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二話 秘匿主義は弟です

 夜の空気は、昼間よりも冷たかった。

 街灯の光が途切れるたびに、律の影が闇に溶けていく。

 颯茜は距離を空けながら、その背中を追っていた。


(……どこまで行くんだよ)


 律は振り返らない。

 けれど、歩く速度は一定で、まるで“ついてこい”と言っているようだった。

 家から離れるにつれ、街の灯りは少なくなり、やがて人の気配がほとんど消える。

 辿り着いたのは古い倉庫が並ぶ、人気のない区域だった。


(……なんでこんなとこに)


 颯茜は物陰に身を隠し、律の動きを見つめる。

 律は倉庫の前で立ち止まり、ポケットからスマホを取り出した。

 短く、何かを呟く。

 その瞬間──


 ──ブゥン……


 低いエンジン音が闇の奥から響いた。

 黒い車が一台、音もなく近づいてくる。

 窓はスモークで中は見えない。


(……なんだよ、これ)


 車は律の目の前で止まる。

 少しして、車の窓がゆっくりと開いた。


 中にいたのは──

 昼間、職員室で律と話していた女教師だった。


「……───。時間通りですね」

「……」


 女教師は周囲を確認し、誰もいないことを確かめるように視線を巡らせる。

 颯茜は息を止めた。


(……見つかるなよ、頼むから)


 女教師は律に何かを手渡した。

 黒いケースのようなもの、中身は見えない。


「対象はこの倉庫の奥、まだ安定しているはずです」

「……了解」


 律はケースを受け取り、 倉庫の扉へ向かう。

 ギィ……と重い音を立てて扉が開く。

 中は真っ暗だ。

 律は一瞬だけ振り返った。


 その視線は──

 颯茜が隠れている方向を、まっすぐに射抜いた。


(……っ!)


 心臓が跳ねる。

 だが律は何も言わず、 そのまま倉庫の中へ消えていった。

 扉が閉まる、颯茜は震える息を吐いた。


(……やっぱり、普通じゃねぇ)


 “対象”

 “回収”

 “片付け”


 全部が意味不明で、

 全部が危険な匂いしかしない。


(……暴く。今日こそ、絶対に)


 颯茜は倉庫の裏手へ回り込み、小さな窓を見つけた。

 中は暗い。

 けれど、奥の方で微かに光が揺れている。

 颯茜はそっと窓に近づき、中を覗き込んだ。


 ──そこで、息が止まった。


(……なに、これ)


 倉庫の奥で、律が“何か”に向かって立っていた。

 黒いケースを開き、中から銀色の器具のようなものを取り出している。


 その“何か”は、

 人の形をしているようで、していないようで──

 暗闇の中で、微かに脈動していた。


(……やばい。

 これ、本当にやばい)


 颯茜は窓から離れようとした。

 その瞬間。


「──兄さん」


 背後から声が落ちた。

 振り返ると、そこには律が立っていた。

 倉庫の中にいたはずの律が、いつの間にか外に出て、颯茜のすぐ後ろに立っていた。


 無表情。

 無感情。

 ただ、静かに


「……どうして、ここにいるの」


 颯茜は声が出なかった。

 律の瞳は、いつもよりずっと冷たかった。


 ■■■


「……どうして、ここにいるの」


 冷や汗がドバっと出る。

 拭うことすらも忘れて、目の前の律から目を離すことができずにいた。


「やっぱり、兄さんだったんだね」

「……ど、どうして……」


 尻もちを着いて、ゆっくりと後ずさりをする。

 視線が定まらない。

 恐怖という感情はこの瞬間より、増大したことはないと言えるだろう。


「どうしてって?」


 無表情の瞳の奥に潜む残酷と言えるまでに冷たい何かが全てを食らうのを俺は幻視した。

 浅い呼吸を繰り返し、心臓がキュッと握りつぶされる感覚に陥る。


「僕は言ったよ、『兄さんには、関係ない』ってね」


 はぁ〜と、深いため息をついてジッとこちらを見下ろす律は、ゆっくりと近づいてくる。


「……どうして……何でだよっ!」


 けれど、堰を切ったように感情がぐちゃぐちゃになり、溢れ出すのを感じた。


「お前は“気づいていた”!!なのに、俺の追跡を許したんだよ!」

「───愚鈍」


 その時、横槍が入る。

 後ろを振り向くと、昼の女教師が立っていた。


「ッな……」


 声にもならない声を漏らす。

 ゴミを見る目で見下ろしてくる女は目の前から歩き律の後ろに来ると、後ろから抱きつく。


「……はぁ……なんで君は毎回僕に抱きついてくるんだよ。さっさと退いてくれない?」

「それは、無理な相談です。隊長♡」


 女教師は律の背中に頬を寄せ、まるで恋人に甘えるような声音で囁いた。

 だが、律の表情は一切動かない。


「……離れて。任務中だよ」

「任務中だからこそ、ですよ? あなたの体温を確認しておかないと」


 女教師は律の胸元に手を滑らせる。

 その仕草は甘ったるいのに、瞳だけは氷のように冷たかった。

 颯茜は震えながら、地面を掴む。


(……なんだよ、これ……何の“隊長”だよ……)


 理解が追いつかない。けれど、ただひとつだけ分かる。律は、俺の知らない世界で生きている。

 律は女の手を払いのけ、ゆっくりと颯茜の方へ歩み寄った。


「兄さん」


 その声は、いつもの無表情よりも、さらに温度が低かった。


「……どうして、僕を追ったの?」

「ど、どうしてって……お前が……お前が……!」


 言葉が喉で詰まる。

 恐怖と怒りと混乱がぐちゃぐちゃに絡まって、何も形にならない。

 律はしゃがみ込み、颯茜と視線を合わせた。

 その瞳は、まるで“人間”のものじゃないみたいに静かだった。


「兄さんは、僕の仕事に関わっちゃいけない」

「仕事……?」

「うん。僕は“そういう役目”だから」


 役目、その言葉が、妙に重く響く。

 女がくすりと笑った。


「隊長、説明なんて必要ありませんよ。この子は“対象外”なんですから」


 対象外──その言葉に、颯茜の背筋が凍る。

 律は女を一瞥し、再び颯茜に視線を戻した。


「兄さん。本当に、帰ってほしい」


 その声音は、怒りでも、呆れでも、優しさでもない。ただ、拒絶だった。

 颯茜は震える声で絞り出す。


「……帰れねぇよ。弟が……こんなことしてんのに……帰れるわけ、ねぇだろ……!」


 律の瞳が、ほんの一瞬だけ揺れた。

 だがその揺れは、すぐに冷たい静寂に飲まれる。


「僕は家族を守るために動いてるんだよ」

「守る……?」

「うん。だから──兄さんは、知らなくていい」


 その瞬間、倉庫の奥から“何か”が動く音がした。


 ゴト……ッ。


 颯茜の心臓が跳ねる。

 女が微笑む。


「隊長、“対象”の元へ」


 律はゆっくりと立ち上がった。


「……兄さん。本当に、ここから動かないで」


 その声は、命令でも、お願いでもなく、絶対に越えてはいけない線を示す声だった。

 颯茜は息を呑む。


 律は倉庫の扉へ向かい銀色の器具を握りしめたまま、中へと消えていく。

 颯茜は震える足で立ち上がろうとした。そのとき、女が横目で睨んだ。


「動かない方がいいですよ」


 女の笑みは、人間のものとは思えないほど冷たかった。颯茜は息を呑む。


(……律……お前、何をしてるんだよ……)


 倉庫の奥から、低い唸り声のような音が響いた。

 そして律の声が、微かに聞こえた。


「……大丈夫。僕が“片付ける”から」


 倉庫の奥から響く低い唸り声は生き物のものなのか、機械のものなのかすら分からなかった。

 床を引きずるような音が混じる。


(……なに、あれ……)


 颯茜の喉がひゅっと鳴る。

 息を吸うことすら怖い。


 女は倉庫の扉に背を預け、まるで“見物”でもするかのように腕を組んだ。


「……隊長は優秀ですから、すぐに終わりますよ」


 その声は甘いのに言っている内容は血の気が引くほど冷たい。

 颯茜は震える声で問う。


「……律は……何を……」


 女はゆっくりと視線を落とし、颯茜を見下ろした。


「あなたには、関係のないことです」


 律と同じ言葉。

 同じ拒絶。


(……なんなんだよ……なんで誰も……教えてくれないんだよ……)


 倉庫の中で、金属がぶつかる音がした。


 ガンッ!!


 颯茜の身体が跳ねる。

 続いて、律の声。


「……落ち着いて、暴れないで」


 その声は、誰かを宥めているようにも、“何か”を制御しているようにも聞こえた。

 女は微笑む。


「対象の不安定になってますね。やっぱり兄さんの存在が刺激になったんでしょう」

「……は?」


 意味が分からない。

 でも、ひとつだけ理解できた。


 颯茜がここに来たせいで、

 倉庫の中の“何か”が反応している。


(……俺のせい……?)


 胸が締めつけられる。

 倉庫の扉が、内側からドンッと叩かれた。


「っ……!」


 颯茜は思わず後ずさる。

 女は微動だにしない。


「隊長、急いだ方がいいですね。限界を超えます」


 倉庫の中から律の声が返る。


「分かってる」

(……俺の……せい……?)


 律の声は淡々としていた。

 怒っているわけでも、責めているわけでもない。

 ただ、事実を述べるように


「兄さん、本当に動かないで」


 その直後に倉庫の奥から耳を裂くような金属音が響いた。颯茜は思わず耳を塞ぐ。


(……人間の声じゃ……ない……)


 女はため息をついた。

 颯茜は震える声で叫ぶ。


「な、なんなんだよ!中にいるのは……何なんだよ!!」


 女はゆっくりと微笑んだ。


「──あなたが知る必要はありません」


 その瞬間、倉庫の扉が少しだけ開いた。

 中から漏れた光が、律の影を長く伸ばす。


「兄さん……帰って」


 その瞳は颯茜が今まで一度も見たことのないほど冷たかった。

 颯茜は言葉を失う。


「これ以上は……本当に、危ないから」


 扉は閉められる。

 颯茜は震える手を、届かない事も承知で律の影へと伸ばした。空を切った手は、行き場を失っていた。


(……律……お前……何と戦ってるんだよ……ッ)


 その日、律が帰ってくることはなかった。

 仕事、役目、対象、回収、全てを律は語らなかった。女が言った隊長も、なんの事かも分からずにいた。


「……はぁ」


 頬杖をついたまま、無意識に吐き出したため息は、

 自分でも驚くほど重かった。


「どーしたんだよ、颯茜?」


 隣の席のタケが、心配そうに覗き込んでくる。颯茜はゆっくりと顔を上げた。

 教室は喧騒に包まれ、本を読んでいるやつは苦い顔をしている。

 いつも通りの、退屈な日常。


 ──なのに。


(……なんで、こんな普通なんだよ)


 昨夜の倉庫の闇が、まだ目の裏に焼き付いて離れない。 律の冷たい瞳も赤く彩ったナイフも鉄の匂いも、全部が夢じゃない。


「なんでもねぇよ」


 そう言った声は、自分でも驚くほど乾いていた。

 タケは眉をひそめる。


「お前さ、最近マジで変だぞ?」

「……そうかよ」


 颯茜は視線を窓の外へ向けた。

 冬の空は薄く白くて、どこか、あの倉庫の光に似ていた。


(……律。お前、どこで何してんだよ)


 胸の奥が、じわりと痛む。

 “家族を守るために動いてるんだよ”律の言葉が、何度も何度も頭の中で反響する。

 守る?あんなやり方で?


(……帰ってこいよ、律)


 心の中で呟いた言葉は誰にも届かないまま、静かに消えていった。

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