第3章 7話 ざわめく町そして噂が火を噴いた
聖堂の騒乱を終え、サナトラ街の宿「月影亭」で束の間の休息をとる修一とリリィ。
翌朝町長からの依頼、再び動き出す二人。
焦げた街もすでに活気を取り戻していた。
そして散策の途中、二人は冒険者ギルドの扉を開く。
───
冒険者ギルドは、半壊した聖堂の向かい側に建っていた。
古い石造りの建物で、外壁の一部が煤けている。扉を押すと、熱気と人のざわめきが一気に押し寄せてきた。
「……相変わらず混んでるな」 「討伐依頼も増えてるんでしょうね。森の影響で魔物が活発になってるって聞いたし」 (ま、原因は半分あなたたちだけどね) 「言うな」
壁一面には、討伐依頼や護衛、復旧支援の張り紙が並んでいる。
リリィがそれを眺めていると、受付カウンターの奥から視線を感じた。
若い受付嬢が、手を止めてこちらを見ている。
「あの……昨夜の、聖堂の件で活躍された方ですよね?」 修一が苦笑して肩をすくめる。 「活躍ってほどじゃないですよ。巻き込まれただけです」 「いえ、街を救ったって噂になってます。町長さんも感謝しておられて……」
そのやりとりを横目に、奥のテーブルで数人の冒険者たちが小声で話していた。
「なあ、聞いたか? 森の蛹を奪って暴れた女の話」
「ボンボン商会の坊ちゃんを殴ったって奴だろ? ありゃ重罪だぜ」
「しかも、あの女、魔獣とグルだったって噂だ」
「商会の護衛が止めようとしたら、いきなり殴られたって話もある」
「ボンボンは顔を潰されて、いま寝込んでるらしいぞ」
「うわ、やば……見かけたら関わらないほうがいいな」
「……ははは、すごいでっち上げられ方だな」
「こぎたないわねー、めんどくさいったらない。こういうのは相手にしないのが淑女の嗜みよ。相手にするから、調子に乗ってつけ上がるのよ」
その時、奥の席からさらに声が聞こえてきた。
「でさ、坊ちゃんも誘ったらしいぜ。でも丁寧に断られたもんだから、逆ギレして殴ってきたんだと」
「しかも、たくさんの男をはべらせて帰っていったって話だぞ、下品なやつだよな!」
リリィのこめかみが、ぴくりと跳ねた。
「……ちょっと、なによそれ! さすがに聞き捨てならないわ!」
「お、おい……」
「下品な女って何よ! かんっっぜんのでっちあげじゃない! 何考えてるの、あの恥知らず! 私、何人も男をはべらせたことなんてないんだから!」
「……ま、まあ落ち着けよ。淑女の嗜みはどこいった」
「落ち着くも何も、嘘ばっかり流すのやめてほしいのよ!」
「き、気持ちはわかるけど……な、な? ここで暴れると余計ややこしくなるって」
修一は苦笑いしながら、リリィの肩をそっと押さえた。
「でっち上げの速さ、商会の仕事の早さだな..ははは」
(ぶぅ どうじょう やれやれ)
「ま、火をつけた奴の顔は想像つくがな」
「き、気持ちはわかるがちょっと落ち着けって」
修一は周囲をちらりと見回した。
視線を向けてくる客たちの目に、好奇と嘲りが混じっている。
「……ま、火をつけた奴の顔は想像つくけどな」
────
修一がポケットから封書を取り出し、封蝋を指で弾いた。
そこにはヘンマン町長の印と、推薦:ボンボン商会の署名が並んでいる。
リリィがその名前を見て、眉をしかめた。
「ボンボン商会……あの恥知らずの親父ね」
「ああ、完全に動き出したな」
ふと、掲示板に目をやると――そこには、リリィの写真が堂々と張り出されていた。
写真の下には小さく「目撃情報募集中」と書かれている。
修一とリリィは声も出ずに唖然とした。
「……うーん、まあ、映りは悪くないわね」
リリィがちらりと下を見ると、そこには魔道写真が
偶然撮られていたのは、鬼の形相でボンボンを殴る彼女の姿だった。
リリィの手がぶるりと震え、顔が紅潮する。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! なにこれ! これを貼るなんて、ふざけすぎでしょ! あの馬鹿どもめ、覚えてなさいよ!」
修一は慌てて肩を押さえ、
「落ち着け、リリィ……」
しかし、彼女の怒りは抑えきれず、掲示板に向かって思わず手を伸ばす勢いだった。
「こんな恥ずかしい思いをさせるなんて、絶対に許さないから!」
リリィの目が、怒りで光を放つ。
修一はため息をつきつつも、慌てて彼女を引き留めた。
「いや、落ち着け……ここで暴れると、余計に目立つだろ」
リリィは悔しそうに唇を噛み、肩を押さえた修一をにらみつつも、ようやく荒ぶる感情を抑え込むのだった。
周囲では小さな囁きが続いているが、まだ声にならない。誰かが「あれは……」と口を開きかけてはやめ、別の話題にすぐ逸らす。
掲示板の紙が、朝の風にひらりと揺れた。
人々の視線が少しずつこちらへ向かう。
修一はその空気の変化を敏感に察した。
(……ここに長居はまずい)
「行くぞ」
短く言うと、修一はリリィの腕を軽く引いた。
人の波をすり抜け、裏通りへと足を向ける。
「ちょ、ちょっと引っぱらないでよ」
「いいから。今、顔を見られるのはまずい」
そう言って、修一は彼女のフードをそっと被せた。
「……これで少しはマシだ。行こう」
通りを抜けた瞬間、喧騒が遠ざかり、路地裏に静寂が落ちた。
リリィは息を整えながら、ふと笑う。
「ふん、あんたって意外と手際いいのね」
「場数は踏んでるんでな」
互いに軽口を交わしつつも、二人の間には確かな緊張が流れていた。
街の空気はもう、昨日までのそれではなかった。




