Ⅱ章 事件「情報収集およびその成果について」④
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メールは時間をまたぐことなく千里を越え、彼――八島義影の携帯を揺らす。
ただ、彼の姿を見る者がいたとしたら、はたしてメールが本当に現代へ届いたのかと首をひねっただろう。
彼は今、昼なお暗い原生林を疾走していた。
無音で枯葉のつもった地面を蹴る足には長足袋を履き、スネには脚絆と金属製の足甲が巻かれている。下衣は黒い短袴。上衣には同色でソデ無しの着物を着て、その下にのぞくはずの胸板は鎖かたびらに包まれている。上腕にもやはりものものしい手甲が装着されていた。
これだけで総重量は二十㎏以上になるだろう。にもかかわらず、彼の俊足はまさしく疾風だった。頭巾こそ被っていないが、背には目測でおよそ全長二尺と思われる小太刀も背負われている。見る者の時代を錯誤させるその姿は、
――忍者。
の形容以外に、ふさわしいものが見当たらない。
その得手とするスキルも、見た目に違わぬ隠密行動。しかし元来は戦士であり、決して殺し屋ではない彼にとって、心情的な用途は暗殺ではない。相手に気付かれなければ手間も省けるし、何より殺す相手に無駄な心労をかけずに済むという彼なりの気づかいだった。
それは思わぬジャマを受けて水泡と化す。
(ち。切っときゃよかった)
義影は懐から届く振動に内心で舌打ちした。
このわずかな音で、風上にいるターゲットの気配が変化したのだ。こちらの追撃がいまだ続いていることを察知したらしい。緩められていた速度は、再びトップギアへと切り替わる。
それでも彼我の距離はみるみる縮まっていった。
もはやターゲットの体力は限界へと差しかっていたのだろう、義影の耳に激しい息づかいが届き始め、風に乗って運ばれるカレの恐怖も、目を覆いたくなるほどに増大していく。
(仕事とはいえ、こういうのはやりきれないな。報酬は割増だ)
眉間にシワを寄せた義影の目が、前方に横たわる巨木を捉えた。幹の太さは直径で二mに達するか。間髪入れず体をひねり、ムーンサルトで飛び越えたとき――
退路を失い、覚悟を決めた一匹の狢が義影を見上げた。
狢の体が飴細工でも作るように溶け、別の何かへと変容していく。またたく間にふくれ上がる五体が巨人の形態をとり始める。
(大入道か。今さら遅い)
内心で断言する義影の手が、上衣の内側にある隠しへ伸びる。
取り出される棒手裏剣――クナイは三本。霊力を通したそれを落下しながら投擲し、直後に空中で一回転する。墜落する直前に大木を蹴り、低空を飛んだ。
義影がふたたび視界にとらえた狢は、クナイの着弾による苦痛で身をよじらせ、元のカタチへ戻ろうとしている。そこへ、
ずむ、と。
衝撃で後方へ飛ばないよう胴体を押さえ付けた義影の小太刀が、狢の頭部を串刺しにした。
介者剣術――剣の腕を競って勝つ道場剣法ではなく、戦場をわたる鎧武者達を確実に殺すための剣――は、まさしく一撃であわれな妖怪の命を奪う。せめてもの慰めは、痛みを感じる暇すら与えられなかったくらいであろうか。
「悪いな。お前のテリトリーを破ったのは俺の依頼人だし、お前はここを守らないと生きていけなかったんだろ?」
着地し、崩れ落ちようとする狢へ逆手でトドメを突き下ろした義影は、カレの体が地面に横たわる前に受け止めた。
「けど、俺たち人間がメシを食ってくには金がいるし、俺はこういう金の稼ぎ方しか知らない。依頼人には伝えとくよ。お前がいなくなっても、必ず次のヤツが立ち上がるだろうって」
義影は狢の亡骸を抱えなおし、あたりを見回す。
濃密な木の匂いに覆われたこの場所は、本当にここが日本であるのかと疑いたくなるような大自然。かつてのこの国の原風景を今なお保つ、本州最後の秘境だった。
義影の依頼人は、この森のリゾート開発を施工する大手ゼネコンと、それを推進する地方公共団体。森は切り崩されていき、住み処を脅かされたカレは、たった一匹でそれに立ち向かったのだ。
それは絶望的な戦いで、勝ち目は最初からあるはずもなかった。カレの一時的な善戦は五名の犠牲者を出したが、それもゼネコンが事態を解決すべく霊能者を雇うまでの話。結末は語るまでもない。
義影は灰となって消えてゆくカレの骸を掲げ、森を見すえた。
「お前らが臆病風に吹かれて、見捨てたコイツを見ろ。もし悔しいと思うなら、立て。立って力の限り抵抗しろ。お前らには座して死を待つ以外、それしか道はない」
人と、動物ですらないそれ以外のモノ。話し合いの余地など、どう考えても存在しない。ただ義影は少ない双方の橋渡しを担える存在として忠告した。
黙して答えを待つ彼に対し、無風の森がさわさわと囁き合うように揺れる。
――どうする、どうする、どうする。
――この人間の言う通りだ。悔しい。このままでは我々は。
――戦うのか。不可能だ。勝てっこない。
さえずる森達に義影はかすかな失望の念を示し、もはや重さを感じなくなった狢の死を悼むべく目を閉じた。
オマエ、ムダ死にみたいだぞ。お互い同族に恵まれてないな。
黙祷をやがて終えた彼は目を開き、こんなところによく届いたものだと呆れながら携帯を開く。メールには祁答院の現在地と大まかな状況が簡潔に説明されていた。
「あの先生もいいかげんトラブルに巻き込まれやすい人だね」
苦笑しながら携帯をしまい、義影は走り出す。自分と同じく人外の理を知っていると信頼するがゆえ、特別価格で仕事を提供している依頼人の許へ。
途中、義影は木々に向かって言い放った。
「言い忘れてた。お前ら、やるなら死ぬつもりでかかってこいよ。こんなつまらん虐殺はなるべく俺もやりたくないからな」
求めるのは、死闘。貼り付けられた笑みは三日月のごとく。
――戦場を求めさまよう〝狂犬〟は、ここに召喚される。
………。
私の作品を両方お読みになっている方は、混乱する可能性がありますね。
このお話はまちがいなく「妖怪学」です。
筆者がまちがえて投稿したわけではありません。
過去に実績のあるヤツが言っても信じてもらえないかもしれませんが(爆)。
繰り返します。筆者が「まちがえた」わけではありません、よ?




