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9/9

#バレンタイン

2月7日、放課後。


チャイムが鳴り終わった教室に、妙な熱気が残っていた。


「ついに、」

「この時が、」

「来てしまった……」

「『血のバレンタイン』が……」


窓際の男子グループが、無駄に重々しい声色で順番にセリフを回していく。


「お前らさぁ、タイトルコールにそんな完成度求めるなよ……」


教室の隅で、その様子を見ていた田中海斗は、思わず吹き出した。


「あはは」


笑いが漏れた瞬間、数人の視線がこっちを向く。


「お、オタクくん。お前は余裕だよなぁ?」

「どーせ家で配信見て、二次元からしかチョコもらわないもんな?」

「そうだそうだ。“守られし領域”の民は気楽でいいよなぁ」


からかい半分、羨ましさ半分の声。


海斗は、肩をすくめて返す。


「いやいや、“血のバレンタイン”って呼んでた側の

人間が言うセリフじゃなくない?」


去年までのバレンタイン。


それは、チョコレートの祭典というより、“地位協定”の見える化イベントだった。


 購買前で行列を作る「義理チョコ配布列」。

 アプリ上でリアルタイム更新される「チョコ獲得ランキング」。

 上位陣のコメント欄は、もはや小さな戦場。


あの悪趣味な仕組みを「イベント性があっていい」とか言ってた大人たちを、

海斗は今でもあまり好きになれない。


──そして今は、その地位協定が、無期限停止。


ランキングも、公式イベントも、全部“停止中”のまま。


けれど、教室に漂うこの空気は、そう簡単には変わらないらしい。


「でもよ、ランキングなくなったからってさ」

「本命ゼロが本命一個になるわけじゃねぇんだよなぁ……」

「それはほんとにそう」


 男子グループが、どよーんと揃ってため息をつく。


「ていうかさ」

「今年って、どんな感じなんだろうな。先生たちも、特にルール決めてないし」

「チョコ自体禁止ってわけじゃないらしいぜ。風紀の掲示見たけど、

“過度なやり取りは慎むこと”って、あのいつものぼやっとした文言だけだったし」


“風紀の掲示”。


その単語に、海斗の頭の中に、ある人物の顔が浮かぶ。


──長谷川カレン。


赤い髪。

柔らかい笑顔。

“風紀委員の悪魔サタン”。


そして、地位協定停止の裏側を知る数少ない生徒の一人。


(あいつ、バレンタインとか、どう考えてんだろ)


正直、怖い。


チョコの形をした何かに、GPSでも仕込まれるんじゃないか、とか。

渡された瞬間に「これであなたも、わたしの監視対象です」とか言われそう、とか。


……いや、考えすぎなのは自覚している。


「田中」


名前を呼ばれて顔を上げると、クラスメイトが椅子を引きずりながら近づいてきた。


「お前はどうなんだよ。今年のバレンタイン。期待値」


「数値化すな」


「いいから答えろよ。0〜100で」


「……期待値0、標準偏差も0。完璧なフラットだよ」


「夢がねぇなぁ!」


「現実を直視してるだけだ」


わざとらしく肩をすくめてみせると、周りから「はいはい、悟り世代」と

笑いが起きる。


地位協定が止まっても、こういう軽口は変わらない。

でも、その軽口の中に、去年まであった刺々しさはもうなかった。


「あいつは何個」「お前は何位」と、露骨に序列を測るような視線は、

少なくともこの教室からは消えている。


(……それだけで、だいぶマシか)


窓の外は、もう薄暗い。


中庭を、帰宅する生徒たちがぽつぽつと歩いていく。


「じゃ、俺、そろそろ部室──っていうか、オタクたちの巣に行くから」


「何その言い方」

「同族嫌悪か?」


「いや割と誇り持ってるよ? “自律したオタクコミュニティ”だから」


鞄を肩にかけて立ち上がると、廊下から風が流れ込んできた。

冬の匂いと、どこか遠くで焙っているような、甘いような匂い。

購買あたりで、早めに売り出している義理チョコか何かだろうか。


(……今年は、どうなるのかな)


 ランキングも、強制もない。


 “血”のつくバレンタインじゃない、はず。


だけど、地位協定が止まったことで、今度は“本音”が

むき出しになるのかもしれない。


そんなことをぼんやり考えながら、海斗は教室を出た。

と、その瞬間。


「田中くん」


廊下の向こうから、聞き慣れた声。

振り向く前から、誰だか分かってしまう。

──天使のような、悪魔の笑顔。

長谷川カレンが、掲示板の前に立っていた。

風紀委員のバッジを、きちんとした位置につけて。


掲示板には、さっき話題にしていた“バレンタインに関する注意事項”

のプリントがぴしっと貼られている。


「ちょっと、いいですか?」


にこっ、と笑いながら、彼女はそう言った。

それが、「俺にとっての」今年のバレンタイン騒動の、最初の一歩だった。


その笑顔を見た瞬間、田中海斗の頭の中には、条件反射的に一つの

ワードが浮かんだ。


 ──あ、これ、面倒くさいやつだ。


「……えっと、風紀的な取り締まりなら、僕、今日はわりと健全な──」

「違いますよ」


 くすっと笑って、カレンは首を振る。


「お願いです。田中くん、時間ありますか?」


 “お願い”。


この単語が一番危険だと、海斗は最近ようやく学んだ。

風紀委員の彼女からの「お願い」は、だいたい何かの作業であり、それを断ると

あとで妙なところで名前が出る。


(ま、今日もどうせ、ファンクラブのイケメンか、専科の誰かが本命なんだろうし……)


バレンタイン一週間前。

学園中の“人気者枠”たちは、すでにざわついているに違いない。

長谷川カレンのレベルの女子ともなれば、「ちょっと相談があって」とか

「チョコどうしようかな」とか、そういう話題で囲まれているはずだ。


(そのへんの面倒な人間関係に比べたら、掲示物の一枚や二枚、安いもんだよな)


自虐とも諦めともつかない結論に落ち着いて、海斗は肩の力を抜いた。


「……まあ、少しなら」


「よかった」


カレンは、ぱっと表情を明るくした。

その一瞬の変化が、なぜかやけに眩しく見えて、海斗は咄嗟に視線を逸らした。


掲示物の束は、思った以上に重かった。

行事予定、風紀からの注意喚起、新しい部活動紹介、奨学金のお知らせ──。

A3やらA4やら、サイズも内容もバラバラの紙たちが、クリップで

無理やりまとめられている。


「これ、全部?」


「全部です。先生方から“風紀委員で貼っておいてね”って」


「風紀委員ってことは、本来は分担制ですよね?」


「今日は、たまたま、ここにいるのが私だけでした」


それを“たまたま”と呼んでいいのかはさておき。


「……はいはい。で、優先順位は?」


「まずは、バレンタインの注意事項と、行事予定を目立つ位置に」


「ですよねぇ」


脚立を引っ張り出してきて、海斗が上段、カレンが下段を担当する。


廊下を行き来する生徒たちが、「あ、風紀だ」「また何か貼ってる」と、

ちらちら視線を寄こしてくる。


普段なら、風紀委員が二人で作業していても何も思わないだろう。

けれど、片方が長谷川カレンで、もう片方が「オタクくん」こと田中海斗だと

話は少し変わるらしい。


「ねえ、あれって──」

「長谷川さんと田中? 珍しくない?」

「なんかやらかしたのかな、あのオタク」


ひそひそ声が聞こえてくるたびに、海斗は心の中で「風評被害!」とつっこんだ。


(いやまあ、俺、なんかやらかすタイプのオタクに見えるのかもしれないけどさ)


ポスターをまっすぐに貼りながら、心の中でぶつぶつ文句を並べる。


(どうせ、こういう“お手伝い枠”は、ファンクラブ所属のイケメンとか、

専科の優等生とか、そういう“画的に映える”やつらが選ばれるんだよな)


少し、だけ。


ほんの少しだけ、胸の奥がざらつく。


(それが、今日はたまたま俺だったってだけで)


そうやって、自分で自分に説明をつけるのが、海斗の癖だった。



「田中くん、そこ、もう少し右です」


「こう?」


「もうちょっと……はい、そのへんで」


言われた通りに微調整して、画鋲を押し込む。


ぱちん、と小さな音がして、バレンタイン注意喚起ポスターが、ぴんと張った。


《過度なチョコレートの授受は慎みましょう》


「……過度って、どこからが過度なんだろうな」


「そうですね」


隣で、カレンが少しだけ笑う。


「田中くんみたいに、“ゼロか一個”を前提にしている人からしたら、

全部“過度”かもしれませんね」


「それ、どこ情報?」


「風紀委員の情報網です」


さらっと怖いことを言う。


「……人の期待値まで調査対象なんだ、風紀委員」


「いえ、個人的な興味です」


それはそれでどうなんだ、とつっこみたくなるが、うまい言葉が出てこない。

そんなこんなで、掲示作業は淡々と進み──。



「田中くん」


最後の一枚を貼り終えたタイミングで、カレンが声をかけた。


「うわぁ……何?」


反射的に、ちょっと身構えてしまう。

条件反射で出た言葉に、カレンが一瞬だけ目を瞬かせた。

けれど、すぐにいつもの笑顔に戻る。


「掲示物、全部終わったよ。ありがとね」


「あ、うん」


 そこでようやく、海斗も「あ、ああ、そういうこと」と気づく。


「あとは、風紀委員の報告書だけ書いときますから。田中くんの名前も、ちゃんと“協力者”として書いておきますね」


「いや、そこは書かなくていいよ!? なんか後々、変なフラグ立ちそうだし!」


「善行を記録するのは、大事なことですよ?」


「その口ぶり、悪行も同じノリで記録してそうで嫌なんだけど」


軽口を一つ交わして、海斗は鞄を肩にかけ直した。


「じゃあ、帰るね……」


「はい。気をつけて」


ぺこりと頭を下げるカレンに、海斗もなんとなく会釈だけ返して、廊下を歩き出す。

夕方の光が差し込む窓の向こう、中庭はもうオレンジ色だ。

足は自然と、下駄箱の方へ向かう。


(……まあ、思ったより重労働だったけど)


背中に、さっきまで運んでいた掲示物の重さが残っている気がする。


(ファンクラブのイケメンとかじゃなくてよかったのかどうかは、知らないけどさ)


そんなことをぼんやり考えながら、海斗は階段を降りていった。



残された廊下で、カレンはしばらく、その背中を目で追っていた。

掲示板に貼られた紙の端が、廊下を吹き抜ける風に、かさっと揺れる。


(……一緒に、いてくれたのに)


心の中で、小さく言葉がこぼれる。


(どうして、そんなに「巻き込まれました」って顔をするんでしょうね

田中くんは)


“お願い”に応じてくれたことは、素直に嬉しい。

仕事だからでも、義務だからでもなく、ただ「少しなら」と

言って残ってくれたことが。


それでも。

彼が最後に見せた、あのちょっとだけ怯えたような顔を思い出すと、

胸の奥が、きゅっと締め付けられる。


「……ありがと、じゃ、足りないのかな」


誰にも聞こえないくらいの声で、呟く。

風紀委員としての顔と、ただの女子高生としての顔。

その境界線が、自分の中で少しずつ曖昧になっていくのを、

カレンは薄々感じていた。


けれど、その答えを出すには──。

まだ、一週間、早い。


バレンタインデーまでのカウントダウンは、静かに進んでいく。


―――――


校門を出ると、空はすっかり夕方色だった。

オレンジと群青の境目みたいなグラデーションが、街のビルの

輪郭を柔らかく縁取っている。

海斗は、イヤホンもつけずに、とぼとぼと歩いていた。

駅前に近づくにつれて、景色がじわじわと「バレンタイン仕様」に

なっていくのが分かる。


ショッピングモール前の広場には、ハート型のバルーン。

期間限定のチョコレートフェアののぼり。

テイクアウト用の可愛い紙袋を抱えた女子高生の群れ。

どこを向いても、ピンクか赤か茶色だ。


(……攻めの三色)


心の中で、誰にも伝わらないカテゴリ分けをしながら、海斗は信号待ちで

立ち止まる。

横断歩道の向こう側には、仲良さそうなカップルが、何組も並んでいた。


肩が少し触れ合っている二人。

紙袋を片方だけ、わざと重たそうに持って見せる男子。

それを「仕方ないなぁ」と笑いながら受け取る女子。


(地位協定が止まっても、リア充は普通にリア充なんだよな……)


ランキングも、ポイント制も、そういう外付けの仕組みは止まった。

でも、誰かと誰かが並んで歩く、その事実までは、さすがの学園内のアプリでも

操作しないらしい。


信号が青に変わる。

人の流れに押されるように歩き出して、ふと、視界の端に見覚えのある制服が入ってきた。


七星学園のブレザー。

その中でも、見慣れた背丈と髪型。

ショッピングモールの一角。

コージーコーナーのような、チェーン系のケーキ屋の屋外特設ブース。

ショーケースの前で、肩を並べてケーキを眺めている男女がいた。


女の子は、明るい色の髪を揺らしながら、「これ可愛くない?」と指差している。

隣の長身の男子は、部活帰りらしいスポーツバッグを肩に掛けたまま、少し照れくさそうに笑っていた。

名前までは、わざわざ確認しない。

でも、誰なのかは、だいたい分かる。


(あー……うん。ですよねー)


海斗は、足を止めずに横目で通り過ぎながら、心の中でだけ小さくため息をついた。


(あの二人は、協定があろうがなかろうが、結局並んでケーキ見てる側の人たちなんだよな)


それを「ずるい」とか「羨ましい」とか、ストレートな単語で片付けてしまうのは、ちょっと負けな気がして。

だから代わりに、もっとひねくれた言葉を選ぶ。


(……ああいうのは、“メインストーリー”の人たちのイベントだから)


自分は、脇役。

画面の隅で、イベント背景として通り過ぎていくモブA。

そう決めつけてしまう方が、楽だった。


ぶーっ、ぶーっ。


ちょうどその時、ポケットの中でスマホが震えた。

取り出して画面を見ると、「母」のアイコンと共に、メッセージ通知が表示される。


『帰りにスーパー寄れる? 

牛乳と卵と、安かったら鶏むね肉。』

『あと、チビがプリン食べたいって言ってる。

お任せで何かデザート一個。』


「……バレンタイン前に、冷蔵庫用のラブレター来た」


思わず、口の端が上がる。

恋とか、告白とか、そういうドラマティックな単語とは無縁だけど。

こういう「卵と牛乳とプリン」の組み合わせにも、日常の温度みたいなものはちゃんとある。


(まあ、モブはモブなりに、イベントあるか)


駅前のアーケードを抜けて、最寄りのスーパーへ向かう。



スーパーの自動ドアが開いた瞬間、ひやりとした空気と、一気に押し寄せてくるチョコレートの匂い。

店内の一角が、完全に「手作りバレンタインコーナー」と化していた。


ハート型の型、ラッピング用の袋、メッセージカード。

おしゃれっぽい製菓用チョコのパッケージには、「本命にはこれ!」

みたいなキャッチコピー。


「攻めの三色、ここにもか……」


さっき頭の中で名付けたばかりのカテゴリが、スーパーにも適用されるとは思わなかった。

とりあえず、卵と牛乳をカゴに入れ、肉売り場で鶏むね肉の特売シールを確認する。

生活感の塊みたいな買い物リストと、店内BGMの「バレンタイン特集ソング」のギャップがすごい。


(……プリン、どうしよ)

デザート売り場で立ち止まり、並んだプリンをしばらく眺める。


子ども向けのカラフルなやつ。

ちょっと高級そうな瓶入りのやつ。

期間限定・ショコラプリンなんてのも混ざっている。


(チビは、たぶんキャラもの選べば喜ぶし)

(でも、ここであえて瓶プリンを買って、「大人の味だぞ」とか言ってみるのもネタとしてはアリ……)

そんなくだらないことで悩んでいる自分が、少しおかしくなる。


さっきまで見かけた、ケーキ屋のカップルたち。

その少し前、一緒に掲示物を貼っていた、赤い髪の風紀委員。

彼・彼女たちのいる「メインストーリー」と、スーパーの蛍光灯の下でプリンを選んでいる自分。


(……世界線、違いすぎでは?)

そう思いつつも、海斗は結局、キャラクターのシールがついた三個入りプリンをカゴに放り込んだ。


家に帰れば、「おいちぃ」とぎこちない言葉でチビが笑ってくれる。

それはそれで、悪くないサブクエストの報酬だと思いレジに向かったが…


気づけば、足は自然と、さっき横目で通り過ぎた「手作りバレンタインコーナー」へ向かっていた。

陳列棚には、さまざまな製菓用チョコが並んでいる。


初心者向けの「溶かして固めるだけセット」。

上級者向けの「クーベルチュール」とかいう、聞いたことはあるけど実態はよく知らない高級そうなやつ。

マフィンミックスや、トッピング用のカラフルなチップ。


(へぇ……がんばるなぁ、世の女子高生)


ポップには柔らかいフォントで「本命にはひと手間を♡」なんて書いてある。


(いや、ひと手間とか言ってるけど、これ普通に数時間コースじゃない?)


家に帰って宿題やって、部活もあって、その合間に「ひと手間」どころじゃない労力を

注いでいるんだろう。

そう考えると、さっき見かけたケーキ屋カップルの背後に、「見えない努力ゲージ」が

うっすら表示されているような気がしてきて、妙な気分になる。


ふと、視界の端に、少し色味の違うパッケージが映った。

派手なハート柄の中で、そこだけ黒くて、やけに渋い箱。


《カカオ95% ビターショコラ》。

ポップには、小さく《大人のほろにがバレンタインに》と書いてある。


「……ほろにがってレベルじゃないだろ、これ」


以前、動画サイトで「カカオ何%までが人類の限界か」みたいな企画を

見たことがある。


たしか、そのときも九十何%かで出演者全員が「これはもうチョコの皮を被った何か」とか言っていた。


(これ、もし誰かから“本命”って渡されたら、どう反応すれば正解なんだろ……)


箱を手に取って、くるりと裏面をひっくり返す。


“苦味が強いので、お子様や甘いものが苦手な方にはご注意ください。”


「注意書き付きの愛情表現って、なかなか攻めてるな……」


そう口に出した瞬間、頭の中に、自然と一人の顔が浮かんだ。


──長谷川カレン。


 赤い髪。

 天使みたいな、悪魔みたいな笑顔。

 風紀委員の腕章。


(あいつだったら……)


 想像してみる。


 バレンタイン当日。

 人目の少ない場所に呼び出される。

 でもそこは、監視カメラの死角では決してなく、むしろ風紀委員的には「見守りポイント」としてマークされている場所。


『田中くん、これ』


 差し出される黒い箱。


『義理です』


『ですよね』


 開けてみたら、中身はカカオ95%の超ビターチョコ。


『あなた、甘いもの苦手なんですよね?』


『……なんでそれ知ってんの』


『調査済みです』


『怖いな!?』


 で、一口かじった瞬間に、盛大にむせる。


『っっにっが!? これはもう、味覚へのテロでは!?』


『ほら、甘やかすと人間ダメになりますから』


『愛情表現がスパルタなんだよなぁ!』


 ──そんなコントみたいなやり取りが、頭の中で自動再生される。


(……あり得るな)


自分で想像しておいて、妙に納得してしまう。

カレンからもらうチョコは、きっと“甘いだけのもの”ではない。

何かのメッセージが仕込まれているか、どこか「試されている」感じがするに違いない。

そう思ったら、手にしていたカカオ95%の箱が、急に「長谷川カレン・公式認定チョコ」みたいに見えてきてしまった。


「いやいやいや、落ち着け俺」


慌てて棚に戻す。


その隣には、真逆のパッケージがあった。

柔らかいベージュに、手書き風のフォント。


──《ミルクたっぷり やさしい口どけチョコ》。


ポップには《はじめての手作りに♡》と書かれている。


(……こういう、分かりやすく“やさしい”のを選ぶタイプではないよな)


カレンの顔をもう一度、頭の中で再生する。

あの、何か企んでいそうで、実際だいたい何か企んでいる笑顔。


(あいつがもしチョコ作るなら、味よりもまず、“仕込みやすさ”とか“情報量”とかで選びそう)


例えば、「一粒ごとにメッセージ入りのチョコ」とか。

例えば、「食べると一定時間だけ舌が真っ青になるトラップチョコ」とか。


「いや、どんなスパイ映画だよ」


自分でツッコミを入れて、苦笑いする。

さっきまで「メインストーリーの外側」とか、「モブ」とか、斜めに構えていたくせに。

こうして、一人でスーパーのバレンタインコーナーに立って、風紀委員の女子のことを考えている自分。


(……これ、結構ガチでモブのやることじゃないな)


ふと、そんなことを思っていたら

棚の端に、小さな詰め合わせセットが置いてあるのが目に入る。


──《バレンタインにも! ホットチョコレートの粉》。


マグカップに放り込んで、ホットミルクを注ぐだけで濃厚ココアができるらしい。


「……これ、家用に一個くらいなら、アリか?」


チビも、ホットミルク系は好きだ。

母も、たまになら甘いものを飲んでいるのを見かける。


(“バレンタインっぽい”けど、“ガチ恋イベント”じゃない範囲のやつ……)


そう自分に言い訳しながら、四個入りの小箱をカゴに入れた。

プリンと、ホットチョコレートと、鶏むね肉。

生活感と季節感が、カゴの中で不思議なバランスを取っている。


「……バレンタイン、ねぇ」


レジに向かいながら、海斗はぼそりと呟く。

教室で、カレンと二人で掲示物を貼っていた時間。

「ありがとね」と笑った顔。

そのあと、自分が反射的に「うわぁ……何?」と言ってしまったこと。


(……あれ、普通に失礼だったな)


今さらながらに、じわっと恥ずかしさが込み上げてくる。

もし、あれを本人に謝るタイミングがあったら──。


(いや、その前にまた何か“お願い”されて、うやむやになる未来が見える……)


ため息とも笑いともつかない息を吐いて、会計を済ませる。

マイバッグを片手に店を出ると、外の空気は、さっきより少しだけ冷たくなっていた。

街のバレンタイン色も、さっきより少しだけ、静かに見える。

カレンのことを考えたからか、

それとも、スーパーで現実的な買い物をしたからか。


自分でも、よく分からなかった。




その日の夜。

カレンの部屋には、シャーペンの芯が走る小さな音と、ノートPCの静かな冷却ファンの音だけが響いていた。


「……よし。英語、終わり」


最後の丸をつけて、教科書をぱたんと閉じる。


机の端には、数学のプリントの束と、現代文のワークブック。

全部、今日やる分は片付けた。


ついでに、学校用タブレットを開いて、決まった時間にチェックする“例のシステム”の画面もざっと確認しておく。


学内のトラブル報告。

問題行動のログ。

そして──停止中の、地位協定関連の項目。


「……“無期限停止”のまま、か」


画面の端に小さく表示された文字を見て、カレンは小さく息を吐いた。

去年までなら、この時期はもう、ランキングだのポイントだの、そういう数字がごちゃごちゃと動いていたはずだ。


《チョコ獲得数・リアルタイムランキング》

《上位者コメント》

《協定遵守度スコア》


それを冷静に見ていた自分と。

その裏で、泣いていたり、笑っていたりした生徒たちと。


どっちの表情も、よく覚えている。

タブレットを閉じて、深く椅子にもたれかかった。

ふと、昼間の教室で聞いた声が、頭の中で再生される。


『「血のバレンタイン」が……』


男子たちが、おどけたように、でもどこか本気で笑っていたあの瞬間。


「……“血のバレンタイン”、ね」


口に出してみると、語感の悪さが改めて分かる。

本来は、誰かのことを想って渡す、甘いイベントのはずなのに。

それをわざわざ“血”なんて言葉で飾らなければならなかったのが

この学園の事情だった。


(今年は、少し、違うはずだけど)


 システムは止まっている。

 ランキングもない。

 公式イベントも中止。


それでも、「バレンタイン」という単語に、嫌な記憶を重ねる生徒は、まだ少なくないだろう。

その中には、自分自身も含まれている。

つい、視線が本棚の一角に向いた。


漫画と参考書の間に、少しだけ隠すようにして挟んである薄い本。

表紙には、メガネをかけた地味な女子が、照れくさそうにチョコを差し出しているイラスト。


タイトルは──『私にとっての“バレンタイン”』。


「…………」


一度読んだだけで、内容はだいたい頭に入っている。

女の子にとっての「バレンタイン」を、救ってくれた相手に渡す話。


ランキングも、ポイントも、関係なく。

「これを渡す勇気をくれたのはあなたです」と、そう言って笑う、フィクションの女の子。


ベッドに寝転がって、天井を見つめる。


(“私にとって「バレンタイン」にしてくれそうな人”に、あげようかな……あの同人誌みたいに)


そう、心の中で呟いてみる。


誰かの評価のためでも、序列のためでもなく。

自分の“イベント”として渡したいと思える相手に。


その顔を思い浮かべようとした瞬間──。


「……ファンクラブの中心メンバーたち、は違うわね」


まず頭に浮かんだのは、いつも自分の周りで騒がしい、イケメンたちの顔。


笑顔で「俺、今年何個いけるかな」とか言っていた男子。

地位協定が止まっても、どこか「上」にいることに慣れている人たち。

彼らは、きっともう十分に「バレンタイン」を持っている。

わざわざ自分が何かを足す必要も、削る必要もない。


「専科の優等生たちも……違う」


将来がきちんと決まっているような、まっすぐな瞳をしたクラスメイトたち。

彼らにとってのバレンタインは、もしかしたら、恋愛よりも資格試験やコンテストの締切かもしれない。

それはそれで、尊い。


「じゃあ、誰に、あげたいの?」


自分に問いかけたとき。

昼間の廊下で、脚立を押さえてくれていた誰かの姿が、ふと浮かんだ。


掲示板の前。

少し不満そうに、でもちゃんと言われた通りにポスターを貼ってくれた後ろ姿。


『……まあ、少しなら』


あの言い方。

あの、ちょっとだけ「巻き込まれました」みたいな顔。

そして、最後に思わず出てしまった、あの一言。


『うわぁ……何?』


「……失礼な人ですね、本当に」


思い出したら、じわじわと胸の奥が熱くなってくる。

でも、その熱は、怒りだけではなかった。


(でも──)


あのとき、最後まで残ってくれたのは、あの人だった。


ファンクラブの誰かでもなく。

専科の優等生でもなく。

たまたま居合わせた“オタクくん”──田中海斗。


机の上に置いてあったスマホを手に取る。

なんとなく、ショッピングアプリを開いて、トップページをスクロールする。

季節のおすすめ、バレンタイン特集。

その中に、さりげなく紛れ込んでいる「アニメコラボ」の文字。


「……あ」


指が止まった。


画面に表示されたのは、とあるロボットアニメとのコラボチョコレート。


量産型の機体をモチーフにした、四角いチョコの詰め合わせ。

パッケージには、ゆるくデフォルメされた戦闘ロボットが描かれている。

スーパーのお菓子売り場で見かけたパッケージと、同じシリーズだ。


帰り道、つい癖でお菓子コーナーをチェックしてしまったとき。

その棚の前で立ち止まった瞬間のことを、カレンは思い出す。


『これ、田中くん、知ってそうですね』


誰に聞かせるでもなく、ぽつりと呟いてみたあのとき。


『これって、どれが“田中くんの好きなやつ”なんでしょう』


結局、そのときは何も買わずに店を出た。

好きな作品が分からないのに、適当に選ぶのは嫌だったから。

でも今、画面の中には、レビュー欄が表示されている。


『「羽なし」の機体好きな彼氏に渡したら、めっちゃ食いついてました!』

『パッケージ目当てで買いました。中身も普通に美味しいです。』


「……なるほど」


軽くスクロールして、関連商品のタブを開く。

コラボチョコだけじゃなく、マグカップやキーホルダーまで並んでいる。

表情が、自然と“分析モード”になる。


(オタクくんに渡すなら、こういう系統の方が、効率がいいのかも)


味だけでなく、デザイン。

パッケージの保存性。

“中身を食べたあとに残るもの”まで含めて、彼らは評価する。


それは、さっきまで自分がチェックしていた“システム”とは別の種類の

でもどこか似ている評価軸だった。


「……“私のバレンタイン”にしてくれそうな人、か」


もう一度、同人誌のタイトルを思い出す。

あの物語の女の子は、自分を笑ってくれた人に、チョコを渡していた。

自分の「嫌な記憶」を、「少しだけマシな思い出」に変えてくれた相手に。


(私の“血のバレンタイン”を、別のものに変えてくれそうな人)


誰だろう。


 専科の誰か?

 ファンクラブの誰か?

 それとも──。


「……ああ、もう」


スマホをベッドの横にぽん、と置く。


自分の頭に浮かんだ一つの候補を、まだ言葉にしたくなくて。

言葉にした瞬間、何かが変わってしまいそうで。

枕に顔を埋めながら、カレンは小さく息を吐いた。


「バレンタインまで、一週間」


自分に言い聞かせるように、呟く。


「それまでに、ちゃんと決めましょう。──“悪魔”じゃなくて、“私”として」


そう決めた瞬間、胸の中のざわめきが、ほんの少しだけ形を持った気がした。

田中海斗という名前を、まだ心の中で直視できないまま。


それでも、今年のバレンタインは、

去年までとは違うものにしたいと、強く思っていた。


―――


バレンタイン前日、2月13日。


専科クラスのホームルームが終わると同時に、教室はふっと柔らかい空気に変わった。


テストでもゼミでもなく、推薦の話でもない。

カレンのクラスメイトたちにしては珍しく、「普通の女子高生」っぽい雑談が、そこかしこで始まっている。


「でさー、結局誰にあげるの?」

「やっぱ彼氏? それとも“まだ内緒♥”ってやつ?」

「義理の方が多いんだよねぇ、部活とかさ」


自然と女子たちがいくつかの島に分かれて、机を寄せ合う。

カレンは、いつも通り一番後ろの窓際の席で、教科書を

そろえながら様子を眺めていた。


(……専科の子たちも、こういう話するんだ)


 どこか、他人事みたいにそう思う。


このクラスの会話といえば、大抵は「模試」「研究発表」「将来の進路」。

感情よりも情報量の方が多い話題ばかりだった。


だからこそ、今のこの空気が、少しだけ新鮮だった。


「ねぇねぇ、長谷川さんもこっち来なよ」


前の方の島から、手がひらひらと振られる。

器用そうな指先で、すでに折り紙製の小さな箱なんかを作っている子だ。


「……わたし?」


「他に誰がいるの。ほら、学年主席~」


半ば強制的に呼ばれる形で、カレンは席を立ち、彼女たちの輪に加わった。

寄せられた机の上には、ラッピング用品のカタログ、百均の小箱、スマホのショッピングサイトの画面が並んでいる。


「今ね、“今年は誰にあげるか会議”してたところ」

「ねー。地位協定止まったし、“ランキング意識しなくていいバレンタイン”って、逆に難しくない?」

「分かる。今まで“とりあえず上位陣に配っとけ”みたいなとこあったもんねぇ」


軽口半分、本音半分。

“上位陣”という言葉に、カレンは内心だけ小さく眉を動かす。

それは、去年までの「血のバレンタイン」の象徴みたいな単語だったから。


「で、長谷川さんは、誰に贈ろうと思ってるの?」


不意に向けられた質問に、カレンは一瞬まばたきをした。


「わたし、ですか?」


「そうそう」


「誰だろう……考えたこともないですね……」


正直な感想が、そのまま口をついて出る。

本当に、考えたことがなかった。

カレンにとってのバレンタインは、“分析する対象”であって

“自分が参加するイベント”ではなかったから。


「そうよねぇ」


隣の女子が、にやりと笑う。


「長谷川さんが作ったチョコを欲しがる人、大勢いますし」

「下手したら、警備隊が来て制圧。怪我人が出るかもね」


「警備隊って」


「ほら、なんかいるじゃん。あの“上”の方にさ。

 “このフロア、危険だ”って判断したら即座に介入してきそうな人たち」


冗談めかして言いながら、彼女は手をひらひらと振ってみせる。


 カレンは苦笑いを浮かべた。


(……実際、似たようなことは、できてしまうけれど)


それは口には出さない。


彼女の中で「長谷川カレン」は二つあって、

一つはこうしてクラスメイトと並ぶ専科生としての自分。

もう一つは、システムの画面越しに学園全体を俯瞰する、風紀委員・参事としての自分。


今は前者の顔をしている時間だ。


「そういうのって、なんだっけ」


別の女子が首をかしげる。


「確か……ほら」


「「血のバレンタイン」」


タイミングを合わせて、二人が同時に言って笑った。

クラスのどこかからも、「あー言ってた言ってた」と笑いが起きる。

男子たちが面白がってつけた呼び名を、今度は女子たちがネタにしている。

その輪の中心にいる自分を、カレンはどこか遠くから見ているような感覚になった。


「……」


思わず、窓の外に目を向ける。

校庭の隅に積もった雪が、まだところどころに残っている。

夕方の冷たい光が、それを薄く照らしていた。


笑い声は確かに楽しいはずなのに。

その中で、「血のバレンタイン」という言葉が軽く飛び交うたびに

胸の奥が少しずつ冷えていく。


(わたしにとっては、まだ“血”が混じってる)


去年までのログ。

泣きながら保健室に来た子。

「何個だった?」と無邪気に訊かれて、無理に笑っていた子。


そういう顔が、一瞬一瞬、頭をよぎる。


「長谷川さん?」


「……あ、ごめんなさい。少し考え事を」


気づけば、視線が宙をさまよっていたらしい。

カレンは小さく首を振って、いつもの笑顔を貼り直した。


「わたし、本当に“誰に”って考えたことがなくて」


「えー、もったいなーい」

「ほんとそれ。長谷川さんが誰に渡すのかで、また変な陰謀説飛びそう」


「“地位協定停止後初の、本命チョコの行方”とかね」


「絶対誰かまとめるよね、そういうの」


からかうような視線と、冗談めかした言葉。

悪意がないことは分かっている。

むしろ、多くの子が「去年までとは違うバレンタインにしたい」と思っているのも、なんとなく伝わってくる。

それでも。


「……そう、ですね」


ほんの少しだけ、声が小さくなった。


「もし渡すとしたら、“警備隊”が来なくて済むようなところに、します」


「なにそれ」

「逆に気になるんだけど」


机の上で、カレンは自分の指先を見つめる。


きれいに整えられた爪。

風紀委員らしく、校則に触れない範囲での最低限のオシャレ。


(“欲しがる人が大勢いる”って言われることは、光栄なはずなのに)


その「大勢」の顔を、一人ずつちゃんと想像できるわけじゃない。


名前も知らない誰かが、自分のチョコを巡って争う光景を想像してみる。


ケガをする生徒。

介入する風紀委員。

そして、それを俯瞰してログを取る“システム”。


(……それは、“わたしのバレンタイン”じゃない)


胸の奥で、小さな声がした。

ふいに、昨日の夜に読んだ同人誌の表紙が頭に浮かぶ。


 『私にとっての“バレンタイン”』。


あの女の子は、たった一人の相手を思い浮かべていた。


「私にとっての『バレンタイン』にしてくれた人に、渡したいって」


ポツリと、口から漏れていた。

輪になっていた女子たちが、一瞬だけぽかんとした顔をして、それからにやにやと笑い始める。


「え、なにそれ、急に名言出た」

「“私にとってのバレンタイン”って、そういうラノベありそう」

「で、その“してくれそうな人”はもう決まってるわけ?」


「……まだ、考え中です」


そこだけは、はっきりと否定も肯定もしない。

掲示板の前で脚立を押さえてくれていた人の顔が、またぼんやりと浮かぶ。

あの、少し怯えたような「うわぁ……何?」という声ごと。

笑い合う輪から、一歩だけ心が離れたところに立っている感覚。

でも、それはいつもの「距離を取るための一歩」とは少し違っていた。

──自分の足で、どこに踏み出すかを選ぶための一歩。


―――


放課後。

専科の教室を出てからも、バレンタインの話題は、ところどころに尾を引いていた。


誰が誰にあげるとか、ラッピングはどうするとか。

そういう断片的な会話を背中で聞きながら、カレンはひとり駅ビルの方へ歩いていく。


構内の特設スペースには、いくつものチョコレートブランドが出店していた。

華やかな包装紙と、きらきらしたショーケース。


(……これはこれで、圧がすごいですね)


高価なラインナップの前をさっと通り過ぎて、カレンはスーパー直結の、お菓子売り場の一角に向かった。

昨日、自分が立ち止まった棚。


そして、その前で──たぶん、同じように立ち止まっていたであろう誰か。


「……いました」


小さく呟く。

棚の中段に、あのロボットアニメとのコラボチョコが並んでいた。


量産機のイラスト入りの箱。

限定デザインのマグカップ付きセット。

「期間限定」なんていうポップ。


その少し離れたところに、黒いパッケージの高カカオチョコが控えめに置かれている。


──《カカオ95%》。


昨日、画面越しに見た注意書きが、頭の中で再生される。


『苦味が強いので、お子様や甘いものが苦手な方にはご注意ください』


「……甘いもの、苦手なんですよね」


誰に聞かせるでもなく、ぽつりと呟く。


教室で、さりげなく飛び交った情報。

風紀委員の情報網。

そして、自分の「個人的な興味」。


(普通のミルクチョコを渡すのが“やさしさ”なんでしょうけど)


箱に手を伸ばして、しばらく考える。


甘いだけの安心なチョコ。

「試してくる」ような苦いチョコ。

どちらが、その人らしいか。


 答えは、すぐに出た。


「──これと」


カレンは、カカオ95%の箱を一つ、

そしてロボットアニメのコラボチョコを一つ、カゴに入れた。


片方は、“長谷川カレンらしい”という評価に応える選択。

もう片方は、“田中海斗らしい”喜び方をするであろう選択。


二つ合わせて、ようやく「私にとってのバレンタイン」に近づく気がした。


(手作りで、みんなに配るのは……今回はやめておきましょう)


忙しい専科のスケジュール。

風紀委員としての仕事。

そして、"例のシステム"の定期確認。


(専科の子たちが言っていた"血のバレンタイン"を、わたしが起こすわけにはいきません)


大量に作って、たくさんの人に配る。

それは去年までのシステムと、本質的には変わらない。

無理をした結果、"事件"として記録されるのは、もう嫌だった。


(でも、一人だけに静かに渡す分なら……)


ふと、そんなことを考えている自分に気づいて、カレンは首を振った。


(……いえ、まずは市販のもので。それで十分です)


(その代わり、ラッピングくらいは、自分で)


少しだけ頬が緩むのを感じながら、カレンはラッピング用品の棚に視線を移した。

派手すぎない、でも、ちゃんと「自分で選んだ」と分かるような、シンプルな袋と、タグ。


「“風紀委員からのお礼チョコ”じゃなくて」


手に取ったタグを指先で弾きながら、心の中でつぶやく。


「ちゃんと、“わたしからのチョコ”って、言えるように」


少しだけ頬が緩むのを感じながら、カレンはカゴを手に、レジの方へ足を向けた。


その時。


視界の端に、色とりどりのディスプレイが飛び込んできた。


製菓材料コーナー。


バレンタイン特設の棚には、チョコレート、ココアパウダー、薄力粉が並んでいる。その隣には、バター、生クリーム、アーモンドパウダー。


カレンの足が、思わず止まった。


(……)


さっき、「手作りで配るのはやめる」と決めたばかりだ。


でも。


(大勢に配るのと、一人だけに渡すのは……違う)


棚の前に立ち、材料を一つ一つ眺める。


卵、生クリーム、薄力粉、ココアパウダー。それから、バター、アーモンドパウダー、カルダモン。


(シフォンケーキなら、軽くて紅茶にも合う。一緒に食べるのにちょうどいい)


それから、もう一つ。


前に料理サイトで見かけたレシピ。スウェーデンの濃厚なチョコレートケーキ。


(……シャーレクムス)


確か、作りやすくて、小さく切り分けられる。

持ち運びもしやすいから、タッパーに入れて渡せる。


(シフォンは一緒に食べる用。こっちは、お持ち帰り用)


手が、自然と棚に伸びていた。


「家族で食べてもらえるくらい、作れたら……」


誰にも聞こえないくらいの声で、呟く。


気づけば、カレンはシフォンケーキとシャーレクムス、両方の材料をカゴに入れていた。


(……やっぱり、作ります。

“手作りはやめる”って決めたのに、気づけば二種類もカゴに入れているあたり

──わたしもまだまだですね)


心の中で、小さく決意する。


大量配布じゃない。

序列のためでもない。

ただ一人の、「今年は違う」を証明するために。


そして、その人と一緒に、去年までの「血のバレンタイン」を終わらせるために。


レジに向かう足取りは、ほんの少しだけ軽かった。


血の色じゃない、

ビターと、ちょっとした遊び心の混ざった、今年のバレンタイン。


それを受け取る人の顔を、まだはっきりとは思い浮かべないまま。


それでも、

誰に渡したいか」を、自分の意思で決めたことだけは、確かだった。




2月14日、バレンタインデー。


朝の七星学園は、いつもと同じようでいて、どこか少しだけ色が違っていた。

昇降口のガラス戸をくぐった瞬間、目に入るのは、掲示板に新しく貼られた一枚のプリント。


『バレンタインデーにおけるチョコレート等のやり取りについて』

・今年度より、「任意のメッセージ付きチョコレート/菓子」のやり取りを認めます。

・男女を問わず、友人・先輩・後輩・先生など、感謝や応援の気持ちを伝えたい相手に渡して構いません。

・ただし、過度な強要・嫌がらせ行為は禁止です。

 相手の意向を尊重し、節度あるやり取りを心がけましょう。


生徒会長 倉原 ともみ

副会長 山本 結衣

生徒会・各種委員会一同


数ヶ月前まで、この場所には「チョコ獲得ランキング」のQRコードや、「協定遵守状況」のお知らせが貼られていた。

今はその代わりに、「男女平等」「感謝とメッセージ」という、ちょっと気恥ずかしいけれど、どこかほっとする単語が並んでいる。


「……マジでやるんだ、これ」


 プリントの前で足を止めて、ぼそっと呟く男子生徒。


「“男女を問わず”っての、七星っぽくない?」

「いや、むしろやっと普通になった感ない?」

「でもさぁ、“感謝チョコ”とか“応援チョコ”とか増えると、本命どれか分かんなくね?」


隣で騒いでいる友人たちの会話に、彼は肩をすくめてみせる。

このプリントが一斉に貼られたのは、数時間ほど前だ。


ホームルームで担任が、「今年はこういう方針になりました」と説明したとき、教室中から微妙なざわめきが起きた。


『ランキング、復活しないんだ』

『じゃあ、配らなくても平気ってこと?』

『男子から女子に渡してもいいってこと?』

『女子から女子とかもアリ?』


質問が飛び交うたびに、担任は「そういうことだ」と笑っていた。


『いいじゃないか。こういうのは“何個もらったか”より、“誰からどんな言葉をもらったか”の方が残るぞ』


その裏で、生徒会室では、もっと現実的なやり取りがあったらしい。


「地位協定停止後、最初のバレンタインをどうするか」。


空気だけを放置するわけにもいかない。

かといって、完全禁止にすると反発が出る。

そのギリギリの落としどころとして生まれたのが、この「男女平等メッセージ付きチョコ」の方針だった。


ホームルームを終え、1時間目の授業の間の時間

すでに、何件かの“やり取り”が始まっていた。


「あの、これ、いつもプリント手伝ってくれるお礼で!」

「お、おう? サンキュ……って、お前、男だろ」

「いいじゃん、“男子から男子に感謝チョコ”、書いてあったし!」


照れくさそうに笑ってチョコを押し付ける一年男子と、受け取って頭をかく先輩男子。

その横では、別の女の子が、同じクラスの友達に小さな袋を渡していた。


「こないだノート見せてくれてありがと。中身は市販だけど、メッセージカードだけ頑張った」

「え、嬉しい……! じゃあ、ホワイトデーに何か返すね」


メッセージカードを見て頬を緩める女子と、それを見て「尊い……」と囁く観客たち。

廊下の張り紙どおり、性別も立場も関係なく、“ありがとう”“頑張って”のやり取りが、あちこちで小さく生まれていた。


唯一、はっきりと変わったのは──。


「獲得数、誰もカウントしてねぇな……」


去年まで、さりげなくスマホのアプリで「チョコ獲得状況」をチェックしていた連中が、今日は画面を開く必要を失っていること。


何個もらったかを競う必要はない。

誰が何位なのかを、監視する必要もない。


数字が消えた代わりに、紙の小さなメッセージカードが、少しずつ増えていく。



そのイベントは中等部の廊下でも。


「先生、これ、いつも授業分かりやすいから、その……」

「おや、嬉しいなぁ。じゃあ、返すのは成績でいいか?」

「え、それはそれでプレッシャーなんですけど!」


笑いが起きる。


職員室の前では、勇気を振り絞ってノックする生徒もいる。

中庭では、部活単位で「お疲れ様チョコ」を配っている女子マネージャーたちの姿もあった。


「いつもボール片付けてくれるから」

「走り込みサボろうとすると怒ってくれるから」

「試合前にだけ優しいから、感謝チョコ」


「褒められてんのかディスられてんのか分かんねぇんだけど!?」


そんな賑やかな声が、冬の空に溶けていく。

どのやり取りの手にも、必ず小さなカードが添えられている。


 “ありがとう”

 “おつかれさま”

“いつも助かってます”


ラブレターほど重くはない。

でも、落としてしまうには惜しいくらいの言葉たち。



 高等部の廊下では、少しだけ温度が違った。


「これ、“義理”だから。誤解しないでよね」

「お、おう。“義理”な。……ありがとな」


そう前置きしつつも、カードの裏には、小さなハートが一個だけ描かれていたり。


「男女平等って言ったの生徒会長だから」

「“お前もちゃっかり乗るのかよ”ってツッコミ待ちですか?」

「まぁ、俺も渡す側だからな。今年ばっかりは」


生徒会室の前を通りかかった生徒たちは、ドアの向こうでチョコの紙袋がいくつか積まれているのを見て、「大変だなぁ」と笑って通り過ぎる。


かつて「地位協定」の象徴だった場所に、

今は「お疲れさま」「ありがとう」と書かれたカードが届いている。



そんな学園全体のざわめきを、

田中海斗もまた、どこか他人事のように、しかし完全な他人事でもなく眺めていた。


昇降口で掲示をちらっと確認して、

教室に向かう途中、何組かの“チョコ+メッセージ”のやり取りを横目で見て。


(……なるほど。“血のバレンタイン”改め、“紙のバレンタイン”って感じか)


それが、良いのか悪いのか。

まだ自分の中では、うまく言葉にならない。

ただ一つだけ分かるのは──。


今年のバレンタインデーは、

少なくとも、「ランキングアプリの画面」じゃなくて、「それぞれのカードの中身」で語られる一日になる、ということだ。


そしてそのどこかに、自分宛のカードが紛れ込むかどうかなんて──。


(……ま、期待値ゼロ。標準偏差もゼロ)


いつものセリフを心の中で復唱してみる。

が、その言葉は、昨日スーパーでホットチョコの箱をカゴに入れたときよりも、わずかに説得力を失っているような気がした。


掲示板の前で脚立を押さえてくれた誰か。

スーパーの棚で、高カカオチョコの箱に手を伸ばした誰か。


それぞれの「バレンタイン」が、

この学園のどこかで、静かに交差しようとしていた。



昼休み

教室の一角で、元・オタク側男子たちが、机の上に紙袋やら小箱やらを並べていた。


「おーおー、大漁大漁」

「見ろよこれ、人生でいちばん“ありがとう”って書かれた日だわ」

「ウチらにも春が……」


半分冗談、半分ガチ泣きのテンションで、チョコと一緒にもらったメッセージカードを眺めている。


「“いつもプリント配ってくれてありがとう”だって」

「“テスト前に勉強会開いてくれて助かった”だって。泣くぞ?」

「いやそれ、普通に良いカードじゃん」


彼らは、かつて“オタク側”として、地位協定ランキングの下位に固定されていたメンバーだ。


今年はシステムが止まり、

「男女平等メッセージチョコ制度」が導入されて。

もらった数こそ上位陣には及ばないかもしれないが、

それでも、去年までとは違う「誰かからの言葉」が目の前にある。


それだけで、十分に“事件”だった。


「……にしてもさ」


チョコの山を前に、ひとりがぽつりと呟く。


「1組の藤田は大人気みたいなんだけど」


「藤田って……ことねさんの方?」


「ああ。あの“同人即売会の妖精”みたいな藤田な」


「言い方」


「でも分かるだろ。前まで完全にオタク側って扱いだったじゃん。

それがさ、最近ちゃんと寝て、髪整えて、メイク覚えて、服もまともになった結果──」

彼は、指でくるっと輪を描いてみせる。


「今や“垢抜けオタク女子”から“みんなのことねさん”にクラスチェンジですよ」


「女子にも大人気って聞いた」

「男子からも“話しやすい”“相談乗ってくれる”で人気らしいぞ?」


「そうそう。でさ」


 話を振った男子が、両手を広げる。


「今日、藤田のとこだけ、マジで人だかり出来てたんだよ。

 “いつも原稿見せてくれてありがとう”とか“ペン入れ教えてくれて助かった”とかで、

 女子から女子への“ありがとう手作りチョコ”がさ、ショッパー単位で」


「うわぁー……」


「それ、数字に出ないランキングで言ったら、普通にトップ争いじゃん」


「なぁ? 地位協定止まっても、“別のメーター”は勝手に立ち上がるんだなって」


苦笑いしつつ、どこか納得している顔だ。

そんな話題が一段落したところで、誰かがふと辺りを見回した。


「そう言えば田中は、貰えたのか? チョコ」


何気なく振られた矛先に、海斗は、ペン回しを止めて顔を上げる。


「ん?」


「いや、その……ほら」


男子は、少し気まずそうに視線を泳がせる。


「“風紀委員の悪魔サタン”と一緒に掲示物貼ってたじゃん、先週」


「お前さ、そのあだ名の前に“天使のような”って付けろって。公式セットだろ」


「どっちでもいいから、チョコ事情をだな」


周りからもちらちらと視線が飛んでくる。

海斗は、少しだけ肩をすくめて、淡々と言った。


「学校から以外は全然」


「……え?」


 一拍、間が空く。


「え、マジで?」


「マジで」


「いやだって、生徒会とか風紀とか、そういう……“関係者チョコ”みたいなのは?」


「それは“学校から”でしょ。

 生徒会と風紀など有志の共同企画の“全校配布ありがとうチョコ”一個。

 クラスの“いつもお疲れ様チョコ”一個。

 それ以外は、ゼロ」


「……」


男子たちの表情に、じわじわと“憐れみ”が浮かんでいく。

まるで、自分たちの仲間が戦場から帰ってこなかったかのような目で、海斗を見る。


「お前……」


「なんだよ、その“未帰還兵を見るような目”は」


「いや、だって……なぁ?」


「風紀の長谷川さんとか、絶対何かしら……」


「ないよ」


あっさり。

その答えに、“元オタク側男子たち”は、なんとも言えない顔を見合わせた。


(……マジか)


(地位協定止まっても、“風紀委員の悪魔”の線は固いのか)


(いや、むしろ公平を保ってると言うべきなのか……?)


勝手にうだうだ考え、勝手に切なくなっている。

当の本人はというと──。


「別に、いいけどね」


海斗は、机の上のシャーペンを握り直しながら、淡々と続けた。


「誰からもらったかって、覚えるのが面倒だし……」


「は?」


「お返しが」


その一言に、場の空気が、ぴたりと止まった。

しばし沈黙。

やがて、一人が小さく呟く。


「……あ」


別の一人も、続けて「……あ」と言う。


芋づる式に、「あ」が連鎖する。


頭の中で、ホワイトデーのカレンダーが勝手に開く。


自分がもらったチョコの数。

誰からだったか。

メッセージカードの内容。

関係性、距離感、期待値。


それらを全部勘案した上で、

「外さない」「失礼にならない」「変に勘違いさせない」

ラインのプレゼントを選び、買い、ラッピングし、渡す。


(…………)


想像しただけで、頭が痛くなってきた。


「なぁ…本当の『血のバレンタイン』ってさ」


ぽつりと、誰かが言う。


「お返しにある……のかもしんないな」


去年までの「血のバレンタイン」は、

ランキングとポイントと、見えない序列に縛られた日。

オタク側の生徒たちは羨望と諦観の眼差しだった。


今年は、数字の血は止まった。

その代わりに、

もらった分だけ、“返さなきゃいけない”責任という、別の血管が浮かび上がってくる。


「……やべぇ」


「何が」


「このカードの山、

ホワイトデーまでに全部“精算”しないといけないって思ったら……

普通に怖くなってきた」


「お前それ、“期末前の課題プリント束”見るときの顔じゃん」


「だって実際そうだろ? 

“返さないといけないプリント”が、机の上に積まれてる感じ」


言われてみれば、形も似ている。


何枚もの紙。

そこに書かれた、それぞれ違う文字。

放置すればするほど、罪悪感が積み上がっていく。

同時に、イケメン側の生徒たちは密かに尊敬を示していた。


「でもさ」


そこで、海斗がぽつりと口を挟んだ。


「“血”が流れるのが、お返しのタイミングだけになったなら、それはそれで進歩だと思うよ」


「……は?」


「去年までは、“本命じゃない”“何個だった”って、

バレンタイン当日から血まみれだったわけじゃん。

今年はとりあえず、“もらうとき”は平和」


“ありがとう”

“おつかれさま”

“またゲームの話聞かせてね”


カードに書かれた言葉たちを、もう一度見下ろす。


「で、“返すとき”にちょっと頭抱えるくらいなら……まあ、人間として妥当な悩みじゃない?」


「……お前、たまに哲学者みたいなこと言うな」


「いや、ただのオタクだよ」


そう言って、海斗は机の中から次の授業の

教科書などを取り出し始めた。


「とりあえず、俺は“学校から”以外ノーカウントだから、ホワイトデー楽勝。

お前らは、ちゃんと頑張ってね。

血を流すのは、“順位”じゃなくて“脳”だけにしときなよ」


そういって海斗は立ち上がり、美術室に向かった。


「うわぁ、なんかムカつく言い方……!」


「でも、ちょっと正論なんだよなぁ……!」


元オタク側男子たちは、

自分の机の上に並んだチョコとカードを、改めてじっと見つめた。


嬉しさと、プレッシャーと、

それでもどこか誇らしさの混じった、複雑な表情で。



放課後の図書室は、静かだった。

教科書を開いてる生徒より、タブレットで資料を読んでいる生徒の方が多い。

それでも、ページをめくる音とキーボードの打鍵音だけが混ざったこの空気は、嫌いじゃない。

海斗は、端末の画面に表示された記事の下書きをスクロールしていた。


七星学園の学内ニュースアプリ。

その中の「イベントレポート」欄の編集を、半分ボランティアみたいな形で手伝っている。


(“男女平等メッセージチョコ制度、初年度の反応”……タイトル、固いな)


適当に仮タイトルを打ち込みながら、今日の昼間の光景を思い出す。

昇降口、廊下、部室前。

あちこちで交わされていた「ありがとう」と小さな紙袋。


 ──ぶーっ。


机の上に置いたスマホが、小さく震えた。


画面の右上に、メッセージ通知。

差出人のアイコンは、お馴染みの赤い髪と天使みたいなスタンプ。


カレンからだった。


《少し手伝って欲しいことがあるの》

《第二生活指導室で待ってるから》


文面だけなら、いつもの「お願いです」。

ただ、最後についているキャラクタースタンプが、いつもと違った。


なぜか、

“両手合わせてお願いしてるキャラ”じゃなくて、

“そわそわと落ち着かない表情のキャラ”。


「……なんだ、その微妙なニュアンス」


思わず、小声でつぶやく。


第二生活指導室。

生徒指導やカウンセリング、風紀関係の細かい対応に使われる、小さめの部屋だ。


普段は鍵がかかっていることも多い。

そこに「待ってる」と送ってくるあたり、まさしく風紀委員の権限フル活用である。


(……まぁ、“お願い”は断ってもあとがめんどくさいしな)


下書きの保存ボタンを押して、端末を閉じる。

図書室を出て、人気の少ない階段を降りると、廊下はだいぶ静かになっていた。


部活動組はすでに移動済み。

自習組も、各自の教室や自習室に散っている。


第二生活指導室は、高等部のフロアの端。

保健室と相談室の間くらいにある。


曲がり角をひとつ曲がったところで、ドアの前から一人の女子生徒が歩き出てくるのが見えた。

すれ違いざまに、一瞬だけ目が合う。


ボブカットの黒髪。

表情はほとんど動かないが、瞳だけはやけに冷静で、何かを計算しているような光。


風紀委員のバッジにしては綺麗すぎる。

でも、カレンとは違う色の空気。


(……風紀、一年の子か)


見覚えがある気がするが、名前までは出てこない。

彼女は、海斗の視線などまるで存在しないかのように、すっと横を通り過ぎていった。

残り香のように、ほんのわずかな緊張感だけが廊下に残る。

その先にあるドアには、「第二生活指導室」のプレート。

ノックをしてから、海斗はドアを開けた。



中には、カレンが一人だけいた。

いつもの風紀委員のバッジはつけたまま。

けれど、教室で見るときよりも、どこかラフな雰囲気に見えるのは、部屋の照明のせいだろうか。


「お疲れさまです、田中くん」


「はいどうも、“風紀委員の悪魔”の使い魔です」

「それ、本当に定着させるつもりなら、もう少しオブラートに包んだ方がいいと思いますよ」


くすっと笑いながら、カレンは部屋の奥のテーブルを顎で示した。


その上には、小さな電気ケトルと、白いティーポット。

隣には、ラップをふんわりとかけた丸いケーキが鎮座している。


チョコレート色の、ふわふわした表面。


(……これ、もしかして)


「良い茶葉があるから」


カレンが、棚から小さな缶を取り出す。


艶のある濃い青色の缶。

フタには英字のブランドロゴ。


「田中くん、このポットに水を汲んできてください」


「お前さぁ……」


完全に「お願いする側」のテンションである。


「風紀委員が、生徒に水汲みを依頼する権限って校則にありましたっけ」


「持ちつ持たれつです。

私は田中くんの“地位協定”をゆるくしてあげた側ですから」


「そんなつもりは一ミリもなかったけどな!」


口では文句を言いながらも、ポットを受け取ってドアの方へ向かう自分がいる。


廊下の突き当たりにある給湯スペース。

そこに設置された蛇口から水を入れながら、海斗は心の中でぶつぶつ言う。


(バレンタイン当日に、女の子に呼び出されて頼まれたのが“水汲み”って、なかなかだな)


でも、さっき見かけたケーキを思い出す。

あれが、もし予想通りのものなら──。


(……まぁ、いいか)


ポットに適量の水を入れて戻ると、カレンはケトルのプラグを差し込んでいた。


「はい、水運搬係です」


「ありがとうございます」


軽口を一つ挟んで、ケトルに水を移す。

スイッチを入れると、じわじわと湯気が立ち始めた。

その間に、カレンは青い缶のフタを開ける。


「それ、紅茶?」


「そうです。ダージリンとアッサムのブレンド。

チョコレートと相性がいいんですよ」


缶の中には、黒と茶色が混じった茶葉。

ふわっと、甘くて少しスパイシーなような香りが立ち上る。


「紅茶って、どれも似たようなもんじゃないの?」


「それ、紅茶好きの人の前で言ったら怒られますよ」


カレンは、ティースプーンで茶葉をすくいながら、説明を続けた。


「アッサムは、コクがあってしっかりした味が出るんです。

ミルクティーにしても負けないくらい、濃い旨みがあるタイプ」


「ほう」


「チョコレートの脂っぽさとか甘さを、口の中で一度リセットしてくれるんですよ。

ケーキを食べて、一口紅茶を飲んで、またケーキを食べて……って繰り返しても、重たくなりにくい」


「それは確かに、理にかなってる」


「で、ダージリンは、もっと軽やかで香りが華やかです。

フルーティーというか、“紅茶らしい香り”っていうイメージに近いかもしれません」


ティーポットの中に、茶葉がさらさらと落ちていく。


「チョコレートシフォンって、見た目ほど重くないふわふわのケーキなので、

アッサムだけだとちょっと押しが強すぎるんです。

だから、ダージリンを混ぜて、香りでバランスを取る感じですね」


「へぇ…長谷川さんって、物知りだね…」


海斗は、素直に感心していた。


風紀委員としてのカレンは、

いつもシステムとかルールとか、そんな話をしている印象が強かった。


こうして、紅茶とケーキの相性を楽しそうに語る姿は、

どこにでもいる、ちょっとこだわりのある女子高生にしか見えない。


「あと」


カレンは、缶を元に戻しながら付け足した。


「チョコレートと一緒に飲むなら、アールグレイも悪くないです。

ベルガモットの香りが、カカオの苦味と合うんですよ」


「アールグレイって、あの匂いキツいやつ?」


「田中くん、それも紅茶好きの前で言ったらケンカ売ってます」


くすっと笑ってから、続ける。


「でも、今日はシフォンケーキなので、香りを主役にしすぎない方がいいかなって。

だから、クセは控えめにしてあります」


ちょうどそのとき、ケトルのスイッチがカチッと上がった。


沸騰したお湯を、ポットに注ぐ。


茶葉が、お湯の中でふわっと広がる。

ガラス越しに、少しずつ色が変わっていくのが見えた。


「三分待ちましょう」


「カップラーメンかな?」


「それはそれで正しい例えです」


タイマー代わりに、スマホの画面をちらっと確認するカレン。


その横で、海斗はテーブルの上のケーキに目をやった。


チョコレートシフォンケーキ。

ふわふわのスポンジに、薄くチョコレートがコーティングされている。


「……それ」


指先で、ラップ越しにケーキを指す。


「どこ製?」


「秘密です」


即答だった。


「市販?」


「秘密です」


「まさか、風紀委員会で没収したブツの流用とかじゃないよな」


「そういうことを言うと、今後の“お願い”を増やしますよ」


「それは普通に困るからやめてください」


そんなやり取りをしている間にも、紅茶の香りが部屋を満たしていく。


窓の外は、もうすっかり夕方。

西日が少しだけ差し込んで、ケーキの表面が柔らかく光った。


三分後。

カレンはそっとティーポットを傾けて、二つのカップに紅茶を注いだ。


琥珀色の液体。

ほんのりと立ちのぼる香り。


思ったよりも、甘さより“落ち着いた苦味”の方が強く感じられる。


「はい、どうぞ」


カップを手渡されて、海斗は一口だけ口に含んだ。


舌の上に、じんわりと広がる渋みと香り。

さっき聞いた説明が、そのまま実感として伝わってくる。


「……本当に、チョコと合いそうな香り」


「でしょ?」


カレンは、満足そうに微笑んだ。


「せっかく『血のバレンタイン』じゃなくなったんですから。

こういう“普通のバレンタイン”の楽しみ方も、ちゃんと覚えてもらわないと」


「いや、そもそも“普通のバレンタイン”を体験したことがない側の人間なんだけど」


「では、今日からです」


カレンは、そう言ってラップをはがし、

チョコレートシフォンケーキにナイフを入れた。


ふわり、と軽い手ごたえ。

切り分けられた一切れが、小皿に乗せられて、海斗の前に滑らせられる。


「田中くん用です」


「……これ、“風紀委員からのお願いセット”に含まれてるわけじゃないよな?」


「いいえ」


 カレンは、きっぱりと言った。


「これは、“わたしからのチョコ”です」


 そう言ってから、カレンは少しだけ間を置いた。

 紅茶の湯気が、二人のあいだをゆらゆらと揺らす。


「ねぇ、田中くん」


「ん?」


「“バレンタイン”って、どういう意味か知ってます?」


「起源とかじゃなくて?」


「はい。語源とか歴史とかじゃなくて──“今、わたしたちが使ってる意味”の方」


 急にそんなことを言われて、海斗は少し戸惑った。


「えーと……“チョコを配る日”?」


「それ、間違ってはいませんけど、教科書には載せたくない定義ですね」


くすっと笑ってから、カレンはカップを指先でなぞる。


「“バレンタイン”って、“特別な誰かを決める日”だと思うんです」


「特別な、誰か」


「たとえば、

 『たくさんいる“知り合い”の中から、この人にだけカードを付けて渡そう』とか」


「……うん」


「『この日だけは、ちゃんと“ありがとう”を言っておこう』とか」


 淡々とした口調なのに、言葉だけはやけにまっすぐだった。


「そうやって、自分の中で“ちょっと特別”を決める日。

 わたしは、そういう意味で使ってます」


「……」


海斗は、紅茶のカップを持ち上げたまま、固まった。


(ちょっと待て)


(それって、もしかしなくても──)


「長谷川さん……もしかして……」


そこで、カレンがふっと目を細める。


「──なんてね」


フォークを軽くくるくると回しながら、肩をすくめた。


「半分くらいは、昨日読んだ同人誌の真似事です」


「……は?」


「『私にとって“バレンタイン”にしてくれそうな人に渡す』って台詞があって。

格好良かったので、少しだけ引用しました」


さらっと言い切るその顔が、

いつもの“悪魔の笑顔”に見えるか、

それとも、ただの照れ隠しに見えるか。


判断に困る。


「じゃあ、その“特別な誰か”ってのは──」


「そこ、聞き返します?」


カレンの視線が、じんわり熱を帯びる。

けれど、すぐにわざとらしく咳払いをして、話題ごと受け流した。


「とりあえず、今回は“同人誌に影響された一般女子高生”ということで、処理しておいてください」


「処理って言うな」


「大事ですよ、ログの整理は」


「そういうところだけシステム用語みたいにのを使うなよ……」


ぶつぶつ言いながら、海斗は視線を落とした。


紙袋のタグが、目に入る。


 『いつも“お願い”を聞いてくれてありがとう。

  これからも、ほどほどに巻き込ませてください。』


さっきまでなら、

“ただの義理チョコ”で片付けられたかもしれない一文が。


「バレンタインの意味」の話を挟んだあとだと、

やたらとストレートに響いてくる。


「……“同人誌の真似事”にしては、だいぶ破壊力あるんだけど」


「それは、原作が良かったんだと思います」


カレンは、そう言いながら、紅茶を一口飲んだ。

その横顔が、さっきまでより、ほんの少しだけ赤く見える。


「長谷川さん、ちょっと顔赤い」


「紅茶が熱かっただけです」


「俺の方が先に飲んでるんだけど」


「田中くんの舌と一緒にしないでください」


言葉の応酬は、いつも通り。

でも、

フォークを持つ指先がほんの少し震えていることに、

海斗は気づかないふりをした。


代わりに、自分の耳が熱くなっているのだけ、

紅茶でごまかす。


「……まぁ、その」


 小さく息を吐いて、言う。


「“同人誌の真似事”ごと、ありがたく受け取っとく」


「はい。真似事でも、本物でも。

 受け取ってもらえたなら、今年のバレンタインは成功です」


カレンは、少しだけ目を伏せてから、微笑んだ。


―――――


その日の帰り道。

海斗は、カレンから渡された紙袋を、なんとなく意識しながら歩いていた。


中身は確認した。

戦闘ロボットのコラボチョコ。

カカオ95%のチョコ。


それから──袋の底に、もうひとつ。

小さなタッパーと、付箋。


『お家に帰って、みんなで食べてね』


という、丁寧な字。


(……“みんなで”ってとこが、長谷川さんっぽいよなぁ)


そう思いながら、最寄り駅から自宅までの道を歩く。


まだ店先にハートマークが残っている商店街を抜けて、

いつもの家の玄関のドアを開けた。


「ただいまー」


「おかえりー」


キッチンから、母の声。

リビングでは、テレビの音と、ゲームの効果音。


「かいとー!」

チビがソファから飛び出してきて、足にしがみついてくる。


「おっと。

 はいはい、ただいま我が家のラスボス」


「らすぼすじゃないもん!」


そんないつものやり取りをしながら、海斗は紙袋をテーブルの上に置いた。


「それ、なあに?」


「えーと……お友達からのお土産?」


「ほう?」


テレワークをしている父が、興味ありげに顔を上げる。

ノートPCを畳む


「“学校から以外は全然”って言ってた割には、ちゃんと袋があるじゃないか」


「いやこれは、その……

 あの、えーと……」


変に説明しようとすると、逆に怪しい。

それは本能で分かっていたので、とりあえず中身を出すことにした。


 コラボの箱。

 カカオ95%の黒い箱。


そして、例のタッパー。


「おかしだー!」


チビが真っ先に食いついたのは、タッパーの方だった。

ふたを開けると、中には小さな四角いケーキがぎっしり詰まっている。


濃いチョコレート色の生地に、上からうすくチョコアイシング。

その上に、白いココナッツがぱらぱらと散っていた。


「なにこれ、おいしそう!」


母も、キッチンから顔を出す。


「どこで買ったの? こんなの、スーパーに売ってた?」


「いや、これは──」


海斗は、タッパーのふちに貼ってあった小さなメモを見た。


『スウェーデンのお菓子、シャーレクムス(kärleksmums)です』


と、ローマ字つきで書かれている。


「……シャーレクムス?」


聞き慣れない単語を口に出した瞬間、

同じ文字を覗き込んだ父が、「ほう」と小さく声を上げた。


「お、懐かしいな、これ」


「え?」


「出張先で食べたことあるぞ」


父は、タッパーをじっと見つめる。


「見た目もほぼそのまんまだな……誰だ、作ったの」


「え、いや……その……」


海斗は、視線を泳がせた。


「クラスメイトの女子が、えーと……

“家で食べてください”って渡されて」


「あらまぁ、ちゃんとした手作りなのね」


母は、感心したようにケーキを一切れつまむ。


フォークで割ると、中からしっとりした生地。

口に運ぶと、すぐに目を丸くした。


「なにこれ、美味しい!」


「うまーい!」

チビも、一口つまんで喜んでいる。


その様子を見て、父も一つつまんだ。

ひと口、噛む。


しっとりとしたチョコ生地。

アイシングの甘さと、ココナッツの歯ざわり。

どこか素朴で、でもちゃんと“イベント感”のある味。


「……これは、相当本気で作ってるな」


父は、ゆっくりとケーキを飲み込みながら、ぽつりと言った。


「ねぇねぇ、“しゃーれくむす”って、どういう意味ー?」

チビが、口をもごもごさせながら訊ねる。

父は、「そこ気づくか」と笑って、タッパーのメモを指差した。


「“kärlek(シャーレック)”がな、“愛”って意味なんだよ」


「“あい”?」


「うん。“love”の方だよ」


チビには英単語の方が分かりやすいらしい。


「で、“mums(ムス)”っていうのは、“おいしい一口”とか“うまいもん”みたいな意味」


父は、スウェーデン語の綴りを指でなぞりながら続ける。


「直訳すると、“愛のおいしい一口”とか、“愛のごちそう”ってとこか」


「……」


 海斗の手が、ぴたりと止まった。


(ちょっと待て)


「それって──」


「つまりだな」


父は、さも当然のように言った。


「海斗。

少なくとも4月までに、これをくれた人に答えを出さないとな……」


「…………は?」


聞き間違いかと思った。


「ちょ、ちょっと待って。

なんで急に“答えを出す”って話になるわけ?」


「名前に“愛”が入ってるお菓子を、わざわざ手作りして、

“お家に帰って、みんなで食べてね”って持たせてくるわけだろ」


父は、フォークを置いて腕を組む。


「それ、お前んちごと巻き込んで、“私はこういう意味のものを作りました”って宣言してるのと、そんなに変わらんぞ?」


「いやいやいやいや!?」


「本当なら3月末か5月だけど、4月になったら、新学期だろ。

“その気があるのか、ないのか”くらいは、自分なりに整理しとけって話だ」


海斗は、思わず椅子からずり落ちそうになった。


「ちょ、待って、やめて、変な解釈やめて!?

あの人、そんな深読み狙ってないと思うから!」


「相手が女子なら、むしろ狙ってる可能性の方が高いな」


父の妙な確信に満ちた声が、やたら耳に残る。


「だって、実質プロポーズに近いお菓子を、

バレンタインに渡されて、“お家に帰って食べてね”となると…ね?」


(うああああああああああっ!!)


 限界で、頭を抱えて崩れた。


母とチビが、びくっとなって海斗を見る。


「か、かいと?…ママ、かいとが頭痛い?」


「そうだね。お兄ちゃん、初めて好きな人ができたことを知らなかったかもね」


チビがケラケラ笑い、母は呆れたようにため息をつきながらも、

タッパーからもう一切れケーキを取り出している。


父だけが、どこか楽しそうに、紅茶を一口飲んだ。


「ま、答えは急がなくていいさ。

 ただ──逃げるなよ?」


「……まだ学生です…結婚もできない年齢です…」


海斗は、ほとんど半分くらいになったシャーレクムスに

見る。


(“愛のおいしい一口”、ね……)


父の説明が、本当にカレンの意図通りなのか、

それは分からない。


でも、

頭の片隅に、「4月までに」という言葉だけが、

ちゃんと保存されてしまったのは確かだった。


「……えー……?」


情けない声が、喉から漏れる。



その頃。

カレンは、自分の部屋でタブレットを閉じていた。


ニュースアプリには、

“今年のバレンタイン、地位協定なき初年度の雑感”という記事の下書きが開かれている。

書き手の名前は、「編集ボランティア:K.T」。


「……“もらった数より、もらった言葉の方が重い一日だった”」


そこに書かれた一文を読み上げて、

カレンは小さく笑った。


「らしいですね、田中くん」


机の上には、

さっきまで飲んでいた紅茶のカップと、

自分用に切り分けておいたシャーレクムスの小皿。


スマホの画面には、未送信のメッセージが一つ。


『ケーキ、ちゃんと家族で食べてくれましたか?』


とだけ打って、送信ボタンに指を伸ばして──やめた。


「今は、いいかな」


そう呟いて、メッセージを下書きに戻す。

窓の外は、すっかり夜。

カレンは、ベッドの上に置いてあった同人誌を手に取った。


『私にとっての“バレンタイン”』。


表紙の女の子に、

さっき自分が言った言葉を重ねる。


「“特別な誰かを決める日”か……」


小さく息を吐いて、天井を見上げた。


「今頃、叫んでるだろうね……田中くん」


想像すると、自然と口元が緩む。


からかいと本音が半分ずつ。

そのバランスが、今の自分にはちょうどよかった。

シャーレクムスをひと口かじる。

甘さと、少しの苦味と、ココナッツの香り。


それは、

今年のバレンタインが、

"血"ではなく"甘さと苦味"で終わった証拠みたいな味がした。

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