表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

14/37

第2章 4話 凍土での祈り

夜の冷気がまだ残る早朝、修一は湿った寝床から身を起こした。

屋根の隙間から射す光は白く、息を吐くと淡く煙る。


リリィは火を起こし、湯を沸かしていた。

「おはよう。……よく眠れた?」

「床が動かないだけマシだったな」

「ブゥ(ぼく、がんばった)」

「助かったよ、ブウ」


外に出ると、村の空気はさらに冷たく澱んでいた。


修一は思わず足を止め、膝をついた泥人形たちを一瞥した。

動きは鈍く、音も立てず、しかし確かにこちらの動きに合わせて揺れているようだった。


(……妙なやつらだな……何かに従っているみたいだが……)


リリィも目を丸くして呟いた。

「……気味が悪い……」

「本当に、じっとしてるだけなのに、妙に監視されてる気分になるな」


そのとき、門の影から少年が現れた。

まだ十代前半ほどで、擦り切れたコートの袖口をぎゅっと握りしめ、顔を歪めている。


膝につく泥人形を見て、少年は思わず一歩後ずさった。

「う、うわっ……な、なんだ……あれ……?」

声がかすれ、言葉をつなげられずに口をパクパクさせる。


修一は少年の肩に手をかけ、落ち着かせるように小さくうなずいた。

「心配しなくていいよ。勝手に動いているように見えるだけだ。命令されて動いているわけじゃない」


少年は顔を赤くしながらも、なお目を離せず、そっと後ろに続いた。

泥人形たちは、まるで二人の動きに合わせて揺れるかのように静かに跪いている。


修一が頷きながら、「村長に会いたい」と告げると、少年は小さくうなずいた。

「こっちだよ」とだけ言い、先に歩き出す。


少年は泥人形を気にせず、雪で覆われた小道を慎重に進んだ。

倒れかけた柵や凍った畑を避けながら、家々の間を案内していく。

時折、窓からちらりとこちらを覗く村人の視線に、少年は少し身を縮めるが、足を止めることはなかった。


やがて家々の間を抜けると、古びた祠が軒先にぽつんと置かれていた。


小さな石像、女神のような姿。

だが顔は風化し、胸のあたりには何かを削り取った跡があった。

その足元には、干からびた花と、昨夜のものらしいパンの欠片が供えられている。


少年は祠を見上げ、そっと息をついた。

「……僕、おばあちゃんに、この人に手を合わせなさいって言われたことある……」

手を胸に当て、少し顔を赤らめる。


「……これ、信仰の名残か?」

修一が呟くと、リリィは近づき目を細めた。

「女神ミリア。古い王国ではよく祀られてってきくわ。でも、もう王都では廃れて久しい。信仰を捨てたのが文明の証、なんて言う人たちもいるけど」


少年は小さくうなずき、祠に手を合わせる仕草をしたが、表情は複雑だった。

「……昔の人たちは、こうして毎日手を合わせてたんだろうな」

声には、少しの敬意と、どこか戸惑いが混じっていた。


「辺境じゃ、まだ祈るしかないってことか」

リリィは黙って頷き、風に舞う花びらを見つめた。

「……あの頃の王都は、奇跡より効率を選んだのよ」


修一は眉を上げた。

「お前、博学だな。なんでも知ってるじゃないか」

「旅の暇つぶしに本くらい読むのよ」

「その割に、地図は毎回まちがえるけどな」

「うっさいわね」





村の奥へ進むと、凍ての名残を残した畑が広がっていた。

黒い泥がぬかるみ、足を踏み入れるとずるりと沈む。


(ブウ、昨日の泥と似てるな)

《ぶう、うん。でも……ちょっと違う。こっちは生きてる匂いする》

(生きてる?)

《ぶう、うん。息してる。おなかの底で》


修一はしゃがみ込み、指で泥を掬った。

泡が弾け、ぬるりとした感触の中に、わずかな温もり。

まるで地面の奥で、誰かが息をしているようだった。


そのとき、村の方から小さな鈴の音が聞こえた。

振り返ると、村人たちが古い石像の前で何かを唱えている。

膝をつき、両手を合わせ、声にならない祈りを捧げていた。

だが修一と目が合うと、慌てて立ち去っていく。


さらに、村人の一人が道の向こうで泥人形に気づき、思わず叫んだ。

「うわっ、何だあれ!」

別の者も駆け寄り、目を見開く。

泥人形たちは微動だにせず、しかしかすかに揺れ、まるで彼らの視線を意識しているかのようだった。


少年は少し身をすくめたが、手をしっかり握り直し、修一たちを案内する。

「……この道で合ってるの?」

リリィが声をかける。


「うん。村長さんの家、こっちの奥です」

少年は指先で遠くの古い木造の建物を示す。

屋根にはまだ雪が残り、木の扉は風にきしむ音を立てていた。


道の途中、少年は小さな段差やぬかるみに気を配りながら、二人を誘導する。

「ここは足元、滑りやすいから……」

膝丈ほどの雪や泥を避け、慎重に歩く姿は、まだ子供らしい不器用さを残しつつも、頼もしい案内ぶりだった。


家々の軒先を抜け、古い樹木を過ぎると、木製の門扉が見えてきた。

少年は立ち止まり、後ろを振り返る。

「着いたよ。ここが村長さんの家」


祠や泥人形、村の風景を見てきたせいか、その目にはまだわずかな緊張とともに、誇らしげな光が宿っていた。


少年は少し後ずさりしながらも、確かに二人を村長宅の門前まで導いた。


修一は少年の肩に軽く手を置き、微笑んだ。

「助かったよ。ありがとう」


リリィも頷きながら、柔らかく言った。

「本当に、ありがとうね。」


少年は恥ずかしそうに顔を赤らめ、肩をすくめて足早に立ち去った。

修一はその背を見送りながら、ふと呟いた。

「……名前、聞きそびれたな」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ