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アヴァロンの剣  作者: つかさく
第一部 誓い 北の章
18/21

プロローグ

 発症の初めがどこであったのか、およそは推測されるものの、誰であったのか、何が原因であったのかなどについては、正確なところなど分かりようもなかった。

 第一発見者と一応目されているのは交易商人である。訪れた村、その集落に暮らす全ての者が全身に墨を塗ったかのような色をして息絶えている、と村の北に位置する砦へ日暮れ間際に駆けこみ異常な事態を告げたことがその発端であった、とされている。

 報告を受けた砦の指揮官と騎乗の身分に属する者たちは、あまりにも突飛なその知らせを当初はまともに取り合おうともせず、誰もが信じようとはしなかった。だが、交易商人のみならずその徒弟二人までもが揃いも揃って旅芸人の一座の名役者であろうはずもなく、与太話をわざわざ砦に足を運んで披露するほどの酔狂な理由も見つけられなかった。

 一向に平静を取り戻そうとしない様子の三人に酒食をあてがい落ち着かせ寝かせた後、砦の指揮官は配下の、見張りの役割を今夜担っている者を除いて早々に寝床へ入るようにと、特に命を下した。

 何かしら起きているらしき異変を確認するにしても、夜に、しかも新月の夜に目視出来る範囲などたかが知れていたゆえに、当然ともいえる判断ではあった。

 翌日、太陽がいまだ姿を見せきらぬうちから朝餉の煙をもうもうと砦は炊き上げていた。日の出とともにくだんの村を目指して、砦の指揮官を含めた騎乗の者十四人、徒歩の兵十八人が慌しく出発していく様子がうかがえた。

 道中、村の手前にあるニレの樹木が生い茂る林へ近づくにつれ彼らの乗ってきた馬がまるでいう事を聞かなくなっていった。腹を鐙で強く蹴ろうが鞭を当てようが一歩たりとも前へ進もうとしない馬のあり様に砦の者たちは半ば憤慨し半ば動揺していた。指揮官の命ずるままニレの木の枝へ馬の手綱を結わえ、そこからは三十二人全員が徒歩でもって村を目指し、林の中にうがたれている見通しの悪い曲がりくねった道を進んでいくこととなった。

 しばらく歩いた樹木の途切れた先に広がる村の、十四軒の住まいが広場に儲けられている井戸を囲むようにして建てられている村の風景は、昨日の夜の商人の言葉が大仰なものではないのかもしれぬ、と見る者全てにそう告げていた。

 外にも、家の中にも、動く者は皆無であった。ほんの十日ばかり前に村を巡回していた者たちが確認したところ、一人も欠けることなく動かなくなっていた。農耕馬や羊、犬、鶏でさえもが等しく黒く変色しぴくりとも動こうとしないで、ただそこに、まるで置物のように存在していた。

 よくよく見れば、死体であると断定するにはいささか不審な点が垣間見れた。たとえば、野晒しの者。彼らには腐喰烏や狼、野犬の類に喰い散らかされた痕跡が全く見受けられなかった。全身を覆う色についてはともかくとして、ただ眠っているのかもしれない、と指揮官はつぶやくと、命じられるまま彼の近くにいた兵の一人が、不吉な予感を打ち払うかのように、黒い者へ話しかけてみたり身体をゆすってみたりと試みていた。

 身体をいくらか押された老人らしき風体をもつ男がどさりと音を立ててその場で崩れ落ち仰向けに転がった。彼の目は開かれたまままっすぐに天を見つめており、瞳からは色が……失せていた。まるで焦げたかのように艶の欠ける黒き身体とは対照的に透明で真白な瞳は、ただの死体と片付けてしまうには、それを目にする者の理解を超えていた。

 結局のところ、村の人々全てが黒い老人と同様であった。肌のみならず髪の毛や歯や爪すらも黒く染まっていた。青や緑、茶、灰色といった様々な色であったはずの瞳だけが強膜(目の白い部分)を透かすかの様に、まるで氷のように色を失っており、白い目を晒け出していた。

 死んでいる。黒く染まって。

 死後何日ほどが経っているのかすら分かりがたかった。腐臭がしないだけであれば、死後それほど日数が過ぎていないといえた。しかしながら、それにしては一人として糞尿が垂れ流された染み跡すら衣服に見られないのはおかしな話であった。長き日々の間放置されていたにしては、皮膚が(しわ)んでなどいなかった。

 ある夫婦らしき二人は寝藁に身体を並べて横たえたまま、働き盛りに見える肩の筋肉が隆々と盛り上がっている男は椅子に座り猪肉の細切れが浮かぶスープの皿に手を添えたまま、屋外の木株に腰を下ろし鎌の刃と研ぎ石を両手に持ったままの者もいた。

 砦から村へとやって来た者たちの中で、死体を見るのが初めてという者は皆無であった。とはいえ、村を覆っていた異様な死は、世の常の死の姿とは異なり過ぎていた。

 黒き肌はもちろんのこと死体が身にまとう衣服にすら、これ以上ほんのわずかの間でさえ触れることに、ためらいを覚えずにはいられない様子を隠そうともしない者がほとんどで、怯えをはっきりと顔に貼り付けている者すらいた。

「おまえ、斬ってみろ」と言う指揮官の命令を直接受けた一人の兵が腰に吊ってある短剣をためらいがちに鞘からすっと抜く。次いで、息を大きく吸いこみ吐き出す。止めようとする声が一向にあがらないことに心を決した様子で、最も近くにあった黒い死体の横へ屈みこむと、ちょうど上向きになっていた右手のひらの人差し指の根元に刃をぶすりと入れ手首に向かってすぱりと切り裂いていく。

 流れいでる血はどろりとした粘着性を有していた。赤くすらなかった。陽の光が降り注いでいる屋外においてはその色を見間違えようもなく、血は肌の色と同様の色を帯びていた。間もなく、糞尿の臭いですら妙齢の湯上りの女がかもし出す香りと等価ではなかろうか、と感じられるほどの耐え難い異臭が黒き血とともに周囲にただよい始めた。

 握っていた短剣をその場に取り落とし、腰から地面へとへたれこみながらも尻と肘をせわしなく動かし黒き死体から距離を置くべく去っていく兵士のあげる「ひぃぃ」という悲鳴が村にいる生きている者たちの耳に届いていた。

 普段であればきつい仕置きを受けるであろうその醜態を咎める声は、あがろうともしなかった。

「焼こう」誰かがぽつりと隣の者へ聞こえる程度の声で、そうつぶやいた。

「そうだ、焼くべきだ」まだ中天には上りきっていない陽が作り出す影の頭の先に位置する者へようやく届くくらいの大きさの声を、誰かがあげていた。

「焼くにしても……誰が死体を一箇所に集めるんだ?」いつの間にか、焼くこと以外、考えられなくなっていた。しかしながら、その問いかけには、誰も応えようとはしなかった。

 砦より出た時点では騎乗していた者の一人が、本日の行程で最初から徒歩であった者たちが五名ほど群れている方へと、ためらいがちにではあったが視線をはわしていた。普段であれば、下す方も受ける方も命令には慣れている、そのはずであった。だが、命を下す音は聞こえてこなかった。それでも、ようやくといった態で声を絞り出そうとしていた男の耳に「俺は嫌だ」という悲鳴のような声が届くと、しばらくの間それ以外の音は何も鳴らなかった。

 時折吹く風は村の手前にある林の樹木の葉を揺らし、村の中ではマントや衣の裾が微かにはためいていた。

「丸ごと」先ほど、嫌だという音のあがった方とは別の位置から、錆の浮いている手入れを怠った剣を磨く時に発生するような軋み(かす)れた声がした。それを耳にした全ての者たちは言いがたいことを最初に言ってくれた者の意志を継ぐかのように、間を置くことなくつぶやきを広げていった。

「余さず」「残さず」「一切を」「全てを」「燃やせ」

 全員が、この場で最も位の高い砦の指揮官を見つめていた。

「獣油を、なんでも、とにかく燃える物を」ごくりと唾を飲みこむ音の後に、命令が発せられた。「探せ」

 (かち)の者が、騎乗の身分の者でさえ率先して、呼吸をする時間すら惜しむかのように村の一軒一軒に踏み入り、油の蓄えられている壷や樽を広場へと運び出していった。

 集めた油を、全てへといきわたる様に指揮官が再び分配していく。受け取った者は確実に焼ききる為に、黒き死体へ、人も他の動物も区別なく降り注いでまわる。泥炭や薪、木ぎれ、燃えやすい布などをあたりかしこの家に投げ入れて歩く者がいる。幸いなことなのか作業の手を休めなようともしない者たちには知る由もないが、最も村の入り口に近い黒き死体ですらニレの生い茂る林からは随分と距離が離れており、風を読み間違えさえしなければ延焼の心配は無さそうであった。

 事情を知らぬ者がその光景を目にしていたとすれば狂気の宴としか言い表しようのないであろう準備は、三十名を越す者たちの手により淡々と、かつ黙々と繰り広げられていった。


 村の方角から立ち上る煙は、夕暮れ前には砦に待機している者たちの目にも捉えることが出来た。彼らが何事が起きたのであろうかと不安にかられていると、早朝に砦を後にした三十二名が傾き始めた陽の光を背に浴びながら戻ってきた。指揮官以下全ての者が、まるで幽鬼のような表情を貼り付けた尋常ならざるそのあり様に、砦に残っていた者は皆、問いかけを発することをためらわざるを得ないでいた。

 砦の門をくぐり抜けた指揮官は「夜の食事はいらぬ」「明日話すことがある」と短く言い残したきり砦の内部へと姿を消す。しばらくすると指揮官専用の部屋の扉を閉めるくぐもった音が階下に漏れ伝わってきた。砦における最上位の者が口を開かぬうちから事態を語るわけにもいかない他の三十一名も食欲に欠ける様子で、おのおのの寝場所へと向かったきり早々に眠りについていった。

 後に残された十六名の者たちは突然に一人当たりおよそ三人前に増えてしまった夕食を片付けるべく励んでいた。どうやら歓迎すべからざることが起きているらしい、と周りの者たちと顔を見合わせながら同意を求めつつ心もとなげな態で、不安を帯びた小声のざわめきが方々より聞こえていた。

 広間兼食堂の一画には、本日砦に留まっていた者たちが推測するに、恐らくはろくでもないことを砦に知らせたと思われる三人が固まって無言のまま食事を口に運んでいた。砦の者たちは三人の方へと時折目をやりながらも話しかけたそうにしていたものの、きっかけを掴みきれずにいた。躊躇させる気配を濃厚に漂わせていた。その内に三人が揃って無言のまま広間を後にしていった。

 その姿を黙って見送ったまま食事を取り終えた者たちは不安げな様子のまま、やがて当直の任に就く者を除いてそれぞれの寝床へつくべく足早に向かっていった。


 夜が終わりを告げ、再び太陽が雲の切れ間から昇っていく。

 砦へ最初に異変を知らせた三人の男たち、交易商人とその徒弟二人はあてがわれていた小屋から外へと姿を現すと、誰にも見咎められることも無く悠然とした態で砦の中の方々を歩き回り、しばらく後に広場へと至り、やがて門をくぐり、去っていった。

 砦の門の上で三人が、番小屋で二人が、砦の中で四十三人が、馬小屋で全ての馬が、黒く染まって息絶えていた。




 最初に異変を知ったのは、砦から大人の足で半日ほどの北に位置するハイロウ村の者たちである。彼らは、新鮮な山羊の乳や鶏の卵、狩りで獲れた鹿や熊肉、野菜といった類の食料を定期的に買い付けてくれるハイロウ村にとって最も安定した貨幣の落とし主たちが、前回の訪問日より六日を過ぎてもルックアウト砦から一向に訪れないことをいぶかしみ、七日目の日暮れ前には村の大人たちが集まり協議し、八日目の朝には放っておけば腐らせてしまうか村人たちが消費してしまうしかない村にとっての貴重な換金物を荷馬車に山のように満載して村を出発していた。

 夕方になってようやくルックアウトの砦付近へと辿り着いたハイロウ村の者二人は、旗こそたなびいてはいるものの物音が聞こえず人の動きも全く見えない不可解な様子に荷馬車を一度停めていた。やがて、一人の男が徒歩でゆっくりと砦に近づくと中へと消えていった。

 荷馬車から伸びる影が道に落ちている小枝一つ分長くなったほどの時間が経った頃、血相を変えて転がるような勢いでもって、砦の門から男が飛び出るように走り出していた。御者台に座ってやきもきとした時間を過ごしていた村の長は、男の慌てふためきように釣られたかのように、声を荒げる。

「ペッコ! いかがしたのだ!?」

 村長の問いかけに応えるべく荷馬車の手前で足を止め口を開きかけた男は、声が上手く音にならい様子でしばらく口をぱくぱくと開閉するのみであった。肩で大きく息を弾ませながらら膝に手を当てた姿勢で、ようやくといった態で声を搾り出した。

「ティモさん! だ、誰もいないんです。ひとっこ一人も! あと馬も!」

 あまりにも想定外の内容ゆえに何を耳にしたのか理解しかねている様子のティモが目を見開き、ペッコに強い視線を向ける。

「本当に! みんな消えているんですよ!」

 ティモの目から見て、ペッコが虚言を弄しているとは思えなかった。そもそも、今この場で嘘をつくべく理由も意味すらもない。

 ごくり、と唾を飲みこんだティモがいう。

「ペッコよ。おまえの言葉を信用しないわけではない。ただ、事が事だけに……わしも確認しないわけにはいかない。二人で砦に赴きたいところではあるが……ペッコは荷を見張っておいてくれ」

 そう言うやいなやペッコの返事を待たずに御者台から降りたティモは、周囲にせわしなく視線を向け戻しながら、砦への道を進んでいった。

 やがて。荷馬車の手前にあったはずの、近くの尖った葉を枝にしならせている樹の影が、長く伸びた末に荷馬車を横切り更に先へと突き抜けるほどの時間が経過した後、ハイロウ村の長であるティモが青白い表情を顔に貼り付け、砦の門からふらつくような足取りでもって姿を現した。

 そのまま足を早めるでもなく歩き続け荷馬車へと達し御者台に上ったティモは、無言のまま腰を下ろすと座りこんでしまう。

「村長……」

「戻ろう、ハイロウ村へ」

「もうすぐ……夜になりますが」

 ペッコの言いたいこと、そのようなことはティモにしても百も承知の上であった。空を見上げればところどころではあるがぶ厚い雲が見受けられる。そのような夜に荷馬車を、先導する者がかざす灯火も無しに、おまけにただ一台きりで動かすなど常軌を逸しているとしか言いようがなかった。しかしながら、ルックアウトの砦の中や、その影が見える範囲内で夜を過ごすことを想定した場合の恐怖めいた感情に比べれば、はるかに肯定し得る決断である、とティモにはそう思えた。

「かまわん。いそい……では、行きの(わだち)の跡すら見失おうな。日がかげるまでは休み無しで、日が没してより後は月が出ている間のみで、狼どもが姿を見せぬことを祈りながら、夜を徹して村に戻るぞ」

 ペッコにしても、この場所に留まりたかったわけではないのであろう。

「分かりました」

 そう短く返事を返すと、手綱を持つ手を忙しげに動かし始めた。




 ハイランド王国の最南端にそびえるかのような威容をもって屹立している連峰ゴドランド(神々の寝床)。その山すそに最も近い場所に拓かれていたイエルグの村とその北に設けられていたルックアウトの砦に起こったとされる異変の顛末がおぼろ気ながらも王都インバネスへと伝わったのは、砦の者たちが一人残らず黒く染まって死んだと思しき朝から数えて、十七日後のことであった。

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