Ⅱ章 事件「情報収集およびその成果について」①
奥村町は朝を迎える。
今この場所には〝凶悪〟と十人が見れば十人が言うであろう容姿を持つ男がタバコをふかしていた。
車のドアに寄りかかる彼は、煙を盛大に吐き出しながら周囲を見回す。
雑木林の間に、こぢんまりと拓けた広場。正面には人一人くぐるのが精一杯な鳥居があり、後ろには彼が三人も入れば身動きもできなそうなサイズの社があった。
この神社は伊織神社というらしい。入り口の碑にもそう書いてあったから間違いない。
林間に目を転ずれば、少し離れた場所にブルーシートで囲われた一角があり、無数の人間が忙しなく出入りしている。
彼らの服装はさまざま。スーツに身を包んだ者もいるし、桜の代紋をあしらった帽子をかぶる制服もいる。街中をうろつくには少々恥ずかしい、鮮やかな青色をした作業服を着た者もいた。
もはや語るまでもない。ここは殺人事件の現場であり、彼らは警察官である。
そしてもちろん、いま新たなタバコへ火を点けた彼も警察――刑事だった。
彼――前園俊馬は、I県警奥村警察署の捜査課刑事一係、ようするに殺人事件などを主に担当する部署の巡査部長である。
歳は三十と少々だが、高卒すぐの任官なのでキャリアはそれなりに長い。身長は百七十そこそこ、ゴツいガタイ(特に胴回り)にゴツい容貌、乱暴な言葉づかいで、周囲からはゴリあるいはジャイ○ンと皮肉を込めてあだ名されるデカだ。
今、前園は猛烈に機嫌が悪かった。昨日の深夜にようやく以前から追っていたヤマを片付けたというのに、それからわずか三時間後の朝六時に事件発生でたたき起こされたのだ。デカの仕事は労働法などあってなきが如しとはいえ、人使いが荒いにもほどがある。腹を立てるなというのが無理な話だろう。
原因はそれだけではない。むしろおまけとさえ言えた。
「おい、さっさとしろ!」
前園はヤニ混じりのツバをいら立たしげに吐き捨て、覆面パトカーのドアをノックする。
その運転席には不機嫌の元凶、青い顔をしてその場から動かない刑事――折田新一郎巡査(二十五歳)の姿があった。
「いま行きます!」
大声で答える折田は、しかしピクリとも動く気配を見せない。すでに到着から三十分以上たつというのに、その両腕はいまだしっかりとハンドルを握ったまま。シートベルトも外していなかった。
「お前なあ……」
前園は相棒へ向け、怒りを通り越したあきれを言いよどんだ。
折田が動かない理由は前園も知っている。この新人刑事は死体が怖いのだ。それだけならケツを蹴っ飛ばしてでも経験を積ませて克服させればいいのだが、彼のそれは筋金入りで、めまいや吐き気、失神をともなってしまう。もう立派な病気である。
「たく。死体見るたんびにいちいち貧血起こしやがって。テメエ警察向いてねえよ。今すぐ辞めちまえ」
「そんな……カンベンして下さいよ……」
八つ当たり気味に前園が言うと、折田はめそめそ泣き始める。イジメられっ子オーラ全開だ。相当にウザい。
「のび太のその態度が、よけいムカつくんだよ!」
前園は全開でイジメっ子理論をどなった。
「ボクは……のび太じゃありません。折田です」
「テメエなんざ、のび太で充分だよ。今すぐ改名しろ」
「そんな、無茶な……」
折田は嗚咽をあげてしゃくり上げ始める。前園は頭を抱えた。
こんな奴が東大法学部卒なんて、世も末だ、と。
「何度も言ったが、なんでテメエはノンキャリで入ってきたんだよ。東大君の頭なら、国家一種も楽勝で受かるだろ?」
それならオレ達はコンビを組まずにすんだのに、と前園はうらみ言に近いつぶやきを放った。
ご存じの通り、警察官は大きくノンキャリア組とキャリア組に分けられる。
ノンキャリアは地方公務員試験合格後、大卒なら八ヶ月、高卒なら一年間(都道府県によっては異なる場合もある)を警察学校で訓練期間に充てられる。
学校という響きのせいで誤解されている部分もあるが、名目上はすでに警察官であり、言いかえれば警察学校という部署で研修を受けるという〝仕事〟をしているわけだ。もちろん給料ももらっている。そして研修期間の最後の二ヶ月を交番で実地訓練にあててから、晴れて実戦デビューとなる。
一方のキャリアは国家一種に合格後、およそ二週間程度の研修をへていきなり警部補デビュー。一年も経てば自動的に警部だ。役職的には普通の署でも課長補佐で、奥村のような田舎の警察署では課長である。
さらに二年半後には警視で、これは署長、副署長級。ここまでくれば高卒の前園にとって雲の上。給料は段違いだし、同じ署内にいてもたまに顔を合わせる程度。時おりほめられたりお小言をもらえばすむ関係となる。どう考えても水と油なお互いにとって、その方がいいと第三者でも断言できるだろう。
なのに、なぜか折田はノンキャリアで警察に入ってきた。それならそれでせめて事務方でもやっていればいいのに、こともあろうに刑事を希望して、しかもそれが通ってしまったのだ。
本来、刑事は優秀な人材(勉強の出来ではなく、実戦で)にのみ、道が開かれる。階級上は交番に務める人間と変わらないのだが、一般人が持つイメージ通りに格上の存在なのだ。
では、なぜ有能無能以前の問題である折田が刑事になれたのか。
前園は当然として訝しんだ。が、折田の答えは簡単だった。彼の父は同県警の重鎮なのだそうだ。
(やってられねえ。いまだに血縁人事かよ)
前園は内心で毒づく。
それを知ってなお態度を変えない彼は、組織の圧力に屈さないという意味でいい刑事だろう。単なる権力嫌いかもしれないが。
それに、しょっちゅう現場で倒れる折田を彼はなんだかんだ言いつつ世話している。根はそれほど悪い男ではない(と、折田は思っている)。それを補ってあまりある悪党ヅラと乱暴な性格、言葉遣いの持ち主なだけで。
(終わったか……)
新たな一本に火を点ける前園のそばを、担架が通り過ぎていく。どうやら遺体に関する見分は終了したらしい。
「ゾノ」
声に振り向けば、好々爺然とした壮年の刑事が立っていた。
「トクヤマ先輩。お疲れさまです」
前園は大先輩の登場にいちおう姿勢を正す。
「おう。こいつが状況だ。オレはあっちに付き添うから、こっちを頼むぞ」
「了解です」
警察をはじめとする制服組の公務員は、ムダを徹底的に排除する。最小にして必要充分なやり取りで担架を追いかけていくトクヤマの背中に頭を下げた前園は、受け取ったメモを開いた。
(どれどれ……)
達者かつやわらかさを感じる字体は、おそらくトクヤマの直筆。前園は読み進めていく。
(被害者は仁科政義、五十四歳、男性。職業、建設作業員。死亡推定時刻は昨日午後十一時ころから本日午前一時ころまでの間。遺体には腹部を含める三カ所の刺し傷があり、それ以外にめだった外傷はなし。遺体の周囲から出た血液反応の量と合わせ、死因は失血。犯行現場もこの伊織神社だと思われる。一方で財布から現金は抜かれていた、と……)
ここまでの情報で特筆すべき事項は、死に直接関係する傷をのぞいて遺体に傷がないこと。すなわち争った形跡がないということだ。ただし、不意を衝かれたか顔見知りなのかまでは判別できない。
また、財布の現金についての情報は無視してかまわない――イコール、通り魔の可能性は皆無であると前園は結論づけた。
現場の立地条件などを判断するかぎり、犯行時刻には人通りが絶える場所。少なければ通り魔としては最高だろうが、まったくないとなれば話が別だ。獲物がいない場所で狩猟が成り立たないのと同じ理屈である。現金は怨恨という動機を隠すために抜かれたのだろう。これは計画された殺人と見て間違いない。
(発見時刻は本日午前六時ころ。第一発見者は朝の体操をしに神社を訪れた七十代の男性。被害者とはいちおう顔見知りだが、あいさつをかわす程度。ね……)
横目でちらりと奥をながめれば、件の男性はまだ事情聴取を受けている。
(ありゃ、シロだな)
ツルのようにやせて腰も曲がり加減な老人は、見るもあわれなほど気を動転させている。とてもではないが土方を殺せる人間ではない。前園は一瞥するなりそう判断し、視線をメモに戻した。
(凶器などの遺留品はなし。ただ、現場には残された被疑者のものと思しき足跡あり。おそらくスニーカー。サイズは二十七センチ、と……)
このサイズなら、被疑者はまず男性だろう。
以下はこまごまとした補足事項が並んでいる。いずれもトクヤマの所見であり、自分は自分で現場を見て判断した方がいいだろう。そう考えた前園はメモをしまい、またタバコを取り出した。
「む……」
あと一本しかない。箱の残りを確かめて舌打ちする前園の耳は、お待ちかねと思われるエンジン音を拾った。
(ハイブリッドか。いい車に乗ってやがる)
やがて姿を見せた黒のプリウスは、鳥居の前で停車した。
降りてきたのは、神職のテンプレートとも言える白衣に浅黄色(水色)の袴をはいた一人の男。歳は前園がその手の人間に対して抱いていたイメージより、だいぶ若い。三十がらみで、しかし見た目の穏やかさや物腰はイメージに違わなかった。
予想がほぼ正解だった前園は、吸いかけのタバコをもみ消しながら姿勢を正す。
「鹿神さん。こちらです」
「おはようございます。すみませんね、お待たせしてしまいました」
前園の呼びかけに、彼を発見した男――鹿神昭典は相好を崩し、お辞儀をしながら歩みよってきた。
「いえ、とんでもない。こちらこそお忙しいところをわざわざお呼び立てしまして、申し訳ありません。私は奥村警察署の前園と申します」
「前園さん……よろしくお願いします」
「こちらこそ」
鹿神が再びお辞儀し、前園も連れて頭を下げる。そこで彼は大事なことに気付いた。
「おい、のび太出てこい。鹿神さん来ちまったぞ」
「のび太じゃ……ないです」
「んなこたどうでもいい。早くしろ」
「はい……」
のそのそと車からはい出す折田に前園は軽い嘆息を交えた視線を送り、鹿神へと向き直った。
「いちおう紹介しておきます。こ……っちが私の相棒の折田です」
前園は「この役に立たないヤツ」というセリフを飲み込み、「いちおうなんて、酷いです」と小声でボヤく折田も無視しつつ、言葉を続ける。
「では現場について、何点かお聞きしたいことがあります。こちらへどうぞ」
頷く鹿神を先導しようと前園は歩き出す。が、その場で顔面を蒼白にして一歩も動こうとしない折田に気付き、すぐ足を止めた。
「んだよ。ホトケならテメエがハンドル握ってがんばってた間に、とっくに司法解剖へ回ったよ」
「そうですか、よかった……」
折田はとたんに顔を明るく輝かせて続く。もう怒るのも面倒くさい、と前園は思った――




