#昼メシの奇跡
「……お弁当、ないの?」
母の咳混じりの声とともに、俺の朝の選択肢はそっと潰された。
仕方ない。今日は食堂だ。
――というのが、そもそもの間違いだった。
午前授業の終了ベルが鳴ると同時に、廊下は戦場になる。
教室から駆け出す者、ジャージで滑り込む者、机の上で財布を握りしめて瞑想に入る者。
まるで「喰うか、喰われるか」のリアルフードサバイバルだ。
食堂に着いたときには、すでに人がごった返していた。
カレー、うどん、オムライス……次々と「×売切」表示が灯る中、俺の順番がついに回ってくる。
「はい次ー! あんた!」
おばちゃんが元気よく言う。目の前のパネルにはこう書かれていた。
---
【残りメニュー】
1. クラッカーサンドとホットコーヒー(300円)
2. チャルメラとチャーハン(1500円)
---
俺は、静かに考える。
(1500円って……高くないか?)
(でもクラッカーサンドで午後を耐えられるか?)
(それにしてもチャーハンとチャルメラって、炭水化物×炭水化物……)
「……2で。」
決めた。やせ我慢をする理由もない。
おばちゃんはにっこり笑って、こう言った。
「餃子、つけとくね。3枚だけど、愛情入り!」
手際よく盛られたプレートと湯気の立つ器。
ジャンク感満載だが、不思議と嬉しい。
そして俺は――
なにも言われていないのに、自然とあの席へと向かっていた。
バリケードはない。線も引かれていない。
ただ“なんとなく”、みんなが空気で理解してる。
そう、あそこは「オタク席」。
少し角の低い場所にある、窓側の並び席。
イケメンたちは真ん中で騒ぎながら、自由に場所を選び、
専科生たちは上階の専用ラウンジへと消えていく。
でも俺は、チャルメラとチャーハンを抱えて、
無言でその列に並んでいた。
(……いつから、ここが自分の“指定席”になったんだっけ)
そんなことを思いながら、餃子を一口。
うまい。味は濃いけど、それでいい。
今日も、昼はやってくる。
チャーハンを三分の一、チャルメラはまだ湯気が立つ。
餃子は――最後の一枚を、慎重に口に運んでから。
俺は、スマホを取り出した。
(……さて)
通知を片手に流しながら、親指を右上にスワイプする。
アイコンは白金のティアラを付けた少女に、淡いピンクの背景の
アプリをタップし起動する。そこには「シンデレラバスター Re:Union」の
タイトル表示が映される。
「シンデレラバスター Re:Union」
通称「シンバスR」。
老舗の恋愛SLGメーカー・「BlueSky」と、
超大手ゲーム企業「YellowFox」が初めて本格タッグを組んだ大型コンテンツ。
最大の売りは、“生きてる”ような高解像度キャラグラフィック。
しかも完全日本語オンリーにもかかわらず、世界累計150億DL突破。
配信からわずか2年で、主要プラットフォームのゲームアワードを総ナメにした怪物タイトルだ。
噂では、携帯用ゲーム機「Blitz2」にも対応する予定とかなんとか。
(この間、アカデミーゲーム賞も取ったっけ……)
日本語しかないのに、なぜか世界中でバズってる不思議なゲーム。
たぶん、“感情が伝わる”んだと思う。
たとえ何を言ってるか分からなくても、「あの」手毬先輩が泣けば、全世界が泣く
――そんな感じのゲームみたいだ。
(……で、今日のデイリーっと)
ログインボーナスを受け取って、チケットを1枚使う。
あとは、回すだけ。
「10連ガチャ、スタートです♪」
指が止まり、画面が虹色に光った。
──金、金、虹、虹、虹──
「……………ふぇ?」
まばたき一つぶんの時間で、
5体のレアユニットが飛び出した。
しかもそのうち2体は、イベント限定衣装Ver.。
残り3体も、サブストーリー付きの人気枠。
(……やばい。これ、やばい。軽率に吐息漏れた)
「よし、今日生きててよかった……」
誰にも聞かれていないのに、そう呟いていた。
隣の席では、同じようにスマホを見ていた男子が軽く振り向いて、
「出ました?」みたいな目でチラ見してきたけど、
俺は首を横に振って、無言でチャーハンをかき込んだ。
(レア引いたって、バレたら大変だからな)
この世界では、ガチャ運すら社会的地位に繋がる――
……そんな気がしてくるのが、今の学校の恐ろしいところだ。
画面の向こうで、銀色の光が弾ける。
SSR:ユリシア=アークネスト(CV.某人気声優)
銀髪のハーフ美女。北欧と日本の血を引いた、クール系風紀委員。
白い手袋をはめ、背筋を伸ばして凛と立つ姿は、どこかで見たことがあるような――
(……なんか、「風紀委員の子」に似てるような……?)
思わずそんな感想が出た。
いや、もちろんゲームのキャラと現実の人間が似るはずないのだが、
“あの無駄に完璧な風紀感”は、たしかに既視感があった。
続いて出てきたのは、金髪ポニテの笑顔が眩しい女の子。
SR:リディア・サンセット(CV.同じ事務所の後輩)
ユリシアの親友枠。活発で明るく、ちょっと男勝りなところもある“陽”属性。
ステータス画面には「正義感の強さは時に過剰」と書かれていた。
(……声と所作が、玲央の彼女と似てる……気がする)
別に似てるからって何かあるわけじゃない。
けどこの子に小言言われたら、俺はたぶん2秒で静かになる。
三体目――
UR:彩瀬るり(CV.和風人気声優)
長い黒髪と凛とした立ち姿。セリフはお淑やかで、「あなた様」とか言っちゃうタイプ。
(……これは、涼子とは正反対だ)
服装も完全に和風正装モード。
でもその目には、確かな意思の強さがあった。
……ちょっとカッコいい。
次――
SSR:藤田あこ(CV.新鋭アイドル声優)
短めの髪にスポーティなジャージ。笑顔で走ってくる、元気全開のボーイッシュキャラ。
「おなかすいたー! 先輩、なんかおごってー!」
という初期セリフが刺さる。
「……かわいい! 推せる!」
思わず小声で声が出た。
この子だけでも当たりだった。なのに――
最後のカードが、静かに“特殊エフェクト”を越えてくる。
画面が一度、暗転。
そして、桜吹雪→星屑→金属光沢のフレームへと変化した。
その瞬間、音声が切り替わった。
「あなた、わたしに見惚れたでしょ?」
そして現れたのは――
USSR(ウルトラSSR):美星みすず(CV.超大御所歌姫)
出現率0.00002%。
どれだけ課金しても、出るとは限らない。
“天井も意味を成さない”と呼ばれる、伝説級レア。
設定は不明。プロフィール欄にすらヒントが少なく、
「観測するたび、性能が変わる」とか「一部のストーリーで分岐を起こす」など、
ユーザーの間でも都市伝説扱いの存在。
ドヤ顔で登場したその姿に、俺は思わず息をのんだ。
(……出た……出たあああ……!)
テンションが上がりすぎて、チャルメラの汁をちょっとこぼした。
でもそんなこと、今はどうでもいい。
この昼飯は、伝説を生んだ。
「……え、えええええええっ!!?」
隣のオタ友――いつも斜めに眼鏡がずれてる彼が、
思わずチャーハンの箸を落とした。
「おま、マジ!?それ――USSR!?ウルトラSSRの……みすず様!!?」
その叫び声に、周囲が一瞬静まり、そして爆発した。
「出た!?ほんとに!?マジで出たの!?」
「やばっ!演出ヤバすぎたろ今の!」
「俺、今スクショ撮った!SNS上げる!」
「シンバス民、今日ここに聖地誕生!!」
誰かが神妙に手を合わせて拝み始め、
別の誰かは「スクショ撮らせてください!!」と叫びながらスマホをかざす。
「編成画面見せて!」「セリフ再生して!」「推し変します!!」
もう昼休みの“食事ゾーン”じゃない。
完全に「ライブ会場のステージ前」である。
俺はスマホを死守しつつ、
小さく息を吐いた。
(……いや、わかる。わかるけど、落ち着け)
でも、言っても無駄だった。
ウルトラSSR(USSR)美星みすずのドヤ顔は、世界を狂わせる。
その狂騒の中心から少し離れた、中央テーブルのイケメンテリトリーでは――
「オタクたちって、ほんと幸せそうだよな……」
「なにあれ?カード出たから騒いでんの?」
「……ガチャで出たってだけで騒ぎすぎでしょ」
「課金したらいつか出るもんでしょ?確率ってそういうことでしょ?」
「つか、昼メシの時間で騒ぐなよ、マジでキモい……」
と、冷ややかな視線が投げられていた。
彼らのトレイには売り切れ御免の限定メニューが当たり前のように並び、
整った身なりのまま、余裕ある笑みを浮かべている。
「……ああいうの、俺らの領域とは違うからね」
「うん、“向こう側”の人たちって感じ」
笑い声がテーブルに弾ける。
そう――俺たちは線を引かれているわけじゃないのに、確かに分かれている。
それでも。
「SSR2体からの、USSRみすず……!?」
「いや今日、伝説になったよマジで……」
「チャルメラ記念日じゃん……」
オタクたちの“昼”は、誰よりも幸せそうだった。
俺はそっとスマホの画面を閉じて、チャーハンの残りを口に運ぶ。
味なんて、もうよくわからない。
でも――
心だけは、フルコースだった。
午後授業の予鈴チャイムが鳴った。
騒ぎは自然に解散し、みんな“元の場所”へと戻っていく。
スマホをそっとしまって、残りのチャルメラをすする。
餃子とチャーハンの皿は、すっかり空だ。
……さて、午後の授業に行くか。
立ち上がろうとしたそのとき――
「おい野中、それお前の?」
背後から声をかけられて、振り返ると、
玲央が俺のトレイを見下ろしていた。
その横には、例の“専属彼女”――結衣もいる。
「あれだよ、“ウルトラSSR”とかいうやつ」
「……ああ、まあ……」
言いかけて、やめた。
どう言っても、彼の興味はそこじゃない。
彼は鼻で笑って、こう言った。
「……で、そのキャラ、現実の女の子より可愛いと思ってんの?」
その瞬間、何かが引っかかった。
でも俺は笑わなかった。ただ、
空のチャーハン皿を見て、静かに答えた。
「いや。そうじゃないよ」
彼は「ふーん」とだけ言って、歩いていった。
結衣が少しだけこちらを振り返ったが、
何も言わず、玲央のあとをついていった。
午後の教室。
昼休みの騒ぎなんてなかったかのように、
誰もがノートを開き、板書を写している。
ただひとつだけ、俺のポケットの中で、スマホが静かに震えた。
【From:美星みすず】
「見惚れたって、認めていいよ?」
俺はそっと電源を切った。
それでも、たしかに――
あの昼は、俺にとって特別だった。