彩血
白いベッドの上、細い管を伝う血液を眺めていた。腕に刺さる針の痛みとアルコールの匂いが、不安定な意識を繋ぎとめている。ぼんやりと映る無機質な景色の中に、鮮烈な色。どろりと赤黒い液体の、なんと汚らしいことか。これが私だ。溢れ広がり、触れては腐食させ錆びていくのだ。早く早く、全て抜き取ってしまいたい。
落ちる雫を数えることにも飽きた頃、重い扉が開いた。現れたのは白衣の男。見なれた顔に今日も表情はない。黙ったまま私に近づき、腕に繋がれた管の先、血液の溜まったガラス瓶を手に取る。それを何に使うのか私にはわからないが、血の赤を瞳に映した彼の横顔が好きだった。
私は言葉を話すことができない。体を動かすこともできない。当然この部屋から出ることも許されていない。彼は私に、毎日たくさんの注射を刺し、様々な薬を飲ませていく。一切の食物を口にしていない私が生きて、血液をつくり続けているのは、きっとこれらの薬物のおかげなのだと思う。作業が終わると彼は何も言わず出ていく。あとはただ眠るだけの生活。窓のないこの部屋は、時間の流れを一切感じさせない。私はいつからこんなことを繰り返しているのだろう。何も思い出せなかった。
彼は私を器と呼ぶ。うつわ。私は何かの入れ物らしい。今日も腕に刺さる針。さしずめ血の器といったところか。すべて抜き出して空になったら、はたして残った殻は私だろうか。少なくとも彼には必要とされないだろう。こうして彼のために血を作り続けることが私の意義。しかし今日はいくら待っても彼が来ない。溜まった血が、溢れた。
がしゃん。ガラスの割れる音で目が覚めた。いつの間にか眠っていたらしい。がしゃん、がしゃん。絶えず続く大きな音は、そう遠くないようだ。その方向に意識を向けた時、身体が動くことに気がついた。ひどく重いが、腕も足も動かせる。ゆっくりと力を込め、両腕をついて慎重に起き上がる。頭がぐらついたが、なんとか持ちこたえ足を床に下ろす。腕に繋がれた管を引き抜く。溢れた血は床に広がり、黒く変色している。重い扉を開き、部屋の外に出る。暗い。音は止み、ひやりとした静寂が足にまとわりついた。暗闇に細い光を見つけた。薄く開いた扉。ドアノブに手をかける。
部屋の中は真っ赤だった。散らばるガラスの破片と、血。充満する匂いに吐き気をもよおした。中央にはぽつんと小さな浴槽が置かれていた。それに吸い寄せられるように歩み寄る。ぴちゃ、と足が血に浸る。浴槽の中は血液で満たされていた。そしてその中には、体を丸めたあの男が眠っていた。まるで母体の中、羊水に浮かぶ胎児のように。傍らには、やはり血塗れのナイフが落ちていた。あぁ、この男は死んだのだ。私から抜き出した血の中で。そうだ、私の中で死んだのだ。
けたたましい声とたくさんの足音が近づいてくる。乱暴に扉を開け、男たちがなだれ込んでくる。警察だ、とその内の誰かが喚き、そして息をのんだのがわかった。彼らは立ちすくむ私の横を通り過ぎ、死んだ男を取り囲む。喧騒の中で、ふいに思い出した。あの男は私の兄だ。
眠る妹の白い顔を眺める。こうしていられるのもあと少し。ここが見つかるのも時間の問題だろう。冷たい頬に触れる。あの人の面影を残す、僕の義理の妹。僕を愛してくれなかった母と、同じ血の入った器。もっと、もっと、まだ足りないのに。
「さよなら」
集めた血液を浴槽に満たす。これは母だ。ゆっくりと身を沈める。目を閉じると、母の腕が優しく僕を抱く。おかあさん。ぼくはあなたと、ひとつになるんだ。
ナイフで腹をえぐる。溢れた僕の血が母に溶けていく。
視界を彩る赤色の中で、ぼくは確かに、母の声を聞いた。
「 」