第3章 6話 新たなる依頼
湿原を抜けた先の街は、魔物の攻撃をうけていた。
愚かな人間が森の精霊の黄金の蛹を持ち帰り、街は崩壊寸前。
リリィの鉄拳が雷鳴のように響く。
───
サナトラ街・宿屋「月影亭」
木の階段がみしりと鳴った。
古びたランプの灯りが、温かな橙色で壁を照らしている。
「こちらがお部屋です。湯はもう沸いてますから、どうぞごゆっくり」
女主人が柔らかく微笑みながら、部屋の鍵を差し出した。
「助かります。……はあ、ようやく落ち着けそうだ」
修一は鍵を指先で弄びながら、小さく息を吐いた。
外はまだ夜の気配が濃い。
街の通りには片づけの兵や修道士たちが行き交い、焦げた匂いがまだ漂っていた。
(……まだ、煙の匂いがするな)
「ああ。昨日の夜のせいだろ」
ふと、脳裏にあの混乱が蘇る。
燃えかけた門、崩れた塔、泣き叫ぶ兵士。そして ボンボンの悲鳴。
(あのデブ、最後まで往生際が悪かったな)
「やめてくれ、飯の前に思い出したくない」
修一は苦笑して頭をかく。
だが、思い出そうとしなくても、あの夜の光景はしっかりと焼き付いていた。
リリィが拳を叩き込む瞬間の顔、そして殴られるボンボンの情けない表情。
くくっと喉の奥で笑いが漏れる。
(まさかあの場面で触るとはね。あたしでも引くわ。あれはもう、生き物としての最期の悪あがきね)
「……お前、言い方が妙に冷静だな」
(だって事実でしょう? あの男、ただのクソじゃないわ。あそこまで往生際悪いと、逆に感心するもの)
「褒めてんのか貶してんのか、どっちだよ」
(半々かしら)
女主人が湯桶を運んでくる音で、修一は現実に戻る。
「街の方々も、大変でしたねえ。聖堂の件……聞きましたよ」
「ええ、まあ。人の欲ってのは、どこにでもあるもんです」
女主人はため息をつきながら、静かに首を振った。
「祭りの夜に、森の蛹なんて拾うからですよ。まったく……」
修一は軽く笑い、視線を窓の外に向ける。
月の光が瓦の上で白く反射し、遠くの塔をぼんやり照らしていた。
月の光が瓦の上で白く反射し、遠くの塔をぼんやり照らしていた。
(そういえば、リリィはどうしてるの?)
「向かいの部屋だ。あいつのことだから、杖抱えて寝てるかもな」
(寝相悪そうだもんね)
「余計な想像するな」
修一は苦笑して湯桶を受け取り、肩の力を抜いた。
夜風が窓の隙間から入り込み、焦げた匂いとともに、遠くの鐘の音を運んでくる。
───
サナトラ街・翌朝
柔らかな朝日が、薄いカーテンを透かして差し込んでいた。
湯気の残る湯桶を片付け、修一は欠伸をかみ殺しながら腰を伸ばす。
(……久々にまともに寝たな)
(途中で寝言言ってたけどね)
「・・・・・言わんでいい」
ブゥの茶化す声を無視して、窓の外に目をやる。
通りではパンを焼く香りと人のざわめきが漂い、夜の焦げ臭さはもう薄れていた。
聖堂跡には簡易の柵が立てられ、修道士と兵士たちが忙しそうに往来している。
(街は思ったより早く立ち直ってるな)
(人って逞しいのよ。昨日まで炎の中だったのに、もうパン焼いてるんだから)
「……皮肉かと思えば、妙に感心してるな」
(あたし、現実主義者だから)
そんなやり取りをしていると、階下から足音が響いた。
軽快なノックと共に、女主人の声がかかる。
「お客様ー、町長さまの使いの方がいらしてますよ!」
「町長の?」
修一は眉を上げ、腰のポーチを掴んで扉を開けた。
廊下には、上質な布の上着を着た若い文官風の男が立っていた。
胸元には金の刺繍が入り、いかにも役所の人間という佇まいだ。
「おはようございます。ヘンマン町長の使いとして参りました」
「……町長が、俺に?」
男は丁寧に一礼し、手にした封書を差し出した。
「昨夜の件、あなた方の働きに深く感謝申し上げます。
つきましては、今後の対策について町長自らお話をされたいとのことです」
修一は封書を受け取り、苦笑する。
「感謝の次に依頼ってやつか」
(あたしの予想通りね。恩を売られて動かされるパターン)
「どこの国でも変わらんな」
ちょうど向かいの扉が開き、リリィが出てきた。
髪をざっくりまとめ、まだ少し眠たそうな顔をしている。
「おはよう。よく寝れたか?」
「まあまあね。……あんたは?」
「悪くない。で、朝から客だ。町長の使いだとさ」
「へえ、仕事早いわね。で、何の用?」
修一は封書を軽く掲げた。
「魔物討伐の協力依頼。町の外れで新しい巣が見つかったらしい」
リリィは小さく息を吐き、肩をすくめた。
「せっかく湯に浸かって落ち着いたのに、また戦場ね」
(あたしたち、落ち着く暇なんてない運命みたいね)
「やめろ。朝から縁起でもねぇ」
街の鐘が再び鳴り、サナトラの一日が動き出す。
───
通りには、もう人の気配が戻っていた。
昨夜の煙の匂いはまだ微かに残るが、露店の屋根が再び並び始め、焼きたてのパンの香りが風に乗って漂っている。
「ほら、できたてよ」
リリィが屋台で買った黒パンを、無造作に半分ちぎって修一に差し出した。
まだ温かく、香ばしいライ麦の匂いが鼻をくすぐる。表面は少し焦げていて、中はしっとりと重い。
「毎回思うが……俺、どっちかというと米派なんだが。ないのか? こう、粒のやつ」
「お米? 南の方にしかないわね。王都でも滅多に出ないって聞いたわ。うーんそうねぇ、貴族の晩餐くらいかしら」
「へぇ、詳しいな。そういうの、食ったことあるみたいな言い方だ」
「人づてに聞いただけよ。スープに浮かべる香草の数で、客の格がわかるとか」
「なんだそりゃ……食う前に気を遣う飯って落ち着かねぇな」
「慣れれば楽しいらしいわよ。見栄と虚栄の味って、意外とクセになるんですって」
「……怖ぇ話だな」
「ありがと。……熱っ」
「ふふ、朝の味ね」
(こうして二人の愛は育まれていくのでした)
「ブゥ、やめろ。妙なナレーション入れるな」
修一は怪訝な表情をして、小さく苦笑いをした。
(...くふふっ)
それを見たリリィが、首をかしげて
「なに、1人でやってるの?」とでも言いたげな顔をする。
「……なんでもない」
修一は軽くごまかすように答えた。
通りを歩きながら、リリィがふと立ち止まった。
「そういえば、少し街の服屋も見ておきたいわね。旅の準備も兼ねて」
石畳の細い路地を曲がると、色とりどりの布が窓辺に並ぶ小さな服屋があった。
店内は木の香りが漂い、吊るされたローブやマントがゆらりと揺れている。
「へぇ、なかなか良さそうだな」
修一は目を丸くして並ぶローブを眺めた。
リリィは棚のひとつを指さしながら、「この辺り、旅人向けで丈夫そうね。あ、色も落ち着いてていいわ」と目を輝かせる。
店主がにこやかに声をかけてきた。
「お二人とも、試着もできますよ。最近は丈夫で軽い布が人気です」
修一は小さく頷き、いくつかのローブを手に取る。
「これ、どうかな…?」
リリィがチェックしながら、「ふむ、あなたにはこの色が似合いそう。動きやすそうだし」とアドバイスする。
試着室でさっと羽織った修一を見て、リリィは少し笑った。
「なかなかいい感じね。ふふ、これで街歩きも安心だわ」
二人は会計を済ませ、丈夫で軽いローブを手に、再び朝の通りへと歩き出す。
焼きたてのパンの香りと通りのざわめきが、ふたりを迎えるように漂っていた。
───
子どもたちが灰を蹴散らして遊び、焼け跡にはもう木材を運び込む職人の姿が見える。
人の立ち直りは早い。
「ま、腹も満たされたし。少し街でも見て回るか」
「賛成。せっかくだし、今のうちに物資も確認しておきたいわ」
「……結局、仕事がらみになるんだな」
「あなたがそういう顔してるからでしょ?」
二人は人通りの増えはじめた通りへと歩き出した。
石畳の坂の上では、朝日を浴びて屋台の布が色鮮やかに揺れている。
朝の通りは、湯気と香ばしい匂いで満ちていた。
パン屋の屋台からは焼きたての香り、隣では干し魚を並べる老人の呼び声が響く。
人々の吐く白い息が、冷たい空気の中でゆらゆらと漂っている。
「へぇ、けっこう賑わってるな」
「雪解けの時期だからよ。冬の間に溜まった品を、みんな売りに出すの」
「なるほど、季節のフリーマーケットってやつか」
リリィは足を止め、露店の布細工に目をとめた。
「見て、織りが丁寧ね。北方の紋様よ」
「お前、こういうの詳しいよな」
「興味があるだけ。昔、贈り物に選ぶのに困ったことがあってね」
「贈り物?」
「そうよ、なに?」
修一はそれ以上は突っ込まず、別の屋台に視線を移した。
瓶詰めのハチミツ、干し肉、乾燥薬草。どれも旅人向けの品だ。
「なるほど、ここなら補給もできそうだな」
二人が通りを歩きながら品物を見て回っていると、石造りの大きな建物が目に入った。
※2話分の割り忘れで、今回は少し長めになっています。その分、楽しんでいただければ幸いです。




