Ⅱ章 事件「情報収集およびその成果について」⑩
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あれから日没まぎわに奥村邸を辞去した祁答院は、石和と二人がかりで山盛りの古文書を石和家に持ち帰っていた。
「ふむ……」
居間を占拠し、ちゃぶ台に和綴じの本を所せましとつみ上げた祁答院は、手にした文書をのページをまた一枚めくる。
「センセー、茶ァー、淹れてきましたー」
そこへお盆に急須と湯飲みを乗せた石和が台所からもどってきた。
今晩はざんねんながら薗生の手料理はなし。夫を失い、子供もなく独り身となった叔母の家へ泊まりこみに行っている。本人は謝っていたが、祁答院としては心労のネタがへって胸をなでおろしている部分がなくもない。ただ、夕飯はわびしく男二人のコンビニ弁当だった。
「悪いな。そこへ置いといてくれ」
「ういっす」
石和はいかにもぞんざいな手つきで茶を淹れ、一つを祁答院の前に置く。祁答院が本に目を落としたまま手探りで湯飲みを手にすると、石和も一口すすりながらドカリと座布団に腰を下ろした。
「さて、と」
聞く者の脱力感をさそうかけ声を上げ、石和も作業に没頭していく。
昨晩のうちに読破した石和家の蔵書分もふくめ、研究は確実に進んでいた。
まず分かったのは、小兵太の父についての詳細。
名前は右馬之介で、やはり当初の仮説にまちがいはなく、奥村藩国詰め(地元勤務の意味。藩が所有する江戸屋敷で働く者は、江戸詰めと呼ばれる)の城方(内勤。外回りの者は郷方)役人だった。
役職は勘定所の検計方。現代風に言えば、会計課の検算係くらいに相当するだろうか。同様に小兵太は蔵所御蔵方の役人で、これはそのまま倉庫の管理係。いずれも下っぱだ。
なお、石和家の家禄は三十石。奥村藩が二万石の小大名である点を差し引いても、これは相当に貧乏と言える。
当時の侍たちの給料は米の現物支給で、それを換金して生活費にあてていたため、どのくらいの給与水準かと聞かれればその時の米相場にもかなり左右される。が、強引に推しはかれば年収七百万程度だろう。
かなり裕福なように感じるが、これは石和家全体に対しての給与。親兄弟が何人働いていてもすえおきで、働き手が二、三人ていどに対しての給料と考えれば、かなり安い。事実、収入が百石未満の家では内職に励むのが普通だった。よく時代劇で見かける浪人の傘はり、虫かご作りなどがそれで、中には複数の家で協力しあって農地を借り、みずから田畑を耕していた家もあったという。
さらに判明したのは、二人を殺した下手人である五郎左の素性について。
本名は須貝五郎左。禄は百石。役職は奥村藩剣術指南役で、これは言うまでもなく藩おかかえの剣術師範だ。
また、須貝家は代々奥村藩に仕えていた家ではなく、五郎左がどうやら事件の数年前にやとわれたらしいことも分かった。
当時の侍たちの就職は先述した通りに厳しいもので、浪人が就職しようと思ったなら、どこかへすでに勤めている家の婿養子に入るくらいしか手がない。この唯一とも言える例外が、剣術指南としてやとわれることだった。
江戸幕府は武士の軟弱化を防ぐため、たびたび武術奨励の命令を出している。これを受け、各藩ともきわめて少数ながら剣豪たちを探し求めていたのだ。もちろんなり手は無数におり、中には歴史に名をのこすような剣豪でも仕官できなかった例がある。それを突破した五郎左の腕と運は、推して知るべしだろう。小兵太の挑戦は、それを読み知った祁答院や石和の目から見ても無謀と映った。
また、伝説と直接の関係かあるかは不明だが、おもしろい点もいくつか判明している。
一つは石和家の家禄が伊織神社の管理を任されて以降、百石になっている点。
石和の家には小兵太の他に男子がなく、小兵太も当然ながら未婚なので子供はいなかった。ゆえにここで家系は途絶えているのだが、親類から養子を立てて跡目を継がせることで再興をはたしている。石和薗生、修二の姉弟はこちらの子孫となるわけだ。
もう一点は、小兵太が旅に出たさいに腰へ差していた刀について。
重代の家宝、相州五郎正宗の大小とあった。入手の経緯については不明で、推測としては先祖が戦場でひろった以外に考えられないのだが、にわかには信じがたい事実である。
鎌倉時代の伝説の刀工である正宗の刀は、日本刀の代名詞とまで言われる銘刀。当時ですら大名クラスの逸品だ。三十石取りの下級武士の家においそれと転がっている品ではない。
ある大名が正宗の短刀を購入したさい、七百二十両もの大金を支払ったとの記録もある。仮に一両を五万円として換算すれば、三千六百万円。これは行きすぎにしても、小兵太では逆立ちしても手が出ない高級品だろう。その剣をあえて持ち出した小兵太の、決意のほどがうかがえる。あとに続く者が存在しない以上、彼の仇討ちはまさに石和家のすべてを背負った総力戦だったのだ。その無念ははかりしれない。
「ん?」
二人して無言で資料を読み進める中、不意に石和が声を上げた。
「どうした?」
「いえ……たいしたことじゃないっす」
「見せてみろ」
ちゃぶ台に越しに顔を近付ける祁答院に、石和も腕を伸ばして本を示す。第七代藩主――奥村主計頭信雄と記されたすぐ下。
「ここ。城代家老、鹿神将監。めずらしい名字だし、あそこも昔っからここにある家だから、まちがいないっすね。鹿神さんちって、城代家老の家系だったんだ」
「ふむ……。おもしろいが、まあ関係ないだろ」
「ま、そうですね。……さて」
「石和君。次はこれを頼みたい」
手にしていた奥村藩士名簿を読み終えたらしい石和に、祁答院は山積みされた本の一角を指した。
「うげ。奥村さんち、そんな物まで保管してたんすか?」
石和はそれを見て露骨に顔をしかめる。
「ああ、あった。で、該当する年代の本はすべて借りてきた」
「それ、読むのは楽そうだけど、計算はそうとう時間かかりますよ?」
「かまわない。ひょっとしたら、数字が合わないかもしれない」
「へ? 合わないんですか?」
「そうだ。それも大幅に」
「どういうことです?」
「ああ、これは右馬之介闇討ちの真相に関する私の仮説なんだが……」
「ただいまだー!」
祁答院の小声は、途中で元気よく帰宅した古砥部の大声に阻まれた。
今回は祁答院と石和、二人による資料調査の報告ですね。
それにしても、説明長っ!
そして筆者のマニアぶりを見事に浮かび上がらせております。
まごうかたなき歴史ヲタ(爆)。




