序章 手記~とあるレポートについて③
気付いた友人は腰を上げ、姿があらわになる。
すらりとした長身を黒いスラックスとチョッキ、品の良いネクタイに包み、ゆるくウェーブがかかった髪からのぞく顔立ちは、日本人離れした彫りの深さ。文句なしの美形だ。低音で響く渋い声も、男の私が聞きほれるほど。
彼こそが祁答院晶。当年とって二十九歳を迎えた、私立実岡大学文学部、人類文化学科の助教授である。
私は再会のあいさつをし、苦笑しながら「やられたよ」とばかりに腕を見せた。
「……やはりか。悪かったね。ほら古砥部、彼に謝るんだ」
あたたかい笑みを浮かべる祁答院は、古砥部の頭を軽く叩いて促す。
「あ、さっきのヤツ! むー、古砥部は悪くない! お預けなんかするから悪いんだ!」
焼き鳥から顔を上げた古砥部はようやく侵入者の存在に気付いたらしい。私を見るなり不満の声をもらした。
しかしあの時、古砥部はどう見ても焼き鳥の強奪を企てていたはず。実害もこちらだ。それでも当人が子供な以上、ここは大人が手本を示すべきだろう。私が自己紹介しながら謝ると、祁答院が言葉を接ぐ。
「ほら、彼もあやまっているだろ? 古砥部もあやまるんだ」
「むー、……ごめん」
しぶしぶ、といった感じで古砥部が頭を下げると、祁答院はにっこり笑いながら彼女の頭をなでる。その光景はまるで親子のようだった。
「じゃあセンセ、私は修二を手伝ってきますね」
この報酬はファミレスじゃ安いよね、と極めて不穏な発言を残して有川が退室する。軽く肩をすくめてそれを見送った祁答院は私に席をすすめた。
「さて。さっそくはじめようか。私のレポートに関する取材、でいいんだよね?」
優雅な足の運びで移動した祁答院は、例のレポートを片手で取り上げながらデスクに寄りかかる。私は頷き、すすめられた席――再び焼き鳥祭りへと没頭しはじめた古砥部の対面に腰を下ろした。
胸いっぱいの炭火焼き臭。だが満面の笑みを見ていると、なんだかこちらもうれしくなってくる。
私が目を細めて注視していれば、気付いた古砥部はピタリと動きを止めて「む、一本食うか?」とばかりに無言かつ超スピードでつくねを突き出してきた。彼女なりの仲直りの証だろう。私は何も言わずに顔へ飛んだタレをぬぐい、ありがたくいただく。
「じゃあ話に入る……前に、妖怪学について軽くおさらいしておこうか。君も現役を離れてずいぶん経つしね」
どこまでも親切な祁答院の提案。私は少し考える。憶えてはいるが、悪くはない提案だ。ただ、「よろしく」と返事をしようとした口はつくねを頬張っているためにふさがっている。仕方なく首を縦に振った。
「分かった。まず妖怪学とは、民俗学という学問の一ジャンルにカテゴライズされる学問だ。
民俗学とはズバリ『日本人とは何か』をテーマに各地に散らばる民話や伝承、絵画あるいは文化などを通じ、昔の人々の生活や考え方を知ろうという学問だね。
そして妖怪学は、中でも妖怪伝承を通して民俗学を研究する学問だ。決して、妖怪の能力や弱点を研究する学問ではないよ」
根がまじめな祁答院にしては、珍しい諧謔。渋い笑みをたたえたままの唇は、分かっていると目で伝える私を確認して講義を続ける。
「具体例を挙げてみようか。たとえば鬼という妖怪。頭に角を生やし、屈強な肉体に普通の人間とは違う肌の色、トラ柄の腰巻きを身に付け、金棒を持ち、悪事を働く、というのが一般的なイメージだ。
これを解析していこう。まず、異様な容姿。これは当時の中央政府とは明らかに違う人種を指していると推測できる。アイヌなどの異民族、鉱山労働などの特殊な職業につく人、あるいは日本に住み着いた外国人……こういった人々を学術用語で『異人』と呼ぶんだが、彼らをデフォルメしたと考えるべきだろう。
次に、屈強な肉体。これは当時の人々がどれほど彼らの強さををおそれていたかの証拠だね。
トラの腰巻きに関しては、トラがこの国にいないことを考え、彼らはそれほどまでに遠くに住んでいると考えられていたのだと推察できる。
そして、なんと言っても鬼の金棒。これは彼らが鉄を精製できる技術力を持ち、かつ武器にしていた証拠だ。
悪事を働く点に関しては、彼らがやはり時の中央政府に敵対する存在だったからだろう。異民族か、はたまた純粋に山賊か。そこから想像すれば、桃太郎のおとぎ話などに登場する鬼の宝は異民族が領有していた鉱山を分かりやすいイメージにした可能性がある。
桃太郎がどんな事実を元にした話なのか、まだ正確には判明していない。まあ有力説はあるし、大元のオリジナルは西遊記らしいけどね。とにかく現時点で、桃太郎は必ずしも正義の味方とは言えない。それどころかただの侵略者だった可能性もあるわけだ。
また、鬼は『おぬ』。すなわち『隠』とも関わりを持ち、さらには疫病とも結びつけられた。見えないから正体が分からない。しかし、人を殺す恐ろしいモノ。なら、きっとこんな姿をしているのだろう――
……こうして、鬼には形が与えられた。
そして我々は、鬼というフィルターを通して当時の人々を知ることができるんだ。これが妖怪学だよ」
どうかな? と祁答院は私の顔色をうかがう。
問題ない。まだ私も基本は憶えていたようだ。つくねを食べ終えて首を縦に振ると、頷いた祁答院は懐かしむように言葉を紡ぎ出していく。
「では本題に入ろうか。あの調査は本当に思い出深いよ。なにしろ本物の龍神様が現れて、私はと言えば探偵の真似事までするハメになったんだから。まあとにかく。我々が調査に行ってきたのは三ヶ月前。お盆の頃だ。あの日はまず昼過ぎに大学を出発して……」




