第2章 炉の夜に訪れたもの(閑話)
炉の火がぱちりと弾けた。
湯気の立つ鍋から、野菜と干し肉の匂いが立ちのぼる。
リリィが息をつき、背もたれに体を預けた。
「……やっと、あったまったわね。」
修一も、ほっとしたように頷く。
炉の火が静かに爆ぜる、その瞬間だった。
(……修一、なにか外にいる、助けてって。)
頭の奥で、ブゥの声がかすかに響く。
「……今、なにか聞こえたか?」
修一が顔を上げた。
リリィが瞬きをする。「なにが?」
「外から、声が……いや、違う。ブゥが言ってる。見に行けって。」
修一は立ち上がり、外の扉へ向かった。
リリィも慌ててついていく。
夜の雪明かりの中、小さな影がふらつきながら近づいてくる。
泥と血にまみれた白狐だった。片足を引きずり、かすかに息をしている。
「……生きてるわ。」
リリィはそっと抱き上げ、炉のそばへ運ぶ。
杖の先からやわらかな光が滲み出し、狐の体を包みこんだ。
やがて、狐の呼吸が落ち着く。
その体が淡く揺らぎ、炉の前に一人の少年が膝をついていた。
「……っ!」
修一が息を呑み、リリィを見る。
リリィも驚いたように目を見開いていた。
雪のような肌、焦げ茶の髪、獣の名残を宿す黄金の瞳。
けれど、その声は人のものだった。
「……助かった、ありがとう。」
リリィがようやく息をつく。
湯気の立つ鍋から、野菜と干し肉の匂いが立ちのぼる。
修一は木皿に分けて狐、いや少年の前に差し出した。
「腹、減ってるだろ。熱いからゆっくり食えよ。」
少年は戸惑いながらも、そっと受け取る。
一口、二口。頬にわずかに赤みが差し、肩の力が抜けていく。
修一は鍋のそばに置いてあった包みを取り出し、
中から干し肉を数枚、まとめて押し渡した。
「これも持ってけ。しばらくは食うもん困らねえだろ。」
少年は驚いたように目を見開き、やがて小さく頭を下げた。
「……ありがとう。」
少年が立ち上がり、口を開きかけて、何も言わず、唇を閉じた。
その目が、一瞬だけ揺れる。
リリィは少しだけ眉をひそめる。
「……もう、行くの?」
小さく頷いた。
名残惜しげに炉の火を一度だけ見つめ歩き出す。
振り返ることなく、風に溶けるように消えていった。
修一が肩を落とし、炉の灰をいじりながら呟く。
「……行っちまったな。」
リリィは腕を組み、火の中を見つめた。
「……せめて、もう少し考えて動きなさいよ。食料あと一週間もつかどうかなんだから。」
修一は肩をすくめて、焚き火の枝をつついた。
「分かってる。でも、見捨てられねぇだろ。」
「……相変わらずね。」
「何が。」
「お人よし。人じゃないけど。」
修一は苦笑いした。
「お前だって、あのとき止めなかったくせに。」
「止めたら、どうせ聞かないでしょ。」
「正解だな。」
リリィは呆れたように息をつき、
杖の先で炉の火を軽く突いた。
ぱち、と火の粉が弾けた。
ふと見ると、灰の中に一枚だけ白く光る羽が落ちている。
リリィは手を伸ばして、それを拾い上げた。
「……これ、あの子の?」
「さあな。」
リリィは少し黙ってから、小さく笑った。
「ま、悪い気はしないわね。」
修一も黙ってうなずいた。
炉の火が小さく揺れ、二人の影をやわらかく包んでいた。




