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Ⅱ章 事件「情報収集およびその成果について」⑫


「そうだ! あやまれ!」


 古砥部ことべの絶叫を最後に、居間には沈黙が訪れた。

 後頭部をさする石和に、グーにした両拳をボクサーみたいに胸の前で掲げてにらみ上げる古砥部。有川も振っていた手を静止させている。


 祁答院けどういんは一つせき払いをし、状況を打開すべく口を開いた。


「……古砥部は石和いさわ君に謝れと言っている」


「……分かりましたよ。古砥部、悪かった」


 不本意だ、と顔で言う石和は思い切り古砥部に背を向けて頭を下げる。


「そっちじゃない!」


 と古砥部が両手を突き上げて存在を主張しているが。


「これでいいんでしょ?」


 ふり向き、石和は祁答院に確認を取る。


 なんと答えたものか。半笑いで応じる祁答院に、


「センセ、これは回収しない方が楽しいと思います」


 有川ありかわからは毒しかないアドバイス。


「二人とも、なんすかその態度は?」


 対し、自分がバカにされていると悟った(だれにでも分かる)石和は、怒りを閉じ込めた冷たい目で二人を見回した。


「ちゃんとあやまれ!」


 その間も古砥部は地団駄じだんだを踏んでいる。いまや石和家の居間にただようゆるい空気は最高潮に達していた。


「しかたないな。有川さん、頼む」


 このままでは研究が前に進まない。祁答院は休み時間終了のチャイムを鳴らすよう学級委員にお願いした。


「分かりました。ほら古砥部、こっちおいで」


 ほほえむ有川の手招き。親鳥の呼びかけに、古砥部はトテトテと彼女の腕の中に収まる。


「はい修二。いま私の前にいるから、もう一回」


「……悪かったよ」


「うむ!」


 古砥部が満足顔にうなづき、一件は落着した。


「よし、作業を再開するぞ。有川さんはこれを頼む」


 祁答院は出席簿で教卓を叩くように手を打ち、授業へもどろうとする。

 付き合ってられねえ。石和がつぶやきながら座布団に着席する中、


「あの、センセ」


 あたえられた課題を開いた有川から、おずおずと手が挙がった。


「どうした?」


「これ、読めません」


「やぶけているところは拾い読みしてくれてかまわないぞ」


「そうじゃなくて。こんなミミズがのたくってるようなの、読めないってコトです」


 祁答院は有川の手にある本をのぞきこむ。


 そこには、格調高い手蹟で筆記された草書体の文章があった。年代は比較的新しいのだが、それでもダメな人間にこれはさっぱりだろう。


「……そうだったな。じゃあ石和君の計算を手伝ってくれ」


「分かりました。ってなに修二、その本の山は?」


 本を置いた有川は、石和を見るなりゲッソリした声を出す。


「これか? これはお蔵米くらまい吟味ぎんみ帳、これは勝手方かってがた御用金ごようきん帳、これはお納戸方なんどがた入用金いりようきん帳、これは物産ぶっさん取引分とりひきぶん調しらべ帳、で、こっちがお物成ものなり諸払しょばらもり帳だな」


「……暗号?」


「日本語だよ。いいから手伝え」


「この、オタクどもめ……」


 有川の発言は、もちろん祁答院も含む。ただ本が読めない以上、彼女に手伝える作業はこれしかない。無精ぶしょう無精ぶしょうといった手つきで有川が携帯を取り出して電卓モードにしたとき、祁答院の胸元でも携帯が着信を告げた。


 開いて画面を確認する。どうやら内緒で呼びよせた〝狂犬〟は到着したようだ。祁答院は全員にことわって席を外した。


 廊下を抜け、玄関から広い庭先へ。屋内の明かりをたよりに門の外へ出る。


 そこにいるはずの彼の姿はなかった。


 祁答院はムダなことをせずに待つ。気配の遮断しゃだんを得意とし、暗闇を味方につける彼を一般人が捜そうなど、徒労とろうでしかない。


 実際、


「お待たせしちゃったみたいですね」


 真正面に立つ八島やしま義影よしかげに、祁答院は声をかけられるまで気付けなかった。

 月夜に浮かぶその姿は、どういう原理かなかばが闇に沈んでいる。とらえ続けなければ見失いそうになる希薄きはくな存在感。そして裏腹な闘気は、静かにして見る者の嫌悪感を呼び起こさせた。


 なれていても体をおそう恐怖は、伊織神社で感じた無味無臭の恐怖と同じでありながら別種のもの。たとえるなら、龍神の怖さは願うあまりに壊れそうな自分を押しとどめる情緒じょうちょ不安定がもたらすものであり、彼の怖さは、すでに壊れているのに願いを追い求めるもの。

 分かりやすく言えば、目的のために人を殺しかねない者と、目的の前提ぜんていとして人を殺す者の差だ。冷静で行動にためらいがない分、義影が上とさえ言えた。


「……心臓に悪いから、気味の悪い登場の仕方はカンベンしてくれ」


 祁答院は凍り付いた口を強引に動かした。目の前の彼は、なんど会っても人間とは思えない。いったいどんな過去が、高校生の彼にこんな迫力をもたらすのであろうか。


「めだたないように来てくれってメールしたの、先生じゃないですか……」


 義影は心外、といった顔を作る。あくまでも作っているだけだ。彼が何を考えているか、うかがい知ることができない。


「そうなんだが……」


 祁答院はこまかい事情と、追加となる状況変化について説明する。

 そして、覚悟をもって告げた。


「今回、私は龍神の説得をこころみたい。あらゆる情報を整理すれば、その余地は充分にあると思う。あわせて八島君に依頼するのは、監視だ。それと、龍神があばれ出したさいの食い止め。これは……」


「先生が失敗した場合、ですね」


 イコール、祁答院もただでは済むまい。義影の顔がわらいのカタチにゆがんだ。


「そうだ。報酬ほうしゅうに関しては、いつも通りで頼みたい」


「日当一万円で経費は別。セカンドミッション発生時は、先生の生命保険で報酬の支払いですね。了解しました」


「あとは……」


「万一のさい、古砥部の引き取りですね? ウチは妖怪屋敷ですから、今さら一人ふえるくらいどうってことありませんが……」


「よろしく頼みたい。古砥部は嫌がるかもしれんが、な」


 かるい難色を示す義影に、祁答院は頭を下げた。


「了解しました。〝死力〟を尽くしましょう」


 気安い口調。だが、絶対の真実をただよわせる言葉を捨て、義影は背を向ける。

 できる、とは言わない。ただ彼がリスクに対して積む掛け金は、常に命。ゆえに信頼できるのだ。


 祁答院は義影を見送る。伊織神社へと遠ざかる彼の〝女影おんなかげ〟は、まるで別人のように悲しく動き揺らめいていた――

 



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