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使う資格がない

  朝が来ても、旋律は消えなかった。

 目覚ましが鳴る前から、頭の奥で、昨夜の続きが流れている。


 忘れたくない。

 だが、どうすればいいのかは分からない。


 ケンジは、通勤電車の中でスマートフォンを開いた。

 いつものように、特に目的もなく画面を眺める。


 ニュースの見出しに、同じ言葉が何度も出てくる。


 ――AI

 ――生成

 ――自動作曲


 若い頃なら、きっと興味を持った。

 新しい機材、新しい音。

 そういうものに、胸が躍る性分だった。


 だが今は、違う。


 「……関係ないだろ」


 小さく呟いて、画面をスクロールする。

 AIが曲を作る時代。

 プロじゃなくても、誰でも音楽を形にできるらしい。


 便利な時代だ。

 だからこそ、居心地が悪い。


 ケンジは、自分の指を見つめた。

 楽器も弾けない。

 楽譜も書けない。

 音楽を学んだこともない。


 ただ、鼻歌を何十年も歌ってきただけだ。


 「俺みたいなのが、使っていいもんじゃない」


 誰に言うでもなく、心の中で線を引く。

 AIは、ちゃんとした人のためのものだ。

 若くて、才能があって、これから先がある人間のためのものだ。


 そう思いたかった。


 検索欄に指を伸ばしかけて、止める。

 言葉を入れてしまえば、戻れなくなる気がした。


 もし、形になってしまったら。

 もし、完成してしまったら。


 それはもう、

 「若い頃の夢」ではなくなる。


 五十代の自分が、

 いまさら掘り起こしていいものなのか。


 ケンジはスマートフォンを伏せ、電車の窓に映る自分の顔を見る。

 そこには、挑戦者の顔はない。

 ただ、生活に慣れた男がいるだけだ。


 ――諦めた人間が、続きを持っていていいのか。


 答えは、出ない。


 その日の仕事は、いつも以上に頭に入らなかった。

 旋律が、何度も意識をさらっていく。


 夜。

 部屋に戻り、灯りを落とす。


 ケンジは、ベッドに腰掛けたまま、動けずにいた。

 スマートフォンは、すぐ手の届くところにある。


 使う資格がない。

 そう思っている。


 それでも。


 ――このまま、また何十年も、鼻歌のままで終わるのか。


 その考えが、胸の奥で、静かに決定打になった。


 ケンジは、深く息を吸い、

 もう一度、スマートフォンを手に取る。


 検索欄に、ゆっくりと文字を打ち込んだ。


 ――鼻歌 曲にする 方法


 画面が切り替わる。

 世界が、ほんの少しだけ、前に動いた。

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