階段の向こう
送別会。
店の奥の座敷。
部署ごとに固まって座らされて、加藤とはだいぶ離れた。
グラスの音と笑い声が混ざっている。
ビールを注がれて、また注がれて。
誰かの武勇伝。
誰かの愚痴。
唐揚げを一つ取る。
冷めている。
ふと顔を上げる。
向こうのテーブルで、加藤が笑っていた。
肩を叩かれて、背中を叩かれて、グラスを持たされている。
いつもの顔。
それだけ確認して、視線を皿に戻す。
「じゃあ最後、加藤さんから一言ー」
拍手。
何か喋っている。
うまく聞こえない。
たぶん、いつもの調子で、軽いことを言っているんだと思う。
また笑いが起きる。
お開きになって、ぞろぞろと店を出る。
夜の空気が少し冷たい。
コートのポケットに手を入れる。
「ムラ」
振り返ると加藤。
「コンビニ寄っていい?」
「はい」
店の向かいのコンビニ。
棚の前で立ち止まる。
「どっちが効くんだろな、これ」
「気休めっすよ、たぶん」
「だよな」
小瓶を二本。
レジ袋はいらないと言って、そのまま外に出る。
店の前で、キャップをひねる。
「一次会の前に飲んどきゃよかったな」
「ほんとっすね」
同時に流し込む。
変な味。
顔をしかめて、少し笑う。
少し間。
駅の方から、二次会組の声が聞こえる。
「行くか」
「ですね」
並んで歩き出す。
肩がぶつかりそうで、ぶつからない距離。
いつもと同じ歩幅。
駅前の灯りの中に、二人の影が伸びた。
月曜。
肩をトンと叩かれる。
振り返ると加藤。
タンブラーを持って、いつもの喫煙所。
ドアを開ける。
風が抜ける。
冷たくない。
風がやわらかい。
「……なんか、あったかくなってきましたね」
「だな」
「もう春か」
煙がゆっくり上にのぼる。
前みたいにすぐ流れない。
同じ場所。
同じ時間。
なのに、少しだけ違う。
加藤の最終出勤日。
定時少し前。
「加藤さん、ちょっといいですかー」
総務に呼ばれる。
席のまわりに人が集まる。
小さな花束。
「長い間お疲れ様でした」
拍手。
「いやいや、そんな大したことしてないんで」
いつもの調子で笑う。
二言三言、何か喋る。
「じゃ、みなさん元気で」
それだけ。
荷物はほとんどない。
鞄を肩にかける。
「ムラ、先行ってるわ」
「はい」
いつもの帰りと同じ背中。
エレベーターの扉が閉まる。
駅前。
加藤が先に立っていた。
両手をこすっている。
「やっぱ夜は冷えるな」
「そうっすね、どこ行きます?」
「……いつものとこでいいだろ」
「あ、はい」
暖簾をくぐる。
「いらっしゃい」
いつもの声。
いつもの端の席が空いていた。
並んで座る。
花束を、空いている隣の椅子に置いた。
少しだけ場違いに見える。
「とりあえず生で」
ジョッキが来る。
軽く当てる。
「お疲れ様でした」
「ありがとありがと」
一口飲む。
「俺も定年かー」
笑う。
「早いな」
「ムラもさ、入った頃、顔丸かったよな」
「ベビーフェイスってやつ」
「今普通におっさんだもんな」
「失礼っすね」
笑う。
ジョッキが空く。
「ウーロン茶でいいや」
「俺も」
いつもと同じ。
少し沈黙。
「結婚できてよかったな」
ぽつっと言う。
「はい」
「安心したわ」
それ以上は言わない。
「大将、会計」
「今日は俺が払います」
「いいの?」
「最後なんで」
「……じゃあ、甘えるか」
「ごちそうさん」
暖簾はもう外されていた。
外に出る。
「やっぱ寒いな」
「ですね」
駅まで歩く。
少しだけ会話が途切れる。
「また飲みに行きましょうね」
「年賀状も出します」
「なんだそりゃ」
笑う。
「まあ、また行こう」
駅前。
立ち止まる。
「じゃ、ここで」
「はい」
加藤は地下鉄の階段へ向かう。
降りていく。
振り返らない。
段々小さくなって、
やがて見えなくなった。




