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アヴァロンの剣  作者: つかさく
第一部 誓い 南の章
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第二話 さまざまな扉 その二

 太陽が地平の端より出で半ば以上その姿を覗かせ、湖面を照らしている。

 その明かりは水晶宮の内にある近衛騎士の塔と呼ばれている塔へも達していく。上の階から順々に侵攻し、三階の内部へも窓から入りこむことに成功すると、卓の上に安置されている燭台の蝋燭の灯りと混ざり始める。

 塔の三階に集うている者たちは、あちらこちらに傷みはうかがえるものの各々(おのおの)が見事に磨き上げられている板金鎧(プレートアーマー)をその身にまとい、脇に大兜(バシネットヘルム)を置き、朝の食事を取っている。


 近衛騎士長ヨエル・ファルクは、ちょっとした満足感をこの朝食中に得ていた。

 ともに同じ卓を囲んでいる三人は、今朝方未明に目撃した不可思議な事象についてはもとより、今日待ち受けているはずの定めへの影響をも、彼らの外見上からは微塵もヨエル・ファルクに感じ取らせずにいる。どころか、これまで過ごしてきた日々と比べても、むしろ落ち着いた態で食事を進めている様にしか見えなかった。

 三人は形式上においてこそ部下ではあるものの、実際のところは弟や甥子、親しき友という感覚に近い。

 彼ら同様に常の日々と変わらぬ態度でもって食事を取り終え、卓上の布を手に取る。その布で口元の汚れを拭き取りつつあるヨエル・ファルクの顔からは、二十歳を越える前に綺麗に消え失せたとはいえ、かつて顔中にきびだらけであった面影など欠片も見られなかった。

 もっとも、壮年期の終わりに差しかかっているその顔には、年齢相応の老いの兆しに加え、武をたしなんできた者としての勲章めいた傷跡が二つほど存在している。ヨエル・ファルクは、その一つが付いている顎周辺を左手で撫でつつ、自身の胸中へ語りかけていた。


 生を受けてより、五十と六年。満足、といってよいであろう。

 父の記憶こそ乏しいものの、厳しくもあたたかであった祖父母と母のもと、弟妹とともに育ち、良き友たちにもめぐり合えた。

 家臣たちにも恵まれ、長じては気立てのよい妻を娶り、我が子はいずれも夭折することなく成人し、領地を長男に継がせ、長女も次女も無事に嫁ぎ、孫をこの腕で抱き上げることも出来た。

 もっとも、近衛騎士となってからは長らくの間、快より不快なことのほうが多かった。

 否定はせぬ。

 それでも、今は。心よりの忠誠を誓えるお方のもとで、得がたい仲間とともに過ごせている。

 未練は、あるな。

 王太子殿下の御戴冠が実現しないこと。御子のご尊顔を拝せられぬこと。孫の成長を見ることがかなわぬこと。

 まあ、それでも。俺個人としては、人生の天秤は明らかに良い方へ大きく傾いていた、といえよう。

 ヨエル・ファルクよ、楽しき歳月であったぞ。

 

 ……しかし皆は?

 三歳ほど俺より若いに過ぎないラーグレーブはともかく、王太子殿下より少しばかり歳を重ねているに過ぎないまだ青年といってもよいハレンとランフェルトについては、本当にあの手筈で良かったのであろうか。動いてみるべきであろうか。

 いや、そのような行ない……露見してしまえば侮辱にも繋がろう。全く、覚悟はしていたのにいざとなればこれだ。もっと、考えておくべきことであったやもしれぬ。


 思考を巡らせつつあったヨエル・ファルクの耳に、騎士(サー・)ハレンの普段より少しばかり上ずった声が届く。

「落ち延びるのであれば、王太子殿下をこそ。ではなかったのではないでしょうか?」

 問いかけるような、それでいて不敬を恐れるかのような視線を感じたヨエル・ファルクは、努めて意識をこの場へと戻す。

「よいか。これから話すことは他言無用にしてもらおう」

 この期に及んで、差し迫った死をも冗談として楽しむかのようなその態度に、サー・ラーグレーブ、サー・ハレン、サー・ランフェルトは、眩しいものを眺めるかのように、近衛騎士長を見つめている。

「宣誓に反する振る舞いは、たとえどのような事由があろうとも罪科(つみとが)を、代償を、その身に招く。

 ましてや、世の(ことわり)とは異なる、詳しくは知らぬが、神々との誓いであろう国土を守る騎士(ランドガード)においては、何をか言わんや。

 付け加えておくが、あの扉の存在については俺も知らなかった。ただ、この水晶宮には(いにしえ)との誓約を結んだ騎士が知る、何かがある、ということは知っていた」

 

 ……秘蹟があれ一つ、とも思えぬが。

 三人を見渡すと一人を除いて、サー・ラーグレーブとサー・ランフェルトは、サー・ハレンの持ち出してきた疑問の解が判ったようであった。


「ハレンよ」

 案内どころか従者も付けず、いつの間にか三階の入り口へ王太子殿下がそのお姿を現されていた。ヨエル・ファルクには、その足音どころか気配すら感じられなかった。

 塔の入り口にいるはずの歩哨は……王太子殿下にそのように命じられてしまえば従うより他にないであろうし、従者も同様であろうことは分かっている。

 王太子殿下がお忍びめいた行動を好まれることは、以前よりの振る舞いでもあるので個人としては慣れてもいた。とはいえ、近衛騎士の長としては慣れてよいものではないことも確かだった。

 いつものように苦言を呈しようとヨエル・ファルクは口を開きかける。しかしながら、今日はいつもの日ではないゆえにと思い留まる。

 と、まるでその思考を読み取ったかのように我が方に視線を向けられうなずかれている王太子殿下の言が、耳へと届く。

「考える時間は、これからたっぷりある。謎解きを後の楽しみとして、取っておくのも一興であろう。どうしても、と言うのであれば。明日、教えてやろう」

 なんとまあ、このお方は。まだお若いのに、なんとまあ。

 エドガー王太子殿下におかれては、いまだ御年十九になられたばかり。

 考えるべきことではないが、陛下が、あの老いた王が、あのようなことさえ行わなければ。この国はいずれ……。

 ……いや、近衛の騎士長たる身が思うて許されることではない。

 これではまるで、反乱を起こしたパルム公の言い草と、さして変わらぬではないか。

 頭を軽く振って気分を切り替えたヨエル・ファルクは、近衛騎士長として立ち上がる。

 新たな席を設け、エドガー王太子殿下へ供する朝食を取り分け始める為に。



「我らには、このようなむさ苦しき無骨者どもの溜まり場へ殿下のご臨席いただいた上、ともに食事をいただける、というのは大変な栄誉ではございます。

 しかしながら、よろしいので? 今頃王太子殿下は、お父上であらせられるマグヌス国王陛下とのお時間を過ごされている、とばかり愚考いたしておりましたが」

「ファルクよ」

 ことさら明るい声で、エドガー王太子はいった。

「我としては、昨今よしない関係であったとはいえ、親と子。長々と、とは望めねど語らいたいこともいくらかあったのだがな。

 ……会えなかった。傷の痛みが激しいゆえソムニフェルム(ケシ)汁で眠っておられる、と。加えて、早うパルムの首をあげてこい、との言伝(ことづて)をのみ、内宮の奥の控えの間で賜わったわ」

 音だけを取れば、楽しげにすら聞こえる声とは裏腹に、苦痛を耐えてでもいるかのようなエドガー王太子の表情が視界に映ったファルクは、なんという愚かな問いかけをしてしまったのか、と己の迂闊さを後悔していた。

 余の者も、あまりといえばあまりなマグヌス国王の仕打ちを耳にし、エドガー王太子に何と言ってよいものか、この場に相応しいと思われる言葉をみつけられないでいる。


 しんと静りかえっている室内に、エドガー王太子の、供された朝食を取るにともなって発する音だけが聞こえている。やがて、ほがらか過ぎるような音を帯びた声が響く。

「ほうほう。朝の食事だというのに、スープだけなのか」

 皿を空にし終えたエドガー王太子は、ことさらに誇張めいた、不思議そうな表情をみせている。


 四人の騎士たちは思わず互いの顔を見合わせていく。やがてファルクのうなずきに応え、ランフェルトが一同を代表して話し始めている。

「殿下、畏れながら申し上げます。武人たるもの、戦場においてはいつ果てるとも限りませぬ。ましてや今日は、ありていに申せば、つまりその日です。生きている間であればこの身体、己自身を裏切るようなことなど、よもやありますまい。

 しかしながら、死して後はいかがあいなりましょうや。もしもの場合、胃の腑より形を留めたものが出てくるようなやつばらは、未練残しの不覚悟者である、という近衛の作法でありまする」

 先ほどの気まずい雰囲気の影響を引きずってゆえか、緊張ゆえか、今日を意識してゆえか、いつものランフェルトらしからぬ古風でこわばった物言いに終始していた。

 それは場の雰囲気を変えよ、という意思を示していたエドガー王太子の発言を無にするどころか、更なる重苦しさをこの場に招きつつあった。



 サー・ランフェルトをたしなめるのは容易であった。だが、元をただせば己の愚問から生じたことでもあるし、今回の場合任せた方こそその責が大であろうな、とヨエル・ファルクは感じ取っている。

 顔に残っている傷跡のうち、右眉の端から目尻へ向けて斜めに縦断している古傷を右の人差し指と中指で軽くなぞる。

 ヨエル・ファルクは、自身とサー・ランフェルトの過ちをもはや繰り返すつもりなどないとばかりに、されど出来うる限り気楽に聞こえるようにと、努めてほがらかな声色で言葉を添える。

「などと、若き騎士はなんのかんのと申しましたが。年を経た私などはこう考えております。死後の(はらわた)にまで責任は持てますまいし、持ちたくもありませんな。市井の民が好む言い回しを借りれば、俺の知ったことか、といったところでしょう。

 恐らくは王国中、いや、この大陸中においても、我らだけが拘っているおかしな風習に過ぎないのではありますまいか。よって、明日からはもっと食べでのある物を用意いたしますゆえ、王太子殿下におかれましても、これに懲りずまたご臨席くださいますように。と、近衛騎士を代表して臣ヨエル・ファルクは言上つかまつります」

 サー・ラーグレーブとサー・ハレンが、多少大げさなほどのうなずきを返している。サー・ランフェルトも照れたように小さくうなずくと、同意の声を漏らしている。彼ら三人の協力に内心で感謝しつつ、ヨエル・ファルクは言葉を足す。

「そうそう。肝心なことを言い忘れておりました」

 それは何であろうかと興味深げな表情をうかがわせているエドガー王太子と、まだ何かあったであろうかと少しばかり心配げな目をこちらに向けているサー・ラーグレーブの双方に視線をはわせて、言う。

「第一、食べた気がしません」

「まさに」エドガー王太子の顔がほころんでいる「ファルクの言うとおりであるな」

「とは、申しまして。今から新たな食事を用意させる、というのは近衛らしからぬ不粋でありましょう。おかわりならまだしも、別のものをなど。

 サー・ランフェルトの言を借りれば、それこそ不覚悟者といえましょう。加えて、王太子殿下。いささか時を過ごしているように思われますが」



 そう話し終えたサー・ファルクは身体をひねりエドガー王太子へと、おのが顔を向けて小さくうなずいている。

「皆の者、今朝の食事は美味であっただけでなく、とても有意義であった。良い時間を過ごせた」

 そう言って微笑んだエドガー王太子が、席から立ち上がる。次いで、この場に集う四人の近衛騎士を順々に眺め、告げた。

「それでは、行こうか」

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