第1章 10話 発酵勇者、誕生
王都は祝福の余韻に沸いていた。
人々は奇跡を語り、王国はそれを「神話」に書き換えた。
そして今、修一とリリィは王命により、玉座の間へと向かう。
「……俺、こういうの初めてなんだよな。表彰とか、正直めっちゃ緊張する」
「大丈夫よ、膝が震えなければ十分立派」
「いや、もう震えてるけど」
言葉を交わしながらも、リリィの表情には隠しきれない緊張があった。
その瞳の奥には、静かな不安が宿っているように見えた。
玉座の間。
高窓から差し込む光が、淡く金色の霧を照らしていた。
その中央、王と白衣の教団長が並び立っている。
王の顔には穏やかな笑みが浮かんでいたが、それは舞台用の仮面にすぎなかった。
「陛下。昨夜の祝福現象については、すでに民衆への説明を終えております。
不安は広がっておりません。むしろ奇跡として崇められつつあります」
「……そうか。では、その奇跡の担い手とやらを」
王座の奥で、誰かが鼻を押さえた。
発酵臭は、まだ城の石壁に染みついていた。
修一が衛兵に導かれ、玉座の前へ進み出た。
神官たちは一斉に視線を逸らす。まるで、彼を見るのが恐ろしいかのように。
「異邦の来訪者、修一殿。
その行為は神の祝福を形にした。制御不能な腐素を鎮め、街を救った、それは腐敗に祝福を見た力にほかなりません」
「……祝福、か」
王は小さく呟き、額を押さえた。
ゆっくりと立ち上がると、儀礼用の杖を掲げる。
その仕草は、まるで処刑を告げる儀式のように厳かだった。
「修一殿。その力は、常の理を超え、神の御意に触れたかもしれぬ。
ゆえに王国はその存在を敬い、称える。
汝に腐爵を授ける。
腐敗を制する力と共にその責を受けよ」
詠唱が始まる。
床に描かれた祝福陣が淡く光り、真鍮の紋章が静かに刻まれていく。
(……責のほうが重そうだな)
王の唇がかすかに歪む。それは笑いではなく、疲れと嫌悪の入り混じった表情だった。
「領地は辺境、バクフン湿原。
人の住まぬ地だが……貴殿の力なら、いずれ腐をも活かせよう」
教団長は深く頭を下げた。
だがその眼差しは、まるで監視者のようだった。
リリィだけが小さく息をつき、目を逸らす。
その瞳には、哀れみと警戒の光が交錯していた。
光が収まり、儀が終わる。
広間に残ったのは、祝福陣の残光と、言葉にならない沈黙だけだった。
王が杖を脇に戻す。
教団長が静かにうなずくが、その顔には安堵ではなく、冷ややかな観察の気配があった。
王はわずかに声を低める。
「次の任を告げる」
その一言に、側近たちのざわめきが止む。
玉座の脇、整列していた騎士の列から、一人の女性が前に出た。
白金の髪を高く結い、瞳に淡い光を宿す。
空気が一瞬、張り詰めた。
「リリィ=アルトレイン卿。
王直属特務局〈白翼〉の筆頭補佐官にして、聖騎士階級第三位」
(……なんかすげぇ肩書き出てきたけど、要するに偉い人ってことか?)
「アルトレイン卿。発酵勇者の力、いまだ未知。
危険を伴うゆえ、そなたが護送し、しばし補佐せよ」
「承知いたしました。任務を全うし、忠誠をお示しします」
広間の空気がわずかに緩む。金の霧が沈んでいく中、発酵の匂いは、誰も気づかぬまま確かに濃く漂っていた。
ここで王が一歩前に出る。
「また、そなたにも表彰を」
小さな台座が用意され、リリィの前に置かれる。
金色の紋章と祝福の紋が刻まれ、王が手をかざすと、淡い光がリリィを包む。
「アルトレイン卿。
発酵勇者を導き、国を大災難から救った勇者として、王国より称号と祝福を授ける」
リリィは頭を深く下げる。表情は穏やかに見えるが、指先がわずかに震え、肩の力が抜けない。
「……これにて授与を終える」
広間の空気がわずかに緩み、金の霧がゆっくりと沈んでいった。
だが、その下に漂う発酵の匂いは、誰も気づかぬまま、確かに濃くなっていた。




