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名もない誰かの短いコメント
翌朝、いつも通りに目が覚めた。
昨日のことは、少し遠い出来事のように感じられる。
通勤電車の中で、何気なくスマートフォンを開く。
通知が、一件。
一瞬、見なかったことにしようかと思った。
だが、指が勝手に動く。
再生数は、二桁。
思っていたより、少し多い。
コメント欄に、短い文章があった。
――懐かしい音ですね。
――今の気分に、ちょうど刺さりました。
それだけだった。
名前も、評価も、長い感想もない。
だが、ケンジは画面から目を離せなかった。
刺さった。
その言葉が、胸の奥に残る。
若い頃の自分にではない。
今の自分に向けて、言われた気がした。
電車が駅に滑り込む。
周囲の人たちが、当たり前の顔で降りていく。
ケンジは、スマートフォンを胸ポケットにしまう。
表情は、何も変わっていない。
だが、心の中で、何かが静かに位置を変えた。
――誰かには、届いた。
それだけで、十分すぎるほどだった。




