第1章 7話 発酵する街
王都を歩きながら、修一は魔法文明と、教団が支配する街の仕組みを知る。
人間に近い体のまま食事もできる自分に戸惑う修一を、リリィは密かに観察しつつも情に流されはじめていた。
───
王都
魔法と発酵の街が、静かに息づいている...はずだった。
午後、二人は小さな神殿跡を訪れた。
石の壁には古い紋様が刻まれ、中央の泉には淡い光の粒が漂っている。
「昔はここで、女神に祈りを捧げてたらしいの。
今はもう、誰も来ないけど」
「……お前は信じてんのか? 女神とか」
「信じるっていうより、観察されてる気がするのよ。
人が神を見上げてた頃から、何かはずっと見てる
そんな感じ」
「……監視されてるってことか?」
「そういうんじゃないの。ただね、街を歩いてると、
風の向きとか、石畳の温度とか……たまに呼吸してるみたいって思うのよ」
「街が、息してる?」
「比喩よ。ただ、そう感じる時があるってだけ」
リリィは軽く笑い、泉のほとりを離れた。
その背中を見送りながら、修一は
たしかに風の流れが、一瞬だけ脈打ったように感じた。
───
鳥の声。
……ではなく、どこかでぷしゅっと空気の抜ける音がした。
「……今の、鳥じゃねぇよな?」
窓の外では、通りの石畳がうっすらと湿っている。
甘い香りが昨日よりも濃い。
そして、街全体が──わずかに温かい。
「……リリィ。なんか、お前の街、寝汗かいてねぇか?」
───
翌朝
修一は宿の窓を開けた。
ほんのり酸味のある風が吹き込み、昨日よりも街の匂いが濃い。
「……パン焼いてんのか? いや、朝からこれは発酵しすぎだろ」
通りには屋台の列。
だがどの店の看板にも、同じ貼り紙がしてあった。
『本日の食品は、予期せぬ膨張により一部提供を中止しております』
「……予期せぬってなんだよ」
修一は苦笑しつつ、通りの角にあるパン屋台に足を止めた。
老職人が汗をぬぐいながら、膨れ上がった生地を木べらで押さえている。
「昨日より膨らんでるな」
修一が何気なく口にすると、老職人は肩をすくめて小声で答えた。
「……祝福炉の加護が強すぎるんだよ、最近は」
その手は微かに震えていた。
背後の樽の中では、泡立つ生地がじわりと、心臓のように脈を打っていた。
「……加護、ねぇ」
修一は生地から立つ熱気を感じながら、無言で屋台を離れた。
───
王立魔法学院へ向かう途中、石橋の上で学生たちが数人立ち止まっていた。
白いローブを翻しながら、ざわめくように声を交わしている。
「見た? 昨日の夜、空が一瞬だけ光ったの」
「祝福炉の方角だったって聞いたけど……」
「いや、気のせいでしょ。炉が暴走したりしたら...」
修一とリリィが近づくと、彼らは気まずそうに会話を切った。
リリィがちらりと彼らを見送り、低く呟く。
「……やっぱり、何か起きてる」
「夜のうちに、ってやつか」
「ええ。教団の技師たちが夜明け前から出入りしてるの。
まるで何かを隠すみたいに」
リリィの声の奥に、かすかな不安が混じっていた。
街の空気が、少しざわついている。
修一はその匂いを鼻の奥で確かめながら、
胸の奥で、なにか小さな違和感を感じていた。




