第三話 少年たちの風景
ハイランド王国には、身分が二つしかない。騎乗士階級と自由民階級である。否、正確にいえば一つしかない。騎乗士の家の当主または内の者であるか、ないか。それだけである。
騎乗士の家は、従軍の義務を負っている。騎乗士ではない家と比べれば税の負担においてかなりの優遇を受ける。自由民階級の者は、兵事に関わることで召集を受けることが一切ない。なお、従軍には王家や封建諸侯に仕えることも含まれている。
ゆえに、騎乗士の家の子弟であっても成人に達した後に自由民となることもあれば、その逆も珍しいことではなかった。一生涯の間で何度か身分を行き来させる者や、代替わりによって身分の変わる家もあった。
アヴァロン大陸南部の諸国家や東の大陸諸国群と比較すれば、随分と趣きを異にしていた。
身分というよりも負担をどういう形で購うか、の違いでしかなかった。
インバネスの王宮。その一画では武技訓練が行われている。
街中より見れば、ぶ厚い石造りの外宮門をくぐり抜けた先ですぐに左へと曲がり、更に一度折れ曲がった場所に設けられている練兵場の一部が、ストレーム王家より提供されていた。
訓練は、ハイランド王国において騎乗士身分を有する八歳以上十六歳未満の当主、及びその子弟の義務と定められている。訓練は、年齢に応じて四集団に別けられ実施される。
もっとも、三日に一度というのは王都インバネス及び人口を数多抱えるいくつかの街のみである。一年のうち少なくとも百日を武技訓練に当てればよく、年に二度ほど五十日と六十日に分けて召集する地域もあれば、冬から春にかけての月日を全て召集期間にあてる地域もある。
八年目、つまりは十五歳となっていたシモンにとって、訓練は義務ではあるものの、半ば以上習慣のようなものと化している。
八歳の当初こそ行進や駆け足といったいわゆる運動めいたものが主であった。だが、十を迎える歳の頃からは軽めの革鎧を装備しての拳闘と体闘、木剣を持っての剣技が始まり、十一歳の秋からは乗馬訓練がそれに加わっていた。
十五歳の今ではなめし革を編み上げてしつらえられた衣の上に鱗鎧と呼ばれる防具を身にまとうことが、令でもって定められている。
鱗鎧はその名が示すように、魚の鱗を散りばめた形状をしており、頼りなげな印象を見る者に与えるものの、見た目とは全く異なる。鱗の一片一片が、鉄を型に流しこんで鋳造した程度の刃では傷一つすら付けることが出来ない硬さを有している。
王都インバネスの近郊には、希少な鉱物の採れる鉱床がある。この鉱物を青珀鉄という。これに更に特殊な焼入れをほどこし、より硬度を高めた金属の小片が鱗の素材として用いられている。
金属片を覆うのは、大牙熊の雄の背中の革を三層ほど重ねた合わせた上で、やや大振りな鱗型の形状に加工された革板である。この板に、鱗型の金属片の一つ一つが埋めこまれていた。
鎧の他にも、鹿革や狼革を素材にして作られた長靴、膝当て、脛当て、手甲、兜などを身に付けての訓練と定められている。
なお、これらの装備は全てが自弁とされていた。希少な金属をふんだんに用いる防具は、元々の値が張る。更に、訓練とはいえ損耗もするし、修繕代にしても決して安くはない。
そして、子弟の装備すら購えぬ家の当主は、どのような血筋の者であれ例外なく猶予もなく、家ごと騎乗士の身分を剥奪される。
もっとも、事実上の抜け道めいたものも堂々と存在している。王家直轄地における各地の長官や封建領主の裁量が広く認められていた。
鱗鎧に用いる鱗の素材そのものの基準が鉄以上であれば黙認される地、安価な鎖帷子でよしとする地もあった。開拓地など移住者を多く求めている地域においては、自弁ではなくとも構わないとし事実上提供することで、人材を募りやすくる一助とするのが一般的にすらなっていた。
この黙認により、王都インバネスから地方の王家直轄地や諸侯の領地へ自ら望んで赴任する者たちが、特に男児に恵まれすぎた家の者たちの系譜が途絶えたことはない。また逆に、富貴を得て王都インバネスや地方の街へ移住する家々にも事欠かない。
血の交流を盛んにするという一役をも、武技訓練は担っていた。
鋼の響きがこだまする。
集団による進退を求められる訓練が終わり、個人の武技を高める刻時となっていた。
十五歳の命名日を昨年の冬に終えていたシモンにとって、また他の少年達にとっても必然的に、その多くの者が見知った顔なじみとなっている。
武器は訓練日当日に指定され、王室より貸し出される形を取っている。練習用の、刃をつぶしてある長剣、短剣、槍、戦斧、戦棍など。時には素手や葉をつけたままな木の枝という場合もある。
シモンは、本日六人目の相手であるオルモンドへ激しく斬りこんでいた。連打をあびたオルモンドがたまらず一歩後退しつつ、同時に右腕を引き剣を振りかぶっている。
シモンは二歩ほど踏みこみ、オルモンドの内懐に入りこむ。胴を強打する。
オルモンドの鱗鎧がゴンという鈍い音を発し、左脇がわずかに開く。時間にして呼吸半拍分ほど。シモンにとっては充分な時間であった。
右足をわざと滑らせ、身体を沈めるとともにオルモンドの左太ももへ向けて剣を水平に走らせていく。キンッという金属の滑る甲高い音が周囲にこだましている。
思わずうめき声をあげたオルモンドが、たまらず左の膝を地面につき片膝立ちとなっていた。振りぬいた剣の動きに逆らわず足を進めていたシモンは、無理なくオルモンドの後ろを取る。無防備に晒されている兜へ向けて、シモンは剣を振り下ろす。と、その途中で動きを止める。ダルマン訓練教官の右腕が上がっていたのを、視界の端でとらえていた。
「それまで!」
ダルマン教官の声が耳へ届く。長剣を鞘へと収める。
「シモン、剣に油断が見える。脚を攻めるというのは悪い判断ではない。だが、鎧の上より太ももを強打すれば刃が欠けるかもしれない。一人とのみ相対すればそれで終わるという戦場など、世のどこにもない。剣試合の勇士と戦場の強者は以って非なるものだと知れ。先ほどの場合、左の脇に向けて下から剣を振り上げたのであれば、オルモンドの左腕は余程の幸運に恵まれていても、しばらくは使いものにならなかったであろう。幸運が少しでも欠けていれば、腕をなくしていた。もっとも、刃を潰している練習用の剣でそれはないが。
オルモンド、剣を振りかぶり、そして振り下ろす。振り下ろせるのであれば、たとえ避けられたとしても次の動きに活かせる。だが、中途で相手が踏みこんできた場合、往々にして無防備な内懐を晒すことにつながろう。この度のようにな。よく覚えておくように。
次は、そうだな。アントン、準備をするように」
小さな一礼をしつつシモンは、肩で息をしている。
次の相手アントンは七人目であった。負けた者から交代し、おまけに技量のより優れた者が相手として入れ替わる為に、勝てば勝つほど困難さが増していく。多勢には適わない、ということを身をもって知らされる。訓練が終わる頃には皆が等しく、赤や青の打ち身を獲得する。
ダルマン訓練教官から名指しを受けたアントンが、輪の中から立ち上がっている。その姿がシモンの視界に映っていた。
極めて短い休息時間が早くも終わる。
「それでは、始め!」
結局、シモンは九人目のドミニクによって敗退していた。仮に一人目がドミニクであったとしても、少なくとも十合は打ち合わなければ、シモンにもドミニクにも勝ち負けにつながる隙が見出せないであろう。そんな相手が九人目とあっては、剣の先を地に着けずに持つだけでも一苦労となっていたシモンが敵うはずもない。四合目で剣ごと腕を上に弾かれ足をもつれさせてしまう。その隙に胸元へ強打を受けた。ダルマン訓練教官より致命傷という判定をくだされる。
その後は、負けた悔しさよりようやく終わったという安堵を抱きつつ、他の者たちの輪に混ざり見学していた。ドミニクが五人目に打ち倒されたところで、ダルマン教官により本日の訓練は全て終了、と告げられた。
シモンは心地よい疲労感と筋肉の疲れを感じながら木陰で身を休めている。目をつむり、半ばうつらうつらしていた。突然、身体を照らしていたはずの心地よい暖かさを帯びた陽の光がかげったことに気づき、うっすらとまぶたを開くとともに顔をいくらか上げる。すると目の前には一人の少年が立っていた。
「よう、八人抜き」
「これはこれは、ピエト王子であらせられますか。本日はご機嫌いかがでございましょう」
「よしてくれ。この場においては王族であろうと関係ない。身分に関わらず皆が等しい扱いを受ける。そう古来より決まっているのだぞ」
王族に限り、武技訓練への参加は義務とは見なされていない。武技訓練は年齢が上がれば上がるほど実戦に即した形を取るので、必然的に怪我がつきものとなるゆえに。
ハイランドを統べる玉座は、代々ストレーム家の血に連なる者のみが占めている。国王は神々の祭祀長を兼ねている。否、神々の祭祀長が国王を兼ねている。
封建諸侯も、民も、王家の直臣ですら、王の臣下や臣民であるというよりも、古の神々の最も近きで侍る長を崇める、という心情を多分に抱いている。
何ものにも変えがたい血に連なる身が怪我で済めばよいが、万が一ということを考慮すれば。武技訓練への参加義務が、ストレーム家の男児に限り必須とされていないのは当然ともいえた。
にも関わらずピエト殿下は、シモンや他の少年たちと同様これまでほぼ欠かさず参加している。
「王子、そうはおっしゃられましてもですね。既に本日の武技訓練は終わりましたので」
「何を言うか。そもそも、その理屈ならば。王族よりの問いかけに対し、足を伸ばし地べたにだらしなく座りこんだままで応じるなど、不敬であろう」
これはやられた、と思いながらシモンは視線を上げる。勝ち誇った笑みを浮かべているピエト王子と目が合う。
「シモンよ、何かあったのか? いつもであれば、もっと手を抜いて。いや、これは言い様が悪いな。的確に相手の隙をついていたと思うぞ。今日のシモンは、積極的に攻めていたと言えば聞こえは良いが、俺には時折自暴自棄となっていたようにも見えた」
このお方は……剣も槍も弓も得手ではない。しかしながら、人を見る眼は秀でておられるんだよな、とシモンは改めて思いなおしていた。
周囲を素早く見渡す。他の者に聞かれる可能性がないことを確認した後、口を開く。
「ピエト王子はご存知でありましょうが……本日、インバネスよりゴドランドの方へ一隊が派遣されました。その一行の中には、私の父ポントスも含まれているのです」
「ああ、その件ならもちろん耳にしている。王室付き侍医官が当面の間、一人欠けるわけだからな。おまけに、ハルーザ侍医官は我が母上と妹のお気に入りでもある。別の者を充てようにも、アリシアが特に機嫌を損ねていてな。母上が、何故に王室付き侍医官なのか、何故にハルーザなのか、と父君に問いただされておられた」
「何故なのでありましょうか」
「済まぬが、シモンにも言えぬ。これは国事に属するゆえ」
シモンはいささか以上に驚いていた。何気に問うてみただけであったのだが、国事という応えが返ってくるなど、意外に過ぎていた。
……思えば、王室侍医官は四人しかいない。一人欠けるだけで、他の侍医官への負担はぐんと増す。しかも、席が空いたわけではないゆえに、我が父が戻るまで他の者を臨時に充てるわけにもいかない。子供にすら分かる理屈だった。それなのに、他のたとえば兵部塔付きではなく、わざわざ王室付き侍医官が派遣隊に加わっている……。
ひとたび疑問を抱けば、不審の点は他にもうかがえる。
父の言によれば派遣は昨日急遽決まったらしい。翌日に出立というのはいかにもあわただしいとしか言いようがない。
父は父で、口外しないようにと言ってはいたものの、砦の将兵が揃って傭兵となった、などと口を滑らせていた。よくよく考えてみれば、これもおかしな話に感じらてしまう。
明らかに国事に関する最新の内容を含む話であった。その様な話題について、父より直接聞かされたことなど……昨晩を除けばただの一度たりとも、シモンの記憶にはなかった。
「それでは行ってくる。ヨハンナよ、息子を頼むぞ。シモンよ、母さんを頼むぞ」
今朝の父の姿が脳裏に蘇っていく。昨日までの別れの挨拶とそれほど変わりはない、と先ほどまでは気にはなっていなかった。多少大仰なものとなっていたのは、朝に出仕し夕暮れに帰宅ではなく、恐らくは春一杯の不在ゆえに。そう思っていた。
だが今は、腑に落ちない。
母に訊けば何かを知っているのかもしれない。しかしながら、シモンが尋ねたことそのものが、母にとっての新たな心配の種ともなりそうだった。
「どうしたのだ、シモン」
ふと気がつけば、ピエト王子がシモンの横に足を投げ出して座っていた。
「いえ、王子……」
ただ、これ以上考えても何かが分かるわけでもなかった。誰に相談出来る話でもない。少なくとも、今すぐに解が得られるはずもない。
シモンは、努めて意識を変えた。
「王子。本日も武技訓練の場にお出でなされるのでしたら、昨日わざわざ父に伝言を言付けなくても良いではありませんか。おかげで、父より注意を受けてしまいました。ほら話とは酷い言われようです」
「いやなに、以前に比べれば最近あまり内宮に顔を見せなくなったであろう。この前も青豆鳥の飼育に関しての調べものがどうとやらで、結局来なかったよな。なので、今回は断れないよう、あえてそなたの父上に言い付けておいたのだ」
なるほど。父を介していなければ、ピエト王子とアリシア王女よりも青豆鳥のマッシさんを、少なくとも明日は優先していた。シモン自身がそう思えている。そこら辺りをピエト王子はとっくに見抜かれていらした、そういう裏の事情であったらしい。
「ですが、我が家は曽祖父の代からの直臣身分に過ぎません。いわば新参者に近い身。そのような家の子が王族の方々と、それも内宮で頻繁にお会いするのはいかがなものかと思われるませぬか」
「そうは言うけどな、シモン。王子とはいえばなるほど聞こえは良い。だが、俺は四男だぞ。ヘンリク兄上には既に世継ぎたるべき男児が二人も生まれておられる。イルェンス兄にしてもこの夏には子の親となられる。来年に十六となり成人に達する俺は、そうだなせいぜいが五年を経ない内あたりか。もっとも、一年後であろうと五年後であろうと大して差などない。遅かれ早かれ臣籍への降下は確実、といったところだろう。それ故に、武技訓練への参加にしても、特に何かを内宮官どもよりいわれたこともない。もっとも、母上は心配なされてはおられるが」
多過ぎる王族は少な過ぎる王族と同じくらい危険……か。
蒼い海の向こう、東の大陸のとある国の王の生涯を記した書に載っていた言葉がシモンの脳裏へ浮かんでいた。
「だから、今のうちだけだなのだ。内宮へ人を呼びつける権利を有しているのは。ゆえに、俺は遠慮する気などない」
声の調子だけを受け取れば、朗らかとしか言いようのないものであった。。しかしながら、ピエト王子の表情には寂寥感が浮かんでいる。いくらかいたたまれなくなったシモンは、意図して話題を変えた。
「臣下の方が気楽かもしれませんよ。ご存知でしょうか? 街の旅籠は、泊まらずとも食事を取ることが出来ます。たとえば、熱々の豚の骨付き肉をほおばりながらよく冷えた黒茶というのはいかがでしょう。なかなか美味でありますよ。それに臣籍となられた後は、我が家へ、王子をご招待もかないましょう。私の母が作る、数種類の香草と蜂蜜を混ぜ合わせた汁を塗った大黒牛の大腰筋焼きを食べたことがない、など人生の損失といえましょう」
「食べ物の話ばかりではないか」
「陛下より封土を得て、辺境の開拓というのはいかがでありましょう。ハイランドには未だ未開の地があります。移住者を募り、街を作り、農地を開き、道を整備し、交易を盛んにし、港を設ける。一生涯退屈とは無縁ではないでしょうか。名も王子にちなんだものを望むがままです。ピエッタ城とかピエトロの港など。後の世にも、人の世が続く限り残る業績です」
「退屈はなかろうな。それは分かる。しかし、思索にふけるような贅沢な時間とも縁が切れてしまいそうではあるな」
「それでは、探求の旅に出るというのはいかがでしょうか。たとえば、この地よりはるか南西には砂で出来た海が、西の海のはるか先には未知の大地が広がっているとかいないとか。書物には記されております。いったいそれがどのようなものなのか、この目で確かめてみたくはありませんか」
「俺は、そうだな。以前にシモンから聞いた鼻の長い巨大な動物や縞模様の馬がいるという東の大陸の更に先にある地を訪れてみたいな。北へ舵を向け、真白な鯨も眼にしてみたい。海を越えての大冒険であろうな。食べ物にしろ、開拓にしろ、探求にしろ。確かに、これらは王族の身であっては一つとして無理であろうよ」
いつのまにか、ピエト王子とシモンの周囲には他の者たちが集まっていた。
皆はどうだ? といわんばかりの表情をピエト王子はしている。
「私はハイランドで最も優れた剣の使い手になる予定です」
「シモンにアントン、セシリオ、ニィクラスに勝ってからだな」
「まずは東の大陸へ渡り傭兵として一旗上げたく。その後は、兵部官としてお仕えします」
「財務官に。しかしながら、このインバネスより離れ地方への赴任は考えておりませぬ」
「そのような、こころざし低き官吏など」
「王子、この不届き者をいかがいたしましょう」
「うむ、東の大陸がよかろうな。短くとも十年は傭兵団付きを命じようぞ」
「財務官は止めます」
「眉目秀麗な貴婦人と運命の出会いを果たした末、吟遊詩人が歌にするような大恋愛をする予定です」
「その顔でか」
少年たちが語る将来は輝きに満ちていた。ピエト王子の内宮への帰りが遅いことを気に病んだアクセリナ王妃の従者が現われるまで、話題はとめどなくあちらこちらへ飛びながら、尽きることはなかった。
シモンは、従者を先導させて歩くピエト王子の供となって練兵場から外宮、内宮へと続く門の前まで、歩を進めていった。
「では、明日だぞ。アリシアもお前の話を楽しみに待っている。あれは女ゆえ気軽に内宮より出ることもかなわぬゆえな」
「ははー、承知いたしました」
少しおどけた風でもって二人は礼を交わし、別れていく。
「明日の午後だぞ! 忘れるなよ!」
振り返れば、ピエト王子がシモンの方を向いて、笑顔を見せていた。




