Ⅱ章 事件「情報収集およびその成果について」③
消極的な行動に熱心な石和の言葉に祁答院がうなづきかけたとき、ちょうど鎮守の森から出てきた三人組の一人――神職の装束に身を包んだ男がこちらに気付き、声をかけてきた。
「鹿神さん?」
男を見た石和がわずかに高い声を張る。それで自分の言葉を確信したらしい鹿神はにっこりとほほえみ、スーツ姿の――おそらく刑事を引き連れて四人のそばまで歩み寄って来た。
「やっぱり修二君か。ひさしぶりだね。話は薗生さんから聞いているよ」
「ども」
年下にも丁寧な口調と態度をくずさない鹿神に、石和は頭を下げるというより首を前に出して頭の位置を下げるという、とても礼儀が正しくない会釈をする。
「鹿神さん、そちらは?」
対照的な二人のあいさつが終わるのを見計らって、公務員には見えない、どちらかといえば極道者、百歩ゆずってマル暴な容姿と雰囲気を持つ男が口を挟んできた。
「あ、これは失礼を。彼が先ほどお話ししました石和修二君です。修二君、こちらは奥村警察署の刑事さんで……」
「前園です。こっちは私の相方の……何してるのび太、あいさつしろ」
全員の目がもう一人、古砥部を凝視して動かない男に集まる。
「はははい、折田です。よろしくお願いします」
もやしメガネの折田は古砥部をその目にしっかりとらえたまま、前園の怒りに押し出される形で自己紹介を行った。
相棒の挙動不審っぷりに盛大な舌打ちを発した前園は、放置で自らの怒りを静めながら用件を切り出す。
「で、石和君。君がここの管理人だそうだね。さっそくだが、少し話を聞かせてもらってかまわないだろうか?」
「え……」
「そんなに時間は取らせない。協力してもらえると助かる」
「はあ……分かりました」
「悪いね。じゃあ、こっちへ」
他の人間は部外者と見なしたらしい。前園は祁答院以下を一瞥し、気安く受ける石和のみを奥へ誘う。会話を聞かれないようにするための配慮だろう。有川に無言で手招きされた古砥部が折田を解放し、残る全員で三人が社の方へと移動していく姿を見守る中、鹿神が唐突に口を開いた。
「あの、失礼ですが……」
「おっと、これは申し遅れました。私は実岡大学で民俗学を教えている祁答院と申します。石和君とこちらの有川さんは私のゼミ生です」
古砥部を前に抱きかかえる有川が、祁答院の紹介に合わせて頭を下げる。
「これはご丁寧にどうも。しかし、あなたがそうでしたか。お話は修二君のお姉さんからうかがっております」
「と、申されますと?」
「はい。私がこの伊織神社の神事をお勤めさせていただいております、奥村神社の鹿神です。まあこの格好を見ればお分かりになるとは思いますが」
やはり警察に囲まれ、多少の緊張はしていたらしい。鹿神は少しほぐれた態度で自分の衣装を示しながら笑みを浮かべた。
「そうですね。しばらくの間ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」
おもしろくもない冗談だが、初対面の人間が交わす当たりさわりのないトークとしては合格。祁答院は気持ちを営業モードに切り替えて、自分の顔を笑わせた。
「しかし伊織神社の調査ですか。変わったことに興味をお持ちですね」
「そうかもしれません。伝説を解き明かしたところで、もうかりませんから」
「確かに。ですが私からすれば、どんな形であっても神道にご興味を持っていただけるのはうれしいことです。もしよろしければ、私どもの神社にも足をお運びください」
「かまいませんか?」
「ええ、ぜひ」
微笑を貼り付けたままで行われる二人の会話は、むろんお互いがどこまで本当のことを喋っているのを探りながら進む腹芸合戦。なかなか手強いと両者がジャブを応酬する一方で、
「アキラがマジメにお話してる。つまんないぞー」
「しょうがないじゃない。あんなんでも、いちおう先生なんだし」
二人を見守る古砥部と有川はつまらなかった。
「では、お言葉に甘えまして。明日にでもお邪魔させていただきます。ところで鹿神さんは、伊織神社の由来についてはおくわしいですか?」
「ある程度は知っております。ですが、大学の先生の研究に役立つほどでは……」
「それでも、ぜひ」
「うむ、そうですか……。分かりました。では、お越しいただいた際にでも」
「ありがとうございます」
祁答院の謝意で勝負は終わり、互いに礼。
一見すると祁答院の優勢勝ちにも思える。が、そもそも話を振ったのは鹿神なので、彼の作戦勝ちとも取れる。実際、どちらが勝ったのかは当の二人にも分からなかった。
全身全霊を込めた勝負――はたからはまったくそう見えなくとも、祁答院はそう思った――の健闘をたたえ合い、目でエール「なかなかやりますね」「あなたこそ」を交換していた祁答院に、古砥部が声をかける。
「む。アキラ、シュウジ戻ってくるぞ」
見れば後ろに刑事二人を従え、いつもと変わらないトボケ顔で帰ってくる石和の姿があった。
「石和君、お疲れさま」
「いや、ホント少しですし」
「では前園さん、祁答院さん、私はこれで失礼いたします」
頃はよしと見計らった鹿神が一礼する。祁答院との会話は、自分が警察に石和を紹介した手前、その話が終わるまで帰れないという配慮の時間つぶしだったらしい。
「ありがとうございました」
いちおうは心のこもった前園の言葉に鹿神はうなづき、
「修二君も。またうちへ遊びに来るといい」
「ういっす。そのうち」
「では」
最後まで折り目正しい態度を崩さず、自分の車へと乗り込んだ。間もなく独特のエンジン音を立ててプリウスが起動し、祁答院達が見送る中で走り去っていく。
それが角を曲がって見えなくなり、「さて、我々も」と祁答院が言いさしたとき、機先を制したかのような声が響いた。
「のび太、オレ達も署に戻るぞ。検死の結果、上がったそうだ」
振り向けば、いつの間に電話を済ませたのか携帯をしまいながら顔を引き締める前園の姿がある。
「り、了解……」
続いて、刑事二人。一方は無遠慮に祁答院達をながめ回し、他方はやっぱり古砥部をおびえた目で注視しながら覆面パトカーへと姿を消した。
「……なんだか、あわただしい連中だったな」
「そっすね」
まだ若葉マークが要りそうな、折田のぎこちない運転。二台目の車が伊織神社を去った後、祁答院と石和はそちらの方向を見やったままで言葉を交わす。
「で、何を聞かれたんだ?」
「大したことは。管理についてどうのとか、んなもんですよ。ただ殺されたの、俺の叔父さんでした」
「お……」
うっかりしていると聞き逃しそうなほどさらりと流された単語。祁答院は続くセリフをノドに詰まらせた。
「なあアキラー」
「古砥部、ちょっと待て。で?」
「近所に家があるし、昔から頻繁に付き合いのあった人なんで、しばらくは警察につきまとわれるかもしれません」
「アキラってばー」
「だからちょっと待て。それは言ったのか?」
「言いました。変に隠してると、後でいろいろメンドくさそうだし」
「修二の行動原理ってそれだけだもんねえ」
「うっせ」
茶化すように真実を突く有川に、石和はむくれてみせる。が、普段より毒気は薄い。彼なりに気はつかっているようだ。それでもダウン系の態度に変わりはないが。
そんな教え子達のほほえましいやり取りに目を細める祁答院の腕に、
「むうー、アキラー!」
がぶり。置いてけぼりにされた古砥部の犬歯が突き刺さった。
「痛! 何するんだ!」
「アキラが無視すんのが悪い!」
古砥部はへちゃむくれてむーむー唸る。
「はいはい。私が悪かったよ。で、なんだ?」
祁答院が四つの大穴が空いた腕の痛みに顔をしかめながら訊ねると、
「龍神、復活してるぞ」
返ってきた古砥部の言葉は、とても聞き逃せないトンデモ話だった。
祁答院は有川を見る。どんな反応をするのが適当なのか、うかがっているような表情。次に首を目一杯にめぐらし、後方の伊織神社を見やった。
昨日と変わらない清楚な佇まい。
そして、一抹の違和感。
いや、違和感ではない。冷静に五感を働かせば、常人でもここから先は異常な空間なのだと理解できる。なにしろ、昨日はあれほどうるさかったセミの声が今日は外からしか聞こえてこない。鎮守の森にはただの一匹もいないのだ。中で蠢いているのは、いまだ現場検証中と思しき警察関係者――もっとも危険に鈍感な生物(人間)だけだった。
気付いてしまえば、ミニサイズの鳥居はさながら地獄へと通じるハデスの門のように見える。湧き上がる感情は、まるで好天に恵まれて雪崩を起こす直前の雪山にいるかのような、見えず、匂わず、無音で、にもかかわらず〝ここにいたら死ぬ〟ことだけがまざまざと感じ取れる恐怖だった。
「どったのセンセ? 古砥部がまた何かやったん?」
古砥部を知覚できない石和ののんびりした声が、なかば呆然と立ちすくんでいた祁答院を現実に引き戻す。
「……古砥部、それは本当か?」
「古砥部はウソつかない! 気配だけで姿は見えないけどなー」
古砥部も口調こそ変わらないが、顔はマジメそのものだった。
祁答院と違って緊張感が見えないのは、戦って勝てればよし、ダメなら尻尾を巻いて逃げればいいという彼女一人に限定された対処法が確立しているせいだろう。
「だとしたら、マズいな……」
「あの、センセ、俺にも分かるように……」
「修二ちょっと静かに。センセ、どのくらいマズいんですか?」
有川とて、多少なりとも人外を識る者。古砥部を信じている。その問いは、これまでにない固さを帯びていた。
「うん……」
どのくらい説明するのが妥当か。祁答院は言葉を選びながら口を開く。
「まず、見えない人間に直接的な影響はない。が、それは直接見たり触れたりできないというだけで、それ以外の手段、たとえば古砥部の呪いなんかは万人に等しく作用するんだ。ここの龍神なら、おそらく大嵐を巻き起こせるだろう」
これ以上を言うべきか。正確な情報を与えないのは問題だが、まだ発生していない出来事をムダに大きく喧伝し、恐怖をあおる結果になっても問題だろうと祁答院は口をつぐむ。
祁答院の経験則を語るならば、伝承の類にうたわれるモノは真実としてその力を持っている。
ここの龍神ならば、天候操作に加えて寺を一撃で焼くほどの雷を発し、釣り鐘をも溶かす炎も吐けるということだ。たとえ姿が見えなくとも。
むしろ姿が見えない分やっかいすら言えた。いや、やっかいで済ませられるならばヨタ話で終えられる。問題ない。問題は、その与太話が現実としてこの地を壊滅寸前に追い込める力を持っているというふざけた話を、まともに対処できる人間ほど聞く耳を持たないだろうその一点だ。
「……そんなの、どうするんですか?」
「どうするもこうするも、専門の人にお願いして鎮めてもらうのが一番なんだが……」
一市民として、手にあまる危険をしかるべき対処が可能な公的組織に連絡して解決を頼む。思考を中断させる有川の問いに、祁答院はもっとも簡単かつ現実的な解決法を提示した。
ただしそれは、
「でもさっきの神主さん、気付いてるようには全然見えませんでしたよ? まったく当てにならなそうですけど?」
そんな機関や人間が存在すれば、の話だが。
「うん……」
有川の指摘に、祁答院は頭をかきながら考える。
カノジョらのような存在は、良くも悪くも伝承という人々が持つイメージに縛られる。裏を返せば、その力は伝承が伝えられている範囲に限定されるということ。奥村町は甚大な被害を被るだろうが、範囲がそれ以上となる可能性は低い。自分や身内の安全だけを優先すれば、避難するだけで事は足りるのだ。
「古砥部は?」
逃げても根本的な解決にはならない。自分達にできることはないか。祁答院は頼みの綱に話を向ける。
「だいたい同じくらいの強さだけど、ここでは勝てないと思う。こんくらい、アキラにも分かるだろー」
古砥部の返答はやはり説明が足りなかった。
「どういうことですか?」
解説を求める有川に、祁答院は口を開こうとする。開きかけた瞬間、石和が何かを問いかけてきたような気もしたが、かまわず話した。
「無視ですか?」
「そう。簡単にいうと、ホームとアウェーだ。神様や妖怪が力を発揮するには、そもそもの力に加えてその土地における知名度、信仰、そのモノがどのような姿をしていて、どんな力を持っていると人々が思っているか、などの要素が複雑に絡み合う。結論としては、ここに祀られる龍神にとって、ここはまさに最高の力を発揮できる場所なんだ。一方の古砥部はよそ者。不利だな」
「そういうことだ!」
人様の解説に胸を反らして大いばりする古砥部に、なぜか落ち込んでいる石和。
「力尽くはムリだということだな。古砥部、会話はできると思うか?」
「まだ暴れ出したわけじゃないし、きっと平気だ。でも姿を見せてくれないと、どうしようもないぞ」
「ま、それもそうか。うん……」
祁答院はアゴに手を当てて考える。
実を言うと、フィールドワーク先でこういったケースに遭遇したことは過去にゼロではないのだ。
その際、あるツテから紹介され、実際に手を貸してもらった専門家がいる。
彼は個人としても信頼のおける人物で、仕事に関しても有能かつ迅速、料金は私立探偵を雇うより安い。三拍子も四拍子もそろった掘り出し物だ。
ただ正直に言って、彼を頼りたくなかった。その理由は、彼が人外関係のトラブルバスターというより、人外を専門とする殺し屋だから。
いや、殺し屋という表現すら生温いかもしれない。料金の安さはこれが原因だと祁答院はにらんでいるのだが、彼は自殺願望があるとしか思えないウォーマニアックスである。
戦えるならなんでもいい。とにかく俺を戦わせろ。自分の命は、戦争という最高の娯楽に参加するため最低限用意すべきチップである、と口に出したりはしないものの、そうとしか思えない態度なのだ。
彼に全面解決を頼むイコール、彼か相手のどちらかが死ぬということ。
救いは、平時の彼が高校二年生という歳には不釣り合いなほど道理をわきまえた男であり、仕事に忠実でもある点か。依頼内容を細かく指定すれば、たとえどんなに不可能な作戦であっても、道義的である限りはその通りやってくれる。エ○ァばりにブチ切れるまでは。
これは前回依頼したときに祁答院も目撃したのだが、とある地に祀られる鬼が復活した際、苦戦した彼は暴走を開始、もはや人間とは思えぬ雄叫びを上げながら鬼を八つ裂きにし、斬り飛ばした腕をくわえまま四つん這いでどこかへ走り去ってしまったのだ。
その後しばらくして戻ってきたのだが、
『すんません。見苦しいとこお見せちゃいましたね』
と口の端から血をたらしままにっこり笑った光景は、いまだに忘れられない。古砥部もビビってシッポを丸めていた。
「アキラー」
顔色を見た古砥部は、ある程度こちらの思考を読んだらしい。首を横に振りながら祁答院のソデを引っ張る。
「……そうだな。彼は最後の手段だ。まず我々で出来ることをやってみようか。私が話して解決の方法を探ってみよう」
「……そんなんで大丈夫なんですか?」
「ま、できる限りな。それに……」
自信はないが、やらないよりはマシ。有川の言葉に祁答院は肩をすくめて応じる。
「古砥部がいれば、逃げるくらいは平気だぞ」
加え、万が一の方策もある。古砥部は頼もしげに胸を叩いた。
「そういうことだ。あせっても仕方ないし、こっちはちょくちょく様子を見に来ることにして、我々は当初の予定通り調査を進めてみよう。ひょっとしたら、ヒントがあるかもしれん」
「……分かりました。じゃあ、行きましょうか。ホラ修二、どうしたの? 置いていくよ?」
「説明しろよ……」
下を向いて何やらぐちぐち言っていた石和を有川はうながす。皆に不安を与えないよう微笑を形作った祁答院は、振り向きざまに視界のはしにとらえた伊織ヶ淵の湖面が――一瞬、赤く染まったのを見逃さず、密かにメールを打った――




