Ⅱ章 事件「情報収集およびその成果について」⑤
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奥村警察署に戻った前園俊馬は、捜査課一係にある自分のデスクに寄りかかってタバコをふかしていた。
同僚達がオフィス――俗称デカ部屋をあわただしく出入りしているのは、間もなく署内の講堂に設置されるだろう仁科政義殺害事件特別捜査本部の下準備を行っているため。
殺人事件ともなれば、捜査に参加するのは所轄の警察署の刑事だけではない。県警本部の刑事一課からは本部長を務めるべく管理官が来るし、それ以下の刑事達もやって来る。機動捜査隊と呼ばれる県内広域捜査を担当する連中も来れば、犯罪の形態に合わせてさらにいろいろやって来る。外国人がらみなら組織犯罪対策二課、暴力団がらみなら同四課、銃器や薬物がらみなら同五課、といった具合に。
こうして集まった刑事達が一堂に会し、よくドラマである捜査会議が開かれる。実際にはあんなきれいな会議場がある警察署などめったにないが。
「ふん……」
周囲に一瞥をくれた前園は、ぶかりと煙を天井に吐き出しながら鼻を鳴らした。
喧騒に包まれた署内の空気は、まるでお祭りの準備に奔走しているような、どこか楽しげな活気を呈している。これから始まるやりがいのある仕事に心を躍らせているのだろう。
(気に入らんな。何年もこの商売やって来て感覚がマヒしちまってるのは分かるが、人が殺されたんだぜ? もう少し感情を隠せよな)
彼らとて、もちろん表ではしおらしくしている。これは内部の人間にしか見ることができない彼らの素顔だ。
内心で毒づく前園がちろりと横目で開け放されたドアの外をながめると、カタギにはとても見えない連中――マル暴と呼ばれる四係の人間が気忙しげに走り抜けていった。まだ彼の耳には届いていないが、そちらの可能性もあるのだろう。
「どうよ? 病院行ってるトクさん、なんつってんだ?」
タバコを灰皿でもみ消しながら、たったいま電話を終えた折田新一郎に問う。
「はい。ガイシャはやはり仁科政義で間違いないと。妻のみすずさんが確認したそうです。死因も鑑識の見立て通り、失血。それと凶器に関してなんですが、司法医は傷の大きさや深さから、ドス、あるいは小振りのポン刀(日本刀)ではないかと言ってるそうです」
「ドスか……」
どうりでマル暴の連中が動くわけだ、と前園は納得して頷いた。
次いで、考え始める。
対策本部が置かれた場合は、所轄の刑事と本部のエリート刑事がコンビを組んで行動する。が、それは命令されるのが嫌いな前園にとって苦痛でしかない。なら、役立たずの折田を引き連れて行った方がいくらかマシ。ここまで情報があれば充分に動けるだろうし、のんびり本部ご一行様の到着を待っている時間はムダというものだ。
(今すぐ動くべきだな……)
考えをまとめた前園は「行くぞ」と折田の腰をたたき、歩き出した。
怪訝な顔をした折田は、しかし置いて行かれてはかなわないとばかりに付き従う。
「のび太。今後、オレ達が捜査すべき点を挙げてみろ」
追いついてきた折田に、前園は口を開いた。
「へ? 聞き込みじゃないんですか?」
「バカ。そんなの当たり前だろ。オレは、オレ達だけで金星を上げるための具体的な作戦を聞いたんだ」
「なら、先にそう言って下さいよ……」
「何か言ったか?」
「いえ!」
エレベーターに乗りながらぎろりと目玉を動かす前園に、一階のボタンを押した折田はあわてて首を振る。
「たく……お前はそんなんだから、いつまでたってものび太なんだよ。確かにオレ達は全体の中の一部分だ。けど、頭とカンを働かせて常にいいとこ見せようと思ってねえと、いつまでたっても上にアゴで使われるだけだぞ」
事実、そう。警察は組織である以上、捜査も当然チームプレイなのだが、中には単独行動が見逃される刑事も本当に存在する。それは言うまでもなく優秀な存在で、放し飼いにした方が有益だと上に認められた連中ばかりなのだ。
自由がある分、とうぜん周りの見る目はシビアになるが、文句を言わせないだけの戦果を上げればいい。前園もそうして自由を手に入れた男だった。折田がその結果として押しつけられた相棒なのも、いわば必然の巡り合わせなのだが。
「そうですね……」
まるで納得していないが、殴られるのが嫌な折田はとりあえず賛同した。
そもそも彼は、自分で考えて失敗して責任を負うくらいなら、よほどその方が良いと思っている。
人付き合いがお世辞にも上手でないと自覚している彼は、キャリアで入れば権力争いに巻き込まれ、ドロドロした人間関係にストレスばかり溜めてしまうだろうと判断し、なおかつ警察官になれと厳命してきた父親も納得させるため、わざわざノンキャリアの道を選んだのだ。
結果はごらんのとおりで、どちらにせよダメだった。ちなみに、折田がこれまでの警察生活四年間で経験した同僚達の中で、まだその暴力に愛情が感じられる前園は、一番まともに相手をしてくれる人間である。
「分かったら、説明!」
エレベーターを降り、事務受付窓口へ手を振りながら轟く前園の怒声に、折田の元来は極めて優秀な頭脳が回転する。
「はい! まずは犯行時刻に不審な声や人物を見なかったか、近隣住人への聞き込みです。現在、トクヤマ先輩が奥さんからガイシャの友好関係を聞き出していますので、それが判明次第、その聞き込みも開始すべきでしょう。中でも凶器が刀剣の類と判明した以上、管轄内の刀剣類所持者の中からガイシャの知り合いを洗い出し、事情を聞くべきだと思います」
「よし、まあまあの答えだ。その心は?」
「前者は情報収集および捜査対象の確定。後者は一本釣りです」
「上出来だ。けどのび太、お前聞かれるとスラスラ出てくるのに、なんで一人だとダメなんだよ?」
「問題を解くのは、簡単ですから」
駐車場に移動して車のキーを取り出す折田の姿は、彼にしては自信に満ちあふれていた。
「じゃあ、問題を考える頭がないのか。頭が良いんだか悪いんだか、よく分からないな」
ロック解除を確認した前園は、かぶりを振りつつ助手席のドアを開ける。
「問題を考える頭、ですか……。そんなこと言われたの、初めてです」
「そうか……。まあいい、出せ」
シートに肥えた体を収めた前園は、アゴで前を指し示した。
「はい! あの……」
素人丸出しの指さし確認でシートベルトをしめ、ルームミラーの角度を調節した折田は、ハンドルを握りながら何かを言いよどんだ。
「んだよ、さっさと出せ」
前園はもう一度、天井へ向けんばかりにアゴを突き出す。
「……ゾノさんは気付きましたか? あの神社の雰囲気?」
「んん? 神社なんだから、神秘的な印象があっても不思議はないだろ。だがな、そんなのは単なる気のせいだ」
言葉には意外なほど力強さがない。超常現象などハナから信じていない前園でも、死体をあつかう中で不可解としか言い様のない体験をしたことはあるのだ。いずれも偶然で片付けられるレベルなのだが、これは長く刑事を勤めた経験を持つ者にとって共通の認識だった。
「そうじゃなくて! 何かこう、もっと悲しい感じの……」
前園の煮え切らない態度に力を得たのか、折田はここぞとばかりに声をはりあげ、最後はやっぱり彼らしく尻すぼむ。
「気のせいに決まってるだろ。もしそんなんあるとすれば、ホトケさんがオレ達に早く犯人を挙げてくれって言ってるんだよ。そう解釈しとけ」
前園自身、死体を見て何も思わない木石ではない。折田の指摘もあながち見当はずれではないと思っている。が、それをいくらわめいたところで自分達のやるべき仕事は変わらない。気の持ちようだとアドバイスする前園に、折田はなおも食い下がった。
「だって……それにあそこ、なんか変なのいましたし……なんか犬っぽいヤツ」
「頭おかしくなったのかお前?」
「違いますよ! ……たぶん」
「ち。のび太のたわごとなんか聞いてるヒマはねえんだ。さっさと出せ」
「気のせい、なのかな……」
まだ納得いかないといった表情で、折田はブレーキから足を離す。飾り気のない、しかし毎日の洗車でやたら小綺麗な覆面パトカーはゆるやかにガレージから動き出した――




