#ふたりぼっちの夏祭り
第5話「※音と、気持ちの行き先(前編・後編)」に繋がるストーリになりますので
先に読んでいただけると面白いかもしれません。
下校の帰り道、住宅街の角を曲がったところで、
美鈴の足が止まった。
地元の自治会の掲示板に、新しいポスターが貼られていた。
《第38回 夏まつり》
《8月14日(土) 午後5時〜9時 一ノ瀬川緑地公園特設会場》
色とりどりの提灯のイラスト。
屋台の並ぶ夜の風景。
(……夏祭り)
去年は部活の追い込みで行けなかった。
一昨年は家族と少しだけ顔を出した。
今年は——
なんとなく、スマホを取り出していた。
メッセージアプリを開き、
トーク一覧が並ぶ。
指が、止まった。
画面の中に、玲央の名前があった。
《……今週末夏祭りがあるみたいけど
一緒に、行きませんか?》
文字を打ちかけて——手が止まった。
(蓮くんが、まだ眠っとるのに)
(わたし、今……何しようとしとったん)
書いたテキストを2回タップしてバックスペースを押すと
全部消えた。
画面には、空白だけが残った。
(……友達誘おう。うん、友達と行くのが一番)
美鈴は別のグループトークを開いて、
素早くメッセージを打ち込んだ。
《夏祭り、今週末なんだけど一緒に行かない?》
送信。
数秒後、既読がついて、スタンプが飛んできた。
《行く行く!》
《浴衣着たい!》
《何人で行く〜?》
画面が賑やかになる。
美鈴はそれを見て、小さく笑った。
(……うん。これでいい)
スマホをポケットにしまいながら、
もう一度だけ、掲示板のポスターを見た。
提灯の明かりが、夜の空に浮かんでいる絵。
(楽しみだな)
そう思った。
本当に、そう思っていた。
——たぶん。
---
夏祭り当日
午後4時。
西村家の和室に、畳の上に広げられた浴衣があった。
藍色の地に、白い朝顔の模様。
祖母が選んでくれた一枚だった。
「……ほら、じっとしとって」
母が帯を結びながら、手元に集中している。
「……ちょっと苦しい」
「我慢。浴衣ってそういうもんよ」
「お母さんも苦しかった?」
「あなたのお祖母ちゃんに着せてもらった時は、
もっときつかったわよ。
"これくらい締めんと、歩くうちに崩れる"って言って」
廊下から、祖母のゆったりした足音が近づいてきた。
「……まあ」
襖の隙間から顔を出した祖母は、
美鈴の姿を見て、しわの寄った目をゆっくりと細めた。
「綺麗ばい、美鈴。
朝顔が、よう似合うとる」
「……ありがとう、おばあちゃん」
「その色、選んで正解やったね。
最初は迷ったとよ、藍色にするか、赤にするか」
「赤……想像できない」
「そうやろ。あなたには"静かな色"が合うと思って」
祖母は満足そうに頷きながら、部屋に入ってきた。
そして美鈴の顔をしみじみと見つめてから、
「これから彼氏さんと……逢引きかい?」
「「あいびき」……?」
美鈴と母の声が、ぴったり重なった。
祖母は少しだけ首を傾けて、
「……「デート」って、いうんだっけ。今時だと」
「お母さん、美鈴に彼氏はまだ早いですよ」
母が苦笑しながら帯を締める。
「友達と……行くから」
美鈴が答えると、祖母はふむ、と小さく頷いた。
「そうかい……時代が変わったのかしら」
「変わってないと思いますよ、お母さん。
ただ、最近の子は慎重なだけですよ」
「慎重……ねえ」
祖母は、美鈴の横顔をじっと見た。
その目が、何かを読もうとしているような——
そんな気がして、美鈴は少しだけ視線を逸らした。
母が「できたよ」と言って、手を離す。
鏡の中に、藍色の浴衣を着た自分が映っていた。
(……きれい、かな)
そう思ってから、すぐに恥ずかしくなった。
(誰に見せるわけでも、ないのに)
「……美鈴」
祖母が、静かに呼んだ。
「はい?」
「好きな人、おるんやろ」
断言だった。
質問ですらなかった。
美鈴は何も言えず、静かに首を振った。
母が「お母さん……」と苦笑する。
「……ただ」
やがて、美鈴はぽつりと言った。
「踏み出せていないだけ、だと思います」
母が、少し手を止めた。
祖母が、静かに美鈴を見た。
「……そうかい」
祖母は、それだけ言った。
責めるでもなく、急かすでもなく。
「踏み出すのも、待つのも——どっちも、あなたの選択ばい」
その言葉が、畳の上にそっと置かれたような気がした。
——たぶん、美鈴自身も、どちらなのかまだ分からなかった。
スマホが振動した。
《もう出た!先に公園前で待ってるね》
《浴衣〜!かわいいやつ着てきてね!》
「……あ、行かなきゃ」
美鈴は慌てて鞄を手に取り、玄関へ向かう。
廊下を抜けながら、鏡をもう一度だけ見た。
(……行ってきます、蓮くん)
心の中で、小さく呟いた。
「行ってきます」
「気をつけてね」
「楽しんできんしゃい」
祖母の声が、背中から追いかけてきた。
夏の夕方の空気が、玄関を開けた瞬間に飛び込んできた。
---
午後5時半。
特設会場の入り口付近には、すでに人の波ができていた。
提灯が並ぶ参道。
焼きそばの匂い。
どこかで太鼓の音がしている。
「美鈴〜! 浴衣めっちゃかわいい!!」
公園前で待っていた友達が、駆け寄ってきた。
クラスメイトのまりなと、吹奏楽部の後輩ふたり。
全員が思い思いの浴衣姿で、すでにテンションが高い。
「みんなも、かわいいよ」
「でしょ〜! わたし、これ一週間前から決めてたんだよね」
「えっそんな前から」
「だってさ、浴衣って毎年一回しか着ないじゃん。
気合い入れないと損でしょ」
後輩のひとりがくるりと回ってみせる。
淡いピンクの浴衣が、夕方の光を受けてふわりと広がった。
「かわいい! 似合ってる!」
「ありがとう! 美鈴先輩の藍色も、めちゃくちゃ好きです。
なんか、すっきりしてて……大人っぽい」
「……そう?」
「うん。誰かに見せたい感じ」
美鈴は、少しだけ笑って、前を向いた。
「……行こ、混む前に」
──
屋台が並ぶ通りは、思ったよりずっと混んでいた。
最初に向かったのは、かき氷の屋台。
「何味にする?」
「いちごかな〜。定番で」
「わたし、宇治金時!」
「え、かき氷に抹茶? 渋くない?」
「渋いのがいいんです!」
美鈴はレモンを頼んだ。
黄色かかったシロップが、白い氷に静かに染みていく。
一口食べると、甘さと酸っぱさが一緒に来た。
「……おいしい」
「でしょ。レモン派、意外と少ないんだよね」
まりながいちごのかき氷を片手に言う。
「美鈴って、甘いものより、さっぱりした方が好きだよね。
お弁当もそうじゃん。なんか、全体的にすっきりしてる」
「……そう、かな」
「うん。押し付けがましくない感じ、って言えばいいのかな。
なんか、美鈴の作るものってそういう感じ」
美鈴は少しだけ考えてから、笑った。
「……それ、褒めてる?」
「もちろん!」
──
次に、焼きとうもろこしをかじった。
「あっつ……!」
「だから言ったじゃん、冷ましてから食べなって」
「分かってたけど待てなかった!」
「子どもか」
「夏祭りは子どもの心で楽しむもんでしょ!」
それから、射的の屋台の前で全員が立ち止まった。
「やってみる?」
「やる!」
後輩ふたりが意気揚々とコルク銃を構える。
一発目。
外れた。
二発目。
外れた。
「な、なんで……」
「ちゃんと狙ってる?」
「狙ってるのに当たらないんです!」
「美鈴先輩もやってみてください!
クラリネット吹いてるから手が器用なはず!」
「全然関係ないでしょ、それ」
「やってみなきゃ分かりません!」
仕方なく、美鈴もコルク銃を手に取った。
狙う。
撃つ。
外れた。
「……あ」
「先輩も外れた」
「……うん」
「クラリネット関係なかった」
「だから言ったじゃん」
四人の笑い声が、屋台の前で重なった。
──
夕暮れから夜に変わるにつれ、発電機のエンジンが強く唸り始め
提灯の明かりが少しずつ鮮やかになっていく。
美鈴は、そのオレンジの光を見上げながら、
ふと思った。
(……きれいだな)
(見せてあげたかったな——)
誰に、とは思わなかった。
でも、心のどこかに「誰か」がいた。
「あ! あっちにりんご飴の屋台ある!」
後輩のひとりが、人込みの向こうを指差した。
「行こ行こ!」
「何味がある〜?」
「え、りんご飴って味あるの?」
「あるんだよ〜! ストロベリーとか!」
「早く行かないと並ぶよ!」
後輩ふたりが、人波の中へ駆け出していく。
まりなが「ちょっと待って——靴!」と叫びながら慌てて追いかけた。
「あ、ちょっと——」
美鈴が一歩踏み出したとき、
前から人の波が押し寄せてきた。
太鼓の音が大きくなる。
どこかでお囃子が始まったらしい。
人の流れが、逆になった。
「……まりな?」
声は、人混みに飲まれた。
気づいたとき、美鈴はひとりだった。
---
人の波が、ゆっくりと流れていく。
美鈴は、屋台と屋台の間の少し空いたスペースに移動した。
下駄の音が、砂利の上で小さく鳴る。
スマホを取り出して、グループチャットに打ち込んだ。
《はぐれた。今どこにいる?》
スタンプと共に送信。
既読がつかなかった。
(……この人混みだし、それに…お囃子、始まったもんね。気づいてないか)
もう一度だけ画面を見て、ポケットにしまう。
提灯の列が、夜空に向かって続いていた。
──
しばらく、持っていたペットボトルを一口飲み
ひとりで立っていた。
人が流れていく。
笑い声が飛び交う。
どこかで子どもが泣いている。
(……祭りって、こんなに人がいるんだな)
隣を、カップルが通り過ぎた。
浴衣姿の女の子と、彼氏らしい男の子。
ふたりで同じりんご飴を持って、
なにかを話しながら笑っていた。
(……いいな)
そう思ってから、美鈴は少し驚いた。
(わたし、今……「いいな」って思った?
蓮くんが、まだ眠っとるのに
玲央くんのことも、ちゃんと整理できてないのに
それでも、「いいな」って……)
足元の砂利を、下駄の先でそっと踏んだ。
提灯の光が、ゆらゆらと揺れている。
(……わたし、どこに向かってるんだろ)
答えは出なかった。
でも、その問いが胸に居座ったまま、
美鈴はぼんやりと夜の祭りを眺めていた。
──
屋台の少し先、木の陰のあたりに、
男女混合の学生グループがたむろしていた。
「罰ゲーム、執行なー」
「マジかよ…あの子アンダーだったらしらねーぞ」
「ビビってて草だわー」
「悪いか」
大学生くらいだろうか。
笑い声が時々聞こえてくる。
その中のひとりが、スマホを構えて——
こちらを見ている気がした。
(……なんか、見られてる?)
気のせいかな、と思った次の瞬間。
グループの中から、ふたりの男が離れた。
派手な柄のシャツを着た背の高い方と、
スマホを片手に持った小柄な方。
ふたりは、まっすぐこちらに向かってきた。
「ちょっと、お姉さん」
声がかかった。
「ひとり? せっかくだし、一緒に回らない?」
「……いえ、友達を待ってるので」
「すぐそこだから。
やきそばでもなんでも、おごるよ?」
「大丈夫です」
「遠慮しなくていいって。
俺たち、大学生だし。
怪しくないから。な?」
(怪しくないって言う人が、だいたい怪しい)
心の中でそう思いながら、美鈴は一歩だけ後ろに引いた。
木の陰のグループが、こちらを見ながらひそひそと笑っている。
状況が、静かに飲み込めた。
「本当に大丈夫です」
「もうちょっとだけさ——」
背の高い方が、腕を掴もうと手を伸ばした。
その瞬間——
「——待たせたな」
低い声が、横から割り込んだ。
男たちの動きが、止まった。
美鈴も、思わず声の方を見た。
制服ではなく、紺のシャツに黒のパンツ。
涼しい顔で、片手をポケットに入れたまま——
玲央が、そこに立っていた。
背の高い男が、眉をひそめた。
「……お前、誰?」
玲央は、一拍だけ間を置いた。
そして——美鈴の前に、静かに立った。
「……連れだ」
それだけだった。
背の高い男が、鼻で笑った。
「連れ? どこのガキかは知らんけど、
こっちは慶おh——」
「俺たち、七星だが」
玲央が、静かに遮った。
その隣で——小柄な男の顔色が、すっと変わった。
「……おい」
小さく、しかし鋭く。
「なに?」
「……あそこと揉めるのは、得策じゃない」
「は? なんで?」
「……知り合いの先輩がさ。
七星の子と軽くトラブっただけで、
なぜか就活で詰んだって話、聞いたことある」
「それ、関係あんの?」
「あるかどうかは知らん。
でも……俺は、賭けたくない」
小柄な男が、背の高い男の腕を掴んだ。
それ以上は、何も言わなかった。
数秒の沈黙。
それから、ふたりは無言で背を向けた。
木の陰のグループの方へ、足早に戻っていく。
「え、もう終わり?」
「……うるさい、次行くぞ」
「聞いたけどあの子、「あの」七星だったの?」
「マ?今日ツイてなさすぎじゃね?」
…
グループ全体が、ざわめきながら人混みの中へ消えていった。
---
しばらく、ふたりは動かなかった。
提灯の光が、ゆらゆらと揺れている。
太鼓と地元音頭の音が、遠くから響いてくる。
やがて——美鈴が、口を開いた。
「……ありがと。助けてくれて」
「別に」
「……なんで、ここに」
「勉強の息抜きで。
それに祭り、来たかっただけだよ」
「ひとりで?」
「……悪いか」
美鈴は少しだけ玲央の横顔を見た。
紺のシャツ。
涼しい顔。
いつもと同じ、「何でもないふり」の顔。
「……「連れ」って、言ったね」
「緊急対応だよ」
「「彼氏」じゃなくて」
玲央は少しだけ黙った。
「……その方が、角が立たないだろ」
「そっか」
美鈴は、前を向いた。
(そっか「連れ」の方が、角が立たない
それは、そうだよね
……なんで、少し残念がってるんだろう。わたし)
その問いが、するりと浮かんだ。
答えを出す前に、消そうとした。
でも——消えなかった。
「……慣れとるね」
気づいたら、声に出していた。
「何が」
「そういうの」
玲央は少しだけ黙った。
「……別に、慣れてるわけじゃない」
「じゃあ、どうして」
「……っ」
答えが、出なかった。
玲央は視線を逸らして、ぼそっと言った。
「状況的に、一番早かっただけだよ」
美鈴は、それを聞いて——小さく笑った。
(一番早かった言葉が、「連れ」だったんだ
……それでいい
それで、いいんだよ…きっと)
「うん。そういうふうにしておくよ。」
しばらく、ふたりはその場に立っていた。
提灯の光が揺れる。
人波が流れていく。
玲央が、頭をかきながら言った。
「その……なんだ。一緒に回るか」
美鈴は、少しだけ間を置いてから——
「そうだね。もうくたびれたし」
「……くたびれたのかよ」
「祭りって、意外と疲れるんだよ」
「まあ、そうだな」
ふたりは、並んで歩き出した。
提灯の並ぶ小道を、人混みを避けるように、
ゆっくりと。
しばらく、無言だった。
下駄の音と、玲央の靴音が、
砂利の上で交互に鳴っていた。
------
屋台の通りを、ふたりでゆっくり歩いた。
玲央が焼きとうもろこし。
美鈴がりんご飴。
「……りんご飴、食べにくくない?」
「食べにくい。でも、なんか買いたくなった」
「浴衣で食べるもんじゃないだろ」
「分かってる。でも、なんか」
「なんか?」
「……祭りって感じがするから」
「なんだそれ」
玲央は少しだけ笑って、とうもろこしをかじった。
屋台の光が、ふたりの足元を照らしている。
人の声が、遠くで波のように揺れている。
美鈴は、りんご飴を一口かじりながら、
ふと空を見上げた。
(……楽しい)
そう思った。
罪悪感は、あった。
でも、それより先に——楽しいという気持ちが、あった。
(……いいのかな)
(いいよ、たぶん)
どこかから、自分に言い聞かせるような声がした。
──
そのとき、会場のスピーカーからアナウンスが流れた。
《まもなく、花火大会を開始いたします。
打ち上げ場所は、公園東側の河川敷となっております——》
「おっ」
人波が、一斉に東側へ動き始めた。
「……花火か」
玲央がぽつりと言った。
「見たいか?」
「うん」
美鈴が頷く。
「俺、結構きれいなところ知ってる」
「え?」
「ついてくるか」
美鈴は少しだけ考えてから——頷いた。
玲央は、一瞬迷った末、食べかけのとうもろこしの
袋を片手に持ち直して、それから——自然な動作で、
美鈴の手を取った。
「……っ」
「人混みで逸れたら面倒だろ」
「……そう、だね」
美鈴の声が、少しだけ上ずった。
玲央は気づいていないふりをしたまま、
人波を縫うように、早足で歩き出した。
提灯の光の中を、ふたりの影が重なって走っていく。
──
同じ頃。
会場の入り口近く。
涼子と拓真が、
バナナチョコの屋台の前を通り過ぎようとしていた。
「あっ、バナナチョコだ」
「食うか?」
「……うーん」
涼子が、人混みの向こうに目をやった。
その瞬間——
提灯の光の中を、早足で歩くふたりの姿。
藍色の浴衣。
紺のシャツ。
手が、繋がれていた。
「……」
涼子は、足を止めた。
「涼子? どした?」
拓真が振り返る。
涼子は、人混みの向こうから視線を戻した。
「なんでもない」
「……なんか、顔が」
「なんでもないよ」
涼子は、前を向いた。
「それより」
「ん?」
「バナナチョコといかめし、奢って」
「急だな」
「いいじゃん。奢ってよ」
拓真は少しだけ涼子の横顔を見た。
それ以上は、何も聞かなかった。
「……しょうがないな」
ふたりは、屋台の列に並んだ。
遠くの空で、最初の花火が上がった。
どん、という音が、夜に広がっていく。
涼子は、空を見上げながら、
ポケットの中で指先をそっと握った。
(……行かなきゃ)
花火の光が、涼子の横顔を白く照らした。
---
玲央が連れてきたのは、
公園の東側、少し外れた土手の上だった。
街灯がなく、提灯の光も届かない。
でも、その分——空が広かった。
河川敷の向こうに、打ち上げ台が見える。
「……ほんとだ」
美鈴が、思わず声を出した。
「きれい」
「だろ」
玲央は草の上に腰を下ろした。
美鈴も、浴衣の裾を整えながら、隣に座った。
ふたりの間に、少しだけ距離があった。
風が吹いた。
河川敷の草が、さわさわと揺れる。
どん。
二発目の花火が上がった。
赤と金が、夜空に広がって——
ゆっくりと、消えていく。
「……玲央くんって、なんでこんな場所知ってるの?」
「去年、ひとりで来た」
「去年も、ひとりで?」
「……うん」
美鈴は少しだけ玲央の横顔を見た。
花火の光が、一瞬だけその顔を照らした。
「……寂しくなかった?」
「寂しいとか、考えてなかった」
「そっか」
どん、どん。
連続で花火が上がる。
青と白が、夜空に溶けていく。
「……来年は」
美鈴がぽつりと言った。
「来年は?」
「来年は、ちゃんと誰かと来れるといいね。
玲央くんも、わたしも」
玲央は、それを聞いて少しだけ黙った。
「……来年か」
少しだけ間があった。
「……知らね」
「え?」
「誰と来るかなんて、今考えても分からん」
美鈴は少し笑った。
「そっか」
「……お前は?」
「わたしも、まだ分からない」
「そうか」
「うん」
どん。
大きな花火が上がった。
白い光が、夜空いっぱいに広がって——
ふたりの顔を、同じ色に染めた。
しばらく、無言だった。
波の音みたいに、花火の音が続いていた。
「……ねえ、玲央くん」
「ん」
「今日、ありがとう」
「さっきも言っただろ」
「もう一回言いたかっただけ」
玲央は何も言わなかった。
でも、草の上に置いた手が、
美鈴の手のすぐ隣に、あった。
触れるか触れないかの距離で。
どちらも、動かなかった。
花火が、また上がった。
金色の光が、ふたりの間を、静かに流れていった。
──
やがて、スマホが振動した。
《美鈴〜!どこ!?花火始まったよ!》
《心配したじゃん!》
《今どこ?》
美鈴は、画面を見て、小さく笑った。
「……友達から」
「そか。行くか」
「……うん」
玲央が立ち上がって、手を差し出した。
「浴衣で立つの、大変だろ」
「……ありがとう」
美鈴は、その手を取って立ち上がった。
立ち上がってから——少しだけ、手を離すのが遅かった。
玲央も、すぐには離さなかった。
数秒だけ。
それだけだった。
「……美鈴」
急に、呼び捨てだった。
美鈴が、少しだけ目を上げる。
「……ん?なに?」
「別に。
……一回、呼んでみたかっただけ」
それだけだった。
玲央はさっさと歩き出した。
少し早足で、顔を背けたまま。
美鈴は、その背中を見て——
少しだけ、笑った。
「行こう」
「うん」
ふたりは、土手を降りた。
提灯の光が見えてきたとき、
美鈴は空を一度だけ振り返った。
もう花火は上がっていなかった。
でも、夜空はまだ——
さっきの光の色を、少しだけ残していた。
(……来年)
(来年は、ちゃんと選べてるかな)
答えは、まだ出なかった。
でも、足元は——しっかりしていた。
6話へ続く




