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Ⅰ章 到着「伝承の詳細および疑問点の提起について」⑤


「はは、アキラサイテー」


 有川ありかわの言葉を真似する古砥部ことべの言葉は、もはや耳に入らなかった。


 あっという間に完成した包囲網。ちょっぴり目に涙をめながら、祁答院けどういんは思う。


 買い物をしてしまったのは、このフィールドワークの計画を立ててから。先ほど読んだ小冊子しょうさっしは確かに石和からもらった物。非は自分にある。


 が、そこまで言うほどひどいだろうか。なけなしの研究費で購入したのは室町時代に描かれた妖怪絵巻で、重要文化財の指定を受けていてもおかしくない品。


『実は今、少しお金に困っていまして。先生がお買いにならないなら、骨董こっとう商にでも売ることにします』


 かねて懇意こんいにしていた所有者がこんな感じで話を持ちかけてきたのだ。保存の仕方も知らないコレクターの手に渡ったら貴重な文化遺産を破損されかねない。下手をすれば行方ゆくえ知れずとなってしまう可能性もある。民俗学の学者として、こう言われては買う以外の選択肢がないだろう。


 そしてもう一つの言い訳。石和いさわ家を宿泊所に選んだ最大の理由は、


 ――石和の父である郷土史家、石和隆史いさわたかし


 だ。彼はすでにこの世の人ではない。が、石和いわく、その書斎しょさいは手つかずの状態で放置されているという。


 おそらく膨大ぼうだいな資料が眠っているはず。総合的に言って、石和の実家が拠点として最も便利な場所だった。


「だから……」


 以上の理由は、いくら胸の内で説明しても理解してもらえないだろう。めげずに口を開こうとする祁答院の言葉を、


「にしき、もうあらすじは聞いたんだろ? そのあと、この神社はそん時の殿様からウチが管理を命じられて、それが今も続いてるってワケだ」


 石和がわざとらしい大声で押しつぶした。


「へえ。でも修二んちって神社じゃないんでしょ? 神主さんは?」


「いや、そのな……」


「ここらで一番デカい奥村神社から宮司さんを呼んで祭祀さいしはやってる。ウチは地主としての管理だけ」


「なるほど。じゃあご神体は?」


「なあ……」


「池だ」


「名前は?」


「あの、聞いて下さい……」


「まんま。伊織ヶいおりがふち


「ご利益は?」


「私が悪かったから……」


「恋愛成就。あと水難よけ」


「納得。でも神社って不思議だよねえ。ここもそうだけど、平将門たいらのまさかどとかって、神様っていうより怨霊って感じじゃない? なのに、みんな拝んでるんだもん」


「………」


「そうだなあ。そいつは……」


「それは! 怨霊となった人物の恨みのパワーが強ければ強いほど、いざ神様となった時の力も強いと昔の人々に信じられてきたからだ! この考え方を、神道では御霊ごりょう信仰という。いま有川さんが言った平将門や、菅原道真すがわらのみちざねなんかが代表格だな。伊織がまつられる理由もそうだろう。大嵐を起こせるほどの力を鎮め、同時に自分達の味方に付けようと考えたんだ!」


 一気に喋って息を切らす祁答院を前にして、邪悪に笑う石和と有川はアイコンタクトで会話する。「この辺にしといてやるか」「だね」という意思疎通がなされたあと、再び古砥部を後ろから抱きしめた有川が口を開いた。


「ふ~ん。でも、伊織さんが暴れる気持ちは分からなくもないなあ。ある意味、社会全体が小兵太を殺しちゃったんでしょ?」


「ふん。真面目なヤツが馬鹿を見る。時代が変わっても、そいつは変わらないってことだ」


 石和はそっぽを向き、どこまでも冷めた自論を展開する。


「修二冷めすぎ。小兵太って、いちおうごアンタのご先祖様なんでしょ?」


 聞きとがめた有川は、すぐさま体を古砥部ごと振り向せかせて噛み付いた。


「直系じゃない。しかも三百年前の先祖だぞ? 他人と同じだろ」


「けど、修二は少し見習った方がいいと思うよ?」


「足して二で割ると、ちょうどいい感じだろう」


 そこへ、やはり見立てに間違いはないと結論づけた祁答院が割って入った。


「センセまでそういうこと言うのかよ……」


「さっき無視したお返しだ」


「……小っさ」


 ぼそりと上がる有川のつぶやき(裏切り)に、祁答院は反論の言葉を失う。


 この二人は最悪だ。二人きりだとケンカしかしないくせに、第三者が現れると瞬時に連合して息のあったコンビネーションを見せる。そして確信した。ここに味方はおらず、目の前の二人は敵だと。この状況をごまか、もとい、回避す、訂正、教育者の本分はやはり講義であろう。


 というわけで、祁答院はまたしても語り出した。


「……コホン。真相はともかく、この神社にはそうした言い伝えがあり、伊織は神様として祀られているわけだ。このように、神道では人が神として祀られる例は少なくない。特に悲劇的に死んだ人物が神として祀られる場合は、死んだ直後に天変地異が起こったり、恨みの対象となる人物が死んだりしたことがきっかけとなったケースが多い。民俗学の学者として言わせてもらえれば、不可解な事件の原因に理由をつけて、恐怖を理解しようとしたんだろう。正体が分からないものがいちばん怖い、というわけだな。それは、今も昔も変わらない……」


 不意に石和の腰から電子音が響く。教師の天敵である授業中の携帯電話に、祁答院は顔を歪めて話を中断した。


「もしもしー、姉貴ー? ……ああ、無事に到着してる。もう伊織神社にいるよ。……了解。んじゃ、適当に切り上げて帰るわ」


 よく電波が届いたな、ともらす石和は携帯を取り出し、半分眠っているような声で味気ない会話を済ませてから祁答院に向き直る。


「センセ、夕飯の支度ができたって家からっす」


「む、そうか? まだ〝全っ然〟講義し足りないんだがな……」


 ポロリと本音。祁答院はその手の人間の例にもれず、学者バカである。オタクとも言う。好きなことを語らせれば、一昼夜はぶっ通しで話し続けられる自信があった。それを学生達から非常にうっとうしがられていることも知っているのだが、なにしろ止まらないのだ。


 読書も同様で、とにかく止まらない。以前、飲まず食わずでまる一日ぶっつづけて本を読んでいたら、自律神経が一時的におかしくなったらしく、立てなくなったこともあった。生まれたての子鹿のようにヨロヨロ、朦朧もうろうとした意識で「読書は体に毒である」と思い知ったのだ。


 もちろん、それを知っているゼミ生達や古砥部は相手にしない。


「夕飯食べながら聞き流しますから」


 祁答院の肩を叩く有川は、微妙に無視します発言を残して歩いて行く。


「さっさと行きましょう。ウチなら壁はいくらでもありますから」


 同、石和。たしかに壁なら何時間でも我慢強く聞いてくれるだろう。


「早く行くぞー。バカアキラー」


 同、古砥部。もはやなんのひねりもない悪口である。


「く……」


 こんなところでゆとり教育に負けるわけにはいかない。よろめく体を、祁答院は教育者としての闘志を燃やして踏み留まらせ、


「私は負けん!」


 気合いと共に決めポーズを取ってみた。


 そんな祁答院に突き刺さるのは、生暖かい眼差しを送る三対の双眸。


「さ、行こうか」


 気付いた祁答院は、爽やかな笑みでサムズアップする。吹き抜ける風は夜気をまとい、とても涼しく感じられた。




 * * *




 四人が石和家に到着したのは、あれから五分後のことだった。


「たでま(ただいま)~」


「おじゃましま~す。修二、もうちょっとしっかりあいさつできないの?」


「ほら古砥部、よそのお宅に入るときは?」


「バカにするなアキラ! おじゃまするぞ~、だ!」


 石和を先頭に、一行は引き戸をにぎやかにくぐる。と、古い農家特有の広い玄関先や家自体の外観で予想はついていたのだが、広いタタキに広い廊下、生ツバを飲み込んでしまいそうなダシの匂いが出迎えてくれた。


 さらに――


「修二、おかえり」


 出迎えてくれたのは、この旧家と一体化しているかのような印象を受ける大和撫子。


 歳は石和や有川より少し上だろうか。あい色のつむぎの上から割烹着かっぽうぎけ、たばねられた腰までの黒髪は白いうなじを強調しているようでむしろ色っぽい。にっこりと微笑む細面は、穏やかにしてたおやか。ひなにはまれな、という形容は失礼に値するのではないかと思われるほどの、ものすごい美人だった。


「……ただいま、姉貴」


 気恥ずかしいのか石和は目を反らし、つぶやくように言う。


 衆目しゅうもくを集めていることに加え、およそ二年半ぶりの帰省という後ろめたさ。おまけに相手が向けてくる、姉弟にしても度を超した親しみの感情。あまり女性ズレしていない石和にとって、これはたしかに荷が重い。


「たまには顔見せに帰って来なさいって、言っておいたのに。メールしても、ちっとも返事してくれないし……筆無精なのは知ってるけど、元気にしてる、の一言くらいは返してくれてもよかったんじゃない?」


 ただ、そう言いつつもまったく怒った様子を見せない彼女の気持ちとしては、実のところ母親が出来の悪い息子へ対するそれに近かった。


「……ワリい」


 石和も同様で、彼の心境としてはイタズラを母親に見つけられた気分。もっとも二人の態度――特に彼女の容姿や表面の態度が、他人に与える印象を必要以上に怪しげなものに変えているが。


 一方、祁答院ははりきっていた。


(ふむ……左の薬指に指輪はなし。玄関に男物の靴もない。表に停めてあったのは、いかにもオーナーが若い女性らしき軽自動車が一台だけ。家の奥からは他の人間の気配もしない。ようするに彼女は独身で、この家に一人暮らしだということ。これは、チャンスだ!)


 女性の容姿に陶然とうぜんと見入りながらも二人の真実に気付き、その上でムダな観察力を発揮して集めた情報で、彼女を彼氏ナシだと断定する。


 多くの人が意外だと言うが、祁答院はモテない。


 外見は他の追随ついずいを許さないほどいいと自他共に認めているし、学歴だって実岡大は世に難関とうたわれる名門。おまけにその助教授なら、収入も高い部類に入る。社会的に見れば、祁答院は間違いなく掘り出し物だろう。


 それでも、モテない。


 言い寄ってくる女性自体はたくさんいるのだが、デートが二回目以降に発展したことは皆無かいむなのだ。理由はもちろん古砥部。放置して出かけるわけにもいかず、連れて行くとデートが終わる頃には完全に電波扱いされているのだった。


 なお彼本人は意識していないが、祁答院はかなり結婚願望が強い。これは生い立ちに起因きいんするもので、〝普通〟ではないと周囲に言われ続けて育った彼には、〝普通〟に強いあこがれがあるため。


 ――普通であるためには、社会通念上模範的であるべきだ。自分くらいの歳になれば、とうぜん結婚を考えるべきだろう。それが普通――


 それが祁答院の深層意識。


 そんな理由で結婚したいのかと女性は閉口するかもしれない。が、悪いことばかりでもない。先述せんじゅつのとおり彼は社会的に優等生で、そのための努力も重ねてきた。おそらく結婚しても、常に良い夫であろう、良い父であろうと努力するだろう。あとは本当に相手を想う気持ちさえあれば、きっとうまくいくはずだ。


「あ、すみません。お客様をないがしろにし……」


 再会のあいさつを済ませて祁答院へと振り向いた石和の姉は、思わず言葉を途切れさせた。その容姿に驚いたらしい。祁答院は計画をさっそく行動に移していく。


「とんでもない。私が大学で修二君を教えている祁答院です。突然お願いした上に大人数で押しかけて、こちらこそ本当に申し訳ありません。ごやっかいになります」


「……こちらこそ修二がいつもお世話になっております。お疲れでしょう。玄関で立ち話もなんですし、どうぞお上がり下さい」


 下心を巧みに押し隠してダンディに一礼する祁答院に、彼女はほんのり頬を赤らめた。


(うん。今度こそいけるかもしれない)


 第一印象はかなりの高評価。その様子を見た祁答院は内心でガッツポーズをとった。我ながら男子高校生並みだと笑ってしまうが、それに気付いているだけまだマシと自分を励まして言葉を続ける。


「すみません。では……と、その前に雑巾ぞうきんをお借りできますか?」


「え?」


 自覚なしの発言に、石和の姉は怪訝けげんな表情を浮かべた。


「ああ、……足をこうと思いまして」


 素足すあしおもてをうろつく古砥部を家に上げるためには、足を拭かなければならない。早くも計画が崩れ去りつつあるとことに気付きもせず、祁答院は理由をのべた。


「はい、すぐお持ちしますね……?」


 石和の姉には、なぜ必要なのかが分からない。祁答院がやるのだとすれば、足に水虫を飼っているオッチャン並みの行動だ。出会いから一分とかからず――まさに秒殺で幻想を打ち砕かれた彼女は、首をひねりつつも奥へと引っ込んでいった。


「センセ、がんばって下さいね~」


 だいたいの事情を飲み込んでいる石和は、慚愧ざんきえないといった表情で祁答院の肩を叩き、さっさと上がっていく。


「……あ!」


 そして今、本人が気付いた。


「……そんな、バカな! この私が……!」


 続けて、大仰おおぎょうに体をわななかせる。


 そのマンガじみた行動が変人だと人に言わせるゆえんなのだが、祁答院はその場のノリでついついやってしまう。学生たちの間で人気が高い理由は、授業のおもしろさよりも芸人として、というのは公然の秘密である。


「あの二人の雰囲気は、なんなの……」


 今回、残念ながらオーディエンス兼ツッコミ役のリアクションはなし。いまだ玄関に立ちすくんだままの有川は、石和姉弟が消えていった廊下の闇をにらんで肩を震わせていた。


「いや、あれはな……」


「センセには聞いてません! 修二、私はどの部屋を使えばいいワケ~!」


 眼光一閃。祁答院の説明を封じた有川は靴を脱ぎ、ドスドス床板を踏み鳴らして石和を追いかけていく。


「アキラ、古砥部はまだ入っちゃダメなのかー?」


 誰一人としておとなしくしていない。まるで無法地帯だ。


「……すぐに石和君のお姉さんが雑巾を持ってきてくれる。もう少し待て」


 たぶん幼稚園の保育士さんは、毎日同じ気分で仕事をしているのだろう。私には無理だ、と祁答院がため息をつきながら待てば、間もなく雑巾をたずさえた薗生が現れる。受け取った祁答院は、奇異きいの視線で見つめる彼女の重圧に耐えながら古砥部の足を拭き、ようやく石和家へと足を踏み入れた。


「お部屋はもう用意しておりますので、こちらへどうぞ」


 石和の姉は一連の出来事など気にも留めていないかのような、やわらかな態度。祁答院を案内すべく、しずしずと歩んでいく。


「すみません」


 祁答院はホッと――まだ脈は残っていると思いながらついていった。


「あ、申し遅れました。私は薗生そのおと申します」


 ごく自然に、しかしおそらくは意識的に速度を落として祁答院の横へ並んだ石和の姉――石和薗生は、祁答院の顔をのぞき込むようにしながら微笑ほほえみかける。


「薗生さん……いいお名前ですね。楚々(そそ)としていながらも、りんとした雰囲気がある。本当によくお似合いです」


 祁答院は態度を作り直し、歯が浮きそうな美辞麗句びじれいくを返した。自分の容姿はこういうセリフを堂々と言う方が似合うという目算があってのこと。すると薗生は口を開かず、伏し目がちに微笑むことで返答とする。


(む、これは……)


 かえって薗生の雰囲気を引き出していた。


 祁答院は彼女を見ながら、奥で有川、さらには追いかけていった古砥部も含めてギャアギャア騒いでいる石和と比べてみる。


 たしかに姉弟だ。目元や鼻の形など、なるほどと思わせる類似点がいくつもあった。それでも態度が態度だし、一方は服装や髪型からして人目を気にしていないので、月とすっぽんの表現で間違いはない。


「しかし、これは褒め言葉になるかどうか分かりませんが、私は薗生さんほど女性らしい女性に今まで出会ったことがない」


「そうでしょうか? でも、私の雰囲気はお仕事の関係かもしれませんよ?」


「それは?」


「奥村神社で巫女として働いております」


「なるほど。ぴったりだ」


 卵が先かニワトリが先か、という理論のような気もするが、間違いなく似合う。祁答院は丁寧に頭を下げる彼女に優しく言葉をかけた。


「こちらをお使い下さい。すぐに夕飯にいたしますので」


 やがて南向きの客間に祁答院を案内し終えた薗生は、微笑びしょうを残して去っていった。


(今回のフィールドワーク、サイコー!)


 部屋に残された祁答院は、一人で小おどりしつつほくそ笑む。


 あれほどの美人。しかも性格もいい。これ以上、なにを望めばいいのだろうか。


 ――ちなみに。


 ここではっきりさせておきたい点がある。石和薗生のような女性がはたして現実にいるのかという疑問だ。


 結論から申し上げれば、いるかもしれない。


 が、いたとしても年の頃はせいぜい十代のなかばまで、であろう。二十歳を超し、社会で働く女性があんな浮世離れした性格をしているわけがない。


 そう。薗生の大和撫子っぷりはもちろん演技である。


(いい男……名門大学の先生……高収入……玉の輿……ちょっとオヤジ臭いくらい、マイナスにならない……)


 裏はむしろドロドロのグチャグチャ、と言った方がいい。清純派の外見や男好きのする表面の性格に、垣間かいま見せるおそろしいまでの色気。それらを完璧に操って男を手玉に取る彼女は、弟をして『我が姉ながら、恐ろしすぎてドン引きする』と言わしめるほどである。


 あやうし祁答院! はたして彼は生きて石和家を脱出できるのか!


 ……まあ普段の彼を見れば、薗生の方が態度を改める可能性が極めて高そうだが。


「薗生さんの手料理か。……エヘ」


 見破れなかった祁答院は不気味な笑いをもらし、スキップするように夕餉ゆうげが待つ居間へと向かって行った……





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