少女ぬけがら物語
「ところで、電信柱にしがみついて、何をなさっているの?」
「実はその、お恥ずかしながら、心持ちが身の丈に合わなくなってしまいまして」
『少女ぬけがら物語』
「ふとね、思ったのです」
「私は今まで真面目に、堅実に生きてきました」
「将来のための地固めに躍起になって、地道な生活に執心して。例えるならば、地を這い草葉を食む芋虫のように」
「そんな風に足下ばかり気にしていたら、ある時急に羨ましくなったのです」
「青くて広い、あの空が」(鳥の音)
「だって、地道に生きたこの人生。その地続きにあるものなんて、たかが知れていますでしょう」
「つまるところ、自分という殻を窮屈に感じているのです」
「それはそれは、もう春になるものね」
「この殻さえ破ることが出来れば、たとえばあの青く美しい空の果てまでも、私はきっと羽ばたいて行けるはずなのです」
「もう、しばらくの間この場所でこうしているのですが……。なかなかどうして、うまくは行かないものですね」
「あらあら、そうだったのね。けれどずっと自分の殻に閉じ籠っているままでは疲れてしまうでしょうに」
「少しくらい羽を休めたところで、きっとバチは当たらないわ」
「お気持ちはありがたく思います」
「けれど、あまりうかうかしてもいられない」
「私は一刻も早く、あの大空へと羽を広げたいのです」
そう言いながら彼女は、バッと両手を大きく広げました。
すると彼女の身体は電信柱から当然離れて、途端憑き物が落ちたみたいに軽やかに、晴れやかな表情へと変わったのです。
「……でも、なんだか気が軽くなりました」
「あなたのおっしゃる通り、少し休んだ後に再び殻を打ち破ることに集中しようと思います」
その姿を言うなれば、まさに心に羽でも生えたよう。
あくる朝、電信柱にしがみついたままの脱け殻だけを残して、彼女はいなくなっておりました。
ああ良かった、きちんと自らの殻を破ることが出来たのだなと思い、私は空を仰ぎました。
「良かったわ、一皮剥けたみたい」
なんて青々とした空でしょう。きっとあの子は、この遠い空の向こうへと羽ばたいて行ったのです。
「ところがどっこい」
振り返ってみれば、そこには見覚えのある少女が。
だけれどその晴れ晴れとした表情は、今までとは見違えてしまうよう。
彼女は続けました。
「本当の自分は、思っていたよりもずっとちっぽけだったのです」
「私の背中に、美しい翅などありはしませんでした」
「今にして思えば、浮き足立っていただけだったのでしょうね」
「結局のところ、地に足を着けて生きていくしかないのです」
どこかバツが悪そうに、彼女ははにかみます。
「とはいえども、悪いことばかりでもありません」
「もう春も暮れ、ああも必死にしがみついていた頃には気付きもしなかったことですが」
「街路樹や民家の植え込みだって、あんなにも青々と草葉が繁っているのです」
「隣の芝生は青いと言いますけれど、何も青いのは空ばかりではないのですね」
「どこか遠い所へでも行って、羽を伸ばしてこようかと」
その言葉を最後に、彼女はどこへやらと歩いて行ってしまいました。
そんな彼女の背中を見送った私は、あの遠い遠い空を仰ぐのです。
「まぁ、なんて青いこと」