13 クズカス
「くたばれ、クソ木下」
香住が両手を組んでその拳を上空から叩きつけた。木下は手をクロスさせてそれを受け止める。香住の拳が木下の腕に当たった瞬間、キーンっと甲高い音が鳴り響いて、未希は思わず耳を塞いだ。
「ぐぐぐぐ……」
香住の拳は木下の腕に受け止められていたが、弾かれてはいなかった。香住はそのまま拳を振り下ろして木下自身を押しつぶそうとする。
「無駄だ、私の固さと重さはお前では防げない」
「ぐっ、確かに、お前のそのスピットは昔と変わんねえな。だが、単純。それだけだ」
「言ってろ!」
木下は香住の力を自分から逃がすことができず、香住の拳に耐え続けた。木下が立っている地面にひびが入り始める。このまま押し込める。香住がそう思った時、急に体に感じる重力が消え、木下から離されるように飛ばされてしまった。
「な、なんだ? えっ?」
香住の体は真っすぐ葛葉のところへ向かっていた。
「葛葉、危ない!」
葛葉は香住の体を正面から受け止めた。が、猛スピードで飛んで来た葛葉の体を受け止めきれず、体が後方へ弾かれた。香住は飛ばされた勢いが葛葉にぶつかることで緩和され、そのまま体勢を整えることができた。
「葛葉っ! 大丈夫?」
葛葉は倒されたまま仰向けで動かない。
「くそっ、誰だ。いきなり足を掴まれたようになって……」
「相変わらず固いだけのノロマね、香住」
木下の背後から幸子が姿を現した。
「山上か、遅かったじゃねえか」
「何言ってるのよ、あなたがどんどんスピード上げていっちゃうからじゃない。私を放って行っておいてピンチになってるなんてダサ過ぎでしょ」
「うっ、ご、ごめん」
「素直でよろしい」
木下は少しでも調子に乗ってしまった自分を悔いた。
「うっ……いたたたた」
葛葉が目を覚まして立ち上がる。
「葛葉、ごめん、失敗しちゃった」
「いえ、大丈夫。でも幸子が出て来ちゃったわね。木下はすぐ来ると思ったけどこんなに早く到着するのは想定外よ」
葛葉と香住が並んで幸子たちを睨み付ける。
「あら、誰かと思えばクズカスのお二人じゃない。昔から馬鹿と思っていたけど、ここまで馬鹿だったとはね。あんた達、自分がしたことが分かってるの?」
幸子の煽りに対して、葛葉も香住も表情を変えることなく幸子に応じる。
「馬鹿なのはあんた達じゃない。私たちは私たちの正義で動いている」
「だったら、何でゲートを破壊したのよ! 向こうの世界に戻れないじゃない!」
幸子が激高して怒鳴りつける。未希は幸子がここまで感情的になっているところを見たことがなかったため、ビクっとして体を強張らせた。
「幸子、あんた本気で言ってるの? 向こうの世界? 何で私たちが向こうの世界に行く必要があるの? あんた達は当たり前のように言ってたけど、それ自体が異常なのよ」
「なんだって?」
未希は葛葉の言葉を聞いて改めて思った。そもそも幸子も木下も自分がいた現世でなく、ここ御代の世界の人間だ。自分だけがこの世界からしたら異物なんだと。
未希は状況を飲み込むことに集中し過ぎて周囲への警戒が疎かになっていた。それは幸子も木下も同じであったため、その隙を突くように未希の背後から近づく気配に気が付かなかった。
「お話はそこまでですよ。葛葉さん、香住さん」
「えっ!」
未希は何者かに拘束されてしまい、抱きかかえられたまま宙に浮いていた。
「えっ、えっ?」
未希を抱きかかえた男は葛葉と香住と同じ黒いローブを纏っていた。男は未希を抱きかかえたまま葛葉と香住の後ろに着地した。
「えっ、今のジャンプだったの……」
「未希さん、手荒な真似をしてしまいすみませんでした。でもあなたが完全に王になる前でよかったです」
男の声には聞き覚えがあった。それは未希だけでなく幸子も木下も同じだった。
「何で、何でそんなところにいるんだよ! 琥太郎!」
「琥太郎くん! 何で……」
男は琥太郎だった。ゲートを守るために建てられた建物にいた男。
「どうせ話しても分かって貰えないし、もう分かってもらおうとも思っていないですよ」
幸子と木下とは違い、琥太郎は落ち着いていた。
「琥太郎くん、未希をどうするつもりなの?」
「幸子さん、あなたのスピットは僕には通用しないの知ってるでしょ。やめた方がいいですよ」
「ぐっ」
幸子はひっそりと練っていたスピットを解放した。
「確かに、琥太郎くんと私じゃ相性が悪いわね。でも、琥太郎くんは私には勝てない上に、今は木下くんがいる。そうでしょ?」
「確かに木下くんはちょっと僕の手に余りますね。でもだから葛葉さんと香住さんがいるんですよ。二人がいれば木下くんは手出しできない。そうですよね?」
「……確かに。そうかもね」
木下も動こうにも動けなかった。香住の固い防御を突破できない。その上に葛葉から炎の攻撃がある。
「琥太郎、で、新しい王様を攫って一体何を企んでるんだ? お前が首謀者ってことはないだろ?」「そうだね。どうせバレるから言うけど首謀者は前宰相の琢磨さんだよ」
「えっ! 琢磨さんが、なんで?」
「話が長くなるからいちいち説明はしないけど、君たちは何も知らなさすぎる。前王が犯した罪について」
未希は耳を疑った。前王が、母が罪を犯した。とても聞き入れられる話ではなかった。あの優しくて厳しい母が罪を犯したなんて。
「何でお母さんが罪を犯したって言うの? 嘘を言わないで!」
「未希さん、それは後でゆっくり説明しますよ」
未希が琥太郎に抱えられたままバタバタ暴れるが、琥太郎はまったく意に介していない。
「おっと、またこれをやられたらたまりませんからね。少し我慢して下さい」
琥太郎は未希の口に布を巻きつけた。
「スピット・イーターか。また厄介な力が出てきてしまいましたね。まあそれが王たる所以なのですが。それでは、僕たちは一旦これで引かせて頂きます」
琥太郎は幸子と木下に背を向ける。そうはさせまいと木下がスピットを練るが葛葉と香住が前に立ちはだかる。
「琥太郎くん、最後に答えて。琢磨さんのこと、案外あっさり話してくれたじゃない? すぐにバレるって言ってたけどどういう意味?」
琥太郎は幸子に背を向けたまま答える。
「幸子さん、察しがいいですね。流石です。そのままの意味ですよ。すぐに琢磨さんが首謀者だってことが分かってしまうんですよ。なんせ、今式典会場に行って宰相達を足止めしているのは琢磨さん本人なんですから」
「そ、そんなことまで……」
「あなたたちと、未希さんは僕たちにまんまとおびき出されたんですよ」
そう言い残して琥太郎は大きくジャンプしてこの場を離れていってしまった。琥太郎が行ったあと、葛葉と香住も幸子たちを警戒しながらではあったがこの場を離れた。幸子は膝をついて倒れ込んだ。
「どうしよう、木下くん。琢磨さんが動いてるって……未希はどうなるの?」
「琢磨さんって確か前王と揉めて、軟禁されていたんじゃなかったっけ?」
「そのはずだけど……」
「前王と何があったか知ってるか?」
「いや、知らないわ。宰相なら知ってると思うけど……あっ、会場が襲われてるんだったわ。急いで戻らなきゃ」
「お、おい、佐久良さんはどうするんだよ? あのまま放っておいていいのかよ?」
「馬鹿、あの様子だと危害を加えることはしないわよ。それよりも式典会場の方が気になるし、琢磨さんがいるなら状況を聞かないと」
「あ、ああ。そうだな。よし、俺の背中に乗ってくれ。最速で戻るぞ」
「気が進まないけど、仕方ないわね」
「おい! 今聞こえたぞ」
木下は幸子を抱えて全力で式典会場まで走った。二人とも間に合ってくれ、という思いを持っていたが、どういう状況なら間に合って、どういうことが起こると手遅れになってしまうのかが全く分からい状態であった。ただただ不安を払拭するだけのために全力で来た道を駆け抜けた。