序章 手記~とあるレポートについて②
今回、ようやくレギュラー陣が初登場します。本気で前フリ長いな……
舞台版でも大活躍(?)した彼女たちの非道っぷりをご堪能あれ。
あと半分。息を整えるために立ち止まる。
ふと振り返れば、眼下には東北随一の美しさと謳われる実岡の街並みが拡がっていた。
中心街からやや離れた場所には小高い丘があり、壮麗な天守閣も建っている。あれがご当地の英雄である戦国大名の城。その全景をカッコいいと思ってしまうのは、地元びいきな私の色メガネだろうか。男伊達だったと伝わる大名の威風を偲んでいるのかもしれない。
そうそう。カッコいいといえば、祁答院は相当なカッコつけだ。
外見は男女問わず美形と言わせるほど完璧だし、服のセンスだってかなりのもの。性格に関しても表面は温和で知的なキャラを保っている。わりとすぐ崩れるのが欠点だが、その裏には勇気と優しさがある。二枚目と三枚目を使い分けられる彼のよさと受け止めるべきだろう。それゆえに親しみやすいのだから。
ちなみに。
彼にはもう一つ致命的な欠点がある。これについては心ある友人としてあえて触れずにおくが。
それはさておき、前述した祁答院の特徴を考察するとかなり女性受けしそうな気がする。じっさい学生のころ、私は女性から彼との仲を取り持ってくれと何度も頼まれたことがあるほど。しかし大学時代から現在にいたるまで、彼の浮いた話は一つも聞いたためしがなかった。
『それどころではないのだよ。私には手のかかる相棒がいるからね』
理性的な瞳に親愛の情を込め、当時の彼はそう笑っていたものだ。
なつかしい。彼は今も変わらないのだろうか。
疑問には会えば答えが出る。気合を入れなおして歩き出した私は、しかしすぐに足を止めてしまった。
原因は周囲にただようただならない気配。
神経を研ぎ澄まし、あたりの様子をうかがう。あきらかに好意ではない。かといって、敵意とも少し違った。あえて言うなら、獲物を狙う肉食獣の気迫、がもっとも近いイメージか。
理由も正体も分からないまま、私はおそるおそる気配を感じた方へ顔を向ける。
その先には高さ二メートル、直径はゆうに八メートルはあろう巨石があった。
この岩の名前は、通称「てっぺん岩」。しめ縄が巻かれているのは大学の守り神として扱われているせい。学生同士の待ち合わせにも使われ、近辺では怪奇現象が絶えないと大学七不思議の一つにも数えられる名物だ。
ただあたりに人気はなく、それ以外の物も見当たらない。さすがに石はにらまないだろう。気のせいだと片づけて先を急ごうとしたとき、私は視界のはじに犯人を見つけた。
岩の陰。外見は十歳くらいの男の子、ではなく女の子――鼻っ柱の強そうな顔をしているので、パッと見は男の子に見える――が、小首をかわいく傾げてこちらを観察していた。
姿を確認した私はゴクリとつばを飲み込み、思わずあとじさる。
いかに私が格闘経験のない文系人間とはいえ、たかが武器を持たない女の子ひとり。恐れるに値しない。それでも私が恐怖した理由は、彼女の正体を知っていたから。
彼女の名は古砥部。祁答院に取り憑いている犬神である。
犬神は、犬神に限らず神や妖怪の類は、本来その姿を見ることができない。当たり前だ。ではなぜ私は見えるのか。問われてしまうと、生まれつきとしか答えようがない。これは見鬼という能力らしい。とにかく見えてしまうのだ。
しかし私にはそれ以上の力、たとえばお祓いしたり退治したりできる特殊能力はなかった。ほしいとも思わないが。だいたい、そんな力はタブロイド紙ならとにかく一般紙の記者として生きていく上でまったく役に立たない。唯一の恩恵は、古砥部が見えたがゆえに祁答院との仲が続いているくらいだろう。
また、私の耳学問を披露すれば、犬神は狗神または隠神とも表記し、人に憑依する犬の霊である。伝承に伝わる代表的な姿は体長二十センチ程度。体にまだらがあり、尾の先端が分かれているという。
私は改めて古砥部を観察してみる。先ほどの知識がほとんど当てはまっていなかった。人型の彼女は藍色の狩衣をまとい、下はすね丈の袴に裸足。将来はきっと有望であろう貌には、まるで歌舞伎役者のような赤い隈取りが施されている。
そして、きれいな茶――キツネ色をした髪からぴょこんと飛び出た、柴犬のような耳。私が知る七年前と寸分違わない容姿をしていた。
おそれることはない。古砥部とは知り合いじゃないか。
私は自分にそう言い聞かせ、ひさしぶりと声をかけながら一歩進み出た。しかし古砥部は私にチラリと一瞥をくれるだけ。プイと元の場所を凝視し始める。どうも忘れ去られているらしい。それで悟った。古砥部の目は、私を捉えているのではないと。
私は一回二回と首を交互に傾げる古砥部――見た目のかわいさにたまされてはいけない。あれは肉食動物が獲物を狙うとき、音を聴いて距離を測るための動作だ――の視線を追う。
到達点は私の手元。そこには、他ならぬ古砥部への手みやげにと用意した「焼き鳥つめ合わせ」入りのビニール袋が握られていた。
ビニール袋を右へ、左へ。つれて古砥部の顔も右へ、左へ。
間違いない。狙いはこれだ。つい調子に乗った私は、「お預け!」といってみる。
「………」
これは失言だった。古砥部の顔色はみるみる変わり、目には剣呑の色が宿っていく。
しまった。古砥部は犬扱いすると怒るんだったな。
思い出した私はあわてて謝り、ビニール袋を差し出……そうとした瞬間、反射で引いた腕にするどい痛みが走る。続いて通り過ぎた風の進行方向には、先端が割れたしっぽと髪をなびかせて猛然と走り去る古砥部の後ろ姿があった。
私はあっけにとられて見送ったあと、手が妙に軽くなっていることにも気付く。焼き鳥入りのビニール袋は、取っ手部分を残してなくなっていた。
気分はまるで、針ごとエサを取られた釣り人状態。単なるゴミと化したビニールをポケットにしまい、ついでに上着のソデをまくって痛みの元凶を確かめる。かみつかれたらしい。腕にはくっきり歯形が残っていた。
そう言えば、犬神の力は呪詛。呪われ、取り憑かれた人間は災難にあって財産を失ったり、犬憑きと呼ばれる病気(症状は狐憑きとほぼ同じ)になって死ぬこともあるという。そうやって命を落とした人間には、体のどこかに必ず犬の歯形が残るらしい。
災難にあって財産(焼き鳥)を失う。被害者の体に歯形が残る。ある意味で正解か。
また、犬神使いには二通りのケースがある。
生きている犬を残酷な方法で殺して犬神にする単発の使い手と、家系――いわゆる犬神筋の人間に遺伝(?)で伝えられるケース。祁答院は後者だ。
ともあれ、行こう。
私はため息をつき、トボトボ歩き始める。
と、すぐに後ろから声をかけられた。
「あの~、すいません。ケガ、しませんでした?」
振り向くと、申し訳なさそうにした女の子がいる。歳は二十歳前後で、白いニットの上衣に細いデニムというさっぱりした外見。ここの現役生だろう。
私は驚き、大丈夫だと手を振りながら彼女に訊ねた。彼女の発言は先ほどのやり取り、すなわち古砥部が見えていなければ出てこないからだ。
「私もよく解りません。でも見えるものは見えるんだから、それでいいじゃないですか」
彼女はおそらく本来の持ち味であろう魅力的な笑顔で答えてくれ、私が古砥部を知っており、その相棒、祁答院の友人であることや、今日は彼を訪ねてきたことを告げると、彼女は案内も買って出てくれた。
私はありがたくお願いし、連れだって歩き始める。
「センセにもちゃんと友達いたんですね」
辛らつな中にもどこか親しみがこもった物言いをする彼女は、有川にしき。人類文化学科の三年で、祁答院ゼミのゼミ生だと自己紹介してくれた。
「それにしても、古砥部ってホントに犬神なのかな? 私はそういうのくわしくないし、犬神っていうのも自称ですからねー」
笑いをかみ殺す有川の言葉は、私にもなんとなく理解できる。
古砥部の第一印象はオオカミ少年かイヌ少年。呪いや災厄を人にもたらすと言われる犬神本来の恐ろしさをまったく感じない。実害を受けた私からして、他愛ない子供のイタズラくらい大目に見よう、程度にしか思っていないのだから。
「でもそういうの抜きにして、古砥部はホントかわいいと思いません? いつも元気いっぱいなのに、イタズラを注意したらシューンってなっちゃうし。こう、思わずギューってしたくなっちゃうくらい」
それは有川も同じのようで、小動物と子供の一体化というある種の魔術めいた魅力に完膚なきまでやられてしまっていた。
二人で世間話をしながら下る遊歩道の向こうに目指す建物が見えてくる。記憶よりさらに古くなった四階建ての校舎。人類文化学科が入る十三号棟だ。入り口のわきには大学のマークが入った白いワンボックスが停まっており、後部ドアが開け放たれている。資料の搬入作業だろう。そばにはやはり学生らしき青年がいて、やる気ゼロといった様子で台車に段ボール箱を積み上げていた。
「修二おはよー」
顔見知りらしい有川が、ボサボサ頭にしわくちゃのシャツ、カーキ色のカーゴパンツをはいた、いかにもしょっぱいその青年に声をかける。
「にしきか。これ運ぶの手伝ってくれ」
「やだ。だって見るからに重そうじゃん、それ。それより人があいさつしてるんだから、ちゃんとあいさつで返してよ」
「……へいへい。はよっす。んじゃ、これ手伝」
「やだ」
これだけで力関係が分かるやり取り。身もフタもない有川の返事に、修二と呼ばれた青年はぶぜんとした表情で作業を再開する。
それを見た有川はさすがにかわいそうだと思ったのか、
「いまセンセを訪ねてきたお客さんの案内をしてるから、あとで手伝ったげる」
と彼の背中に告げた。
先ほどの件といい、根は親切な子だと私は感心したのだが、青年の様子はおかしい。手を止めて有川を疑惑の目で見ている。
彼女はそれを気にせずくるりと踵を返し、
「ランチおごってくれたらねー」
邪悪な笑みからくり出す捨てゼリフと共に、すたすた建物に入ってしまった。
私は青年、おそらく石和修二君に内心で合掌しつつ、有川のあとを追う。
二階に上がって長い廊下を歩く途中、私はあることに気付いた。リノリウムの床を、小さな足跡が同じ方向へ向かっている。しかも裸足で泥は生乾き。答えは一つしかない。はたして足跡は有川が立ち止まった地点でドアに吸い込まれて消えていた。
そのドアにはゴチャゴチャと貼りものがされている。
まずネームプレート。「研究室No.13 祁答院晶」とある。十三号棟の13号室。偶然なのか狙ったのかは分からないが、ここまでこだわれば、いっそ清々(すがすが)しい。
もう一つ。「猛犬注意!」のプレート。よくホームセンターで売っているアレだ。下には有川が描いたらしい、古砥部が毛を逆立て「シャギャー!」と警戒しているラフスケッチが張り付けてあったりする。
他にも、こんな文書があった。
祁答院ゼミ 三ヶ条の心得!
一、古砥部と仲良くしよう!(存在を否定したり犬扱いすると怒ります。呪われたり、かぶりつかれたりするので注意! 肉をお供えすると効果的。ドッグフードは物によって。不味いと逆上するので要注意!)
二、先生に対して「変」あるいは「変態」と言わないようにしよう!(激しく取り乱します。おもしろいので、あえて言うのは可。そのさい発生する周囲からの誤解と気まずい空気、および先生が終了後にやる露骨なごまかしは笑顔でスルーして下さい)
三、恵まれない先生に愛の手を!(古砥部の破壊活動により、学内における先生の立場は非っ常~に危うくなっています。ホントはどうでもいいけど、路頭に迷わせるのはさすがにかわいそうなので、みんな協力しましょう )
……私があえて触れなかった祁答院の欠点は、二番あたりで学生たちにもバレバレのようだ。愛されてはいるようだが、もてあそばれてる感もかなり漂っていた。
ノックを二回。「失礼しま~す」と言いながらドアを開ける有川に続き、研究室に入る。八畳間の空間は、およそ三分の二を林立する本棚に支配されていた。残りのスペースには、安っぽい応接セットと昔なつかしいねずみ色をしたスチール製のデスクが置かれている。
焼き鳥の香ばしい香りに包まれた室内には二つの人影があった。
小柄な一人は応接セットのソファに腰かけ、一心不乱に何かをむさぼり食っている。たぶん焼き鳥祭りだ。
もう一人の男性は、デスクのへりに腰を預けて本を読んでいる。いずれも窓からの光が逆光となり、ここからでは容姿が分からない。
「センセ、お客さんを連れて来ましたよ~」
声を張り上げる有川に促され、私は部屋の中ほどまで進んだ。
「やあ、君か。待っていたよ」
気付いた友人は腰を上げ、姿があらわになる――
お約束通り、主人公はまだ登場しませんでした!
その分、次回の彼は恐ろしくしゃべります! 舞台版では真っ先にカットした、原稿用紙換算で三枚以上の長ゼリフにこうご期待!




