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② 第ニ話

 シュレンダ王国。

 建国より三百年以上の歴史のあるこの国の首都――プレリスには、いくつもの文化が根づいている。

 特にこの百年近くは戦争が起こることもなく、平和な時代が続いていることもあり、その成長は目覚ましいものがある。

 特に、農作物が豊富に実る豊かな土壌と豊富な海産物が後押しとなり、食文化の発展は世界でも屈指のものだった。

 

『食を知るのであれば、まずシュレンダ王国を訪れなければならない』


 どんな傲慢な人間が最初に言い出したのかは知らないが、この言葉は、現在では世界中でまことしやかに人々の口に上るのだから、シュレンダ王国の食文化レベルの高さが分かるというものだろう。


 そんなシュレンダ王国でも食文化の最先端の街である首都プレリスには、屈指の名店がある。


 その店の名は<銀の旋律>という。

 ニ百年以上の伝統を持ち、血統を重んじるその店は、三代以上続く老舗料理店の料理人の血を引いていることをはじめ、十歳になるまでに料理の基本を身につけて、その年から『銀の旋律』の別店で働き、見習いから始めて部門料理長以上の役職となり、かつ十六歳までの若手料理人が参加する歴史ある料理コンテストで優勝することが求められる。

 そこまでのことを成し遂げて、初めて本店での見習いになることができるのだというのだから、それがどれほど狹き門なのかは用意に理解できるだろう。


 そして、閉鎖的な部分こそあれど、これからも<銀の旋律>は伝統を重んじ、世界の料理の頂点としてその名が知られ続けていく……と思われていた。


 そこに、不世出の天才が現れるまでは。




「どうしたの? レシピは渡したはずよ。すぐにスープを作りなさい」

 早朝の厨房には普段以上の緊張が走っていた。

 それは、先日から体調不良で料理長が不在となっているためだけではない。その料理長の指示で作っていたスープのストックが切れた際に、まだ二十そこそこの紫髪でツリ目の女料理人から渡されたレシピのせいだった。


「でっ、ですが、副料理長……」

「このレシピは、あまりにも新し過ぎます。まして、今日のお客様は……」

 文句を言いたそうな二人のスープ担当の男に、副料理長と呼ばれた女性――ルーシアは口を開く。


「料理長がいない今、この厨房を取り仕切るのは、誰なの?」

 低い声で呟かれたそれは、こと厨房においては絶対の言葉だった。


「……副料理長です」

 不承不承ながらも、部門シェフの一人であるスープ担当は、そう答えるしかできない。


「急ぎなさい! 貴方達の仕事の遅れで他の人間がどれほど苦労するのか、分からないとは言わせないわ!」

「はっ、はい!」

 ルーシアは自分よりも遥かに齢を重ねた男連中に指示を出していく。不満な顔をするものも居たが、厨房に置いて、自らの役職を超えて逆らうことはできないのだ。


 もっとも、ルーシアとしてはその事も面白くない。この男達は、こんな小娘に副料理長の座を奪われていることを悔しいと感じないのだろうか? 死にものぐるいで努力をして、自分から地位を奪ってやろうという気概さえないのか?


 伝統を重んじるのも結構だが、新しい流れというものを取り込んでいかない組織は劣化していく一方だ。それこそ、流れていない水がやがて腐ってしまうように。


「次は、各部門料理長。今日の料理は、従前のレシピの料理をお出ししないわ。お客様の好物である海老をメインにすることこそ同じだけれど、調理法を変えていく。まず……」

 ルーシアの説明に、部門料理長たちの顔も曇って行ってしまう。


「副料理長! こんなに何もかも変えてしまっては、もううちの店の、<銀の旋律>の料理とは呼べなくなってしまいます! どうか考え直して下さい!」

 部門料理長の中では若い方の、三十代前半の男性であるガーランドが、いの一番にルーシアに食ってかかってきた。


「うちの料理ではない? 面白いことを言うわね。それでは、私に逆に教えて頂戴。この店の、<銀の旋律>の料理とは、どのようなものを言うのかしら?」

「流行に流されず、伝統を重んじる料理です! それがあるからこそ、この店は二百年もの間変わらず、この国はもとより、世界でも屈指の店で有り続けることができたのです!」

 真っ直ぐな目でルーシアに意見をしてくるガーランド。しかし、ルーシアはそれを一笑に付した。


「馬鹿げているわ。自らの向上心のなさを『伝統』なんて都合のいい言葉を使って誤魔化しているだけね」

「副料理長! その発言は看過できません! 貴女は料理長が不在なのを良いことに、勝手なことをしてこの店を潰すおつもりですか!」

 声を荒げて抗議を続けるその姿に、ルーシアは好感を持つ。だが、同時に哀れだとも思った。

 気骨ある若い――とはいってもルーシアよりはずっと年長だが――料理人がこの店にいることは望ましい。だが、少しずつこの店を蝕んできた病気に冒されている。自らがその事に気づきもせずに。


「何を悠長なことを言っているのかしら? 今すぐにでも手を打たないと、そう遠くない将来、この店は没落するのよ。それが分かっていないの、貴方は?」

「何がそう遠くない将来ですか! まずは、今夜のお客様であり、我々の店のオーナーであられる、ライナス卿の怒りを買わないことこそが肝要です。そうしないと、明日にでもこの店は立ち行かなくなるかもしれないんですよ!」

 ガーランドがそこまで言うと、それまで黙っていた他の料理人達も彼を支持して文句を口にし始める。


「ガーランドの言うとおりです! 相手は、あの冷徹無情と言われるライナス卿。であれば、今までの調理法を一新した料理を出すなど愚の骨頂。副料理長、どうかご再考ください!」

「そうです。まして、好物であられる海老料理のレシピを変えてしまっては……」

「副料理長、料理長が戻られるまでは、どうか大人しく今までの調理法での料理を……」

 次々と起こる非難の声を、しばらく黙って聴いていたが、ルーシアは大きく息を吸い込んだかと思うと、


「どこまで事なかれ主義なのよ、あんたたちは!」


 店中に響き渡る大声で一喝した。


「何を日和っているのよ。来店されるのが貴族様だからといって、なにが変わるというの? お客様がどんな方であろうと、私達のやることは変わらない。最高の料理をお出しし、優雅なひとときを過ごして頂くことだけを考えなさい! そして、私はその姿勢が、どの料理店よりも美味なる料理を提供し、至福の時間を過ごして頂く事こそが、この店の、<銀の旋律>の伝統だと考えているわ!」

 ルーシアは黙ってしまった料理人たちの顔を見ると、多くの者が顔を俯けてしまった。


 駄目だ、やはり早急に大規模改革に取り組まねば、この店は終わってしまう。幼い頃の自分が憧れた店が、無くなってしまう。

 血統的に優れているという根拠のない自信が、新しく店に入ってきた者たちと競争をしようとはせずに、いびり倒して辞めさせることに注力する間違った努力の蔓延が、病巣となってしまっているのだ。


「……ここまで言っても私の言うことが分からないのであれば、無理強いはしない。今晩の料理は私一人でも作れる。だから、やる気のない人間は必要ないわ。今すぐこの厨房から出ていきなさい」

 初めからルーシアは、全責任を持つつもりだった。それこそが、現在、厨房を預かる人間としての当然の責務だから。


 だが、この料理人達は恐れている。

 万が一にも、自分たちにまで火の粉が降りかからないかと。

 

ルーシアの言葉の後、料理人達はお互いの顔を見合わせ、それから一人が厨房を出ていくと、それに倣ってほとんどの料理人が出て行ってしまった。

 残ったのは、見習い三人を含めた僅か四人の料理人。そしてそこには、いの一番にルーシアに食ってかかってきたガーランドの姿もあった。


「あら? 貴方達は出ていかなくていいの?」

 見習いの少年二人と少女一人に、ルーシアはまず尋ねる。


「その、俺達は……」

「どうせ今のままなら、遠からず、このお店から追い出されてしまう予定です」

「それなら、今の料理長よりも実力のある、ルーシア副料理長について行きたいです!」

 三人の言葉に、ルーシアは嘆息する。


「あのねぇ。まだ二十代にもなっていない子供なあなた達が、不安で年長者を頼りたい気持ちは分からないでもないわ。でも、私はそんなお人好しではない。今回残ったことに感謝するつもりもないし、今後、あなた達を贔屓したりはしないわ」

 ルーシアはそこまで言うと、見習い達に鋭い視線を向けるが、彼らは目を背けなかった。


「なるほど。覚悟は決まっているのね」

 ルーシアはわずかに口の端を上げて、今度は、ガーランドに視線を向ける。


「正直、出ていこうかとも思いました。ですが、副料理長が仰った<伝統>が、間違っているとも思えませんでした……。それだけです」

 ガーランドはそう言うと、迷いのない表情でルーシアを見た。


「……そう。それならすぐに調理に取り掛かるわよ」

「「「「はい!」」」」

 ルーシアとガーランド達は五人だけで調理を始める。人数が減ってしまった分、急がなければいけないのだから。


 けれど、大変なはずであるにも関わらず、<銀の旋律>の厨房には、久しぶりに熱気が、料理に対する情熱が戻ろうとしていたのであった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] たくさんの人が働く厨房では、上の人たちにもプライドがあって、伝統という名の「古い」ものにこだわってしまう部分があるのかも知れませんね(;´・ω・) でも、ルーシアさんの考えに賛同してくれ…
[一言] 料理長よりも副の方が強い気がするのは、気のせい? 時間見つけて、チマチマ読んで行きますわ(⌒‐⌒)
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