① 第一話
「ルーシア、私と結婚を前提にお付き合いをして欲しい」
貴族様が供の者も連れず、お忍びで閉店後の店にやってきただけでも信じられないのに、その人物が、あの、悪名高きライナス=シュハイゼンである。
そして、どういう理由で薔薇の花を片手に、平民の私にプロポーズをしているのだろうか?
ライナス=シュハイゼンという名前は、このシュレンダ王国に生きるものならば、誰もが聞いたことがあるはずだ。
だが、それは決して好ましい意味ではない。
特に貴族の人間からはこの上なく邪魔な存在だと認識されている。
だが、毒と策謀が交差する貴族社会においても、彼に喧嘩を売ろうなどと考える者は居ない。
それは何故か?
答えは単純である。怖いからだ。
彼に楯突いて無事だった者は居ないのだ。
それが、身分の高い貴族であっても……。
――その事が広まったのは、三年前のあの出来事から……。
昼食時になり、キジュレイ伯爵は焦っていた。
懇意にしている、いや、共犯者である貴族たちと連絡がつかないのだ。
昨日までは当たり前に連絡がついた。
だが、いよいよ計画も詰めの段階というところの今日になって連絡が取れない。
人をやれば、そいつは帰ってこない。伝書鳩を使っても全く返事がないばかりか、鳩も帰ってこない。
これは、何かがあったと考えざるを得ない。
「何故だ! 何故、誰も戻ってこないのだ!」
五十をゆうに超えたキジュレイ伯爵は、しかし子供のように癇癪を起こす。自分以外、人がいなくなった自室で。
そして、そのタイミングを待っていたかのように、静寂を破り、いくつもの足音が近づいてくるのが、キジュレイ伯爵にも聞こえた。感じられた。
そして、ノックもせずにドアが開かれたかと思うと、二十代の半ばにも達していない若者が部屋に押し入ってくる。
「無礼者! ここを誰の屋敷と心得るか!」
キジュレイ伯爵はそう威圧するが、金色の髪の若造は、
「キジュレイ伯爵。<天秤と剣>が、貴方を逮捕する」
口を開くと同時に、無礼にも抜剣し、切っ先をキジュレイ伯爵に向けてくる。
「ふざけるな! なんの権限を持って、男爵風情がこの私に剣を向けておる! 身分を弁えよ!」
眼前の男は、たしかライナスという名だったはずだ。
昨年、男爵位を継いだ若造も若造で、自分の半分も生きていない。その上、ここ百年ですっかり形骸化した、<天秤と剣>という閑職の最底辺に就けられた無能者。取るに足らん存在のハズだった。
「国王陛下のご命令と、この印璽を軽んじると言うことか?」
ライナスはこちらに、一枚の書面を見せてくる。
それは、租税を誤魔化し、またこの国の財を、国王直轄領の木材を横流ししようとしていた大罪人であるキジュレイ伯爵を逮捕するという内容の命令書だった。
「そっ、そんな! こんなのは偽装だ! そもそも、貴様は、上司であるベルンス卿の許可を取っておるのか? こんなことをベルンス卿が許可をするはず……」
「罪人である貴公に答える義理はないが、自分の立場を理解して頂くにはちょうどいい」
「なっ、何を言っているんだ、この若造が!」
精一杯の威厳を持って、キジュレイ伯爵は声を出したつもりだったが、その声は驚きのあまり少し上ずってしまう。
「ベルンス卿は亡くなられた。不審火で、不幸にも家族とともに」
淡々とした声で言われた事もあって、その言葉を理解するのに時間がかかってしまった。
「更に、貴公に加担していた、私以外の<天秤と剣>の構成員達も、良心の呵責に苛まれたのであろう。貴公の悪事を記した書面を残し、皆、命を断った。そのため、現在この私、ライナス=シュハイゼンが国王陛下の命により、<天秤と剣>の最高責任者となっている」
嘘だと、でっちあげだと思いたかった。だが、目の前の若造、いや、男の表情と声には凄みがあった。決して今の言葉が嘘ではないのだと思わせる強さがあった。
そして、この男の言葉が真実だとするのなら、計画はとうの昔に国王陛下に露見していたことを意味する。つまり、自分以外を残して、他の者は皆殺されたのだ。国王陛下側に協力者が居たといったことを始め、不都合なことが露見しないように。
「そっ、そんな……」
もう自分には死という選択肢しか残されていないことを悟り、キジュレイ伯爵は腰が抜けて床に倒れるように座り込んでしまう。
この後、国家反逆罪が適応されたキジュレイ伯爵とベルンス侯爵達は、一族郎党全てが処刑された。年寄りも、女子供も鏖殺されたのだ。
しかし、その執行日であろうと、ライナスは顔色一つ変えなかった。
それ以降も、何を行っても、誰も彼が心を痛める所を見たものは居ない。
そして、ライナス=シュハイゼンの名は、貴族だけでなく平民の間にも広く広まっていった。
人間らしい情のない、恐怖の代名詞として……。
って!
こんな実しやかに囁かれている事柄を思い出していても、現実は変わらない!
今はこの状況をどう打破するのかを考えなければ!
……私はそう思って懸命に考えたが、結局妙案は浮かばなかったのだった。