第1章 5話 人型のはじまり
浄化されかけた修一は、リリィに危険物として袋詰めで王都へ運ばれ、研究室の観察対象として保護される。
研究されつつも奇妙な信頼が芽生え、泥からのロースタートながら、ようやく「人として生きる」ための第一歩を踏み出すのだった。
───
翌朝、修一は再び瓶の中だった。
どうやら「拾われた」の次は「研究される」段階に進んだらしい。
王都・地下研究室。
リリィは瓶底メガネをかけ、白い研究服の裾を整えながら記録用紙を広げ、淡々とペンを走らせていた。
普段よりも真面目な研究者仕様の装いだ。
ガラス容器の中では、泥色の塊がぼこぼこと泡を立てている。
「対象:修一=有機的幻影体(※現在発酵中)
状態:液状。臭気あり。精神異常に元気。」
「おい、その異常にって必要か?」
「観察者の主観を大切にしてるの。」
瓶の中で修一がぶくぶくと気泡を立てる。
「……なぁ、そろそろこの瓶生活やめねぇ?」
「何言ってるの。貴重なサンプルなんだから。」
「サンプルって言うな! 俺、まだ人間側の自覚あるんだからな!」
リリィは頬杖をつき、ガラス越しに彼を見つめた。
「でもあなた、どう見ても液体よ?」
「俺の中でまだ人間の形が生きてるんだって!」
(……俺、人間に戻りたい。戻らなきゃ……!)
その瞬間、瓶の中から光がじわりと滲み出した。
空気が震え、淡い蒸気が研究室を包む。
リリィが眉を上げる。
「……まさか、また爆発する気?」
「いや、違う。今度は、」
ぶわりと光が溢れ、修一の意識が空間に広がった。
その中心で、泥が蠢き、人の形を取り始める。
「おおっ!? できた、これだ! 幻影……いや、発酵体・第二形態だな!」
光の中から現れたのは、黒髪金眼の青年。
だが腰から下がまだ茶色く湯気を立てている。
「……下半身、まだ半熟ね。」
「発酵中だからセーフだ!」
「どこが!?」
(ボス、イケてるッス! 顔だけ!)
「顔面発酵、成功ってことで。」
修一はふらつきながらも、なんとか二本足で立ち上がった。
「……おお、視界がまともになったぞ。
リリィ、お前……声しか知らなかったけど……」
リリィが小首をかしげる。
「なに?」
「案外、地味なメガネ研究者だったんだな」
ぴくり、とリリィのこめかみが跳ねた。
「し、失礼ね! 今は研究モードだからこうなってるだけよ!
普段はもっと……その……華やかなんだから!」
「へぇ? メガネ外すと激変するタイプ?」
「うるさい!! データ取るわよ、じっとして!」
「おい、ちょ、ペン先冷たいって!」
リリィは観察メガネを押し上げ、修一を上から下までゆっくり眺めた。
その表情は真面目だが瞳の奥だけが、研究者特有の危険な光を宿している。
「……面白いわね。もっと条件を変えて試してみたいわ」
「おい待て、今の面白いは危ない意味のやつだろ!」
リリィはため息をついた。
「いいわ。とりあえず観察継続。歩けるの?」
「菌と……発酵素で仮生体を組んでるらしい。感覚も動きも問題なし!」
「……つまり腐って動いてるのね。」
「発酵って言え!」
リリィは小さく笑った。
彼女はすぐに顔を戻し、記録をまとめた。
「実験結果:幻影形成成功。ただし半熟。匂い、かすかに温泉系。」
「温泉系ってなんだよ!」
───
数時間後。
学院の搬入口。
リリィが修一を連れて、無言で門をくぐろうとした。
門兵が一瞬、彼女の顔を見て敬礼しかけ、すぐに姿勢を戻す。
どうやら顔パスらしい。だが、隣の修一に目を止めた。
「失礼ですが、そちらの方の身分証を拝見しても?」
修一が一瞬、固まる。もちろんそんなもの持っていない。
「あー……それが……」
「助手です」
リリィがさらりと口を挟んだ。
「助手?」
「ええ。温泉系の」
「温泉……?」
門兵が眉をひそめ、鼻をひくつかせる。
「……なんか納豆っぽい香りが……」
「発酵療法の副作用です。体の毒素を抜く作用があって」
リリィはにっこり微笑み、軽く修一の背を叩いた。
「笑顔。蒸気、止まってないわよ」
「発酵オーラだっつの!」
門兵はわずかに顔をしかめたが、すぐに通行印を押した。
「……あ、あぁ、なるほど。研究棟、通ってよし」
リリィは軽く礼をして、さっさと歩き出す。
門を抜けたあと、彼女はようやく小さく息を吐いた。
「ふぅ……緊張した」
「発酵も命懸けだからな」
リリィは歩きながら小声で続けた。
「……まあ、ここの門番たちは私の顔を覚えてるけど、王都の外門までは権限が及ばないの。
あそこは教団の管轄だから」
「お、おう……つまり、次は顔パス効かねぇってことか?」
「だからこそ、ちゃんとした人間の形を保ってもらわないと困るのよ」
「下半身が発酵中でも?」
「そこは……愛嬌でどうにかして」
足元にブウが止まり、小さく羽音を立てる。
(ボス、発酵安定中! 多分!)
「上出来だ」
修一は小さく笑い、手を握った。
その手の温度は、確かに人間のものだった。
(……拾われただけマシか。前の世界じゃ、誰も俺を背負っちゃくれなかったしな)
リリィはそんな彼を横目に見て、ほんの少しだけ笑みをこぼした。
こうして、発酵する男・修一は正式に王都の研究対象となり、
そして、再び歩き出す者として、学院の扉をくぐった。




