33話 森に招かれし娘 森の村と腐素の畑
リリィは魔獣たちの案内で森の奥へ入り、ガルドの家に一泊。森の生活や食材に触れつつ、子どもたちとの交流を行う。
───
リリィはガルドと共に、村長の家の戸を叩いた。
炉の火の明かりが外へ漏れ、九尾の影がゆらりと揺れる。
「入るがよい、旅の娘。そして……ガルド」
二人が中へ入ると、九尾の狐の村長が穏やかに迎えた。
「お主たちの話はガルドから話は聞いておる。今回、わしは今回の件に口を挟むつもりはない。全権はガルドに一任しておったからな」
ガルドが静かに頭を下げる。
リリィも礼を返した。
村長の長い尾が、火に照らされてゆるりと揺れる。
「森での狼藉行為についてだがな……一部の連中はいまだに人間への報復こそ正義と騒いでおってな。あやつらが暴走せなんだら、今回の話もまた違う形になっておったかもしれん。世の中、どう転ぶか分からぬものよの」
「……むらおさ様。私がもっと早く気付いていれば、こうはならなかったかもしれません。」
ガルドが苦い顔で言うと、村長は手を振った。
「よいよい。ガルド、お主の責ではない。族長への説得はわしが行う。安心せよ。ほっほっほ」
そう言いながらも、その目には鋭い光が宿っている。
「信頼がどうこう言うには、まだまだ早い話よ。
だが、人語を話せぬ連中の暴走を止めるため、急ぎお主を派遣したのは正解であった。話の通じる者が来てくれた。それで十分じゃ」
村長はリリィに視線を向ける。
「それにな……町には強い女子がいると聞いておったぞ。お主のことか、娘よ?」
リリィは少し驚きながらも笑みを返す。
「強いかどうかはわかりませんが……
必要とあれば、引く理由もありません」
「ほっほ。言うではないか。
力をひけらかすでもなく、逃げるでもない。
謙遜までできるとは上出来じゃ」
その言葉に甘さはない。
褒めつつも、彼女の芯を測るような声音だった。
「街の娘よ。
強さにもいろいろある。
拳の強さ、心の強さ……そして選ぶ強さじゃ」
九つの尾が静かに広がり、室内の灯火がかすかに揺れる。
「お主は、どうやらその三つすべてを持っとる」
リリィは少しだけ息をのむ。
誇張も威圧もない。
ただ事実として告げられた評価だった。
「……身に余る言葉です、むらおさ様」
「ほっほっほ。
余るくらいでよいのじゃ。
足りぬより、ずっとな」
九尾の笑いは柔らかく、しかし底では森そのものが息づいているような、
静かな威厳を感じさせた。
────
村長宅を辞したあと、外の空気は夜気でひんやりと冷えていた。
九尾の家の明かりが遠ざかるにつれ、周囲の森はまた静寂を取り戻していく。
ガルドは歩きながら、ふっと息を吐いた。
「……思ったより、むらおさはあんたを気に入っていたな」
「そう見えた?」
リリィは肩をすくめる。
「見えた。あの人(狐)は、嫌な相手には尾が一本も動かん。
今日なんか、八本くらい動いてた」
「そんな指標でいいの……?」
「森じゃ普通だ」
ガルドは冗談めかして笑ったあと、しばらく黙って歩いた。
落ち葉を踏む音が、森の静けさの中でやけに大きく響く。
ふと、彼は横目でリリィを見た。
「少し付き合ってほしい場所がある」
「森の案内?」
「案内ってほど整ってはいない。
鹿族の畑を見に行くんだ」
リリィは眉を上げる。
「畑? 森の民も農耕するのね」
「するさ。獣だけ食ってたら森が痩せる」
ガルドは当然のように言う。
「鹿族が中心で管理してる。
だが最近、根菜の成長が異常だと相談を受けていてな」
リリィの目がわずかに鋭くなる。
「腐素の影響……?」
「たぶんな」
ガルドの声は低い。
「むらおさにも言ったが、森全体の状態までは俺は把握していない。
狼族は護りと巡回が主な仕事だ。
畑や製作もやるにはやるが、主には鹿族に任せている」
「つまり、全体を語れる存在のほうが少ないのね」
「その通りだ」
ガルドはわずかに肩をすくめる。
「森はゆるやかな共同体だ。
普段はバラバラに動く。
何か起きた時だけ、むらおさが声を上げて皆が集まる」
「ゆるい統治……でも干渉しない方が調和が保たれる。
そういう文化なのね」
ガルドは森の闇を見つめたまま小さく頷く。
「だからこそ、外から見た異常に気付ける奴が欲しいんだ。」
リリィは息を吸い、静かに答える。
「もちろんよ。
森がどういう食物連鎖で成り立っているのかも興味あるし
腐素の拡がりは放っておけない」
ガルドはその言葉に安心したように鼻を鳴らした。
「助かる。
鹿族の長もあんたに会えて喜ぶだろう」
ガルドの言葉に、リリィもふっと微笑む。
「なら、できるところから始めましょう」
「よし。ちょうど鹿族の畑はこの先をずっと進んだところだ」
ガルドは軽く顎で道を示し、足を踏み出す。
森の朝霧が薄く漂い、湿った土の匂いが二人を包む。
リリィは背に下げた鞄を少し握り直し、その後を歩く。
「まずは食物だ。森の腹がどう動いてるか分からねぇと、何も始まらないからな」
「了解。観察、分析、サンプル採取……任せて」
二人の軽い足音だけが、静かな森に吸い込まれていく。
──そして、森が開けた先で、鹿族の畑が姿を現した。
───
森の光がやわらかく、朝露が葉を濡らす時間帯。
ガルドとリリィは鹿族の畑に到着した。族長は鍬を振り、土を耕しながら日の光を浴びている。
「おはよう、ガルド。娘さんも、ちょうどいい時間だ」
族長は鍬を休め、にこりと笑った。
「おはようございます」
リリィは軽く頭を下げる。
畑には整然と根菜が並んでいる。しかしよく見ると、形が奇妙に歪んで異様に大きいものや、紫がかった緑色の根、表面に微細な模様が浮かぶものも混じっている。
近づくと、ほんのりと甘苦い香りが鼻をくすぐった。
「……匂いが独特ね」
リリィは葉を摘み、指で軽く押してみる。
「腐素の影響だ。森の魔族の力が土にしみ込んでいる」
ガルドが横で説明する。
リリィは少し顔をしかめる。
「これ、食べられるのかしら……?」
族長は肩をすくめ、にこりと笑った。
「魔族でも、何も手を加えんと食べらたもんじゃない。下処理をしっかりすれば、日持ちもするし、えぐ味もなくなる。問題なく食えるようになるんだ」
「それって、人は食べられるのかしら?」
リリィが興味深そうに尋ねる。
「ここらの食べ物は人間の世界に存在しないからなあ、わからんよ。森の畑は腐素で満ちとるからか、成長が非常に早い。だから必要なぶん以上は育てないから、人にまでは回らんよ」
族長は土を払いながら、根菜を手際よく並べ直す。
「成長が早いってことは、量産には向いてるのね。朗報だわ。あとは食べられるかどうか次第」
リリィの目がわずかに光る。
「そのエグ味、具体的にはどう処理するんですか?」
リリィは根菜をじっと見つめる。
「腐素の濃度を調整して、余分な成分を抜く。これを精製と呼ぶ。森の食品としては欠かせない工程だ」
族長の説明に、リリィは静かにうなずいた。
「なるほど……魔族の作物も精製すれば人間でも食べられるのかしら...。」
「どうだろうな、良い結果になればよいのだが。」
ガルドが軽く鼻を鳴らす。
リリィはそっとつぶやいた。
「鹿族長、幾らか食材サンプルをもらえませんか……精製前と後で。帰り次第、調べます。成分はどうなってるんだろう……生産量は……この技術を応用すれば……」
指で葉をなぞりながら、顔に小さな笑みが浮かぶ。
「はーっ……研究者冥利に尽きるわ、これ……面白すぎる……」
小さく独り言を漏らし、目を輝かせる。まるで子供のように興奮している。
鹿族の族長は鍬を肩に担ぎ、にこやかに言った。
「いいよ、好きなだけ持っていきな」
ガルドがリリィを横目で見て、柔らかく鼻を鳴らす。
「リリィ殿は勇敢な戦士のイメージでしたが、そういう一面もあるのですな。うーん、ますます興味深いですな」
リリィはぱっと顔を赤らめ、手を胸に当てて慌てる。
「はっ! す、すみません……私は地は研究者肌ですので、お見苦しいところを……」
それでも目の奥には、まだ興奮の光が揺れていた。
森の朝の光が、彼女の小さな喜びをやわらかく包み込む




