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鰤(ぶり)

作者: のり



暮れに、祖母の語ったところによると、祖母がまだ小さかったころ、(ぶり)は丸ごと買うものであったという。雪の中、曾祖父が重たいのを引いてきて、曾祖母がよく研いだ大きな包丁で捌き、用途によって必要な分をそれぞれ切り分け、全ての部位を利用したとの事だった。


一日目はまず新鮮な刺身、それと大きな鍋で身のついた骨を味噌で溶いた汁にして、家族皆で温まる。二日目からは雪の中に埋めて保存し、塩漬け、あるいは味噌に漬けて長く保つように工夫した。それからは来る日も来る日も鰤が尽きるまで食べ、あっという間になくなった。汁やおかずの後に残った骨くずなども、堆肥にするか、卵の為に鶏を育てる別の農家が買いに来て、後には何一つ残らなかったという。


その頃、祖母の実家は隣町の里山の中級農家であった。

冷蔵庫すらない当時、そのあたりで普段口に入る魚と言えば、せいぜい塩びけであり、それすら労働者だけの特権であったことを、以前に祖母から聞いた話で私は知っていた。


(遡って更に昔ー祖母の祖母が若かった頃、)そこいらで多く買う(にしん)の干したのは畑のための肥やしだった。その中で特別いいものを、選んでとってきて昆布巻きの芯にしたのが地元の郷土料理の由来であった。

その頃魚は畑の土を豊かにする為にも使用されていた。人間が口にする以上に、畑の実りを多くするための肥料として重要な役割を果たしていた。おせちの『たづくり』とは、言葉通り『田作り』の意味だったのである。


今よりずっと厳しかった冬の、断熱もない土壁と木造で出来た家の中、たくさんの家族と身を寄せ合って食べる新鮮な刺身と熱いあら汁…それはたいそう特別なご馳走であったに違いない。

そんな時代背景で、口にする鰤の味や熱のこもった想い出を、私に想像出来よう筈がない。


然し、何故だろうか?

とりとめのない日常の中、時折そんな話を祖母から聞くつけ、私は何故か胸に深い原始的な懐かしさを覚えるのであった。

 


哀愁、それはいったいどこから来るのだろうか?

それらは何時から己自身の想い出となるのであろうか。


ああ、故郷よ


心の奥底で燃える古里よ

 


貧しいことの淋しさや、日々明け暮れる労働の厳しさ、飢えう辛さ、病に戦に疲れによって生き別れる哀しさを知らず、スイッチ一つボタン一つクリック一つで、全ての事が解決してしまう便利さを手放すことなど出来ない私の何処に、旧きものを(よし)とし、祖母にしか知りえない憧憬を、心の奥に息づく故郷を、都合よく我が物にして胸を締め付ける資格があるというのか。

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