35話 英雄扱いはご遠慮します
リリィはガルドと森の食料調査を終え、森の民に祝福されながら町へ帰還。森の道と外界の物流課題も確認し、報告に備える。
───
森を抜け、空気が軽くなった頃。
見送りに来たのはガルドだけだった。
ガルドは無言で懐から一本の白い羽根を取り出す。
細く光を帯び、風もないのに揺れていた。
「……これを持っていけ。《古尾》の羽だ」
リリィは目を瞬く。
「え……私に?」
ガルドは短く首を振る。
「誰にでも渡すものじゃない。
だが、お前たちなら構わん。
また里に来る気があるのだろう?」
その声音は淡々としているが、どこか信頼が滲んでいた。
「羽の先が勝手に里の方角を向く。
森で迷ったときは、それだけ見ればいい。
……道に迷わせたくはないからな」
リリィは胸の前で大事そうに羽根を受け取る。
「ありがとう。……必ず、使わせてもらう」
ガルドはわずかに口元を緩めた。
「ああ。待っている」
森の気配が静かに閉じていく。
リリィは荷を抱え直し、歩き出した。
───
町役場へ向かう途中、ギルド前の掲示板が目に入った。
ふだんは素通りする場所だが、今日はやけに人だかりが多い。
(……あれ? 何だろ)
気づかれないよう横をすり抜けつつ、
ちらりと視線だけ向けた。
瞬間、足が止まった。
――『バクフーン湿原に英雄現る!
新たなる指導者 修一& リリィ』
――『物価高に苦しむ町民を救った慈悲深き救世主!』
――『商会の不正を暴き、制裁を下す! 正義の鉄槌!』
――『魔物の大群を撃退! 町の守護者リリィ!』
さらに下には、
商会が意図的に流したらしい悪質な張り紙も混ざっていた。
――『この女、商会を脅迫!?』
――『森の魔女リリィ、奇怪な実験の実態!』
――(写真:誰かが勝手に合成した妙に禍々しい影を背負ったリリィ)
(…………は?)
脳が一瞬、理解を拒否した。
(いやいやいやいや……私、ちょっとサンプル拾って帰っただけよね?
指導者? 正義の鉄槌? 誰?
ていうかこの写真何!? 影盛りすぎでしょ、私こんなオーラ出ないから!)
掲示板の前では、町の人たちが嬉々として噂している。
「修一&リリィって本当に凄い人だなぁ!」
「会ってみたいよなあ……どんな英雄なんだろ」
「絶対すごい人だぞ……!」
その中を、
その本人が誰にも気づかれず、そろそろと横切っていく。
(お願いだから気づかないで……今日だけは……)
厚いメガネ越しの視界が、じんわりと歪む。
(やだ……帰ってきたら、なんかめんどくさいことになってる……)
そっと頭を抱え、
リリィは研究所の暗い裏道へ逃げ込むように歩き出した。
森よりも、人の噂の方がよほど恐ろしい
そう思い知らされながら。
───
宿屋「月影亭」前は、朝から地鳴りのような騒ぎだった。
記者A
「英雄リリィは帰還したのか!? 修一氏はどこへ!?」
商会スパイ
「英雄に疑惑あり! と噂も出ている! 直撃取材だ!」
宿の女主人
「ち、違いますってば! お客様は普通の旅人で、あ、押さないで!」
その記者と野次馬の壁 のすぐ横を、
ソトカに手を引かれた、小柄な子ども姿の修一が歩いていた。
修一(内心)
(や、やべぇ……ここ、今日一番危険な地点だよな!?
よりによって、今ここ通るの!?)
しかし誰一人として、彼を振り返らない。
理由は単純。
街に出回っている英雄修一の写真は大人姿だけ。
「……今、子どもが通らなかった?」
「いや、関係ないだろ。英雄は背が高くてイケメンだって噂だぞ?」
修一(胸を押さえながら)
(生まれて初めて平凡な子どもで助かった、と思った……!
いや、俺そんな威厳あるタイプでもなかったはずなんだけど!?)
ソトカは当たり前のように修一を抱き上げる。
最近すっかり定位置になっていた。
修一は宿の女主人にこっそりと会釈する。
女主人は「気にしなくていいよ」と言わんばかりに微笑んで手を振った。
その瞬間、女主人の後ろで記者が振り返る。
記者Dが眉をひそめて振り返った。
「……今、誰に手を振った?」
隣の記者が首をかしげる。
「さぁ? なんか小さい子じゃなかった?」
二人はそのまま当然のように話題をリリィに戻し、
通り過ぎた小さな影には一瞥もくれなかった。
修一を抱えたソトカは、喧騒の端でぽつりと漏らす。
「……結局、彼らが見ているのは名前と噂だけだな。
本人なんてどうでもいいのだ。」
「お前、辛辣だな……」
───
大通りを抜け、石造りの裏路地へ入る。
喧騒が背後で遠ざかり、湿った空気だけが残る。
修一はほっと息をついた。
「ふぅ……助かった……
自分の名前があんな連呼されてんのに、誰も俺見てないって複雑だ。」
ソトカは抱えた修一の顔をのぞき込み、ほのかに耳を赤くした。
「悪いことばかりではないな。
……それに、お前、子どもになる前の姿も見たが──その……」
「ん?」
「……なかなか、いい……男、だった。」
「昨夜、お前が転生者と言ったのも妙に納得した。
前世でも、ああいう姿だったのか?」
「いやいやいや! 全然だよ!
前世はただのサラリーマン!
背も普通! 筋肉もない! どこにでもいる社畜!」
ソトカはわずかに肩を落とし、視線をそらす。
「そ、そうなのか……」
「……だが……好きだ、と言われたら……信じるかもしれん……」
「え?なんか言った?」
「な、なんでもない!!」
───
路地の先で足を止め、ソトカが宿の方角に視線を戻す。
「……とにかく、このままでは宿に戻れない。
記者も商会のスパイも、今はヒステリー状態だ。」
修一は短く頷く。
「たしかに……。あそこで説明しても無駄だな。」
「町長に頼ろう。
リリィとお前の功績は、町長が一番よく知っている。」
二人は肩を寄せ合うようにして、裏路地の石段を上がっていく。
やがて通りに出ると、町役場の屋根が夕陽に照らされ、静かに佇んでいた。
───
町役場の二階、町長室に案内されると、 町長は書類を抱えたまま顔を上げた。
「おお、修一殿にソトカ殿……! 記者や商会に囲まれていると聞きましたぞ!」
町長は深刻そうに眉を寄せ、机に軽く手を添えた。
「それはいかん! すぐに邸宅を──」
修一は慌てて手を振る。
「い、いやいやいや!
邸宅なんて俺には似合いませんよ……!
いきなり豪邸とか、逆に眠れなくなりそうで……!」
町長が「む?」と首をかしげる。
修一は一度息を整え、落ち着いた声で続けた。
「派手な場所より、静かで人目につかないところがいいんです。
もし可能なら、役場のどこか小さな部屋を……」
今度は町長がきょとんと目を丸くし、
すぐに破顔して笑った。
「……なるほど。
あなたらしい謙虚さですな。
役場の客間なら、安全で誰も近づきませぬ。
喜んでお貸ししましょう!」
こうして修一たちは、ようやく安息の場所を得た。




