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第2章 5話 報奨の凍土

修一は扉に手をかけたが、ふと振り返った。

門の外、雪と泥が入り交じる地面に、泥人形たちが膝をついたまま並んでいる。


(……中に連れて行くのは危険か)

胸の奥で、ぬるりとした気配がざわついた。

《ぶぅ……さむい。ここ、きらい》

「わかってる。我慢してくれ」


足元の泥が波打つ。修一は軽く息を吐いた。


そのやり取りを、リリィが眉をひそめて見ていた。

「……今の、誰と話してたの?」

「俺の中の泥に、ちょっと聞いただけだ」

「なにそれ。怖いわよ」

「俺も怖い」


リリィは小さく息を呑み、扉の方を向いた。

「……行くわよ、怖い人」

「はいはい」


ぎしり、と扉が開く。

凍えた空気が流れ込み、二人を包み込んだ。



中は薄暗く、湿った木と獣脂の匂いが混じっていた。

雪解け水が床下を這い、踏み込むたびに泥水がじわりとにじむ。

壁は丸太を泥と草で目張りしてあるが、すでに凍りついてひび割れていた。

天井の梁からは氷柱が垂れ、天窓の隙間から雪と水滴が交互に吹き込んでくる。


炉のそばに、ひとりの老人が座っていた。

灰色の髭を胸まで伸ばし、膝にはぼろ布。

冬に置き去りにされた像のような姿だったが、その瞳だけはまだ光を残していた。


「……昨日のおじいさんじゃねえか」

修一が思わず口にすると、老人はゆっくりと顔を上げた。


「覚えとったか」

掠れた声が、炉の火に溶けるように響いた。

「案内も満足にできず、すまなんだな」


修一は首を振る。

「いや、助かったよ。おかげで雨に濡れずに済んだ」


リリィが小さく会釈し、修一が続けた。

「村の様子を見に来た。……泥のことも気になってな」


「泥?」

村長の眉がわずかに動いた。


「人の形をした泥の塊が、勝手に動いてた。

 この村のもんじゃないのか?」


しばし沈黙が落ちる。

やがて老人は首を振った。


「……そんなもの、聞いたこともない。

 この村で泥が動くなどありえん。

 雪解けでぬかるむのは毎年のことだが、形を取るなど誰も見たことがない」


リリィが身を乗り出す。

「つまり、あなたも初めて見る現象なんですね?」


「そうじゃ。

 この村は罪人とその子孫が暮らす場所。

 祈りを忘れた者ばかりじゃが、それでも地は静かだった。

 祠に花を供える者は減ったが、土が怒るなど聞いたこともない」


修一は無言でうなずき、窓の外に目をやった。

雪に埋もれた泥人形たちが、霜と泥のあいだで動かずにいる。


村長が灰を見つめながら、低く問う。

「……それで、おぬしらは王都の者。どうしてこんな村に? わしらのような流れ者に、用などあるまい」


リリィが皮肉っぽく笑った。

「報奨って名目よ。実際はバクフーン湿原の管理任務。ね、修一」


村長の眉が動いた。

「報奨……?この凍土を、か」


修一は肩をすくめた。

「発酵勇者なんて持ち上げられたのも一時さ。

 功績の代わりに荒れ地を任された時点で察したよ。

 褒美の皮をかぶった追放だ」


リリィは炎を見つめながら、かすかに笑う。

「つまり、あんたたちの末に、私たちも並んだってことね」


村長は目を伏せ、指先で灰をつまんだ。

「……そうか。なら、おぬしらも土に返される者かもしれんな」


炉の中で薪がはぜ、火花がひとつ弾けた。


村長は火の粉を見つめたまま、ぽつりと続けた。

「……王国からは、数年に一度、おぬしらのような者が運ばれてくる」


リリィが眉をひそめる。

「おぬしらのような者?」


「穢れを背負った者どもよ。

 戦で血を流しすぎた者、禁書に触れた学徒、神託を疑った巫女……理由はさまざまだ。」


老人は炉の火をかき混ぜ、ぱち、と小さくはぜる音に言葉を区切った。


「王都で住み慣れた者は、この暮らしに耐えかねて他の生きた土地を目指す。

 だが、この先には魔物の住む森が山脈に沿って広がっており、その向こうは魔物の巣窟となっている。道らしい道もすでに朽ち果て、たまに野盗も現れる。ひとたび狙われれば、命の保証はないだろう。」


「ここに居つく者もおる。

 小屋を建て、畑を作り、名を変えて……。

 だが大半は、ある日ふらりと出ていって、それきり戻らん」


村長はゆっくりと灰をかき混ぜながら、続けた。

「このあたりは冬には凍りついて孤立し、夏と秋には魔物がうようよと出てくる。

 不思議なことに、この村の周りだけは奴らの姿をほとんど見ぬ。

 ……昔から女神信仰の残り香が守っているなどと言われておるが、真偽は知らん」


老人はかすかに息を吐いた。

「王国へ戻るにも、冬道は塞がれ、夏は魔物の季節。

 結局ここに残るか、外で果てるか、息を潜めて越すしかないのじゃ。」


村長は、しばらく火の粉を見つめたまま、遠い目をした。

「……まあ、おぬしらは、まだ運がええほうじゃ。

 普段はもっとみすぼらしい荷馬車で運ばれてくる。

 それがこんな果ての地とは……王国のお偉いさんも、よほどおぬしたちが気に入らんかったんじゃろうな。」


リリィは苦笑した。

「つまり、ここは問題児の吹きだまりってことね」

修一は肩をすくめた。

「吹きだまりでも、火があればまだマシだ」

ぱちり、と焚き火が応えるように弾けた。

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