2 白馬の車
「ま、まさか……」
幸子は信じられなかった。あのドングリの木には誰もいなかったことは、未希に声を掛ける前に確認していたからだ。
「……ここにいた……のか」
また声が聞こえた。間違いない。あのドングリの木の向こうから声がするのを二人は確認した。
「えっ、何? ホラーってやつ? まだ昼だよ。日本の平凡な田舎の高校の平凡な昼下がりだよ。フラグはなしよ……ねえ、さっちん?」
幸子は未希の前に出て、未希をかばうような位置に立った。
「誰? そこにいるのは誰なの?」
幸子が呼びかけるも、それには反応がなかった。
「ねえ、さっちん。そんなところにいたら危ないよ。早く向こう行こっ」
未希がベンチから立ち上がって幸子の手を引っ張る。
「駄目っ!」
幸子が未希の方へ体を向けたその瞬間、幸子の動きが固まった。
「えっ、さっちん? どうしたの?」
幸子が片膝を付く。幸子は背中に手をやり、手元に引き戻した。その手は赤い液体に塗れていた。
「えっ、なにそれ? さっちん、どうしたの?」
未希には何が起こっているか理解できていなかった。幸子の手に赤い液体が付着していたのを見ても、それが幸子の血だとは想像できなかった。
「未希、まずいかも……。このままでは……」
幸子は血のついた手を眺めて、再びドングリの木の方を見る。
「あの木からか。こういうのは、急にやってくるのね……あと少しだと言うのに」
幸子は再び未希を見る。未希はしりもちをついていた。恐怖と混乱で自分の足では動けない状態になっていた。幸子は木の後ろに周りこもうと横へ大きく動いた。その瞬間、ドングリの木からまた何かが飛んで来た。だが幸子はそれを予想しており、素早く手の中から何かを投げて、それを弾き飛ばした。
「うん、狙いはやっぱり未希か」
「えっ? えっ? 何が起こってるの? さっちん?」
幸子はドングリの木に向かって何かを投げつけた。それが木にぶつかると同時に大きな煙が立ち上がる。
「今よ」
幸子は素早く未希を抱えて、走り出す。未希はその素早さに何が起こっているのか理解が追い付かなかった。
「わわわわわわっ、なになになになにー。さっちん、何でー」
「うるさい、今はしゃべらないで。舌噛むよ」
幸子はそのまま風のように走り抜けて校舎の陰に隠れる。未希は自分の鼓動は激しく高鳴っているのを感じていた。
「さっちん……」
未希が話そうとするのを幸子が遮る。
「しっ、話はあと」
「で、でもっ」
幸子が未希の口を塞ぐ。
「んんんん……」
未希はまだ何か話したそうにしているが、幸子はそれどころではなかった。静かにドングリの木の方を警戒する。
それからしばらくは何も起こらなかった。昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響く。
「ねえ、さっちん。昼休み終わったよ。早く教室に戻らなきゃ……」
「しっ」
幸子はまだ警戒を解いていなかった。
「仕方ない。一旦離れるしか……」
「……幸子。どうしたの?」
幸子は再び未希を抱えた走り出した。
「未希、ごめん。もうちょっと我慢して」
「ええええー。さっちん。またー? どどどうしたのー?」
幸子は未希を抱えたまま、学校の駐車場の方へ走った。そして駐車場に停まっている白のスポーツカーへ向かう。この白いスポーツカーはこの学校の教頭の車だった。教頭の趣味は車で、長年生活を切り詰めたお金で、奥さんの猛反対を押し切って購入したという噂だった。車のエンブレムには飛び跳ねた白馬が描かれてあった。幸子は難なくその車の運転席の扉を開け、未希を助手席に乗せた。
「えっ、さっちん?? どうする気? も、もしかして」
「話はあと。行くよ」
幸子は流れるような動作で車のエンジンをつけ、華麗なハンドル捌きで車を出発させた。