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友人の婚約者が、友人と婚約を解消すると言って、わたしに婚約を申し込んできました。

設定ゆるゆるですので、広い心でよろしくお願いいたします。

事件は何もない、のんびりのほほんとしたお話です。

 濃い金色の髪はつややかで、青い瞳は深い海のようです。笑顔がチャーミングな顔立ちは男性らしく、整っている部類に入るでしょう。背は平均より高く、彼の婚約者も背が高いので、個人的にはほどよいと感じています。


「父上も理解してくださるに違いない! おれは、この愛らしいオルキーデ嬢と婚約する!」


 ーーん? ええっと。

 いま呼ばれたオルキーデというのは、わたしのことでしょうか?

 もしかして別のオルキーデがいる――わけではないですよね。目の前での出来事ですし。

 いったい何を言っているのでしょう、この方は。

 ほら。婚約者の顔色が――美人さんの顔が、怖いことになっています。


 わたしは、天然とか鈍感とか言われることが多いのですけど――皆さん失礼ですよね!? わたしはそんなに鈍くないです!――さすがにいまのはナイと思うのですよ。


 ◇ ◇ ◇


 ここは、マイリム王国王都にある王立中央学園の大ホール。

 入学式や卒業式のような集いでは整然と椅子が並べられる場所ですが、いまは舞踏会場となり、楽団が静かな音楽を奏でています。


 カップルになって踊っている生徒もいますが、固まって噂話に興じている生徒もいます。


「図書室の銀髪の男性でしょう? 素敵だけど、左手の薬指に指輪があったわ。既婚者よ」

「目の保養にはなるもの。二十三歳ですって。聞いたわけじゃないわよ。ずっと本を読んでいて、話しかけられる雰囲気じゃないし。司書の先生がそう言っているのが聞こえたのよ」

「さっき、小ホールで見かけたわ。図書室にお手伝いに来ているっていうけど、なんのお手伝いなのかしらね」


 会話を小耳に挟んだわたしは、ふふっと笑いました。

 どの国も、噂話は同じような感じなんですね。


 わたしは、北の隣国フリーツア王国から、一か月という期間で学園の三年生のクラスに留学していました。

 この舞踏会が最後の授業となります。


「オルキーデ。小ホールへ行かない? 軽食があるし、休憩できるようになっているの。あなた、今日で終わりなんだもの。ゆっくり話をしたいわ」


 そうわたしに声をかけてきたのは、コレットです。

 大人っぽい知的な――実際とても成績優秀で賢いです――美人さんです。真っ直ぐな黒い髪に、深い緑の瞳。すらりと背が高く、抜群のスタイルは、正直羨ましい限りです。


 わたしは、栗色の髪にややたれ気味の目は蜂蜜色。自分で言うのもなんですが、綺麗というより愛らしい顔立ちだと思います。

 そう褒めてくれる人もいるんですよ!

 中肉中背で丸顔のためか幼く見えるので、コレットは本当に憧れです。


「あ、ごめんなさい、オルキーデ。わたくしとしたことが。舞踏会なんだもの、踊りたいわよね。あとで、時間があるようなら」

「踊りはあとでいいです。小ホールへ行きましょう、コレット」


 わたしたちは腕を組んで、小ホールへ移動しました。


 マイリム王国では、貴族および富裕層の子女は十六歳から十八歳までの三年間、この学園に通う者が多いそうです。

 それまで家庭教師に習っていた勉学から、社交界へ出るための仕上げともいうべき場所となります。


 このあたりは、我が母国フリーツア王国と同じですね。


 そして、学園では社交授業の一環として、定期的にパーティが開催されるのも同じようです。


 本日の授業は舞踏会。夕方七時にはじまって夜十一時に終わるのは、学生だからです。

 この舞踏会は授業の一環なので、制服参加です。


 学園の制服は、男女とも濃紺です。上着は膝丈まであり、いくつも並ぶ金色のボタンに、ウェストにはシンプルなベルト。男性はズボン、女性はくるぶしまでのスカート。女性はスカートの下にペチコートを着用し、それによってスカートのふくらみが若干変わります。襟元には白いタイ。今日のような社交行事や公式行事のときは、レースのタイで華やかです。


 数か月先にある卒業式間近のパーティでは、正装となるそうですが、わたしは参加することないのが残念です。


 地続きの隣あった国であり、公用語も同じです。

 留学の際、最大の問題ともいえる言葉の壁はないので気が楽ではありました。

 短い期間でしたけれど、コレットをはじめ、仲のよくなった方々もいて、わたしはなかなか充実した時間を過ごすことができたのです。


 小ホールのテーブルをひとつ陣取って、わたしはリンゴジュースのグラスを手に、コレットに言いました。


「わがままを言って、あちこちに迷惑をかけてしまったけれど、留学して本当によかったです」

「あら、オルキーデ。この国が気に入ったのなら、留学の延長をすればいいのに。そうすれば、わたくしも嬉しいわ」


 コレットの言葉にうなずきたい気持ちを抑えて、わたしはほんの少し肩を落としました。


「ありがとうございます。でも一か月だけと約束して、やっと許してもらえたのです。とてもいい経験になりました」

「ねえ。だめもとで延長できないか、子爵様に――」

「オルキーデ嬢! ここにいたのか!」


 コレットの声に被るように、わたしを呼んだ声。


 濃い金色の髪、青い瞳の彼――ノルベル様は、この国の第三王子殿下です。


「ごきげんよう、ノルベル様」


 ノルベル様は、隣国の子爵家の人間にすぎないというのに、わたしのことを常に気にかけてくれました。

 何か足りないものはないか、不自由はしていないか、頻繁に案じてくださったのです。

 ランチのときも、王族専用の応接室――これは王室関係者が行事等にも使用するものだそうです――を利用してもいいと言われましたが、さすがにそれは断って、わたしはコレットとともに過ごしていました。


 そしてコレットは、彼の婚約者なのです。

 侯爵家の長女である彼女は、ノルベル様と同い年で、十二歳のときに婚約したそうです。


 休憩所になっている小ホールまでやってきて、ノルベル様が用があるのは、婚約者ではなく、留学生らしいです。


 何かと思って小首を傾げると、ノルベル様は、テーブルに座ったままのわたしに微笑み、そっと手を伸ばしてきたので、失礼のないようにわたしはすすっと手を避けました。


 ノルベル様は、『恥ずかしがるところも愛らしい』などとぼそぼそ呟いています。


 婚約者がいるというのに、他の女性に触れようとしたり、ふたりきりになろうとしたりすることは、我が国ではかなり顰蹙を買う行為です。

 けれどマイリム王国では違うらしいのです。なにせ、第三王子自らがやっているのですから。それとも、それが王族の嗜みまたは義務なのでしょうか。

 もしそうだとしたら、およそ我が国とは相いれない部分ですね。


 そんなことを考えていると、ノルベル様は目つきを鋭くして、きっとコレットを睨みつけました。


「コレット! おまえとの婚約は解消する! おまえはか弱い子爵令嬢であるオルキーデ嬢をいじめたそうだな! そんな女と結婚などできない! 父上も理解してくださるに違いない! おれは、この愛らしいオルキーデ嬢と婚約する!」


 座ったままの――公式の場であれば王族相手に不敬でしょうが、公平平等を謳う学園内では許されるのです――コレットの顔から、すうっと表情が消えました。


 わたしは目をぱちくりさせてノルベル様を見ます。

 何を言っているのでしょうか、この方。

 台詞におかしな部分もありましたが――というか、すべてがおかしいですよね。

 そもそも、わたしとコレットが一つのテーブルで語らっていたということが、目に入っていないのでしょうか。


 ノルベル様がテーブルを回って、わたしの両手を自分の手で包みこみかけたので、すっと立ち上がってわたしは隠れるようにコレットの背後に移動しました。

 コレットを盾にする形ですが、わたしの判断は正しいと思います。


「オ、オルキーデ嬢、コレットから離れるんだ。その女は――」


 そのとき、地の底から響くかのような声音で、コレットが言ったのです。


「ノルベル様。わたくしがオルキーデをいじめたとは、どこからの情報でしょうか?」


 それはわたしも聞きたいです。


 コレットの迫力にやや気おされつつも、ノルベル様はふんと鼻を鳴らしました。


「あ、あちこちからの噂だ」

「あちこちとは?」


 問い詰めるコレットに、ノルベル様は腰に手を当て胸を張ります。


「おれが小耳に挟んだところでは、おまえはオルキーデ嬢に足を引っかけて転ばしたそうだな?」


 それを聞いたわたしは、真っ赤になってしまいました。


「まあ。わたしは何もないところで、よくつまずくのです。文房具を散らかしたところを、コレットは一緒に集めて助けてくれました」


 ノルベル様はめげずに続けます。


「そ、オ、オルキーデ嬢のノートが破かれたと」


 ノートというと――ああ、あのときのことですね。


「わたしが自主的に破ったときのことでしょうか? コレットにわたしの住所等を書いたものを渡したものです。でもよく考えたら、急いでメモにしなくてもよかったのですよね。改めてカードに記して渡しましたよ」


 ノルベル様は小刻みに震えはじめたようですが、声を大きくしました。

 真正面にいるので、そんなに大きな声を出さなくても聞こえますけど、きっと大声を出したい気分なんですね。


「い、池に、校舎の裏庭の池に突き落とされたと聞いた!」

「池? 魚がいたのでのぞき込んだわたしが落ちないように、コレットが支えてくれていたときでしょうか? おかげ様で落ちずに済みました」


 わたしは感謝を込めて、友人の肩に手を添えました。

 コレットがふうっと息を吐きます。


「ノルベル様。噂を鵜呑みにしてはいけないと、わたくしは以前にも何度も申し上げたような気がします。特に今回は、聞きかじった情報をおかしなふうに妄想して信じ込んだようですね」


 ひたとノルベル様を見据えるコレットに、ノルベル様は一歩下がったものの踏ん張って、わたしに向かって叫んだのです。


「し、しかし! オルキーデ嬢! おれの心はあなたでいっぱいなんだ。おれはあなたと結婚したい!」


 これはさすがに、びっくりです。

 婚約者がいるというのに――それも目の前に――他の女性に求婚するなんて。

 マイリム王国とフリーツア王国は、こんなにも違うのでしょうか。

 わたしはフリーツア王国の国民です。従うべきはフリーツア王国の法ですし、常識です。

 ということで。


「お断りしますわ」

「な、なぜだ!? コレットが怖いのか? おれがちゃんと話をつけよう。それとも、身分か? 国籍か? 王子であるおれがどうとでも――」

「そういう問題ではなく、わたし、結婚しておりますので」


 わたしが告げると、ノルベル様の動きが止まります。


「――え――? け、しております――?」


「はい。結婚しております。既婚者です。人妻です。愛する唯一の夫がいます。なので、お断りします。ここマイリム王国では違うのかもしれませんけれど、我が国では重婚は大罪です」

「オルキーデ。この国でも許されざることよ。そういう倫理観はあなたの国と変わらないわ」


 コレットがそう重いため息をつきます。

 わたしはほっとうなずいて、ノルベル様に言いました。


「ノルベル様。わたし、最初のご挨拶のおり、グラーペ子爵夫人のオルキーデと申し上げましたけれど」


 留学初日、担任の先生のあとから教室に入り、自己紹介をしました。

 夫人と名乗った際に、聞き間違えかなという顔をした生徒は確かに数名いましたが、さほど問題はないとわたしは思っていました。


 ノルベル様のことはあまりよく覚えてはいませんけど、半分眠ったような感じだったような気がしないでもありません。


「ノルベル様はあの日、学友とカードゲームでの夜更かしがたたって、机につっぷしていたんですよ。それからオルキーデを見た瞬間にぽーっとなっていらっしゃいましたから、夫人の部分を都合よく令嬢と勘違いなさったのでしょう」


 コレットが呆れたように言うと、ノルベル様の顔が真っ赤になります。

 諸々指摘されて恥ずかしいのでしょうと思いましたが、どうやら怒りのためのようでした。


「お、おれを、だましたのか。オルキーデ。おれの心を、もてあそんだのか!」

「ノルベル様」

「うるさいうるさい! 黙っていろ、コレット!」


 コレットがたしなめようとしても、ノルベル様は癇癪を起した子供のように叫んでいます。


 小ホールの端のほうをちらりと見てから、わたしはノルベル様に言いました。


「騙してはいません。子爵夫人には違いありません。ただ、将来的には、少し変わるかもしれませんので、それを騙したと言われれば、謝罪いたしますね」

「か、変わる?」

「はい。夫はフリーツア王国のデイテス辺境伯の嫡男ですので。ゆくゆくはその爵位を継ぐことになると聞いております。現在も辺境騎士団の副団長をしています。この一か月は休暇でしたけど」

「――」


 赤かったノルベル様の顔が、みるみる青く変わっていきます。


 フリーツア王国のデイテス辺境伯といえば、マイリム王国との国境沿いに広大な領地を持ち、その昔、両国の仲がこじれた際にはすさまじい武力を持って自国を守ったといわれている家です。

 百年以上前のことですが、だからこそおとぎ話のような強さを持って語られているのです。

 きっとマイリム王国では、死神のように言われているのでしょう。


「へ、辺境伯……?」

「はい。実は、そこにいます。というか、わたしと一緒に通っておりました。一か月、夫は学園の司書の先生のお手伝いをしていたのです。彼はほとんど図書室から出てきませんでしたので、気が付いていらっしゃらないかもしれませんけど」

「――え?」


 小ホールの隅のほうをわたしが手で指し示すと、ぎぎぎと音がしそうな動きで、ノルベル様が首を巡らせました。


 三年生の学年主任の先生と一緒にテーブルで座っていた男性。

 テーブルに肘をつき、ワインを片手に面白そうにこちらを眺めていた彼を、わたしは手招きしました。


 立ち上がった男性は、長身で引き締まった体躯をしているのが服の上からもわかります。

 ものすごく鍛えているのですよ。この国に来てからも毎日剣の素振りをしていました。

 銀色の髪はオールバックになでつけられ、切れ長の目は淡い水色をしています。凛々しい顔立ちなので一見冷たそうに見えますが、理不尽なことはしないので、領民にも部下にも慕われています。

 我が夫ながら、素敵な男性です。何がいいって、わたしに一途でいてくれるところですね。

 もちろん、わたしも彼一筋です。

 結婚の誓いは神聖なものです。


 もう少しわたしの身長が高ければと悩んだこともありましたが、すっぽり包めるわたしの身長が気に入っているそうなので、気にしないことにしました。

 近寄ってきた夫に寄り添い、わたしはノルベル様に言いました。


「わたしたちは、明日には国へ帰るのです。夫もわたしも、とても有意義な一か月でした」


 夫が、わたしの腰に軽く手を添えます。


「オルキーデ。友人と語らいたいから邪魔をするなと言っていただろう? もういいのか?」

「最後ですから、あなたもまぜて差し上げます。きちんと紹介もしたいですから」

「それは光栄だね」


 柔らかく笑う夫に、わたしはこの国でできた友人を紹介します。


「こちらはわたしの友人、コレット・リオーパ侯爵令嬢です」

「ごきげんよう、コレット嬢。図書室でお目にかかりましたね。あなたのおかげで、妻は大変楽しく学園生活を送れたようだ」


 コレットが立ち上がって、淑女の礼をしました。


「グラーペ子爵様。ぶしつけなお願いなのは重々承知しておりますが、オルキーデの留学の延長は無理なのでしょうか?」

「そう言ってくれるのは嬉しいよ。でも、妻をひとりでこの国に置いていく気はないんだ。わたしも騎士団の仕事をほうってきていて、往復にも日数がかかるし、新婚旅行という名目でもぎとった一か月が限界でね」


 その答えに、残念そうにコレットはうなだれます。


「帰国したら手紙を絶対に書きますから」

「ええ。わたしも書くわ」


 そしてわたしはノルベル様に向きました。


「こちらは、コレットの婚約者でもある、ノルベル第三王子殿下です。ノルベル様。改めまして、わたしの夫、グラーペ子爵ダライアス・デイテスです」

「はじめまして、ノルベル殿下。妻がお世話になりました」


 そう言いながら、ダライアスは、わたしの頭のてっぺんあたりに唇を落としたようです。それから、首の後ろから細い金のチェーンを引っ張りました。


「あ、ダライアス。まだ、学園生活中です」

「もう、いいだろう」


 そう言って、チェーンに吊るしていたシンプルな金の指輪を、わたしの左手の薬指に嵌め、その上から口づけます。

 この学園の校則で、アクセサリーは禁止なのです。指輪を身に着けたいのなら見えないところに着けるようにと言われましたので、チェーンで吊るしていたのです。


 これでよし、とダライアスの声が聞こえましたけど、何がよかったのでしょう?


「ダライアス?」

「気にするな」


 そう言う彼にも同じ指輪が嵌められています。


 そして、ダライアスはノルベル様に微笑みました。


「こちらの図書室の充実ぶりは素晴らしいですね。騎士団の仕事が忙しくてなかなか読書もできなかったのですが、素晴らしい時間を過ごせましたよ」

「そ、そうカ、気にイッテいただけタノならナニヨリ」


 ノルベル様の声がところどころ裏返っています。

 辺境騎士団という職業がよくなかったでしょうか。ダライアスは怖くはないですけどね?


 ダライアスはさらに続けます。


「第三王子殿下におかれましては、いずれ国境沿いの王領地を公爵領としそこに封じられるご予定とうかがっております。場所によっては隣同士となりますので、今後ともよいお付き合いを願いたいものです」


 ノルベル様はこくこくとうなずくばかりです。

 口を開いたのはコレットでした。


「まあ、では、オルキーデとお隣同士になるのね。ゆっくりお茶やランチ――。ああ、国境があるのだったわ」


 ぱっと顔を輝かせたコレットでしたけど、現実問題にぶつかりました。

 わたしはそんなコレットに伝えます。


「身元の確かなひとは、少し簡素化したほうがいいかもしれないという話も出ているのです。簡単になれば行き来が楽になって、相乗効果も得られるでしょう」

「ええ。ええ、そうね。主に流通関係は、きっと」


そして、コレットの頭の中では様々な考えが駆け巡っているようでした。


「――わたくし、頑張って勉強するわ。国際関係も歴史も、いろんなことを」

「わたしも帰ったら、辺境や国境のことを調べてみますね。ダライアスや辺境伯のお義父様とも相談して、善処したいです。交流が盛んになったら、素敵だと思いますから」


 わたしはコレットと手を取り合って語っていました。


 ノルベル様は置いてきぼりでしたが、正直、忘れていました。ごめんなさい。


 それから舞踏会場の大ホールに戻って、わたしはダライアスとダンスを踊り、友人たちに挨拶をして過ごしました。

 終了の時間には、改めてコレットにお別れの挨拶を済ませます。

 翌日は早朝に出立する予定なので、見送りは不要と伝えてあるのです。


「本当にありがとうございました、コレット。すぐに手紙を書きますね」

「待っているわ」


 そしてその横に立つノルベル様にもお礼を伝えます。


「では、ノルベル様。留学中のご親切、ありがとうございました。またお目にかかれる機会を楽しみにしております」

「ごきげんよう、殿下」


 ノルベル様はやはりこくこくとうなずいています。


 そうして、ダライアスのエスコートで馬車に乗りこみ、一か月お世話になった学園をあとにしました。


 馬車から見た最後の風景は、コレットがノルベル様の腕をぐっと掴んだところでした。


「ノルベル様。少し、お話しいたしましょうか――」


 ノルベル様の顔色は、今度こそ消え失せていたように思います。


 ◇ ◇ ◇


 留学期間の一か月は、王都のホテルのワンフロアを借り切っていました。

 連れてきていた自国の使用人たちがてきぱきと荷造りを済ませ、予定通り朝日が昇る頃に出立となりました。


「とても素敵な一か月でした。ダライアス。わたしのわがままを聞き入れてくれて、ありがとうございました」

「新婚旅行の代わりだよ。土産も買ったし、第三王子とその未来の夫人と懇意になったと伝えれば、どこからもさほど文句は言われないだろう」


 わたし、学園生活に憧れていたのです。

 ずっと家庭教師から学び、十七歳で嫁いだわたしにはその機会はありませんでした。

 自国の学園では、おそらく身分等が知られていて、わたしが望むようなごく普通の生徒としての学園生活は送れないでしょう。

 しかし他国で、見聞を広めるというていなら――と、わたしに甘いダライアスが考えて根回しをして、留学させてもらったのです。

 昨年結婚してからも、ダライアスが忙しくて、ゆっくり新婚生活を送ることもできませんでしたので、新婚旅行も兼ねてということにして、ふたりで。


「世話をしてくれる使用人はいましたけど、ダライアスとふたりきりの生活ができて嬉しかったです」


 ダライアスは軽く目を見開いてから、口元に笑みを刻みました。


「満足していただけたのかな、奥方?」

「――あなたは? わたし、あなたに無理強いをしましたよね」


 疑問に疑問を返すのは失礼だとわかっていますけど、確認したかったのです。

 わたしは楽しかったのですけど、ダライアスはどうだったのでしょう。


「第三王子に言ったことは本当だよ。久し振りに読書に没頭できた。興味深い本があったから、近々取り寄せようと思ってる」

「本当に? それなら、よかったです。わたしも、学園生活を堪能しました。それに、わたしも興味深いものを見ることができました」

「ん?」


 ダライアスが怪訝な顔をするのへ、わたしは両手を握って力説します。


「婚約破棄の現場ですよ、ダライアス! 物語の中のことかと思っていましたけど、あんなふうに現実にするひとがいるのですね。コレットは平然としていましたけど、まさかこの目で見ることができるなんて」

「きみは、その当事者のひとりだと思うんだが」

「あら? そうでした?」


 婚約解消を言い出したのはノルベル様で。お相手の令嬢はコレットで。


「あ、そういえばそうですね。わたしと婚約すると言い出すなんて、思いもしませんでした。だって、夫人って名乗りましたのに」

「アレがきみに触れたら殴りに行こうと思っていたんだ」

「避けました。あなた以外はいやですから」


 突然片手で顔を覆ったダライアスを眺めつつ、わたしは閃いて手を合わせます。


「ノルベル様はとても親切だったのですけど、もしかして、コレットにやきもちをやいて欲しかったのかもしれませんね。それでわざとあんなことをしたのかも」

「……いや。部下からの事前の報告によれば、ノルベル殿下はいささか惚れっぽいたちらしい。ああいう騒ぎは三度目になるんじゃないかな。コレット嬢が年齢のわりには達観した女性で、殿下は掌の上で転がされているんだろう」

「……なるほど」


 でも、わたしの考えも、的を射ているのではないでしょうか。わたしへの求婚は、なんというか、熱量がない感じでしたから。

 ふたりはお似合いなのだろうと、わたしは思うのです。

 なんだかんだで、コレットはノルベル様を見捨てずにいるのですから、きっとどこかに良いところがあるのでしょう。

 コレットは綺麗で賢くて素敵な女性です。彼女がいれば、ノルベル様は立派な公爵になるに違いありません。


「コレットが公爵夫人として引っ越してくるのが楽しみです。それまでに国境のことを勉強します。両国の行き来がしやすいように、わたし、頑張りますから。ダライアスも協力してくださいね」


 わたしはそう意気込みながら、去り行く景色を見逃すまいと、窓の外を見ていました。


 愛しい女性の掌の上なら、転がされるのも悪くはない。


 そんなダライアスの呟きが耳に届きました。

 愛しいという単語がついていたので、いい意味に受け取って、わたしは振り返り、ダライアスに感謝をこめてそっと口づけたのです。


 彼の表情がどんなだったか、コレットに手紙で伝えようと思ったのですけど、やっぱりわたしだけの秘密にしましょう。

お読みいただきましてありがとうございました。

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