Ⅰ章 到着「伝承の詳細および疑問点の提起について」⑦
「で、ですねえ……」
「ストップだ有川さん」
ふすまを開けた祁答院は、手の平を大きく前へと突き出す〝ちょっと待ったスタイル〟で居間へとなだれ込む。
「ち、もう戻って来やがったんですか」
膝で古砥部を抱っこする有川は一瞬だけ邪悪な表情を垣間見せ、すぐ元の笑顔を作った。古砥部はといえば、赤い顔をしてふらふら揺れている。こちらはもう夢見心地らしい。
「修二~、もうちょっと女の子に気を遣ってあげないとダメですよ~」
薗生は若干壊れ気味。嫋やかさも残ってはいるが、雰囲気はそれ以上に色香を漂わせるものに変わっていた。
「姉貴、もう寝ろ。明日も早いんだろ?」
むろん姉弟にその手は通じない。石和はすかさず正論で姉を説得しにかかる。何を喋られたかは分からないが、ロクでもないことに決まっていた。
「修二がおんぶで連れてってくれたらね~」
薗生は取り合わない。酒乱の気があるのか、妖しく微笑みながらぐいぐいお猪口を手酌で煽るだけ。また冷戦が勃発すると祁答院はあわてて振り向くが、有川にも変化はない。こちらも笑っていた。
何かよからぬ企みがあるなと祁答院がにらんだ矢先、
「ザルでウワバミの姉貴が、酔っ払うワケないだろ? おら、とっとと部屋帰って寝ろ」
この場で薗生を誰よりも知る石和から、冷静な指摘が入った。
「あら残念。バレたんじゃしょうがないわね。じゃあ修二、私は寝るからあとよろしくね」
そそくさ立ち上がった薗生は、有川へ何やら意味ありげな視線を送る。彼女の頷きに満足げな顔を見せたのち、しっかりとした足取りで自室へと戻っていった。
「……何を話してたんだ?」
横目で姉を見送った石和は、一段低くした声色で問いかける。
「べっつに~。古砥部のコト話してたんだよね~」
有川は黄色い声を上げ、古砥部の頭に頬ずり。が、笑ったままの目は石和をとらえて離さない。ごまかすつもりもない挑発行為だった。
「く……」
「あきらめよう石和君。ここは我々男性陣にとってアウェーでしかない」
石和の震える肩を祁答院はそっと叩く。じゃあホームはどこにあるんだと聞かれれば、首を捻るしかないのだが。
ただ、有川と薗生の行動を見た祁答院には読みがあった。
当初はあれほど薗生に敵対姿勢を取っていた有川の変貌ぶりは、なにか彼女にとってうれしい提案が薗生の口から出たに違いない、と。それに有川が乗り、密約が成立したのだ。
そして、それは薗生にとって一銭の価値もなく、かつ有川には価値があるもの。でなければ、初顔合わせである二人の取引は成立すまい。内容はおそらく、
「……石和君の身柄引き渡しについてだな」
「はあ?」
「なんでもない。そのうち嫌でも分かるだろう」
独り言を聞きとがめた石和の問いを軽くいなす祁答院は、カマかけに一瞬すっと細められた有川の――それ以上言うな――目を見て確信した。
「なんすかそれ?」
「ヒントは充分に出した。あとは自分で考えたまえ」
再度の質問を人生の先達として突き放した祁答院は、腰を下ろして石和から受け取った大学ノートを開く。
――石和家家史。
と表題されたそれは、ありがたいことに中身が現代語訳されている。もちろん旧かな遣いでも問題ないのだが、祁答院は編者に感謝しながら読み始めた。
「大学ノートが古文書なの?」
祁答院の手元を見た有川が、怒りのぶつけ先を座布団に見出して座った石和へ問いかける。
「原本は痛みが激しくてな。これは死んだオヤジが書き写したヤツだ。センセ、どうです?」
「渡されたばかりだぞ。感想も何もないと思うが。まあ気になったことについて記述があればいいな」
「そんなの、なんかありました?」
有川が今度は祁答院に質問をぶつける。
「伊織神社の由来についてだ。石和君、私は読み進めているから、有川さんに説明を頼む」
「へ~いへい」
ノートから顔を上げない祁答院の言葉に、やる気の欠片も感じられない返事をする石和は夕方に祁答院が読み聞かせたものと同じ小冊子を取り出し、示しながら解説を始めた。
「んじゃ始めるぞ。伊織神社の伝承には、説明が足りない部分と疑問点がある。まず一つ目。小兵太のオヤジは、なんで殺されたんだ? 伝承には理由の説明がなかっただろ?」
「あ……」
有川は素っ頓狂な声を出す。
これが最初の疑問点。殺人には、通り魔を除いて必ずなんらかの理由がある。はっきりしない限り断定するべきではないが、現時点で与えられた情報から有力な原因を推察すれば、〝侍同士のケンカが刃傷沙汰に発展、闇討ちされた〟が有力説だ。
理由としては、江戸時代の仇討ち制度にはいくつかのルールがあり、条件をクリアしないと許可が出なかったこと。その主な条項を列記すると、
一、武士(相手、本人とも)に限る。
二、犯人が確定している場合に限る。
三、自分より目上の人間(父母、兄)が殺された場合に限る。
四、藩主の命令で殺された(上意討ちの)場合は、認められない。
五、正々堂々の果たし合いで殺された場合は、認められない。
六、敵討ちの敵討ち(又敵討ち)は、認められない。
※ 将軍の命令で藩主が殺された忠臣蔵は四に該当する。
※ 条件を満たさない場合は意趣返しと呼ばれ、実行後に切腹しなければならなかった。
だ。小兵太は殿様に許可を取ったと明記されているし、武士であるともはっきり書かれている。仇である五郎左も同様。小兵太の父に関しては不明だが、家が貧しいとは書かれているので、裕福な商人である父が小兵太に侍の位を買い与えたケース(当時、売官は存在した)は、まず考えられない。石和家が代々続く旧家である点も踏まえ、小兵太の父は当時この地を支配していた奥村藩の武士だったと考えるのが妥当だろう。
また、家が貧乏であれば、物盗りで殺されたとも考えにくい。すると残るのは怨恨で、犯人が判明している以上は行きずりの浪人とのトラブルも考えづらいし、友好関係からいちばん恨みを買いやすいのは、同僚、と結論づけるべき。
以上が、闇討ちを小兵太の父が殺された有力説とする理由である。
「次。犯人の五郎左は、なんで近所の寺にいたんだ? 小兵太は五郎左を追って旅に出たんだろ? しかも三年も旅をして?」
石和は冊子に添付された地図を有川に指し示す。
「確かに、言われてみれば……」
五郎左が伊織に焼き殺されたとされる仁祥寺の跡地から伊織神社までは、直線距離で約二十キロ。これなら龍神となった伊織が五郎左をあっさり見つけても不思議はないが、代わりに石和の示したもっと大きいクエスチョンが付く。五郎左がここにいた理由付けも、ここが故郷であったなど極めて弱いものしかない。
「最後。安珍、清姫伝説ってお話がある。これは安珍ってイケメンの坊さんが結婚サギして、だまされた清姫が蛇神に変身。寺の釣鐘に隠れた安珍をドラゴブレスで焼き殺す話だ」
空前絶後のばっさり感で石和は簡潔に説明した。
補足したい。この伝説はかなり古くから近畿地方に伝わるお話で、熊野神社への参拝を毎年の恒例行事としていた僧、安珍が、その定宿としていた清姫の家で主人に気に入られ『清姫を嫁に』と冗談を飛ばされていたのだ。この冗談を本気にした清姫が安珍に結婚をつめより、その執念を怖れた安珍は、話をごまかして逃げてしまう。以下は……というのが大まかなストーリーである。
厳密には結婚サギではない。が、邪推すればかなりいちゃもんが付く話だ。話をふる以上、家主はあるていど本気だったのだろうし、世話になっている安珍も強い否定ができず、拒絶の意志を示しながら頷いていたと考えるのが妥当な気がする。
あるいは、安珍はすでに清姫へ手を出していたのかもしれない。話をごまかして逃げるあたり、安珍は相当に臭い。むろん真相は時代の彼方だが。
「なんか、伊織神社の話と後半部分が微妙に似てるね」
「だろ。で、清姫伝説は少なくとも鎌倉時代以前のお話で、伊織神社の創祀は江戸時代。この点を考えれば、伊織神社のお話はそもそも嘘か、元ネタに清姫伝説が混じった作り話である可能性が高いってわけだな」
「なるほどね~」
石和の説明を聞き終わり、有川は納得の声を上げた。
「そうだ。龍神はもののたとえで、大嵐なんかは伊織が自殺したときにたまたまやって来たんだろう。仁祥寺の焼失は、雷が落ちて燃えたと考えるのが適当だろうな」
そこへ依然としてノートに目を落としたままの祁答院がトドメを付け加えた。
「センセは夢がなさ過ぎです! そこまで言ったら、お話が台無しじゃないですか~」
有川からたちまち上がる抗議の声。祁答院は顔を上げる。
「しかしな有川さん、この手の話から歴史の真実を探ろうとしたら、現実では起こりえない出来事は何かのたとえ話として検証するべきなんだ。例をあげれば、古事記の話で高御産巣日神が高天原から矢を落として、出雲にいた天若日子を射殺すというくだりがある。これは高御産巣日神が刺客を放って天若日子を暗殺した、と解釈するべきだろう。私は妖怪の存在を信じるしかない人間だが、残念ながら学問の上では別だ。伝承というトンデモ話のオンパレードは、だれかが真実を都合よく改ざんしたものだと考えるべきなんだよ」
「センセはメルヘン成分が足りません! せっかくいいお話なのに~」
酔いもあるのだろうが、有川の激昂はメルヘンがビタミンやカルシウムと同列の扱いとされているかのような口ぶりだった。
「にしき、お前夢見すぎ。それに話だってベタベタじゃん。ひねりもないし、物語としても三流だろ」
「修二まで~。それにおとぎ話って、だいたいそんな感じじゃない」
恨みがましい有川の声に、取り合わない石和は天井を仰いでうそぶいた。
「んなの、サンタと同じ。幼稚園で卒業だろ」
「アンタ……なんか恨みでもワケ?」
「別に。ただ俺はクリスマスプレゼント、幼稚園の時からオヤジと一緒に買いに行ってたぞ」
「……夢も希望もないお父さんだね」
「しかも、超ろくでなしのな……」
石和は新種の汚物でも吐き出さんばかりに顔を歪める。よほど死んだ父親が嫌いらしい。
何かあるのか?
そろって問いかけの目を向ける祁答院と有川に、気付いた石和はことさらにすっとぼけた表情を作って堂々と話を逸らし始めた。
「……ああ、そういやセンセ。明日なんすけど、午後三時でアポ取れましたから」
姿が見えない母親も合わせ、触れられたくない家庭事情があるのかもしれない。それに、いくら教え子とはいえ二十歳を超した男だ。必要があれば、自分から話すくらいの分別はあるだろう。そう判断した祁答院はあえて会話に乗った。
「……助かる。じゃあ午前中は、もう一回伊織神社に行ってみようか」
「了解っす。んじゃ、俺は先に寝ますわ」
祁答院の意図を正しく理解したのか、それとも単にこれ以上は胸の内を悟られまいという逃げなのか。会話はこれで終わりとばかりに石和は立ち上がり、居間を後にしようとする。
「ちょっと、修二!」
それを逃げだと解釈した有川が、鋭い声を飛ばした。
「悪いな。気分がよくねえんだ」
だが石和は背中を向けたまま、じゃあな、と手を振りながら去っていった。
「……まったく、秘密主義なんだから。ってコラ!」
有川の叱責は、自分の膝から抜け出して石和の後に続く小さな背中に。
「古砥部は付いていかないの!」
「え? だってシュウジの部屋も探検したいじゃんよー」
「それは、興味あるけど!」
あるんだ。
肩を揺らして笑いを押し殺す祁答院は、再びノートに視線を落とす。憤懣やるかたない罵声を上げつつ手酌で飲みを再開した有川を尻目に、読み進めていった。
……そして、月をいただく奥村の夜は更けていく。




