七話 残酷とは、己の弱さを言う
フードの人物の腕が砕けた。
赤い光が揺れ、フードの人物は崩れ落ちる。
床に倒れ、動かなくなった。颯茜は荒い息を吐きながら、拳を下す。
「……はぁ、はぁ……終わった……のか……」
戦場は静寂に包まれる。
その中で、サクラがゆっくりと歩み寄る。
紙袋を抱えたまま、いつもの軽い声で言った。
「うん、よくやったよ。颯茜、はーい肉まん♪」
颯茜は振り返る。
肉まんを受け取って、サクラに問う。
「……こいつ……何者なんだよ……」
サクラは一瞬だけ、笑みを消した。
そして、静かに告げた。
「───こいつは“律をベースに作られた失敗作”だよ」
颯茜の世界が音を失った。
耳を疑う、その答え。
受け取った肉まんを、床に落としてしまう。こちらの鋭い眼光で射る目の前の男に恐怖を覚える。
「……なッ……ぁ……」
肉まんが床に落ちた音が、やけに大きく響いた。
颯茜の喉が、ひゅ、と細く鳴る、声にもならない。
呼吸の仕方すら忘れたように胸が上下する。
「……律……を……?」
かろうじて絞り出した声は、自分のものとは思えないほど震えていた。
サクラは頷きもしない。
ただ、淡々と続ける。
「そう、律のコピーだよ。でも、本物には遠く及ばなかった。だから──失敗作」
その言い方があまりにも軽くて、颯茜の背筋が凍る。
「……嘘だろ……」
視界が揺れる。
床に倒れたフードの人物、その赤い光は、もう動かない。
だが、脳裏に焼き付いて離れない。
あの声。
あの癖。
あの呼び方。
──ニイサン。
(……律)
思考がまとまらない。
まとまるはずがない。
サクラはまるで天気の話でもするように言った。
「颯茜、君は現実を知らなすぎる」
その言葉に颯茜の心臓が跳ねた。
「ッ……」
声が震える。
怒りか、恐怖か、悲しみか。
自分でも分からない。
サクラはゆっくりと微笑んだ。
その笑みは優しいのにどこか底が見えない。
「なら、進まなきゃ。“本物”に辿り着くためにはね」
颯茜は拳を握りしめた、震えが止まらない。
(……律……お前……こんな場所で…… 何されてんだよ……)
胸の奥が焼けるように痛い。
サクラは肉まんをひょいと持ち上げ、埃を払って、にこりと笑った。
「んー……三秒ルールってことで、いけるかな?」
場違いなまでに明るい声は、忌々しくも感じた。
「これで任務は、終わりだよ。さぁ、二人の元へ戻ろう」
颯茜は、倒れた“失敗作”を一度だけ見た。
そして、唇を噛みしめて前を向いた。
「よし、飛鷹にあげようかな」
(お前の元へ、行ってやる)
■■■
廃工場の扉が、ギィ……と音を立てて開いた。
「颯茜!!」
飛鷹が真っ先に駆け寄る。
その後ろで、カランコエも胸を撫で下ろしたように息をつく。
「よかった……無事で……!」
颯茜は二人の前に立った。血まみれで、息は荒く、腕は震えている。
だが、それだけじゃない。
カランコエは、ふと違和感を覚えた。
(……颯茜さん……?)
颯茜は笑わない。
表情は無表情に近いのにその奥で何かが“燃えている”。
怒りでも、悲しみでもない、もっと深い、もっと重い何か。
「颯茜、ほんまに大丈夫か?腕とか……」
「……平気だよ」
その声は低く、乾いていた。
飛鷹は気づかない。
サクラは気づいているが、何も言わない。
ただ一人、カランコエだけが震えた。
(……違う……颯茜さん……こんな雰囲気じゃ……)
颯茜は二人の前を通り過ぎる。
その背中は、まるで“何かを置いてきた”ように重かった。
「颯茜さん……?」
思わず呼び止める。
颯茜は振り返らない。
カランコエの胸がざわついた。
(……颯茜さん……何があったんですか……?)
サクラは紙袋を抱えたまま、にこにこと笑っていた。
「さぁ、帰ろうか。飛鷹、肉まんあげるよ」
「おおっ!?やった──」
「サクラ様!!今はそんな場合じゃ……!」
飛鷹とカランコエの声が響く中、颯茜はただ静かに歩き続けた。
その背中を、カランコエだけが不安そうに見つめていた。
(……颯茜さん……あなた、何を見てきたんですか……)
「あ、颯茜!待ちーや!」
初任務は、颯茜に大きな禍根を遺したまま、終了となった。
「……やり過ぎでは?」
資料を持ったまま、目の前に座るサクラに言い放つ少女。
「あそこまでやらないと、成長できないと思ってね」
「……ボス、彼は……本当に信用に足る人物なのですか?」
胸に手を当てて、不安を全面に出す。
「むしろ、彼ほど信頼に足る人物はいないと思っているよ。もちろん、君も信頼してるけどね」
「それは、光栄の限りですが……」
少女は資料を胸に抱えたまま、サクラの言葉を飲み込めずにいた。
「……ですが、ボス。彼は……“知らなすぎます”。あの状態で、あの真実を……」
声が震えていた。
怒りではない。
恐怖でもない。
ただ、心配だった。
サクラは椅子に深く腰掛け、紙袋を机に置いた。
「知らなすぎるからこそ、いいんだよ」
「……どういう意味ですか?」
少女の眉が寄る。
サクラは指先で紙袋を軽くつっつきながら、まるで子供に説明するように言った。
「颯茜はね、“知らないまま進める強さ”を持ってる。普通の人間なら折れるところで、彼は折れない」
「……それは、強さではなく……無謀では?」
「無謀でも、結果が出れば強さだよ」
サクラの声は軽い。
だが、その奥にある“確信”は揺らがない。
少女は唇を噛んだ。
「……ですが、彼は、あの“失敗作”を壊した後……明らかに様子が……」
「変わったね」
サクラは微笑んだ。
その笑みは、優しいのにどこか冷たい。
「でも、それでいいんだよ。変わらなきゃ、辿り着けない」
「……どこに、ですか?」
少女の問いにサクラは一瞬だけ目を細めた。
「アザミのところに決まってるじゃないか」
少女の背筋が震えた。
「アザミは、そんな簡単に会える存在では……」
「だからこそ、颯茜が必要なんだよ」
サクラは椅子から立ち上がり、窓の外を見つめた。
「颯茜はね、アザミに触れた瞬間に壊れるタイプじゃない。むしろ、壊れながら進むタイプだ」
「……それは……褒め言葉なのでしょうか……」
「もちろん」
サクラは振り返り、少女に柔らかく微笑んだ。
「君も見ただろう?あの目を」
少女は息を呑んだ、颯茜の目。
血まみれで、震えていて、それでも“前だけ”を見ていた。
「……あれは……」
「執着だよ」
サクラは静かに言った。
「アザミに対する、ね」
少女は言葉を失った。
サクラは紙袋を持ち上げ、軽く振って笑った。
「さて、準備をしようか。次はもっと面白いことになるからね」
「……ボスは本当に、颯茜さんを信じているのですね」
「うん、彼はアザミを壊せる唯一の存在だから」
少女の表情が凍りついた。
「……壊す……?」
「そう。壊すか、救うか。どちらに転んでも、物語は進む」
サクラは軽く笑った。
「だから、楽しみなんだよ。あぁ、それに……失敗作も使いよう、だね」
サクラは軽く笑った。
その声は、まるで新しい玩具を見つけた子供のように無邪気だった。
(……この人は……本当に……怖い)
少女の背筋が、ぞくりと鳥肌立つ。
目の前の男は笑っているのに、その笑みの奥には“何もない”。
(九条 颯茜、可哀想)
少女は胸の前で資料を抱きしめた。
それはまるで、自分を守るための盾のようだった。




