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アヴァロンの剣  作者: つかさく
第一部 誓い 南の章
15/21

第十二話 イェルケル

 グスタフ・パルムは玉座に腰をどっしりと据え、ランフェルト侯を見下ろしている。述べる事柄が千々(ちぢ)に乱れ、おまけに詭弁の要素を多分に含んでいるだけにかえって妙な説得力がある、と感心しながら。だが、表情へその意をあからさまにすることはしない。ランフェルト侯の大仰な身振り手振りをまじえての演説めいた話を、ただ静かに聞いている。

 対照的に諸侯の半ばくらいは、腑に落ちた、とでも言わんばかりな間の抜けた表情を晒し、誰に許しを得るでもなく、騒がしくそれぞれが主張し始めている。

 愚者と一度は断じかけ、途上で判断を保留したランフェルト侯によるこの場での立ち居振る舞いは、一言で表せば、何も言っていないに等しい。ただ騒いでいただけであった。

 ではなにゆえに、あのような振る舞いを……。

 強いてあげるとすれば、脅しが効きすぎたか。今朝方エドガー王太子の軍使であったランフェルト候の実弟近衛騎士ランフェルトと会見し終えた後に、ランフェルト候とまみえた時の光景を、グスタフ・パルムは思い起こしていた。

 あの時の狼狽ぶりが演じてのものでなかったとしたならば、今のこの有り様は、己が目端の聞く男だとわしに改めて売りこんでいる、とも取れる。

 そこには媚びと狎れを含んでいるにしても、決断の冴えと行動に移る速さは、かつて我が陣営に馳せ参じた頃のランフェルト侯を彷彿とさせるにはじゅうぶんであった。

 少なくとも、今騒いでいる半数よりかは使える男であろうな。

 様々な観点から思考をめぐらせながらも、目の前で繰り広げられている事の推移を一人の諸侯として見れば、今日のこの日の早朝に、単身で実弟の命乞いをしに姿を現して以降のランフェルト侯の変わり様は面白い見世物といえた。


 だが、面白くはない。明日にも戴冠式を執り行ない、新たな王朝の開祖としてマーシアの地に君臨するグスタフ・パルム”王”にとっては。

 似たようなことを述べるにしても、息子であり後継者でもあるオットーが発言するのと、たかが一諸侯が話すのでは、その価値が全く異なってしまう。

 自らにとっては明確に下位の者でありながら、こやつらは家臣ではない。面倒なものよな……。

 不意に、フォルシウス王家によって自らを含めた諸侯たちが、何かにつけては権益を削がれていた過去を思い起こす。そして、私憤がなくとも憎悪の対象でしかなかった自らの手で屠ったマグヌスや毒をあおいで死んでいた宰相オケルマンらへ、同情めいた感情を抱き始めていることに気づき、つかの間軽い戸惑いを覚える。

 と、同時にグスタフ・パルムの瞳は、ランフェルト侯の話が終わった辺りで家臣団の最後方辺りにいた一人がちらりとこちらを見た後、静かに広間より姿を消したことを、しっかりと捉えている。

 世の者どもが言うパルムの知恵袋ことイェルケルは、この場には不在であった。

 事がいささか意外な方へと転がりつつある今、心もとなくない、というのは嘘になる。 とは言え、あれの機知が欠かせぬ状況、というわけではない。ただ、いないよりかはいる方が良い。

 それにしても、あやつ意外と聡いではないか。去っていった家臣への評価をそう内心で大いに改めつつ、グスタフ・パルムは事態を自らが望む方向へ再び戻すべく動く。

 ゆっくりと右手をあげつつ睥睨し、諸侯に沈黙と自らへの注目を強いる。次いで、ランフェルト侯を見据える。


「なるほどのう。侯の言い様、理がないとは言えぬ。

 しかも、実の弟をあのように無残な様にされてもなお、フェルセン侯の名誉をも考えるとは、見上げた心持ちともいえよう。

 罪だけではなく功もある、と侯は主張する。

 わしは、エドガー王太子との衆の前で交わした取り決めを卑劣な手段で破ったことをのみ、問題にしていた。だが侯は、異なる見解をお持ちのようだ。矢の馳走のおかげで、果てる定めであったかもしれぬ我が家の者たちが生きている、という。

 まさに、その通りやもしれぬ。しかし、だからとて、それを他家の者に功とまで言われてしまえばな。

 パルムの家の、立つ瀬が、ないわ」

 

 ランフェルト侯の、最前まで昂揚感に満ちていたかのようなやや紅潮していた顔が、急激に青く改まる様を目にする。グスタフ・パルムは、自らの声にあえて含ませていた厳めしい響きを誤解なく受け取ったことを確認し、いくらかの満足を覚える。

 余計な差し出口を挟まれ迷走したが……。惨刑が自裁と変わり更に転じて助かる、となれば事前の案よりも、フェルセン侯はよりいっそうの我が息子への恩義を感じざるを得ないであろう。

 手筈は整えた。ゆえ、後は任せてもよいか……。

 首を心持ち曲げ右を向いたグスタフ・パルムは口を開く。

「オットーよ。どうやら、家の問題らしいぞ。パルム家を継ぐ者として、そなたいかに考える」



◇◇◇



 時はわずかばかり遡る。

 パルム公が諸侯たちの祝賀を受けつつ、フェルセン侯がやって来るのを待っていた頃のこと。

 イェルケルは、他の者に任せても全く問題のない水晶宮の検分を行なっている。

 やがてその足は石橋の上においてエドガー王太子を含む彼の配下として果てた者たちの亡骸を、仮ということで安置している王太子館の広間へと向かっていく。

 曲がりくねった廊下の隅々に、今朝までこの館の主人であった者の残り香のようなものを感じつつ、明り取りの窓全てに帳を引きわずかばかりの灯明だけが灯っている室へと入って行く。


 広間の中ほどまでゆっくりと足を進めたイェルケルは、とある遺体の前で足を止めたたずむ。

 ……殿下。ご尊顔を間近に拝するのは二度目でございますな。

 誰に話しかけるともなくそうつぶやくと、目を瞑りいささかの感慨に耽っていた。


「やはりな。そなた、あの時の男であったか」

 音としては小さいのだが、この場においては有り得べからざる自身以外の声を耳にし、思わず目を見開いたイェルケルは思わず一歩ほどあとずさる。

「驚くことはない。我の方が驚愕している」

 この場に誰をも伴っていないことに思い至ったイェルケルが、声をあげるべく息を飲みこむ。

「さして長くはない。最期の時を再びそなたと話して過ごすのも一興であろう。

 ゆえ、静かにせい」

 その声は、生まれついてより己の言動を無視された覚えなど一度としてないであろう者にしか持ち得ない、ある種の傲慢とも取れる響きを含ませながら、イェルケルの声帯を縛っていた。

「毒薬が、我の身体に浸透し得ておらぬようだ。どうやら幼き頃より療養の為に、様々な薬を用いていたからかもしれぬ。もっとも、腹の傷より血が流れすぎているのでいくらも保たぬ」

 (あやかし)の類にしてはひどく冷静であり、かつ朗らかとも取れる声質で現実的な言しか発さぬ台座に横たわっている男の様をみて、落ち着きを取り戻したイェルケルは死者であったはずの者に改めて向き合う。

「エドガー王太子殿下。ご尊顔を拝しますのは久方ぶりでございまする」


 今よりおよそ四年半前のことである。

 当時、イェルケルは仕えているパルム公の領地内で起きた紛争を公の名代として裁く役目を帯びており、各地を巡っていた。

 務めの途上、パルム公よりの新たな別命を受けたイェルケルは、使節の随員としてウォーターズガーデンの地を訪れる。公領の端より馬で四日程の距離にあるその地は、エドガー王太子が、当時は王太子ではなく第二王位継承権者が、療養の為に滞在していた。

 イェルケルは使節の端に連なり遠くより、フォルシウス王家の病弱としか聞き及んだことのない、それでいて南部の鷹とまで吟遊詩人が謳いあげるファルク家の前当主をおのれの近衛として従えている第二王位継承権者を眺め観察すべく、使節に加わっていた。

 そして、エドガー殿下の姿を遠く目にした途端、胸中になにやら説明しがたい熱のようなものを帯びていく。かつてパルム公に初めて邂逅した時と同様な、否、それよりいくらか多くの興奮を覚えていることへ戸惑いを禁じえずに。

 イェルケルは動揺しつつも、急ぎ何かの予感であるのか、単なる気まぐれの類なのかを確かめたかったのだが、前に出でることが出来ずにいた。

 何故ならば、表敬使節団はパルム公の長男サムウェルを正使とし、他の随員も多くが名家と呼ばれる家の出の者で構成されており、家名すら持たぬ身のイェルケルが末席に加わっていること自体が例外ともいえるものであったゆえに。パルム公その人が正使であったならば手段はあったかもしれないのだが、サムウェルには好かれておらず、使節に加わっての旅路においても半ば無視されている。

 イェルケルはじりじりとしながらも、何も行動を起こせずにいた。そうこうする内に、一向は退出する時間となりウォーターズガーデンの館を辞去する。やがて一向はパルム公領へと戻るべく騎乗し、帰領の途についていった。

 その間、胸中に抱いた説明しがたい熱が冷めるどころか熱さを増すばかりであったイェルケルは、公領に入ったところで元の任務に戻る為に随員から離れる。

 やがて一行を見送って後、馬を反して再びウォーターズガーデンを目指して駆けていった。常ならば四日かかるところを、休ませながらではあったが二日で達せさせた為に、今にも潰れそうな馬を街の馬屋に預けながら、イェルケルはふと気づき我が身を眺める。

 事が露見することを恐れ、道中でボロ着を買いこみ身にまとっているその姿は、どうみても街や村の民としか見えなかった。

 手詰まりであった。身分を偽ったままではエドガー殿下に謁見する(つて)を何一つ持たず、身を明かしてしまえば謁見は出来ようがパルム公へいらぬ疑念を抱かせることになる。

 常のイェルケルにしては迂闊すぎるとしか言い様のない後先考えていない振る舞いに自らを苦笑しつつ、街の宿屋を兼ねてもいる食堂に入る。酸っぱい安ワインに日持ちするだけが取り得の塩辛く硬いパン、店の主人が言う所の新鮮な黒角羊の腿肉のあぶり、名も知らぬ香草の熱いスープを腹へと満たしながら、パルム公領へ戻り元の任務へ怪しまれることなく復帰する為の日数を逆算していた。結果、ウォーターズガーデンの地に留まれるのはどう考えても今日を含めて三日が限界であると出る。

 食事を取りながら思考をめぐらせていたイェルケルは、後から当時を振り返っても、らしからぬいささか馬鹿げた考えにいたる。

 食堂で山羊の干し肉と硬いパン、革袋に入ったワインを新たに買いこむと夜半を待ってエドガー王子一行の滞在している館の塀より忍びこむとともに庭へ潜み、謁見の機会をうかがっていた。

 だが、なかなか機が訪れることもなかった。そもそも謁見など、ただの民に扮したままで出来るはずもない。それでも、何かに取り付かれたかのように潜み続ける。しかしながら、時間はただ無為に過ぎていく。そしてパルム公領へ戻ることを考えれば、いよいよ最後の日の朝を迎えてしまう。

 その日の昼下がり、潜伏してより初めての恐らくは最後の機会が訪れた。供も連れずに木々の生い茂る庭園を散策するエドガー殿下の姿を目に認めたイェルケルは、静かに、だが唐突に身を隠していた木々の間より飛び出していく。

 いささか驚きを示したエドガー殿下は誰何(すいか)の声を出そうとした様子であったのだが、イェルケルと目が合うとじっと覗きこむように視線を離さずにいた。その後、何か思うところでもあったのか、静かに笑いかけると庭園の中の一画にある小さな東屋を指し示していた。

 それから、陽が傾き赤い光が差し込むまで。イェルケルはエドガー殿下とただ二人きりで会話を交わしていた。


「あれから四年は経とうか。時が流れるのは早い」

「殿下……エドガー王太子殿下。今更ではございますが、何ゆえあの時にわたくしめの意を受け入れては下されませなんだ。さすれば、このようなお姿になられることも……」

 もはや諦めていた再びの邂逅にいささか興奮を隠せないでいるイェルケルは、常に似合わず、また遺体の置かれているこの場に相応しくないほどに、その声を弾ませている。


「イェルケル、そなたでも分からぬか。そういえば近年は”知る者”とも呼ばれているそうだな」

 エドガー王太子は体が動かないのか、その目線だけをイェルケルへと向けている。

「我の定めが十九で果てることを知っていて、なおそなたの願いを聞き入れるわけにはいかなんだ」


 落胆がイェルケルを襲う。意識が混濁して妄言を話しているのであろうか、と。だが、その不審を帯びた表情から察したのであろうか、エドガー王太子は口を開き、明朗さを含んだ声でいう。

「そうではない。我は分かっていたのだ。二十の歳を生きることはない、とな。もっとも、それはよい。

 ……今この時に、イェルケルと会うているのも(えにし)と言えよう。

 知る者よ。”神々の眷族”という言の葉を耳にしたことがあろう。

 我は、そうよな。()る者、とでも言おうか。瞳を見ればその者の想いを識ることあたう」


 思いもしない言葉を聞いたイェルケルは愕然とした表情を浮かべながらもあやうく出かかった声を抑えると、目線をエドガー王太子よりわずかにそむける。

「今日は楽しき日よ。そなたのような者を何度も驚かせられようとは、な。もうしばらくは、この興に浸っていたくもある。だが、我に残された生はもはや幾ばくもない。ゆえに、知る者よ、心して聞くがよい」

 声をあげずにただたたずむイェルケルへ、エドガー王太子は息のような細い声でささやく。

「あの日、驚嘆するとともに我は嬉しかったのだ。このような知を持つ者が我が王国にいるのか、とな。

 そしてそなたの意を聞いた我は、その是なること多きことを悟った。

 もっとも、全てを肯定したわけではない。

 だが……残念なことに当時ですら我の定命の残りは五年を切っていた。御旗が必要、と言っておったな。それは我こそが最も相応しい、と。

 イェルケルよ。そなたは素性を隠し名も無き民というておったが、当時から食えぬ者でもあったな。我とパルムとを、両天秤にかけておったのであろう」

「そのようなこと……わたくしめは殿下に受け入れられさえすれば……」

「よい、識る者として分かっていた。それだけのことよ。

 そもそも、そなたの語った大事を成さんとするからには、一国の王族と公をも手玉に取らんとするくらいの気概としたたかな計りがなくては、無理というものであろう。ゆえ、それを咎める気など、当時も今も我は持ち合わせてなどおらぬ」

「殿下。お聞かせくださいませぬか。何故に、当時教えていただけませなんだか。定命のことを明かしてくれさえいただければ、きっとわたくしめは」


「当時のそなたが、それを聞いて今のように納得し得たとは思えぬゆえな。

 知る者よ、分かるであろう。

 そなたの望む世が五年に満たぬ歳月で訪れるべくもなかったことを。

 中途で放り出すことが事の始めより判明しておりながら進める改など、我の手にはいささか余る。

 無用どころか害となろう。そうであるならば初めから行なわない方が、マーシアの地に暮らす全ての者にとっても幸せであろうことを。

 そなたも言うていたではないか、御旗が必要、と。途上で折れることが知れている旗になど何の価値があろう。

 ゆえに、そなたの意におよそ賛同しておきながら、我はそなたを用いることを拒んだ。

 知る者よ……そなた……」


 突如無言となったエドガー王太子の様をみて慌てて身体を近づけ顔を寄せたイェルケルの灰色の瞳に、琥珀色の瞳が交差した。

 瞬時にして、イェルケルの身体が動かなくなっていた。いくらか慌てはしたものの瞬時にイェルケルは落ち着きを取りもどしていく。室内そのもは全てが影の領分ともいえる、わずかな灯り以外はない薄闇である。初めは無意識のうちであったが、やがて意識させて灰色の瞳を銀色へとイェルケルは変化(へんげ)させていく。

 だが、エドガー王太子の琥珀色の瞳は赤みを帯びた黄色の光を増すばかり。それは、イェルケルの全てを包みこむかのようにして離さない。瞳から銀色の全てが消え失せていくことを感じたイェルケルは、身体を動かすどころか息すら出来なくなっていく。

 やがて。どれほどの時間が経ったのか不明なままに、瞳が灰色へ戻っていった。とともに、己の身体を再び動かせるようになっていることに、ふと気づく。

 まるで、暖かなものに全身をくるまれているかのような……。

 思わず安堵の息を漏らすイェルケルの耳に、エドガー王太子の声が覆いかぶさってくる。


「もしやと思うたが、邪な者の力を宿しているのか……。だが、我が見て識るに、全てを捧げているわけでもない。

 よいか、イェルケルよ。一切を取り込まれる前にその者から離れよ。

 もっとも……かつての瞳には見えなかったもの、ということは、そなたを絶望させ放り出した我にもその責の一端があるのであろうな」

 動揺を押し隠せないままイェルケルは抗弁を試みていた。

「導師は、邪な心根の御仁ではありませぬ。当時、殿下に受け入れられず、かと言ってパルムの家へと戻るにしてもいささか以上に気鬱であり(しるべ)を失っていたわたくしめに道を示して下された、素晴らしき御方でござります」

「イェルケルよ。これは我が思うことゆえ、まずは聞け。恐らくはそなたのいう導師とやらは、こう告げたのではあるまいか。

 水を絶やせ。

 さすれば望む道が、汝の求める世へと通じる(きざはし)が開けよう。

 雷を砕け。炎を消せ。風を止めよ。

 さすれば汝の希求する世が間近に訪れよう。と」


 一字一句たりとも。内容についてだけではなく言い回しについても、誤謬なく的確に言い当てられていた。イェルケルは目を見開くとともに顔を青ざめさせて絶句せざるを得なかった。

 エドガー王太子は、寂しげな、としか言いようのない目を向けている。

「識り得たことを託すのも神々の啓示か、ともな。最前意識を取り戻した時に、そなたの気を感じた我は思うたのだが……。

 邪な者に、そなたを通じて識られるわけにはいかぬ。まこと、惜しい……。

 ところで、イェルケル。血ではなく知で人を用いるべき、とかつて言うておったな。

 一つ問おう。そなた、弟トゥオモを信じ用いているのは何故だ」

 エドガー王太子が知るはずもない弟の名を告げられたイェルケルは落ち着きを欠いていく。

「……殿下といえども、我が弟を悪し様にあげつらうなど許せませぬぞ」

「悪しく言うているのではない。何故だ、と訊いていた。

 まあ、よい。いずれ分かる時が来るやもしれぬ。

 かつて、そなたの過去と思いを識った。今日は、四年と少しの間のそなたを識った。唯一の肉親を信じたい心持ち、理解出来ぬでもない。我も父上を慕うておった」

 そういい終えると、苦悶の表情を目に浮かべたエドガー王太子はしばらく押し黙った後に、言を紡いでいく。

「おのれの命、その揺らぎが分かってしまうのは良き事なのか悪しき事なのか。……もはや、我は果てかけておる。

 せっかくの邂逅、手向けをやろう。

 そなたに、パルムの家に、マーシアを、器を託さねばならぬゆえな」


 イェルケルはごくりと唾を飲みこむとエドガー王太子を見つめていた。

「今までならば、そなたの知にグスタフの同意あらば、思うがままであったろう。

 それはグスタフの信頼厚き臣として、グスタフの声として他の臣へと命を発していたゆえであることを知れ。

 これよりは異なる。諸侯は王の臣下であって臣下ではない。このこと、しっかと心せよ。

 グスタフは、我が言うのもおかしな話だが一世の雄。一身を賭して仕え、マーシアに、 そして民にこそ尽くせ。さすれば、新たな鎮めと成れるやもしれぬ。

 そして、いくらかは、そなたの求める形へと世が改まるやもしれぬ。

 我は、あれの上の息子どもに会うたことがある。イェルケルよ、そなたが切り捨てたのは分からぬでもない。

 グスタフの誇り高きは、肉親の情にやや重きを置くものの確かな理と知を伴っている。だが、あやつらは誇りこそあれ空虚であった。ゆえに、このことに関して、自身を責める必要はない。統べるが義務、といえる家に生まれておきながら才無し、という罪を裁かれただけのことよ。

 オットーは見知らぬ。どの様な者である」

 今は、まばゆい光にくるまれでもしているかのような不思議な思いに浸りながら。イェルケルは灰色の瞳を琥珀色の瞳に合わせ続ける事に一切のためらいを感じずにいた。

「なるほどな。意をよく聞く耳と、過ちを過ちと認める心根を持ちつつも、物足りなく感じている点も多いか。もっとも、グスタフと比べれば大概の者は不足に思えよう。それは仕方なきこと。

 鍛えよ、さすればグスタフの良き後継者と成れるやもしれぬ。成らぬ時はそなたの責よ。

 もし成らぬ時は……水」

「水とは。殿下、水とはフォルシウス王家のことでありましょう。……わたくしめが水を絶やしてしまいもうした……」

「いや、詮無いこと。かつてのそなたであればな」


 そのまま押し黙ったエドガー王太子の瞳から光が失われていく様がイェルケルには何故だかはっきりと分かってしまった。それを否定すべく押し戻すかのごとく、灰色の瞳に力をこめて、だが銀を帯びぬよう意識しながらエドガー王太子を凝視する。

 すると。初めは微かに、瞬時にしていっそうきらびやかで熱をも帯びた輝きが琥珀色の瞳に宿っていた。

「聞け、イェルケル。人の身でありながらその知でもって、正と邪に触れ得る者よ。

 分からぬか、知る者よ。そなたの得た銀はまやかし。本物ではない。(まった)きに放逐せよ。

 再び銀眼を用いるな。心が、全てが、乗っ取られていこう。

 さすれば、……かがそ……」

「さすれば? 殿下、さすれば何でございましょう」

 我知らず高き声を発していたイェルケルは、息を呑んでしまう。次いでエドガー王太子の手に、胸の上部で組まれている両の手に、そろそろと触れてみる。

 既にして、冬の雨に濡れそぼった土のような冷たさと硬さを有していた。

 琥珀色の瞳は、完全に光芒を失っていた。


 ……殿下。

 顔を伏せているイェルケルの、両の目よりこぼれ落ちるものが、顔に筋をつくる。

 身体の震えは止め様もなく、嗚咽の声も小さく漏れてしまう。


 ……やがて……イェルケルを包みこんでいたかのような琥珀色の気が、失せていく。

 赤く黄色い輝きになり代わるかのように黒き闇が身体を覆っていった……。


 突如広間の隅にまで届くかのような、くぐもった笑い声をイェルケルは張り上げていた。

 五年経たずに死ぬ身ゆえ私を用いなんだ、だと。中途で終わる改ならしない方が良い、だと。

 ……泥をすすったことのない身ゆえの痴夢よ、甘過ぎるたわ言よ。

 しょせんは……。しかし……。



 薄暗い室の中で、笑いながら泣き、身悶えている男の姿がある。

 死者に囲まれただ一人鼓動を繋いでいる男の、心は千千(ちぢ)に乱れている。

 偶機を得て、期せずして光と闇の一端に接してなお生きる男の、誓いは激しく揺れ動く。




 アヴァロンの、大地を鎮める雫は砕け散った。

 替わり得る器はあれどいまだ土くれに等しい。

 千をゆうに超える歳月を経てようやく水が消え失せたことに冥き者はほくそ笑んでいた。雷に炎に風に、その手を伸ばさんとする。

 水が絶えれば雷を招く雲はやがて途絶える。

 水が絶えれば炎を掻き消す泉はいずれ乾き果てる。

 風は風のみでは何も為さない。


 だが識る者は抗っていた。

 密かに計り(おもんばか)った滴は際どいところで結実し、地に染みいっている。

 出でた末に大河となるのか涸れ果てるのかは未だ分かりようもない。


 そびえ立つ山々の、北の小大陸(ノルド)西方大陸(ウェステニア)を隔つ氷が、ゆっくりと剥がれ落ちていく。

 (いにしえ)の神々の封はいくらかの力を減じ、減じた分だけ太古の闇が蠢き始めている。

 新しき神は東方大陸(オスティアナ)の半ばを呑みこみながら、西方大陸(ウェステニア)へも貪欲な食指を動かし続けている。



 アヴァロンの剣 第一部 誓い 南の章  ――完――

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