Ⅲ章 邂逅「情報より導かれる仮説とその裏付けについて」⑦
湯飲みをみつめて静止していた祁答院に、有川が胡乱げな声をかけてきたときだった。
「む!」
古砥部がピクリと耳を動かしたのは。
二人も会話をやめ、聞き耳を立てる。聞こえてくるのは、空ぶかしするエンジン音。どうやら石和家の玄関先へ侵入した車が駐車しようとしているらしい。それが停止すると今度は玄関扉をガラガラと引く音が響き、まもなく喪服姿の石和が居間へと入ってきた。
「ただいまー」
「あれ、修二?」
今晩は仁科政義のお通夜。帰ってくるはずのない男の帰宅に、有川は疑問の声を上げる。次いで、目を丸くした。
「お邪魔します」
「失礼しま、うわ、またいるし!」
前園と折田。対照的な刑事二人の登場に、有川は目をそちらへ固定したまま訊ねる。
「えと、お通夜は?」
「刑事さんたちが一刻も早く確かめたいことがあるってんで、抜けてきた」
ポーカーとぼけフェイスを保つ石和の返答に、剣呑(けんのんな雰囲気の前園が「そうだ」という視線を有川によこした。
「じゃあ刑事さんたちは、その辺で待ってて下さい」
ぶしつけな態度が自分以外の人間へ向けられることへ、さすがに不快感を覚えたのだろう。石和は顔をしかめながら隣の部屋へと消えていく。
「……何かあったんですか?」
隣室で石和が何やらごそごそ動き始めるのを確認し、祁答院は口を開いた。
「悪いが話せない。我々も見るもの見たらすぐ帰るから、先生は研究にでも精を出しててくれ」
横目でにらむ前園は、部屋の様子で祁答院が何をしていたかを即座に判断したらしい。ケンを売るような口調で会話を打ち切った。
それきり全員が沈黙し、それぞれが何をするでもなく所在なげに視線を空へさまよわ始める。祁答院たちは招かれざる客の訪問に面食らい、いまだ事情も分からないこの状況にどう対処すべきかを模索していたからだし、前園たちは前園たちで自分が他者の平穏を乱したことに自覚があり、にもかかわらず事情を話す以外の話題を持たなかったからだ。
はっきり言って、居心地が悪い。
それが、この場から立ち去る理由を持たない全員が抱いた感想だった。
「おっかしいな。仏間に置いといたはずなのに……」
ゆえに、いつもの調子で頭をボリボリかきながら戻ってきた石和へ、全員の目が集中したのはムリもなかった。
口を開いていいものか。そんな空気に支配された場に一石を投じたのは、もっとも蛮勇に優れる男。
「なんで手ぶらなんだ」
持ち前のだみ声に低音の磨きをかけ、前園が威嚇する獣のように唸る。
「いや、見つかんなくて。ちょっと待って下さい。電話して姉に聞いてみますから」
それを軽く手で制した石和は携帯を取り出す。履歴から素早くコールし、この場にいる全員がやけに長いと感じるわずかな時間が流れた後、話し始めた。
「……もしもし、姉貴? 仏間に飾ってあった脇差って、どこ片付けた? ……え、置きっぱなし? 動かしてない? ……うん、分かった。じゃあ」
「ないのか?」
さらに低音。通話を終えて携帯をしまう石和に、もはや暴力に等しい前園の詰問が迫る。表情は、敵へ向けて突進せんとする猪のそれだった。
「んな、怖え声出さないで下さいよ」
「ないんだな?」
「ええ、見当たりません。ちょっと待ってて下さい。も一回探してみますんで」
それすら軽くいなし、いつもの調子を崩さない石和に対し、前園がかねて用意の宣戦布告文を叩きつける。
「いや、いい。石和修二、悪いがお前は仁科政義殺害事件の重要参考人だ。署までご同行願おう」
「―――」
部屋が不意に暗くなったように感じられたのは、はたして祁答院の錯覚なのか。
ふたたび舞い降りる沈黙に全員の様子をうかがえば、蛍光灯の光の下で石和と有川の顔が白くなっているのが分かる。肌寒さを覚えた祁答院は、熱を求めて湯飲みに手を伸ばした。茶を一口飲む。それは、とてつもなくぬるかった。
「ちょっと、どういうコトですか?」
ことり、と。湯飲みがちゃぶ台に置かれる音が妙に大きく響いたとき、いぜんとして絶句したまま目を見開いている石和をかばうように有川が割って入る。
「部外者には話せない」
正当な、しかし無情さしか感じさせない前園の返答。
「俺も納得いきません。説明をお願いします」
その有川の肩に手を置き、石和がふたたび前へ出た。彼の目もようやく感情を示し、怒りもあらわに前園をにらみ返す。自分に向けられるべき物を他者へぶつけた外道に対する、正しい怒りだった。
「それは署でする」
しかし前園はあまたの凶悪犯を相手にしてきた男。たかが小僧二人の徒手空拳に等しい抵抗に揺らぐはずもない。自由業の人間さえ震え上がらせる武闘派デカの目は、二人の口を恐怖で凍らせるには充分だった。
「あー、刑事さん」
ここで、ひとり冷静に状況を把握しようと三人を見守っていた祁答院が口を挟んだ。このやりとりに、ようやく付け入るスキを見つけたのだ。
「先生も部外者だ。口出しは遠慮願いましょうか」
むき出しの敵意を自分へも走らせる前園に、祁答院は自信の笑みで応じる。
「令状の提示も説明もなしに、強制連行ですか。違法捜査ですね」
「……拒否するなら、公務執行妨害をつけてもいい」
「今の状況を私が弁護士に証言すれば、あなたを罪を問うことができます」
祁答院はさらに唇の端を上げ、自らの笑いを追従した。
理路整然としたそれを挑発と受け取る一方、場にさらした札では反撃不能と見た前園は、くやしげに舌を打ちつつ新たな手札を切る。
「……なら、ここで説明してやる。だがその前に、まず質問だ。石和修二、おとといの午後十一時から昨日の午前一時までの間、どこで何をしていた?」
「え……。気分が悪くて、部屋で寝てましたけど」
「一人か?」
「そりゃ寝てるんだから、一人ですよ」
「じゃあ、アリバイはなしだな?」
「……そうなりますね」
「説明しろ」
祁答院と石和を交互ににらみすえたまま、前園が話とアゴを折田に向ける。と、ようやく自分の出番を得た折田がメガネを光らせながメモをめくり始めた。
「はい。まず石和修二君。君のお父さんである石和隆史さんは、三年前に病死しているね?」
「……その通りっす」
「隆史さんは生前、証券取引に失敗、三千万の借金を遺している。その負債は、相続人である君に引き継がれた。まちがいないね?」
二度目の衝撃が、走った。
初めて聞く話に祁答院と有川がおどろきの目を石和に向け、前園がその二人へ「どうだ」と言わんばかりの眼差しを送る。各自それぞれの思いを乗せた視線が居間を交錯する中、
「ち、そうですよ」
渦中の人物である石和は、祁答院達に事実を知られたことに顔をゆがませながら肯定した。
頷いた折田は説明し続ける。
「仁科さんの家は去年、長女、ようするに君の従姉が交通事故で死んでいる。今回の事件で政義さんが殺され、残るのは隆史さんの妹にあたる、妻のみすずさんだけ。そうだね?」
「んなの、当たり前でしょ」
「仁科政義さんには、生命保険が二つ掛けられていた。そのうち一つの受取人が、死んだ長女から君に切り替わっている。金額は、三千万」
「……そりゃ、初耳っすね」
石和の声にもおどろきが混じった。本人も知らなかったらしい。
ただ、彼以外の全員にその真偽は分からない。仮に姉の薗生や仁科の妻であるみすずなど、周囲の人間が勝手にやったことで石和には伝えていないと証言しても、石和がだれにも知られずに知ることは容易。石和の言葉が真実だとの証明は不可能だ。誰にも確かめようがない。
嘘か、真か。祁答院達が問いを無意味と悟って沈黙する中、
「事実だ」
それのみがすべてである――前園は厳然と告げた。
言葉尻を継ぎ、折田がさらに状況証拠を列挙していく。
「そしておとといの晩。仁科政義さんはドスあるいは日本刀と思われる凶器で刺殺されました。凶器はまだ見つかっていません。ですが仁科さんの知り合いの中で日本刀を所持しており、なおかつその所在が不明となっているのは、石和修二君と薗生さんの二人だけです」
「………」
「そして、これが薗生さんを疑わない理由となります。石和君、君の靴のサイズは?」
「……二十六・五センチっす」
「犯行現場で採取された犯人のものと思しき足跡は、二十七センチのスニーカーです。メーカーによっては二十七センチのスニーカーも履きますね?」
「まあ、そうっすね」
「さらに君は、犯行当日の夕方に帰省してきた。保険が切り替わってからは初の帰省だ。ここまで、何か疑問点はありますか?」
「……ねえっす」
「以上の点について、石和君には署で詳細な説明をお願いしたい」
「これで拒否するなら、公務執行妨害だ。来てもらえるな?」
王手、と。勝ち誇る前園の言葉は、どちらかといえば祁答院に向けられていた。
祁答院はにらみ返す一方、起死回生の手を模索する。が、周到な準備の上でこの場に臨んだ前園たちとは差があり過ぎた。石和が犯人でない証拠があるせよ、発見する時間も思考を整理する時間もない。
「……分かりましたよ。行きゃいいんでしょ、行けば」
打つ手なし。祁答院が敗北を認めて目を閉じると、タイムアップを宣告するように石和がさっさと歩き出した。続いてまだしも丁寧に折田が付き添い、最後に前園がけれんみたっぷりな流し目を残して退出していく。
三人が呆然と居間に立ちすくんでいると、玄関から石和の声が響いた。
「にしきー。姉貴も葬式の手伝いで戻れないから、ワリいけど家事とか頼むわー」
いつもとまったく代わらない調子の声は、心配するなという彼なりの心配りだろう。なんともしまらない捨てゼリフに続いて玄関を開け閉めする音が聞こえ、まもなく始動したエンジン音が石和家から遠ざかっていった――




