第3章 3話 出口を知っていたのは
森で魔物に遭遇した修一とリリィ。リリィの圧倒的な実力で危機を脱し、修一は生き延びるための術を学ぶことになる。二人は街を目指して森を進むが、予想外の困難が待ち受けていた。
───
「……なあ、リリィ。あの木、また見た気がする」
「気のせいよ」
リリィは短く答えた。
しかし修一は、木の根元の特徴的なコケを指差す。
「気のせいで済むか! 三回目だぞコレ!」
「……そう。森の地形が変わっていたのよ。去年の地図じゃ、こうじゃなかった」
「地図古っ! ていうかそれ、ベルガのおっちゃんからもらったやつだろ!?」
「彼の持っていた中では一番新しいものよ」
「ベルガの引退いつだっけ!? 十五年前とかじゃない!?」
「……地形は、気まぐれなの」
「地形よりお前の方向感覚のほうが気まぐれだろ!?」
修一の叫びは、森に虚しくこだました。
三日経った。
水は減り、食料も底をつき始めている。
そして今日も。
「……また、あのコケだ」
「……気のせいよ」
「いやいやいやいや! さすがに四回目は気のせいじゃねぇ!!」
リリィは眉を寄せ、地図を睨んだ。
「……あり得ないわ。昨日まではこの沢を越えたはずなのに」
「越えてたら今ごろ街の屋台で飯食ってるだろ!」
「……森が、意地悪してるのよ」
「言葉で誤魔化すな!!」
修一は頭を抱えた。
「ベルガのだいたい三日くらいって言葉、あれ信じたの間違いだったな……」
「彼の三日は、健脚基準よ」
「三日で着くって言ってたよな!?」
「私の足なら、ね」
「つまり嘘じゃねぇか!」
リリィは苦笑を浮かべ、肩の荷を下ろした。
「少し休みましょう。焦ると余計に道を見失う」
「もう見失ってるっての……」
火を起こしながら、修一はため息をつく。
「……なんか、俺、最初に出会ったときは完璧超人ヒロインだと思ってたけど」
「現実を見なさい」
「見えてる。すごい勢いで幻滅中」
「……埋めるわよ?」
「すみませんした!!」
夜風が吹き抜け、火がぱちりと鳴る。
三日も迷っているのに、不思議と空気は穏やかだった。
夜。
火が消えかけ、森の闇が濃くなる。
リリィは地図を睨み、修一は半ば諦めて空を見ていた。
「……なあ、ほんとに出られるんだよな?」
「出るわ。明日こそは」
「昨日もそれ聞いた気がする」
「……二日前にもね」
「やっぱり迷ってんじゃねぇか!」
修一は額を押さえた。
胸の奥、思念の声がふるえる。
《におい、知ってる》
「……におい?」修一は呟く。
「何か言った?」とリリィが首を傾げる。
《風のにおい。あっち、草と水》
修一はぼんやり指をさす。
「……あっち、草と水の匂いするって」
リリィは目を細めた。
「そんなの、わかる? あなた」
「いや、俺じゃなくて……」
言いかけて口をつぐむ。
(やべ、また一人言扱いされる)
《あっち、まぶしい。夜でも、光の匂い》
修一は渋々その方向を向いた。
「なんか……出口っぽい匂いがするらしい」
「匂いで出口探すの……?」
リリィは呆れながらも歩き出した。
やがて、森の闇が薄れ、
月明かりを反射する水面が広がった。
「……ほんとに出た……!」
リリィは目を見開き、修一は苦笑した。
「方向感覚負けてんじゃねぇか、俺が……」
《ブゥ、えらい?》
修一は肩をすくめる。
「はいはい、超えらいよ。ありがとな」
だが、その瞬間、鈍い音が響いた。
橋の支柱が、みしりと傾ぐ。
「……おい、まさか!」
次の瞬間、橋は音を立てて崩れ落ちた。
水面に散る木片とともに、出口の明かりが遠ざかる。
「うそだろ……今、出るとこだったのに!」
《まぶしいの、落ちた……》
リリィは地図を閉じ、静かに息を吐いた。
「……もう一泊ね」
「もう一泊って言い方やめろぉぉ!」
夜風が吹き抜け、火のような笑いが森に響いた。
◇◇◇◇◇
※本編とは直接関係のない小話です。
焚き火がしゅうっと音を立て、火の粉が夜空に消えた。
修一は足を投げ出し、ぼそりとつぶやいた。
「……風呂、入りてえ」
リリィが地図から顔を上げる。
「またそれ?」
「またって、もう三日だぞ!? 泥だらけで寝てんだぞ!? 風呂って単語が恋しいレベルだ!」
リリィは小さく息をついて、指先をすっと動かした。
すると、修一の身体からほのかな光が広がり、土と汗のにおいがふっと消える。
「……え、なに今の」
「浄化の術よ。穢れと臭いを落とす魔法。簡単なやつ」
修一はぽかんとした顔のまま、しばらく沈黙した。
「……それ、最初からできた?」
「ええ。ずっと」
「ずっと!? おい、なんで早く言わねえんだよ!!」
「聞かれなかったから」
「お、俺ずっと我慢してたんだぞ!? この服、もう歩くたびにパリパリ音してんのに!」
「人間の忍耐って不思議ね」
「不思議で片づけんな!」
リリィは肩をすくめ、くすくすと笑った。
「……次からは、言葉にして頼みなさい」
「.....次は絶対すぐ聞く!」
風が吹き抜ける。
土の匂いの代わりに、ほんのり花の香りが漂った。




