。というわけだ。

 四つの要素のどれかが欠けても、順序が異なっても全く効果は無い。一度眠れば、人にもよるが、六刻から八刻は眼を覚まさなくなる」

 

 ファルクは話しながら、ラーグレーブはそれを聞きつつ、西の大館から外へと出て行く。

 付き従う者たちは、館の外から二重の閂をかけ、青い布と白い布を巻きつけた槍の石突を扉の前の地面へ深々と挿しこんでいく。万が一にも倒れないようにと、土中に埋め込んだ槍軸の周囲に盛り土までほどこしている。

 ファルクとラーグレーブも、上将たちの行なっている作業に手を貸していた。

 何度かゆすり、しっかりと立っていることを確認すると、エドガー王太子殿下の封蝋(ふうろう)印によりしっかと閉じられているパルム公宛の親書の入った文箱を、紐で槍にくくりつけていった。


「先ほどの話だがな」

 作業を終え、ほんの少し照れたような表情をしているファルクが、ラーグレーブへ話しかけている。

「白状するが、全て王太子殿下よりの受け売りに過ぎない。少なくとも貴殿と同じ程度には、私も驚いている」


 なるほどそうでしたか、なに私などにはさっぱり分からぬ仕組みでしてな。ほとんど右から左へと忘れてしまいました、と言いながらラーグレーブは別の問いをファルクにしていた。

「さりながら、王太子殿下は。いったいどこであのような知識を学ばれたのでしょうな」

 一瞬、ファルクは不思議そうな表情をしていた。

「……そうか、貴殿はそうであったな。王太子殿下のおそばで務めるようになったのは、あのお方がレインストン離宮より戻られて、後のことであったな。

 なんとはなしに、ここのところ十年来の友であったかのように、勘違いしていたわ」

 少し照れたような顔をファルクはしている。

「勘違いついで、というのも礼を失するようだが。いかがであろう、私のことはヨエルと呼んで欲しい。そして、貴殿のことをコニーと呼ばせて欲しい」

 その言を聞いたラーグレーブは、自身の白髭を右手でさっと一撫でして言う。

「喜んで、ヨエル殿」

「コニー殿、こちらこそよろしく頼む」

「酒を、白ワインでも酌み交わしたい気分ですが、今は時間がありませぬな」

「……赤にしようぞ。まあ、もう少し経てば時間などいくらでも出来よう。友と杯を掲げる楽しみは、後に取っておこう」


 後ろを振り返ったファルクは、上将一人と下将六人に笑いかけている。

「忘れてはおらぬぞ。貴様らに振舞う酒もあるのでな。なに、あちらでは遠慮は無用。ゆえに貴様らも我らにたんと振舞えよ」


 水晶宮の表門へ通じる石畳が敷き詰められている曲がりくねった道を、近衛騎士長ヨエル・ファルクと近衛騎士コニー・ラーグレーブが七人の将を後ろに従えて、ゆったりとした足取りで並んで歩いていく姿が見える。

 二人にとって共通の話題の一つ。各々の後を継いで領主となっている息子たちの話をしながら。

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