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一話 俺の弟は怪しすぎる

 学校とは、実に退屈だ。

 やることは勉強か、友達と話すくらいしかない。

 漫画もゲームも持ち込めない。


 正直、退屈で死にそうな時だってある。


 だからこそ、俺――九条クジョウ 颯茜リュウセイ

 そんな中でもただ椅子に座り、机と向き合うだけで一日を過ごす弟のことが理解できないんだろう。


 弟の名前は九条クジョウ リツ

 双子の弟で、超のつくイケメンだ。


 そんな律が普段何をしているかと言えば、

 仏頂面で誰とも話さず、自分の机にいるだけ。


 律は兄貴の俺ともほとんど話さない。

 最後にまともに会話したのがいつだったか、思い出せないほどだ。


 イケメンのくせに無口で仏頂面だから、女子には「クールでかっこいい」と褒められている。

 けど、友達はいない。

 なんなら男子からは「スカしてる」と陰で言われているらしい。


 それでも律は、一度も反応したことがない。


 怒りもしない。

 笑いもしない。

 無視するわけでもない。


 ただ、そこに“いない”みたいに、静かに座っているだけだ。


 ……あれは、なんなんだろうな。


 双子のはずなのに、俺とはまるで別の生き物みたいだと、 ふとした瞬間に思うことがある。


 そして、もうひとつ。


 律には、誰にも言っていない“習慣”がある。


 学校が終わると、必ずどこかへ行く。

 寄り道でも遊びでもない。

 まっすぐ、迷いなく、どこかへ。


 そして帰ってくるのは、決まって深夜だ。


 理由は聞いても教えてくれない。

 というか、聞いたところで律は何も言わないだろう。


 ……だから、俺は決めた。


 今日こそ、律がどこへ行っているのか確かめる。


 ■■■


 颯茜は、学校から律の跡を追う。

 俗に言うストーキングをしていた。途中クラスメイトや近所の人から奇異の目で見られてしまったが。

 今の所、律にはバレていないようだ。


「なにあれ」

「岩を舐める妖怪?」


 岩陰に隠れている颯茜は、女子高生たちからクスクスと笑われてしまった。

 やはり他人から見ると、相当おかしく見えるらしい。


「?……」


 突然、後ろを向いたと思うと気の所為か、と言わんばかりに頭を傾げながら来てきた方向を見返す律。

 視線に気づいたのか、不思議そうな顔をしている。


 けれど、何事も無かったように前へと進んでいく。少し言ったところにある建物に入っていく律。


「やっと家か、長ぇ……」


 そんな苦言を呈しながら、颯茜はリビングに繋がる窓から中の様子をコッソリと覗く。


「……ここからじゃ、わかりにくいな……」


 ガラス越しに目を凝らすが、律の姿はカーテンの影に隠れてよく見えない。

 ただ、律が誰かと話しているような気配だけが、薄く伝わってくる。


(電話……? いや、あいつが電話なんてするか?)


 律は基本的に誰とも関わらない。

 家族ですらそうなのに、電話相手なんて想像がつかない。


 颯茜は窓に額を寄せ、さらに覗き込もうとした――その瞬間。


「……っ!」


 カーテンが、音もなく横に引かれた。

 そこに立っていたのは、律だった。


 無表情。

 無感情。

 ただ、こちらを見ている。


 目が合った。

 颯茜の心臓が跳ねる。


(やっべ……!)


 逃げるべきか、誤魔化すべきか、何か言うべきか。

 頭の中で選択肢がぐるぐる回るが、どれも正解に見えない。


 律は、ゆっくりと窓に近づいてくる。

 足音はない。

 影だけが、じわりと迫ってくる。


 そして、窓越しに口を開いた。


「……兄さん」


 その声は、いつもの無表情とは違う。

 冷たいわけでも、怒っているわけでもない。


「……何してるの?」


 颯茜は、喉がひゅっと鳴るのを感じた。


(終わった……!)


 言い訳を考える暇もなく、律は続けた。


「入って」

「……は?」

「そこで覗いてると、目立つ」


 淡々とした声。

 怒りも呆れもない。

 律は窓を少し開け、颯茜を中へ招き入れる。


「話があるの」


 その言葉に、颯茜は思わず息を呑んだ。


 弟が、自分に“話がある”なんて――

 いつ以来だろう。


 胸の奥がざわつく。


 律は背を向け、リビングの奥へ歩いていく。

 その背中は、いつもよりずっと遠く感じた。


 颯茜は、ゆっくりと窓をくぐる。


(……何が始まるんだよ、これ)


 静かな部屋の中で、律の声だけが落ちてきた。


「なに、してたの?」


 背を向けてなにか作業をしている律は、淡々とした声音で聞いてくる。

 ここからでは表情が見えないが、無表情なんだろうということだけはわかった。


「さ、散歩……?というか、お前こそ何してたんだよ!いつも帰ってくるのは深夜だしよ!」


 手を止めてこちらの方を振り向く。颯茜が近づくと、 律は引き出しを静かに閉める。


「……兄さんには関係ない」


 その一言だけを残して、 律はまた外へと出ていく。


 颯茜は、閉まった扉を見つめながら思う。


(……絶対、なんか隠してる)


 確信だけが、胸の奥に重く残った。

 その日から、律へのストーキングが始まった。


 ■■■


 翌朝。

 学校へ向かう道は、いつもと同じはずだった。


 はずなのに――

 颯茜の胸の奥には、昨日の“律の言葉”がずっと頭の中に残っていた。


(……兄さんには関係ない、か)


 律の声は淡々としていた。

 怒ってもいない。

 呆れてもいない。

 ただ、線を引くように距離を置いていた。


 双子なのに。

 同じ家に住んでいるのに。


「おはよー颯茜!」


 クラスメイトの声で我に返る。


「あ、ああ……おはよ」


 返事はしたものの、頭の中は律のことでいっぱいだった。気づけば、学校に着いていた。

 席に着くと、律はすでに教室にいた。いつも通り、無表情で机に向かっている。


(……昨日のこと、気にしてないのか?)


 颯茜がじっと見ていると、律がふいに顔を上げた。


 目が合う。


 一瞬だけ、律の瞳が揺れたように見えた。

 けれどすぐに視線を逸らし、また机に向き直る。


(……なんだよ、今の)


 胸の奥がざわつく。

 律は今日も、誰とも話さずに帰り支度を始めた。

 颯茜はわざと少し遅れて教室を出る。


(今日も行くのか……?)


 律の後ろ姿を遠くから追う。

 昨日よりも距離を空けて、慎重に。


 律はまっすぐ家へ向かっているように見えた。

 だが、家の手前でふいに立ち止まる。


(……え?)


 律は周囲を見回し、

 まるで“誰かを待っている”ように立ち尽くしていた。

 颯茜は慌てて電柱の影に隠れる。


 律はポケットからスマホを取り出し、

 画面を一度だけ確認する。


(……誰かと連絡取ってる?)


 そのとき――

 律がゆっくりと顔を上げた。


 颯茜の隠れている方向を、まっすぐに。


(……っ!)


 息が止まる。


 律は数秒だけその方向を見つめ、

 何も言わずに家へ入っていった。


 颯茜はしばらく動けなかった。


(……絶対、気づいてる)


 学校での覗き見だけじゃない。

 今日の尾行も、全部。


 律は気づいている。

 気づいた上で、何も言わない。


 その沈黙が、何より怖かった。


 玄関を開けると、

 律の靴がなかった。


(……また出かけた?)


 時計を見る。

 まだ夕方だ。


 律がこんな時間に外へ出るなんて、颯茜は胸の奥がざわつくのを抑えられなかった。


(……何してんだよ、お前)


 その日、律は深夜になっても帰ってこなかった。

 朝方、眠れないまま布団に入っていると、 玄関の鍵が静かに回る音がした。


 颯茜は息を潜める。

 律が帰ってきた。


 足音はほとんどしない。

 まるで影が歩いているみたいに、静かだ。

 律は颯茜の部屋の前で一度だけ立ち止まった。

 ドア越しに、気配だけが伝わる。


(……なんだよ)


 声をかけようとした瞬間、

 律の気配はすっと離れていった。


 颯茜は布団の中で拳を握る。


(……絶対、何かある)


 昨日よりも、今日の方が確信が強い。

 そして、颯茜は決めた。


 明日も追う。

 何があっても、絶対に。


 ────律の秘密を暴く為に


「──なぁ!そう思うだろ!?」


 その声でハッと意識が現実に引き戻される。顔を上げると、クラスメイトが話しかけていた。

 どうやら、屋上で話していたところ、ぼんやりしていたらしい。隣では、クラスメイトのタケルこと、タケと柚希ユズキが話していた。


「な!颯茜!」

「……え?なにが?」

「おい、話聞いてなかったのかよ?」


 呆れる声で柚希は俺に問う。

 いきなり会話を振られ、戸惑う俺に「しょうがねぇなぁ」と言いつつも、タケは話しかけてくる。


「この女優、お前どっち派?」


 タケがスマホの画面を見せてくる。

 画面には、今人気の若手女優が二人並んで写っていた。


「え、あー……どっちでもよくね?」

「はぁ!? お前マジかよ!」

「颯茜、珍しく興味なさすぎじゃん」


 柚希が呆れたように笑う。

 普段なら、こういうどうでもいい話に普通に乗れる。 けど今日は、頭の中に律の顔がちらついて仕方がない。


(……あいつ、昨日どこ行ってたんだよ)

「お前さ、なんかあった?」


 タケがじっと覗き込んでくる。


「え、別に……」

「いや絶対あるだろ。顔が“悩んでます”って書いてある」

「書いてねぇよ」

「書いてる書いてる。なぁ柚希?」

「うん、書いてる」


 即答だった。


(……そんなに分かりやすいか、俺)


 颯茜はため息をつき、フェンスにもたれかかった。


「……弟のこと」

「律?」

「律くん?」


 二人の声が重なる。


「なんかさ、最近……変なんだよ」

「変って、あいつ元から変じゃん」

「いや、そうなんだけど……そうじゃなくて」


 言葉にしようとすると、胸の奥がざわつく。

 昨日の“兄さんには関係ない”が、また頭の中で響いた。


「……なんか、隠してる気がする」


 タケと柚希が顔を見合わせる。


「颯茜、それ……気のせいじゃね?」

「律くんって、そういうの言わなそうだし」

「……だよな、俺もそう思いたいんだけど……」


 颯茜は空を見上げた。

 冬の空は薄く白くて、どこか冷たい。


(でも、気のせいじゃない。絶対に)


 律の視線。

 律の沈黙。

 律の帰宅時間。

 律の行動。


 全部が“普通じゃない”と告げていた。


「……まぁ、なんかあったら言えよ?」


 タケが軽く肩を叩く。


「うん。颯茜が悩んでるの珍しいし」


 柚希も笑う。

 二人の声で、少しだけ胸の重さが軽くなる。


 けれど――

 律の影は、消えなかった。


(……今日も、追う)


 颯茜は静かに決意を固めた。

 そのとき、校内放送が鳴った。


『──九条律くん。至急、職員室まで来てください』


 颯茜の心臓が跳ねた。

 タケと柚希が驚いた顔でこちらを見る。


「律くん、呼び出し? 珍しくね?」

「なんだろ……」


 颯茜は立ち上がる。

 胸の奥で、嫌な予感が静かに膨らんでいく。


(……何が起きてるんだよ、律)


 その答えは、まだ誰も知らない。


「俺、ちょっと行ってくる!」


 その瞬間、言葉を残して屋上から走って出ていく。


「おい、颯茜!?」


 後ろからタケの声が響くが、颯茜は止まらない。

 職員室の扉が閉まる音がした。

 颯茜は廊下の角に身を隠し、耳を澄ませる。


(……聞こえるか?)


 最初は雑音しか聞こえなかった。

 けれど、やがて女の声が混じり始める。


「──九条くん、昨夜の“片付け”は?」


 片付け?

 何の話だ。律の声は低く、抑えられていた。


「……完了しました」

(片付けって……何を?)


 女教師の声は、妙に落ち着いていて、違和感だけがそこにあった。


「対象の“温度”は?」

「……安定しています」


 温度? 対象?

 何の話をしているのか、まったく分からない。

 颯茜は息を潜め、さらに耳を近づける。


「では、今夜の“回収”も予定通りで」

(……今夜?)


 その言葉だけは、はっきり聞こえた。

 律が小さく返事をする。


「……了解しました」


 女教師は続ける。


「九条くん。あなたは“家族”に気づかれていませんね?」


 颯茜の心臓が跳ねた。

 律の返答は、少しだけ間があった。


「……問題ありません」

(……嘘ついてる)


 颯茜は確信した。律は気づいている、昨日の尾行も、今日の視線も、全部。

 それでも律は“問題ない”と言った。女教師の声が、さらに低くなる。


「もし気づかれた場合は──」


 その先は、雑音にかき消された。


(……なんだよ、それ)


 胸の奥が冷たくなる。

 律が何をしているのか分からない。 けれど、ただの寄り道や秘密じゃない。

 ──もっと、ずっと危ない何かだ。


「では、今夜。──以上」


 椅子が動く音がした。

 颯茜は慌てて廊下の反対側へ身を隠す。


 扉が開き、律が出てくる。

 その顔はいつも通り無表情だったが、

 どこか“張り詰めた気配”があった。


 律は颯茜の方を一瞬だけ見た。


 ほんの一瞬。

 けれど、その視線は“気づいている”と告げていた。

 颯茜は息を呑む。


(……今夜。何があるんだよ)


 律は何も言わず、静かに歩き去っていった。

 颯茜の胸の奥には、 昨日よりもずっと濃い不安が渦巻いた。


「……お前の秘密、暴いてやる」


 決意を言葉にし、教室へと歩みを進める。


 ■■■


 放課後の空は、どこか重たかった。

 冬の夕暮れは早く、街はすぐに薄暗くなる。

 颯茜は家に帰っても落ち着かなかった。

 律はまだ帰っていない。


(……今夜、回収、対象、温度、片付け……)


 意味の分からない単語が、頭の中で何度も反芻される。


「……くそ」


 机に突っ伏しても、胸のざわつきは消えない。

 律の部屋の前を通ると、 扉はきっちり閉じられたままだった。


(……あいつ、いつ帰ってくるんだよ)


 時計の針が進む音だけが、やけに大きく響く。

 家の中は静まり返っていた。家には颯茜ひとり。


(……律、まだか)


 玄関の方を何度も見てしまう。 落ち着かない。 胸がざわつく。

 そのとき


 ──カチャ。


 玄関の鍵が、静かに回った。

 颯茜は反射的に立ち上がる。律が帰ってきた。

 足音は、やっぱりほとんどしない。 影が滑るように廊下を進んでくる。


 颯茜は息を潜め、廊下の角からそっと覗いた。

 律は、黒いパーカーのフードを深く被っていた。

 いつもの制服ではない。外套のポケットには、何かが入っている。


(……何持ってんだよ)


 律は部屋に入るかと思いきや、そのまま玄関に向き直った。靴を履き替える。


(……は?今帰ってきたばっかだろ)


 颯茜の心臓が跳ねる。


(……今夜、って……これのことか?)


 律は玄関のドアに手をかける。

 颯茜は思わず声を出しそうになったが、寸前で飲み込んだ。

 律は静かに外へ出ていく。


 ──バタン。


 扉が閉まる。

 颯茜は、震える息を吐いた。


(……行くしかねぇだろ)


 律の秘密を暴くために。 今日だけは、絶対に逃さない。颯茜は上着を掴み、 玄関へ駆け寄った。

 ドアノブに手をかけた瞬間、ふと足が止まる。


(……もし、本当に危ないことだったら?)


 胸の奥が冷たくなる。

 けれど、それでも


(……弟だろ、放っとけるわけねぇ)


 颯茜はドアを開けた。

 冷たい夜風が、頬を刺す。

 律の影は、すでに遠くの街灯の下を歩いていた。

 颯茜は息を整え、 その後を追い始めた。


 ──“今夜”が、始まる。


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