Ⅲ章 邂逅「情報より導かれる仮説とその裏付けについて」⑨
「……おい、オマエ人の話を聞いてるのか?」
これまで沈黙していた石和をただの黙秘だとカン違いしていたらしい前園が、ここでようやく気付いて静かな怒声を上げた。
石和のそれは普段とまったく変わらないとぼけ顔だったので、初対面に近い前園が分からなくてもムリはない。石和が「聞いてませんでした」あるいは「さあ?」といくらでも意味が取れるように首をななめに振ると、息をついた前園はそれでもめげずに話し始める。
「じゃあもう一回、最初から確認するぞ。四日前の昼に帰省してから、一昨日の朝までの行動を、もう一度くわしく説明しろ」
「………」
「お前の家にあった脇差は、どこにいったんだ? 犯行に使って、捨てたんじゃないのか?」
「………」
「犯行現場から採取した足跡とお前のスニーカーの足跡は、ピッタリ一致したんだぞ? それについてもういちど説明しろ」
前園の手元には、先ほど石和が脱いで提出したスニーカーと、現場で採取された二つの足跡のデータがある。それは石和の目から見ても同一のものだった。だが、
「その辺についてはもう話したでしょ。その通りですよ。それとそれ聞くの、もう五回目です」
前出した質問も含め、すでに一回説明している事項だ。話す義理はないと石和は視線を遊ばせる。
「確認だ。いいから話せ」
それでも前園は食い下がった。彼としては、話させなくてはならないのだ。それに石和が嘲りの意図をたっぷり込めて鼻を鳴らすと、前園はさらに身を乗り出してくる。
「おい。オレは話せっつったんだ」
「………」
「話せよ!」
ついに激昂した前園が、席を蹴る勢いを利用してデスクを叩く。プラスチック製の使い捨てコップがジャンプし、倒れて中のお茶をこぼした。
「刑事さん。ワリいけど、俺も少しは知ってんだ。こっちのこと世間知らずのガキだと思ってバカにしてるでしょ? 容疑者に何度も同じことを訊いて、矛盾点が出たらそこを徹底的に追求する。取り調べの常套手段です。そんくらい、俺だって知ってますよ」
緑色の液体がデスクに拡がり、縁の段差でかろうじて止まったのを確認しながら、斜に構えた石和は怜悧な分析を披露する。
「ち……よく知ってるな」
彼が見せる余裕は、前園にとってもおどろくべきものだった。
取調室という空間にあって、正常な思考を保てる一般人は少ない。初めて入る場所への不安や緊張、狭い空間がもたらす圧迫感、延々と繰り返される質疑応答に、たいていの人間は錯乱状態へおちいる。そこへ石和が話した通りの要領で質問を繰り返せば、証言には絶対に食い違いが出てくるのだ。
むろん個人差はあるし、それは単なる言い回しの違いなど、ささいなものでしかない場合も多い。が、微に入り細に入り質問していけば、一つ一つの出来事をこまかく憶えている人間などいないため、かならず矛盾が生じる。それを糸口に混乱させて真実を引き出すのが、尋問の常道なのだ。
これに対抗するため、黙秘という手段も存在する。ただ、関係ない話からいつの間にか本筋へ話を引き込むというテクニックもある以上、素人が知っていたとしてプロ相手にいつまでも黙りおおせるものではない。
「最近は、情報が簡単に手に入りますからね」
だが、チンピラのような笑みを浮かべる石和の態度は、たとえは悪いが熟練の犯罪者のそれだった。
「ふん。じゃあ質問を変えようか。お前から見た仁科政義はどんな人間だったんだ?」
想像以上に手強いガキだと感じた前園は、手順に沿って遠回りする。
「親父が死んでからは、俺と姉の後見人ですよ」
「それは分かってる。お前の印象が聞きたいんだ」
「うん……。なんつーか、典型的な土方のオッサンですね。ガンコで、情にもろくて、暑苦しい。嫌いじゃないすけど、苦手って感じです」
「個人的な怨恨はない。そう取っていいんだな?」
「ないですよ。むしろ感謝してるくらいです。親父が借金遺して死んだとき、大学除籍寸前だった俺を助けてくれたの、叔父さんでしたから」
「にしちゃあ、感謝とか悲しいとかいった気持ちが、まったくお前から伝わってこないんだが?」
「そりゃ性格です。しかたないでしょう」
石和にとっては、真実そうとしか答えようがない。感情をいちいち面に出す方が、世の中をわたっていく上で損なのだから。
「じゃあ、保険金の受け取り。お前は知らないと言ったが、なぜお前なんだ?」
「んなの、俺ァ知りませんよ。叔母さんか、死んだ叔父さんに聞いて下さい」
知ったこっちゃないと嫌味を天井へ吐き出す石和に、誘導していたつもりで自分が弄ばれていただけと悟った前園は肩を震わせる。
「口のへらないガキだな……」
「理屈で考えて、もの言ってるだけです。ハラが立つのは刑事さんの責任でしょう」
さらに石和は挑発する。頭の一つでも小突かせれば自分の勝ちだと目算しての言動だ。
「オレは保険金の受け取りについて、お前がどう思ってるか聞いたんだ。それなら答えられるだろ?」
だが、さすがにここまで見え透いた手にかかるほど前園も単純ではない。眉を軽く動かしてかわしつつ、逃げ道を封じ込めにかかった。
「そりゃ、感謝してるに決まってるじゃないですか」
あっさり逃げられるのは、役者の違いというより前園の自爆だが。
「……それもそうだな。じゃあ、これについてはどう考える? なぜ相続人は社会人の姉じゃなくて、お前なんだ?」
「さあ? それこそ叔父さんか叔母さんに聞かないと分かりませんよ。しいて言えば、叔父さんは昔気質の人だったから、相続は男とか、んなモンじゃないっすか?」
事実、石和にも分からない。どころか、仁科以外のだれにも分からないはずだ。これは現国のテストによくある〝その時の作者の心情をのべよ〟という設問と同じ。第三者がいかに推し量ろうと、本当のところは本人しか知り得ないだろう。切々と愛を歌い上げながら、内実は「こんなこと思っているわけねーだろ。バーカ」と考えているかもしれないのだから。
「うん……」
もっともな意見に、前園は返事の最後を濁す。新たな糸口を考えているのだろう。
と、黙考し始めた前園に水を差すようなタイミングで折田が入室してきた。
「失礼します。トクヤマ先輩、ありがとうございました。交代します」
記述役を務めていた壮年刑事が声をかけられて退出していく。
「石和薗生はどうだ?」
代わりに席へ座った折田が記述に目を通し始めると、やおら席を立った前園は折田に小声で話しかけた。
「……ビックリするくらい、こっちと同じことを言ってますね」
狭い室内だ。おまけに片方は地声がでかい。石和が特に聞き耳を立てなくても聞こえてくる。内容――姉も別室で取り調べを受けているという事実――に関しては耳を塞ぎたくなるものだったが、集められる情報を集めておかねばと石和はことさら聞いていないふりをしながら耳をすませる。
「口裏を合わせている可能性は?」
「さあ……」
「違うのか?」
「なんとも言えません。ただ、他に有力な容疑者はいませんし」
「……そうだな。オレはちょっと席を外す。留守番しててくれ」
短いやり取りを終え、前園がタバコを吸うしぐさをしながら部屋を出て行った。
会話の内容から推察するに、自分の取り調べは長期戦になるだろう。当面は帰れないのかと石和がおおきく伸びをすると、イスへ後ろ向きに座り背もたれに両腕を乗せた折田がキャスターを利用して石和に近寄ってくる。
「ねえ石和君。一つ訊ねたいことがあるんだけど?」
もの問いたげな視線に、前園のような威圧感はない。どちらかといえば、質問をすべきかどうか迷っているように石和には見えた。
これまで石和が見聞きしたかぎりで、折田は常にこのようなキャラだ。ただ、かいま見える頭脳の明晰さは前園以上に警戒すべき人物。加え、こういった尋問で相手から情報を引き出せるのは、北風と太陽の寓話に例を取るまでもなく、押しが強い人間より柔軟な人間。それを知る石和は、心持ち体を強張らせて無言を押し通した。
「ああ、捜査には関係ないことなんだ」
それを即座に見て取った折田は、あわてて手を振る。やはりこちらをよく観察している、とますます警戒を強める石和に折田が続けた言葉は、石和にとっておどろきに値するものだった。
「君の先生のことなんだけど。……あの先生、変な生き物を連れてないかい? なんか犬っぽいヤツ」
「刑事さん、アンタ」
石和は横を向けていた体を正面に向ける。思わずデスクについた手から、こぼれたお茶の不快な感覚が伝わってきた。
「折田だ」
ハンカチを取り出した折田が訂正する。受け取った石和は、拭きながら反射で思いついたことを口にした。
「ああ! だからのび太なんだ、アンタ」
「……君、ずいぶんズバッと言うね」
「ひょっとして気にして……ますね。その反応は。スンマセン」
背もたれから腕を滑り落とした折田に、石和は憐憫を押し隠しながらあやまる。相当に痛いところらしい。ほぼ初対面の年下にまでそう呼ばれれば、男として確かに傷つくだろう。
「いいよ。半人前なのは事実だしね」
ズリ落ちたメガネをかけ直し、乾いた笑いを浮かべる折田は、それでもここ何日か抱き続けた疑問に決着をつけるべく言葉を続ける。
「で、どうなんだい?」
質問に、石和は返答を迷った。知ってもいいことは何もない。周囲から電波あつかいされるだけで、むしろマイナスだらけだ。折田の今後を考えれば、知らないと言うのが親切だろう。
「折田さんが言ってることは、正解です。アイツは俺のセンセに取り憑いてる犬神ですよ」
しかし、石和はそんな親切キャラではない。それに知りたいと言った相手に真実を教え、その情報を相手がどうしようが、それも石和の知ったことではない。なので、折田を困らせる意味で素直に教えた。
「やっぱり。ボクの頭がおかしくなった訳じゃなかったんだ。でも、なんであの先生に?」
「俺もあんまくわしくは。けど、ずうっと一緒にいるらしいすっすよ」
「じゃあ先生が言ってた、龍神が復活したってのは?」
「センセ、そんなことまでしゃべったんすか? ったく、ただでさえ行動が怪しいんだから、黙っときゃいいのに」
これは本音。一緒にいる人間のことも考えて欲しいという、石和の切なる願いだった。
「やっぱり、本当なんだ」
「嘘みたいな、マジ話ですよ。今んとこ暴れる気配はないですけど、すげえ情緒不安定っぽいすから、一歩まちがえりゃドカン、ですね」
「……爆発したら、どうなるの?」
怖い。けど、知りたい。まるで怪談話で盛り上がる中学生のような顔で折田は問いかけてくる。
「さあ? けど、たぶん伝承通りになるでしょうね」
としか石和には言い様がない。彼には霊感こそないが、この世ならざるモノたちへのありあまる知識がある。その知識から導かれる結論は、一つなのだ。
折田がごくりとツバを飲み込むのを確かめ、石和はトンデモ話に決着を着けるべく言葉を紡ぎ出す。
「おどかしついでに一つ、おもしろいおとぎ話をしましょうか。伝承ってのは、事実ではなく、言い伝えられていることが大事なんです。多くの人が、そうだと思っている。それが空想にリアルの力を与える。もし妖怪とかが本当にいるんだとしたら、アイツらはまさにそういう存在でしょう。だから……」
ここで石和は言葉をいったん切り、たっぷりのためをもってオチを宣告した。
「いると思ってる人には、見えるらしいですよ?」




