誰が為に筆を執る
つらつらと綴っていこう。
唐突ではあるが、
物語というのは書きたいと願ったときにはなぜか書けない。
冒頭の一言目すら書き出すことは叶わないのである。
それらはいつだって日常のふとしたときに唐突に現れるのである。
朝目覚めたときであったり、会社や学校に行く途中であったり、ご飯を食べているときであったり、友人と話しているときであったり、夕暮れに心を奪われたときであったり、ぼんやりと雲を眺めているときであったり、誰かを愛おしいと感じたときであったり、夢の中であったり。
眉毛の上辺りがむずむずとして言葉が、情景が浮かんでくるのである。
そうやって私達はその瞬間を取り逃がすまいと筆を執る。と言いながら私はスマホを片手にタプタプしているのだが。
手軽に書けるようになったものだ。素晴らしい。
……話が逸れた。
そうやって綴られた物語は、読む人が読めば一笑に付すような稚拙で幼稚なものであるかもしれない。
それでも物語を紡ぐという行為は、
かの世界最古の恋愛小説「源氏物語」紫式部先生、
一度は耳にしたことがあるであろう「吾輩は猫である」夏目漱石先生、
およそ一世紀に渡っていまだに新規ファンを獲得し続ける「人間失格」太宰治治先生、
現代の本屋平積み常連「探偵ガリレオシリーズ」東野圭吾先生、
一世を風靡した「君の膵臓をたべたい」住野よる先生、
今年の本屋大賞「汝、星のごとく」凪良ゆう先生など。
彼等彼女等と全く同じ行為なのだ。
一度くらいは聞いたことのありそうな作品や作家先生諸氏を挙げさせていただいたが、この世は物語でもっと溢れている。
一字でも違えば一つとして同じものはない。
誹謗中傷に晒されようとも、誰一人として読んでくれる人がいなくなろうとも、私達は物語を綴るのだ。
誰かの為にならなくてもいいのだ。
さあ、筆を執ろう。
読んでくださりありがとうございます。
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