Ⅰ章 到着「伝承の詳細および疑問点の提起について」⑥
……そして晩餐の後。
「『料理は』おいしかったね」
「うむ、満腹だ! シュウジの姉ちゃんメシ作るの上手だなー」
石和家の居間には何やら浮かない顔でくつろぐ有川と、対照的な上機嫌で畳をごろごろ転がる古砥部の姿があった。
「ホントにね」
有川は生返事をし、心の保養に古砥部をながめながら思う。
大皿に盛られた煮物を始め、高級魚であるシマアジの刺身や黒ムツの煮付け、焼きナスなどがところ狭しとちゃぶ台に並んだ料理は、確かに絶品だった。
だが、それ以外は不満しかない。言っても仕方ないと自覚もあるが、気分と理屈はまた別の話。鬱屈するものはするし、ましてそれがいくら努力しても埋まる可能性がない部分もあると分かれば、なおさらだ。
(性格とかは無理。なら、せめて努力で埋められる部分だけでも努力しよう。まずは料理の腕かな?)
打ちのめされてもすぐ立ち直り、具体的な目標を掲げて努力できる。簡単そうで、なかなか真似できない有川の長所だ。よし、と心の中で力こぶしを作っていると、
「それに比べてアキラのヤツは……」
福々(ふくぶく)しい笑顔で転がり続けていた古砥部が、いきなり回転をやめて仁王立ちした。
「ん、どしたの?」
「ゆるせん! たまに古砥部のメシをドッグフードで済ませようとするんだ。アキラはいつもあれくらいのメシを用意しろ!」
古砥部はむおー、と拳を突き上げる。
「ぷ、くくくく……」
それを見た有川は、こみ上げるものをこらえきれず、悩み事も忘れて笑い出した。
「む? なにかおかしかったか?」
不思議そうな顔をして古砥部は振り向く。
「だってこないだ古砥部、ドッグフードのコマーシャル見て、食べてみたーい、て騒いでたじゃない」
「むぐ! それは……めちゃめちゃ美味しそうに食べてたし……」
後半は消え入りそうな声で古砥部はしょげ返った。
ちなみに彼女が最も尊敬する人物は、某携帯電話会社のCMに登場するお父さんである。あこがれの人らしい。古砥部に言わせれば、とてもカッコいいのだそうだ。
「あ~もう! 古砥部、かわいい!」
有川はたまらないとばかりに古砥部を捕まえ、一緒に畳へダイブする。
「む、古砥部もにしきは大好きだぞ。古砥部が見える人間は、だいたい古砥部のことを嫌な目で見るからな。にしきはそんなこと全然ない。だから大好きだ!」
「みんな、きっと見る目がないんだよ。古砥部はこんなにかわいいのに」
「む、そうか?」
「お待たせしました」
今度は折り重なって畳をごろごろ。そんな二人が我が物顔で占拠する居間へ唐突に声がかかり、徳利と猪口を乗せたお盆を手に薗生が入ってきた。
「っ!」
気付いた有川は居住まいを正して席に戻る。こわばった表情で相手を見上げれば、薗生は知らず険を宿して見つめる有川の態度にも所作を崩さず、穏やかな手つきで酒を注いでいた。
(何から何まで気に入らない……!)
理由は考えたくもないのだが、自分より美人で、料理が上手で、男受けしそうな性格をしていて、石和と妙に仲が良くて、とにかくムカついたから。完璧に逆恨みである。
「どうぞ」
内心で歯がみする有川を知ってか知らずか、薗生は上品なしぐさでお猪口を差し出す。
「……いただきます」
うつむき加減で有川は受け取った。無言で一気飲み。それを見た薗生はゆったりと微笑み、動きと速さがまるで合わない高速で徳利を干していく。
「ね、有川さん」
しばらく下を向き、古砥部を膝に抱いて交互にお猪口をなめていた有川に薗生から声がかかった。
「……なんでしょう?」
有川は顔を上げる。そこには嫋やかな笑みをたたえる薗生の顔と、わずか三分あまりで空になった二合徳利が二本転がっていた。
「弟なんですけど……」
続いて薗生の口から漏れた言葉に、有川は目を見開く。
「ありがとうございます!」
一方、居間のはす向かいでは――
「ほう。これは大したものだな」
石和に案内され、古きよき文豪の仕事部屋を思わせる和室――故、石和隆史の書斎へと足を踏み入れた祁答院が感嘆の声を上げていた。
出迎えてくれたのは、壁を埋めつくす書棚とすき間なく収納された蔵書。文机には未整理なのか山積みされている本もある。そのほとんどは郷土史や民俗学、神道に関する本だ。やはり郷土史家の看板に嘘はなかったらしい。
「こんなの、売って金にするくらいしか使い道ありませんよ」
一瞥していまいましげに吐き捨てた石和は「ちっと待ってて下さいね、すぐ見つけ出しますから」と目的物を探し始めた。
その後ろ姿に軽く肩をすくめた祁答院は、手近の本棚から適当な本を一冊抜き出してパラパラとめくってみる。
「っ……!」
しかし先ほど済ませた夕食の光景が目の前をちらついて、内容がいっさい頭に入ってこない。仕方なくあきらめ、思い出したくもない過去の栄光を思い出していく。
まず有川。彼女の機嫌は、けっきょく夕飯を食べている間も回復しなかった。
理由は容易に察しが付く。祁答院の言葉に耳を傾けないままに薗生と石和、二人の仲を勘ぐる彼女は、薗生の見た目に打ちのめされ、出された手料理にも衝撃を受けていたから。
あきらかに自分が劣ると悟った有川は、食事中ずっと石和にコイツコロス光線を送りながら『うう、負けた』と呪詛のようにつぶやき続けていた。その間、有川の視線にまったく気付かず平然とし、その神経を逆なでし続けた石和の鈍感もかなりのものだが。
次に祁答院と古砥部。玄関でのやりとりにもめげず祁答院を優遇していた薗生の態度は、夕食が終わるころにはだいぶ冷たくなっていた。
『お客様は三人とうかがっていたのですが……』
と訝る薗生に、
『その通りです。見えなくてもちゃんといますから』
と祁答院が強引に説得して人数分の料理を出してもらい、電波ポイントプラス1。夕食が始まり、並んだ料理を高速で平らげながら欠食児童のように「お代わり」ラッシュを繰り出す古砥部の行動がすべて祁答院の行動に見え、電波ポイントプラス1。さらにその横で、祁答院は『胃が痛い……』と呻いていたので、プラス1。
合計3ポイント。たぶん5ポイントも貯まれば避けて通られるようになるだろう。薗生には祁答院が胃痛を訴えながらお代わりを連打し、二人前の食事を平らげていたように見えていたはずだ。
(泣きたい。完璧に変人だと思われただろうな)
夕食後、薗生がお茶を差し出しながら自分に向けた目を思い出し、祁答院は重く長いため息を吐き出した。
(またいつものパターンか……)
むしろいつも以下。まだデートすらしていない。
(きっと将来もそうだろう。古砥部がそばにいる限り、私はこのまま結婚どころか永久に変人扱いだ)
さらに陰鬱なため息を、祁答院は陰々滅々(いんいんめつめつ)とした面持ちで吐き出す。
ただ、古砥部を嫌っているわけではない。むしろその逆で、言葉では言い切れないほど感謝し、大事だと思っている。彼女がそばにいなければ、家系を理由にイジめられ続けた幼少時代を祁答院は乗り切れなかった。そのころ自殺も考えたほど悩んだ祁答院にとって、古砥部は命の恩人なのだ。それを見捨てられるほど冷酷にはなれなかった。
「お、あったあった」
どうやら目的物らしい大学ノートを発見し、石和が彼にしては明るい声を上げる。
「どしたんすかセンセ? 口にするのもはばかられるような名状しがたい顔をして?」
「私はクトゥルー神話の怪物じゃない」
石和なりの気遣いは、分かりにくいブラックジョーク。祁答院は軽くつっこみ、もと来た廊下を歩き始める。
「それより石和君。細かい資料の探索は後にして、早く居間へ戻ろう。有川さんを放っておくと薗生さんに何を吹き込むか分かったものじゃない」
酒盛りが始まっているらしい居間からは、歓声が聞こえてくる。有川VS薗生の一方的冷戦は、お酒が入った時点でたちまち終結を迎えたらしい。
「……そりゃ間違いないっすね」
上がった薗生の笑い声は、有川による祁答院と石和、どちらかの暴露話で間違いない。二人は大急ぎで居間へと戻った。




